日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

想い出す人

毎年、この時期になると、必ず想い出す人がいる。

日本で、薬剤師になって、一番最初に勤めた病院の上司であった薬局長さん。

 

1990年代中盤から、西東京のキリスト教系の病院に、5年半お世話になった。

いつもとびっきりの笑顔で、私をかわいがって下さった、大好きな上司だった。

1970年代、日本がまだ外貨の持ち出し制限もあったような時代に、ご家族で米国へ渡り、そこで、ご主人さんが医師の免許を取得するのを支えた方。そんなことからも、普通の人だったら「できっこない」と思うようなことも、可能にすることができると信じて、そして実際に色々なことに「奇跡」を起こしてしまう方だった。

私にとって、日本での最初の勤務先が、こちらだったことは本当にラッキーだったと思っている。例えば、私が勤務していた頃、この病院では、処方箋の書き方が米国方式で、英語やラテン語で行われていた。また、この元上司は、シンガポールの病院薬局での職経験もあったため、職場では、英国の薬局方式も取り入れられていた(→シンガポールは、歴史上長年、英国の植民地支配下にあり、現在でも英国連邦加盟国の一つである)。例えば、ここの薬局では、英国の高額薬学事典「Martindale」が購入されていた(→ちなみにその十余年後、私はこの事典の出版社で、短期間ではあったが働くことになった)。英国の元祖抗がん鎮痛剤である「ブロンプトン・カクテル」も、薬局内で当たり前のように作られていた。日本国内の医療機関であったにも関わらず、このようなインターナショナルな実務環境で職経験を積めたことは、私が渡英し、英国の病院に勤務するようになってから、大いに役立った。また、この病院の従業員の中には、海外へ留学する方も多く、医療従事者として、日本の外に目を向けるのには、これ以上にないくらい最適な場所だった。

それから、私にとって、薬剤師として生涯で最初の勤務先ということもあり、この働き者の薬局長の背中からは、色々なことを学んだ。私は、英国で働くようになって以来、2度ほど、異なる国営医療病院から「最優秀雇用者賞」といった類のものを受賞している。3つ子の魂100まで、というけれど、この西東京の比較的小規模の病院での薬剤師時代に得た勤労倫理は、世界中の人を雇用者として受け入れている英国の超大規模医療組織でも十分通用するものだったと、今振り返って、本当に有り難く感謝している。

 

話がガラリと変わるが、私は、占いとか、そういった類のものは、あまり(額面通りには)信じない。それによって自分の運命を決めつけたり、狭めるのは嫌だからね。

でも、ただ一つ、過去に告げられ、心底信じていることがある。

約20年前、カナダのバンクーバーへ旅をしたことがあった。詳しい経緯は忘れてしまったのだけど、そこで「人を透視することができる人を知っているから、会ってみないか」と誘われた。

太平洋が一望できる高台の、見も知らぬ方のお宅へ半信半疑でお邪魔し、ドアを開けた途端、その「透視者」は;

「あなたの現在の上司は、女性だね」と、即座に言った。そしてこう続けた。

「その人は、あなたのこれからの人生を左右する数々の岐路で、必ず助けを下さる人だ」と。

全くの赤の他人で、私のその当時の上司など知る由のない、「透視者」の言葉だった。

 

そのバンクーバーでの予言から数年後、私は英国へ渡り、薬科大学院へ入学した。大学院の入学志願の際には、「現在の職場の上司からの推薦状」が必要で、もし合格したら(この病院を退職することになる)と告げてお願いしたのにも関わらず、身にあまる推薦状を書いて、私を送り出して下さった。大学院に入学した初日、事務局の方から「あなたの上司からの推薦状、今まで、過去どんな人が書いたものよりも最高のものだったわよ」と告げられた。日本から遠く離れた英国の地で、感謝の言葉が見つからなかった。

