日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国で「最初に雇用された仕事」の話(と、新シリーズ開始の予告)

今回のエントリは、前回(⬇︎)からの続きとなっています 。

 

「英国で、ファーマシーテクニシャン経由で、薬剤師になろう!」

と心に決めたものの、 実際のところは、大学院一年目はコースの要求の厳しさから、就職活動どころではなかった。事実、卒業も逃し、自分の進路を考え直すため、一旦、日本へ戻った。

そして、翌年、英国へ戻ってはきたものの、その年は、経済的に本当に大変だった。だから、現実には、卒業間近になっても「日本へ帰るか、英国での就職活動をするか」踏ん切りがつかずにいたのだ。

 

でも、大学院2年目は「1年目で取れなかった単位を取るだけ」の期間だったから、時間だけは有り余っていたんだよね。

暇にかまけて、1年目以上に、実習病院の病棟で時間を過ごし、そこで働く人たちをいろいろと観察した。そして、指導教員薬剤師のオフィスや、在籍した薬科大学院のコース長の秘書さんの部屋に、出入りした。

なぜ、それらの場所だったかと言えば、もし、日本へ帰国することになったとしても、その場合は、何らかの形で「臨床薬学教育の分野」に携わりたいと思っていたから。

日本では、その当時、薬局内で「薬学教育・訓練」といった部署や、それに携わる専門薬剤師を有するところが、あまりなかったのではと思う。英国の国営 (NHS) 病院薬局内では、これらが当たり前のように設置されており、近隣の薬科大学と提携し、卒後教育の徹底や、薬学部生の実務実習の受け入れも、活発に行われていた。それらの場所や環境に居れば、「英国の臨床薬剤師教育プログラム」が実際に企画・構成・運営されていくのを目の当たりにでき、将来、絶対に役に立つだろうなあ、と(ぼんやり)考えていた。

 

そして、事あるごとに「どんな形でもいいから、ここで、アシスタントとして働きたい」と口にしていたのだ。

 

そんな私を見るに見かねてか、徐々にではあるが、実習病院の指導教員薬剤師や、コース長の秘書さんたちも「雑用」をくれるようになっていった。学生の評価に使用する採点基準表のコピー取りとか、学部生の試験が終わった後、採点者へ回答用紙を配送手配するとか、パートタイムのディプロマコースに在籍する英国薬剤師学生から郵送されてきた課題の仕分けとか、要するに、一般的な事務仕事などをね(笑)

暇な学生だったし、頼まれたことは、依頼人が期待する以上のクオリティーと工夫を入れて仕上げた。その時点で、2年間、英国でフルタイムで学生をやっていたため、「仕事をする」という行為自体が懐かしく、かつ、人から何かを頼まれるということに、落ちこぼれ大学院生であった自分への(何らかの)価値も見出せ、こういった仕事を、無給でも、嬉々とやっていた。

 

で、そんなことを数ヶ月しているうちにね。。。。

 

通っていた大学院のコース長と、秘書さんの一人が、それぞれ長い夏休みを取ることになった。留守を預かるもう一人の秘書さん(ポーランド人女性)が、今までの私の働きぶりを見て、コース長へ推薦してくれ、「私を夏休み中の期間限定の、コース長秘書の臨時アシスタント」という名目で、正式に雇ってもらえることにしてくれたのだ。その知らせを(突然)聞かされた時、飛び上がらんばかりに嬉しかった。

英国の学校の新学期は、通常9−10月から始まる。そのため、大学では、夏休みの間も、新しい年度のコースのオリエンテーションやら、その教材・プリント作成、各講師と連絡を取り合い、依頼した講義のコマのスケジュール調整をしていくなど、(裏方が)やらなければならないことが山ほどある。その仕事のアシスタントを任されたのだった。

信じられない思いだった。「私が卒業しつつある、世界一面白いと思っている英国の臨床薬学コースがどのように作られているのかの舞台裏」を間近で見させてもらいながら、その運営メンバーの一員として実際に働き、お給料も頂けることになったのだからね。。。

