日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国南部イーストボーンへの旅。公爵と殺人鬼家庭医とメイ首相の父

 

日本では、ゴールデンウィーク10連休が終わろうとしていますね。

英国でも、先月の下旬はイースター(キリスト教の復活祭)で4連休でした。今週末もバンクホリデーという、3連休の休みで、そして、今月末もそう。

長い週末は、いつだって嬉しい。しかも、寒く辛い冬が終わり、英国が最も美しく見える春から夏にかけての、行楽シーズン到来だあ!

 

という訳で、私は、先月のイースター週末中、英国南部イースト・サセックス州の海辺の街「イーストボーン (Eastbourne) 」へ行ってきた。

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イーストボーンの街のシンボルである「ピア(埠頭遊歩桟橋)」


ここ、英国へ移り住んでから、何度も訪れている。出不精な私が、ロンドン以外で最もよく訪れる街と言える。目下、EU離脱で揺れる英国の現テリーザ・メイ首相の出身地でもある。

ロンドンから電車で1時間半ほど。現役をリタイアした、裕福なご隠居さんたちが多く住む街としても知られている。

で、最近、この街の医療の歴史で、かなーり興味深い話を知り、今回、再訪問してみることにしたの。

 

今回の旅の出発点は、ここからだった(写真下⬇︎)。

こちら、上の写真のイーストボーン・ピアから北へ向かう目抜き通りを5分ほど歩いたところにある、街の中心にあるフィッシュ&チップス屋さん「Qualisea」。イーストボーンを訪れる観光客の大半が、ここで食事をするのではと思えるほど有名なレストラン(テイクアウェイもできます)。創業1964年とのことですが、私も、最初に来店したの、2001年だった。観光客のみならず、地元の住民からも愛されており、お店は常に賑わっている。

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イーストボーンの街で知らない人はいないのではないかというほど有名なフィッシュ&チップス屋「Qualisea」

で、歩き回る前に、まずは、ここで、腹ごしらえをすることにしました(笑)

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これぞ英国の典型的料理「フィッシュ&チップス」。この店は、海に近いこともあり、採れたての新鮮な分厚い身の魚を揚げるので、すごく美味しい。これ「鱈(タラ)」の小サイズで、8ポンド(日本円1200円程度)。魚のチョイスもメニューにたくさんある。当日の漁獲具合で、提供されない場合もあるが。。。

 

で、今回、なぜこの街を再訪してみようかと思ったのは、この街に古くから伝わる「殺人鬼家庭医」の話を知り、興味を持ったから。

イーストボーンには、1920年代から80年代にかけて、ジョン・ボドキン・アダムズというアイルランド人の家庭医がいた。

この医者、風来坊のようにこの街へやってきて医院を運営していたが、時が経つにつれ、この街で最も裕福な家庭医の一人として知られていった。でも、その背後には、患者からお金を借りたり、金品をだまし取ったりした上に、安楽死、もしくは意図的に殺しているのではないか、という噂だった。一方で、この街の名士たちもこぞって彼の患者となり、賞賛する人も多かった。要するに、毀誉褒貶の激しい医師だった。

不可解なのは、記録に残るだけでも、130人以上もの彼の患者が、遺言状に「アダムズ医師へ遺産を譲る」と書き残したということ。実際の所は、この家庭医が、そのような旨を遺書に書くよう、死の床の患者に指示したり、書類を改ざんしていたのではないか、というのが大方の見方。

死亡した患者たちの遺族や友人たちが訝しがり、多くの刑事沙汰になった。その容疑で、アダムズ医師は医師免許を取り上げられていた時期もある。でも、決定的な証拠が(どうしても)掴めず、アダムズ医師は、生涯、家庭医を続けた。

その殺人鬼家庭医アダムズ医師の自宅兼診療所が、今でも、残っている(写真下⬇︎)。なんと、上記のフッシュアンドチップス屋から、歩いてわずか3分のところ。

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殺人鬼家庭医ジョン・アダムズ医師が開業していた元医院兼自宅

 

この付近、フィッシュアンドチップス屋付近の観光地の喧騒とはうって変わって、高級住宅地となる。どの建物も、豪奢な邸宅だ(写真下⬇︎)。この通りは、イーストボーンで、個人(プライベート)開業をする病院・医師が多く住む場所として、知られている。

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イーストボーンでは、この通りに、患者全額負担のプライベート病院やクリニック、歯科医院などが集結している

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ちなみに、ここ「Trinity Trees」と呼ばれる通りです。


英国の9割以上の病院は、国営 (NHS) で運営されている。プライベート(患者全額自費負担)の病院とかクリニックは、本当に数が少ない。特に、ロンドン以外では。でも、この街というか、通りには、数多くあった。

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英国では、滅多に見かけることのないプライベート(全額自費)病院も、見つけた

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心臓循環器系のプライベートクリニックも発見

こういったものがあること自体からも、この街が、裕福層の人たちが住む場所なのだということが分かる。

 

ちなみに、ここイーストボーンの発展の基礎を築いたのは、デヴォンシャー公爵という一家。家系が14世紀まで遡れる、英国北部のダービーシャーという土地が地盤の一家なのだけど、この英国南部の街にも土地をたくさん持っていた。

近年の第10代デヴォンシャー公爵の長男(つまり、第11代デヴォンシャー公爵に推定されていた跡取り)は、後の1960年代に米国の大統領となった J. F. ケネディの妹の一人と結婚していた。でも、不幸なことに、その御曹司は第2次世界大戦中に戦死し、妻であったケネディ大統領の妹も、その数年後、飛行機事故で亡くなってしまうのだけど。。。。

