日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国国営医療サービス (NHS) のウィンタープレッシャー (Winter Pressures)

 

あっという間に、1月が終わろうとしています。

 

特に、この2週間は、忙しかったです。

というのは、私が現在勤務する病院で「病床不足大危機」が起こったから。。。

  

先週の火曜日、朝、出勤すると、薬局内のコミュニケーションボードに書かれた、この伝達(写真下⬇︎)

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「冬来たる!『ブラックベッド』警報が発令された。下の病院長からのメールを見て。薬剤師は全員、午前9時と午後2時の緊急ミーティングに出席してもらえる? 退院薬を最優先にしてね」

 

この状況を説明すると。。。

ブラックベッドとは、英国国営医療サービス (NHS) 内の用語で、病院の緊急医療室に患者さんが殺到し、かつ、病院内も満床で、入院が必要な患者さんに、ベッドが全く用意できない、その「超危機状態」を指します。

英国の国営医療 (NHS) 病院の一日は、朝、緊急医療室に、前夜からどれだけの患者さんがやってきて、そして「現在、入院待機中の患者さんがどれだけいるか」ということを見積もることから始まります。

その数から、信号色で、本日の病院運営状況を把握します。ベッドの数が足りていれば「青」、もうすぐ不足になるようであれば「黄」、ベッドがない→入院患者を受け入れられない状態であれば「赤」と呼んでいます。通常、黄色から赤の初期段階で、経営陣による「危機管理」が始まります。

でも、この日は、その「赤信号」を通り越し、なんと「ブラック=黒」であると宣言されました。「へ? 『ブラックベッド』なんて用語、あったんだ」と、英国国営医療 (NHS) 病院に、過去約12−13年間勤務してきた私でも、聞いたことのなかった言葉でした。つまり、私が現在勤務する病院でも稀な「病床不足大危機」となったのです。

具体的な数としては、その朝、約60名もの重病患者さんが、緊急医療室内には収容できず、脇の廊下などで、病院中からかき集めた簡易ベッドや、ストレッチャーなどに横たわり、入院を待っていました。それに加えて、前夜から徹夜で待っているにも関わらず、まだ診察を受けられない患者さんが、待合室に膨れ上がっているという状態でした。

ひょえー、これって、野戦病院ぢゃない。。。

 

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私が現在勤務する病院の「緊急医療室」入口(正面の白い建物)。救急車(右側の黄色の車)も待機し、地域の住民の緊急・夜間診療は、全てここで行われる。ちなみに英語で「緊急医療室」は Accident & Emergency (通称 A&E) と呼ばれる。米語の Emergency Room (通称 ER) に相当。

 

英国の国営医療 (NHS) は、国民の税金で主に運営する「無料の医療提供」ゆえ、それぞれの病院の予算の都合から、病床数を容易に増やすことができません。

そのため、病院内でベッドが不足すると、治療が中途半端な状態でも、入院患者さんを追い出すように退院させているのが現実です。もっと症状の悪い「生死の境」にいる人が、緊急医療室へどんどんやってくるし、その方たちに、数が限られているベッドを「明け渡さなければならない」から。。。

そのような状況になると、当たり前ですが、患者さんの症状を根本からじっくり診るような病棟業務は2の次になります。とにかく一人でも多くの患者さんを退院させ、ベッドを開けろ、そのために、薬局は、退院薬を今すぐ用意しろ、ということになります。

で、(追い出すように)退院させた患者さんの中には、その帰宅途中で、すでに具合が悪くなり、即、再入院となってしまう方もいらっしゃいます。そうなると、私たち医療従事者側は、また入院手続きから同じことを繰り返し、仕事量も2倍となります。

「私たち、一体、何やってんねん。。。」という、フラストレーションに陥ります。

 

また、今の冬の時期は、誰もが風邪やインフルエンザに罹りやすく、病院のスタッフの中にも多数の病欠者が出ます。私が担当する病棟でも、今月、医師はほぼ全員、風邪を引きました。現在、病棟は、入院中に併発した肺炎患者さんだけらです。マスクをする習慣がない国なので、風邪を引いた医療従事者が、患者さんに移しているのではないかという疑問が拭いきれない。。。