私を送り出したと言っても、私も、英国へ渡った当初は「1年の留学で帰ってくる」つもりだった。そのため、この上司は、私のポストをあえて空席にし、帰国を待って下さり、私の穴埋めとなる方を、大分後になっても雇わなかったと、後から聞かされた。約束違反になってしまい、ごめんなさい。。。。

 

それから、かなりの年月が経ち、私も紆余曲折を経て、英国で薬剤師になる手続きを始めようとしている頃だった。

英国の薬剤師になるための「免許変換」には、色々な手続きが伴う。特に日本人が手こずるのは「IELTS(TOEFL の英国版に相当するもの)」と呼ばれる、英語の語学試験。かなりの高得点が必要とされ、人によっては、一度や二度の受験では合格できず、何年もかけてようやく合格した、という人も、結構いらっしゃる。一回当たりの受験料も高額で、その負担も、並大抵のものではない。

私も、英国での永住権が取れた時点で、この英語の試験勉強を始めたものの、いまいちやる気が出ず、放って置いた時期があった。でも、とある時期から、なぜか、どうしても、「この日までに、試験を受けなきゃ」という念に狩られた。理由は分からなかった。

そして、ある日、半ば強引に、受験申し込みをした。全くの準備不足にも関わらず、本当に、何か分からない力に押し動かされるような感じで、試験場へ行った記憶がある。

試験中は、(今までに受験したことのなかった試験のため)英作文を全く違う解答用紙の部分に書いてしまい、制限時間を大幅に無駄にしてしまうわ、口頭試験では、試験対策で推奨されているような、起承転結をつけた話ができなかったりと、自分としては散々な結果で、試験が終了しても、合格する自信は全くなく帰宅した。

でも、数週間後、自宅に届いた大きな封筒を開封すると、なんと、合格!!! 本当に、自分の目を疑い、何度も何度も通知を見直したが、確かに合格していた。

その次の瞬間、考えたのは;

「あ、これで私、英国の薬剤師になれる! えーっと、じゃあ、次に必要なのは、日本での過去の勤務先からの照会状だから、元上司に連絡しなきゃ」

であった。

そしてその晩、しばらくご無沙汰をしていた元上司の自宅へ突然電話をすると、こうであった。

「このところ具合が悪くて、入院していたの。ちょうど一時退院して家にいたから、今日、あなたとお話できて本当に良かったわ。でもね、実は、私、今、もし自分の身に何かあったらのことを考えて、色々と身辺整理をしていたところだったのよ」と。

「英国の薬剤師免許へ変換する手続きを本格的に開始するので、日本の職場であったところからの照会状の発行依頼、どうすれば良いですかね(元上司は、その頃、定年退職されたばかりだった)」

と言ったら、本当に喜んで下さり、

「おめでとう。じゃあ、OOさん(元上司の後を引き継いだ方)に、私の方からも連絡しておくわ」

と言って下さった。

でも、こんな手短な会話にもかかわらず、話しているうちに、元上司がどんどん息切れしていき、会話もままならなくなっていくのが、電話口からも分かり、本当に申し訳なかった。

そして、この電話が、私と元上司の、この世での最後の会話となったのだ。元上司は、それからほどなく、天に召された。

 

今、振り返り、私は、断言できる。

全くの準備不足で、受かるはずもなかった、あの語学試験に合格させてくれたのは、長年、私を応援して下さっていた、元上司からの、目に見えない力だったのだ。そして、この世での最後のお別れができるよう、私に無理やりに試験を受けさせ、合格させ、ちょうど自宅にいた日に連絡させて下さったのだろうな、ということ。

今までの人生、本当に色々な方たちに助けられてここまで来たけれど、特にこの元上司の最期の計らいは、あのバンクーバーで、名も知らぬ透視者から告げられた予言とあまりに一致し、毎年、元上司の命日が近づくこの時期になると、必ず思い出す。

 

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多彩な才能を持つ上司だった。亡くなった後、自作の数々の水彩画を絵葉書にしたものを頂いたが、その一つが、奇遇にも、ちょうど10年前の今日描かれたものと記されていた。月日が経つのは、早い。

 

では、また。