で、第10代デヴォンシャー公爵自身も、1950年に、イーストボーンの邸宅で、心臓発作にて55才の若さで急死する。その死の床にいたのが、殺人鬼アダムズ医師だった。言わずもがな、殺人が疑われた。

 

そんな訳で、そのデヴォンシャー公爵の元邸宅へも、行ってみることにした。アダムズ医師の家を通り過ぎ、10分ぐらい歩いた、ちょっとした高台のところにあった。

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デヴォンシャー公爵のイーストボーン邸宅跡地入り口

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うわー、すごい広大な敷地だなあ。。。。

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入り口から5分以上歩き続けて。。。

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ようやく邸宅が見えてきました。

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第10代デヴォンシャー公爵は、ここで亡くなった。殺人鬼家庭医アダムズ医師が臨終の場にいた。

  

デヴォンシャー公爵家は、この第10代が若死したお陰で、その当時、英国で改定されたばかりであった「貴族の遺産相続法」に引っかかり、過去何百年に渡って築き上げた財産の殆どを失うことになったとのこと。そのため、この邸宅も賃貸せざるを得なくなり、現在、ここは、民間の英語の語学学校になっている。

ちなみに、このデヴォンシャー公爵家では、亡くなった(殺された?)第10代公爵の妹が、後に英国首相となったハロルド・マクミランと結婚していた。そして、前述の通り、その戦死した長男が米国大統領J.F.ケネディの妹の一人と結婚していた。そして、後を継ぎ、第11代公爵となった次男が、英国では有名なミットフォード6姉妹の一人と結婚した。その末裔の一人が、現在、英国を代表するスーパーモデルの一人ステラ・テナントであったり、ミットフォード姉妹側の婚姻関係から、アイルランド系財閥のギネス家とも遠戚であったりと、現代に至るまで話題に事欠かない公爵家だ。

 

で、この「イーストボーンの殺人鬼家庭医ゆかりの場所を訪れる旅」の締めくくりに、この街の代表的な病院を訪れてみた。

 

行き先は、イーストボーン国営医療 (NHS) 市民病院。

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イーストボーン国営医療 (NHS) 市民病院入り口

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イーストボーン国営医療 (NHS) 市民病院本館入口

これ、あまり知られていない話なのだ(と思う)けど、英国の現テリーザ・メイ首相の父は、1950年代、この病院の牧師だった。そして、この病院で多発性硬化症の治療を受けていた患者さんの一人と結婚し、その一人娘、すなわち、メイ首相も、この病院で誕生している。

そのため、メイ首相の父は、殺人鬼家庭医アダムズ医師の患者さんの数々の不可解な死の真相を、色々と知っていたのではないかという説が、最近浮上している。 牧師というのは、いまわの際に、患者さんの最後の告白を聞いたりするからね。でも、たとえ知っていたとしても、アダムズ医師は、この街の色々な権力者と繋がっており、表沙汰にはできなかったのであろう、と。

そして、時が経ち、殺人鬼家庭医アダムズ医師自身も、1983年に、このイーストボーン市民病院で、骨折から併発した肺炎で亡くなった。

 

ところで英国の病院では、院内に必ずと言っていいほど、チャペルや祈りを捧げる場所が設けられている。そして、主な宗教の指導者、キリスト教であれば司祭や牧師、ユダヤ教であればラビ、イスラム教であればイマームが、24時間無休で詰めている。

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英国では、ほぼ全ての国営病院で、チャペルや祈祷室が設けられている

日本ではあまり見受けない(?)けれど、英国では、死に際に結婚する人をよく見かける。事実婚が多い反面、死後の遺産相続の面での便宜上からね。それから、死を目前にし、神に平安を求める者や、生死の瀬戸際の新生児などへ、両親の願いから洗礼を急いで受けさせるなど、病院の聖職者の需要は、非常に高い。

今回、私がここを訪れた際、ちょうどここのチャペルでイースターのミサが行われていた。患者さんやそのご家族で一杯だったから写真撮影ができなかったけど、美しい賛美歌が歌われ、厳かな雰囲気が伝わってきた。私、日本で薬剤師をしていた頃は、キリスト教系の病院に勤めていたから、懐かしかったな。

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病院内の多目的宗教ホール。左側の部屋がチャペルになっており、入り口に花壇が飾られているから、ここで、結婚式もできるはず。

私が日本で、病院薬剤師として働いていた頃の話にご興味のある方は、こちらのエントリからどうぞ(⬇︎) 

 

それから、これ、すっかり忘れていたことだったのだけど、私、7年前、患者として、ここの病院の緊急医療室(写真下⬇︎)へ駆け込んだことがある。プレレジ(仮免許薬剤師)研修中で、心身共に疲れ切っていた時期で、休暇を兼ねた旅先のこの街で失神し、頭をひどく硬いコンクリートの地面に打ったのだ。その瞬間を目撃した同伴者は、あの時、打ち所が悪かったら本当に死んでしまったかもしれないと言っていた。

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運良く生き延び、こうやって、日英薬剤師として、充実して生きていることを、今、本当に感謝している(その時の「緊急医療室利用体験」の話は、またいずれかの機会にね。。。笑)。

 

私のプレレジ(英国仮登録薬剤師)時代の話は、こちらからどうぞ(⬇︎) 


この旅の終わりに、海岸へ来て、この街の名物のアイスクリームを食べた。これまたこの街の名物の海カモメを眺めながら。

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イーストボーン名物「Thayer's」のアイスクリーム。国内に数店舗あるのだけど、イーストボーンの店は、ロンドンの元有名舞台俳優が引退後、経営している

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ピア(埠頭桟橋遊歩道)に佇む海カモメさん。天下泰平だね(笑)


これぞ、英国の海辺の街での週末のゆったりとした時の過ごし方。。。(至福)

 

では、また。