そして、年度末が近づいていることもあり、有休の消化で、休暇を取る従業員が多い時期でもあります。ただでさえ人員不足の職場が、それに輪をかけて、手薄になります。スイスでスキーだよ、とか、カリブ諸島のクルーズで日焼けだ! と満面の笑顔で英国を脱出する同僚たちを尻目に、居残るスタッフたちは、明らかに「無理ゲー」的な勤務を恨めしく思いながら働くのです。

で、この英国国営医療 (NHS) 病院が、冬場、最も忙しくなり、スタッフ人員数も全く足りず、患者さんが緊急医療室に膨れ上がり、病床が全く用意できないという地獄絵のような危機に陥ることを、英国では「国営医療 (NHS) のウィンタープレッシャー」と呼んでいます。これ、英国のマスコミにとっては、格好のネタで、「英国国営医療 (NHS) が、どんなに悲惨な状況になっているか」を、新聞の一面にセンセーショナルに書き立てることは、英国の冬の風物詩のようなものとなっています。

 

で、話を戻し、先週、私が勤務する病院は、この未だかつてない「ブラックベッド」警報に対し、以下のような具体的な解決策が講じられました。

医局長は、必ず「病棟回診」を行い、退院できる患者さんを「見つけ出す」こと。

英国の医局長の中には、兼業として、プライベート診療をしておられる先生もいらっしゃいます。そうすることにより、国営医療 (NHS) 機関のサラリーマン医師としての定額収入とは比べもにならないほどの、高収入が得られるからです。でも、そのような場合、医局長補佐にほぼ全ての病棟業務を任せ、あまり表には出てこない先生もいらっしゃいます。そうすると、「最終決定」を下しにくく、患者さんの退院が先送りにされてしまう傾向にあります。そのため、その日は、「絶対に、医局長の主導で、病棟回診をすること」という御触れが出されました。

それから、病院内で予定されていた、全ての教育訓練セッションがキャンセルされました。これらに出席予定であった研修医たちは、全員、緊急医療室へ向かい、そこでの患者の診察を補助せよとの指示でした。

 

そして、薬局の仕事と言えば。。。 言わずもがな、退院薬を用意することが優先されます。でも、それでは医師が退院処方せんを書き上げるのを、指をくわえて待っているような「受け身」の態勢です。

で。。。 このような状況における、薬剤師の「攻め」の業務があるのです。

私の勤務する病院では、医師が簡単な依頼書(写真下⬇︎)にサインをすることにより、「薬剤師が、患者さんの退院薬の処方せんを、医師に代わって書き上げることができる」というシステムが採られています。英国内でも、これは、議論の余地のある方法であり、採用している病院と、していない病院が半々です。事実上「処方薬剤師」に近い業務ですからね。

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私の病院で使用されている「退院薬発行依頼書」。この用紙に医師がサインをすることにより、薬剤師が退院処方せんの入力・発行を代行できるシステムとなっている(注:こちらの見本は、架空の患者さんのものとして提示しています。歴代の英国の首相さんの氏名を、患者・医師名として使用させていただきました(笑))

 

これ、医師にとっては、大人気のサービスです。こちらを発行することにより、医師は、「退院レター」と呼ばれる、後を引き継ぐ家庭医への申し送りの書類の用意(だけ)に専念できるからです。私の病院では、この方法で、薬剤師が、処方せんを入力・発行すると、患者さんの退院に要する時間が、最低2時間は短縮できるとされています。

でも。。。 これ、時に、とても危ない業務でもあります。医師の依頼書の指示が不明瞭である場合、薬剤師の判断で「思慮深く」判断していかなければなりません。ほんの一例ですが、抗生物質の治療期間とか、脳卒中患者さんへの抗血小板薬の切り替え時とか、整形外科手術を受けた患者さんの抗凝固薬の期間とか、治療ガイドライン全般をきちんと理解し、退院処方せん上に明記しないと、後々、患者さんの命に関わる場合もあります。

