日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

さまざまな「きっかけ」

 

なぜ、日本で生まれ、日本で育った私が、英国で暮らし、英国で臨床薬剤師になったのだろう?

 

小さい頃『新婚さんいらっしゃい』をブラウン管テレビで観ながら、当時の司会アシスタントであった米国人シェパードさんが、歌手の千昌夫氏の妻であることを知り、「私も(大人になったら)絶対、国際結婚する」と言ったことを覚えている。両親がのけぞって笑っていた。当時は、外国人など一人も見かけないような地方に住んでいたし、これは確かに、当時の状況であれば、突拍子もない考えだったであろう

高校生の時、ジャーナリスト千葉敦子さんの本を読み漁った。死期が近い中、渡米し、日米の医療の違いなどをニューヨークから発信する勇気に心を打たれた。日本人でも、自らの力で海外へ渡り、仕事ができるんだ、というお手本を示して下さった先駆的な女性。彼女の著作や考えは、没後30年以上経った今なお、私の生き方の羅針盤となっている。

日本で卒業した薬科大学で、米国で臨床薬剤師となり帰国され、日本でまだ黎明期であった臨床薬学を、母校でいち早く開講した先生がいらっしゃった。その先生の担当の「薬学英語」という選択科目を受講した(写真下⬇︎)。だから「将来、海外で、薬剤師として働きたい」という想いは、その頃からぼんやりとはあったのかも(でも、私、こちらの先生の、肝心の臨床薬学講座は、選択しませんでした。。。😅。 現代の薬科大学では考えられないと思いますが、私が薬学生だった頃 (1990年前半) は「臨床薬学講座」が、まだ必須科目でない時代だったのです)。

日本で薬剤師になって数ヶ月もしないうちに「学校」というものが恋しくなり、東京・お茶ノ水の「アテネ・フランセ」の英語コースへ入学した。そこへは週2−3回、足掛け4年ほど通った。この語学学校は、まさに、意欲のある大人の夜間学校、といった感じの場所で、ユニークな人がたくさんいた。そこで一番長く教わったのが、英国北部マンチェスター出身の先生だった。なぜか、とてもウマが合う人だった(この先生のことは、またいずれかの折に、このブログで書きたい)。

20代の頃、世界中を旅した。いろんな国と都市を訪れ、そこで得た経験と見聞は私の無形の財産になっている。でも、その中で、実際に「住んでみたい」と思えた街は、ロンドンだけだった。ロンドンは、どこを歩いても、言葉にできない魔力があった(まあ、その当時は、観光者が行く所ばかりを訪れていたので、ここで実際に暮らす人たちの日常生活での不便さは、全く見えていなかったけど。。。)。その魅力は、今日に至るまで薄れず、私はいまだにこの街で、かれこれ18年ほど、暮らしている。

 

f:id:JapaneseUKpharmacist:20190526191528j:plain

日本で卒業した薬科大学で使用していた薬学英語の教科書と試験問題。私、究極の断捨離魔なのだけど、今でもロンドンの自宅の本棚の片隅に残されている。いつの日か、こちらの先生にお会いし、これらの「25年以上 (!) という時空を超えた教材」の実物をお見せするのが、密かな夢。あはははは。。。。

 

そんなこんなを振り返ると、これらのどの要素も出会いも、私のこれまでの道のりを作ってきたと思うけれど;

 

でも、それまでの「どこか海外の国で暮らして、薬剤師として働けるといいな」というふわふわとした夢から「英国で薬剤師になる」と決心した瞬間(とき)のことは、鮮明に覚えている。

 

次回は、その話をしてみたい。

 

では、また。