正直、まるで、不発弾の処理を遂行するような仕事と言っても過言ではないケースもあります。臨床業務経験の浅い薬剤師には、難易度の高い仕事です。

で、今回の「病床不足大危機」に際し、私と、もう一人の同僚のジョナサン君(→現在、集中医療室担当の臨床薬剤師)へ、この「薬剤師主導の退院処方入力・発行業務」請負人として、白羽の矢が立ったのです。本当は、同格レベルの薬剤師の同僚が、あと2人いるはずだったのですが、この「ブラックベッド」の日、2人とも体調を崩しており、病欠でした。。。。(嗚呼)

そんな訳で、「退院させる患者さんがいる」とポケベルで連絡が来ると、すぐさま、その患者さんがいる病棟へ駆けつけました。そこで、(事実上)見も知らぬ患者さんの、既往歴やこれまでの治療経過を即座に把握し、退院処方せんを発行し、調剤室へ指示を出し、一刻も早くベッドを開ける、という作業に追われました。

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英国の病棟の各ベッド脇には、このようなメディシン・キャビネットが設置されている。患者さん個人の持参薬や、入院中調剤された薬は全てここに保管され、退院時に返却することにより、事実上、退院薬の調剤業務が不要、もしくは、大幅に削減されるしくみとなっている

 

で、やれやれ、なんとかその「危機日」が終わり、クタクタになって帰宅しました。

 

でもその翌日。。。

これまた「ブラックベッド」の日であることが発表されました。。。 前夜から、緊急医療室に、患者さんが、依然として雪崩のように押し寄せているとのことでした。いくら頑張って、患者さんを退院させても、その数とほぼ同じ数の患者さんが、新たに来院しているという状態。まさに「ウィンタープレッシャー」です。

そして、昨日と同じように、私は、また、退院患者さんの処方せん発行に専念する日となりました(涙)。

 

そして、なんと、その翌々日もね。。。 こんな危機、病院創設以来、本当に初めてだったんだって(号泣)。

  

実は、そんな「ブラックベッド」となった週、私は、本業の感染症専門薬剤師としての業務の一環として、英国保健省主導の「敗血症の患者さんに、如何に抗生物質の使用が適切に行われているか」という調査のデータ収集をする予定でした。もちろん、遂行できませんでした。

という訳で、今週、通常の業務が終わった後、一人オフィスに居残り、この残業をしました(写真下⬇︎)。今週は、私、日夜拘束の「当直週」でもあり、夜通し、病院中からの緊急コールに対応しながらの、マルチタスキングです(泣)。

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この「ブラックベッド」期間中、日中に、通常の仕事が全く出来なくなりました。締め切り間近であった、英国保健省の調査のデータ提出のため、約50人分のカルテの中身(写真上⬆︎)を解析する、という仕事も、延期せざるを得ず、昨日、締切日ギリギリで仕上げました。

 

で、話を戻し、そんな「ブラックベッド」警報が連続した4日目。。。もう体力的に限界だな、私自身、このままでは絶対に風邪を引くと、身体を引きずるように出勤すると;

ついに「ブラックベッド」解除宣言が出されました!

でね、その朝のミーティングで、私ともう一人の同僚のジョナサン君が、表彰されたの(写真下⬇︎)。

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「頑張ったで賞」を受賞したよ。感涙して、いつもに増して、ピントのボケた写真になってしまった。。。(笑)

 

「英国国営医療 (NHS) は、サンクスレスな仕事だ」「努力しても、無駄死にするだけよ」「だから、できるだけ手を抜き、自分の身は自分で守れ」などと言う人が多いのも事実。

 

でも、見ている人は、見てくれているんだな。。。(号泣)

 

薬局スタッフの同僚の皆も、私の電話口での口うるさい要望へ応えてくれ、この「危機」を脱却できたのだと思う。いつもはへぼっこいのに、今回の危機に関しては「最高のチームワーク」だったよ。。。

 

英国国営医療サービス (NHS) で働くの、悪くない。

 

みんな、ありがとう! 

 

でも、来月は、もうちょっと平和な月間であることを願っています。。。あはははは(笑)

 

では、また。