 

これこそが、私の、英国内で最初の「雇用」。

今からちょうど16年前、2003年6月のことだった。

 

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英国で最初の「雇用」先となった、母校「ロンドン大学薬学校 (現 UCL School of Pharmacy) 」。この校舎の3階で、臨床薬学コースのコース長の秘書のアシスタントとして、5ヶ月ほど働いた。そして、ここでの経験が、私の英国での本格的な就職活動の足がかりとなった。

 

それまでには、大学院卒業は確実になっていたものの、英国での滞在資金が底を突きつつあり、あと1−2ヶ月で日本へ帰国せざるを得ないかも、と考えるほどまでに追いつめられていた。だから、英国での就職は(内心)諦めかけていたのだ。でも、この雇用のお陰で、今後数ヶ月の収入が確保されることになった。未来が開けるような思いがし、そこで本腰を入れて、ファーマシーテクニシャンの職探しを開始することにしたのだ。

 

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今回、自宅をくまなく捜してみたら、この仕事で受け取っていた「給与明細」も発見。その当時でも、学生の身分としては、相当時給の良い仕事であったことを思い出した。あの時(お情けで?)雇ってくれたコース長とポーランド人秘書さんは、私の今に至るまでの英国生活で、決して忘れることのできない恩人だ。

 

しかも、この秘書室で働く恩恵を最大限に利用し、英国での就職活動が出来ることになった。ロンドン中のトップ臨床薬剤師たちが、外部講師として常時コンタクトを取ってくる場所であったので、実際に、色々と有用な情報が入手できた。このオフィスを、自分の求人応募用紙の職歴欄に「現在の雇用先」として記すこともでき、英国の薬局業界内での身元保証という意味でも、抜群の信頼性があった。

 

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この仕事、英国のトップ臨床薬剤師や、薬剤師学生の名簿をアップデートする業務も含まれた(写真上⬆︎)。そのため、ロンドンの国営 (NHS) 病院のほぼ全ての所在地と、そこで働く主要薬剤師さんの名前も把握できるようになり、これらの知識や情報は、その後の就職活動のみならず、現在に至るまで、英国の薬局・薬剤師のネットワークの把握に役立っている。


そんなこんなで、この英国での最初の仕事を(思いがけず)掴んだ後、私のモットーは;

「Ask and it shall be given to 'me', seek 'I' will find it(求めよ、さらば与えられん)」

なの(笑)。

 

前々回からのエントリにもある通り、現在、5月ー6月という、新緑が眩しく、ロンドンが最も美しく見えるこの時期、街をあてどもなく歩いていたら、「これまでの転機となった、さまざまなきっかけ」のことが色々と想い起こされた。

 

そしてそんな中、ふと;

 

これらの続きとなる、私の「英国での最初の就職活動(=ファーマシーテクニシャンの職を得たときのこと)」の一連の話を、これから数ヶ月に渡り、綴っていきたいなあと思いました。

 

4−5ヶ月間の就職活動中に、約40求人のファーマシーテクニシャン・アシスタント職へ応募したこと、

当初、日本流に履歴書を書いていたら、全く面接に呼ばれなかったこと、

面接試験で、面接官たちに蔑まれながらも、「自分を『商品』として売る」術を体得したこと、

片っ端から不採用通知を受け取ったこと、

その過程で、英国での就職では常識の「不文律」を、一つ一つ学んでいったこと、

 

思いがけない助けを差し伸べてくれた人たち、

一緒に就職活動をした日本人の友人たち、

両親の無償の愛、

 

11回目の挑戦でついに合格し、その後6年半勤めることになった病院の就職面接試験は、体調絶不調の中、受けたこと、

 

そして、そんな地獄の沙汰の最中に、我が身に起きた、ありえない幸運と奇跡の数々、

 

などを紹介しながらね。

 

全て、「ザ・ノンフィクション」だよ。

 

7月頃から、不定期のシリーズ化で開始予定でーす。

 

乞うご期待(笑)。

 

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ロンドン大学薬学校 (現 UCL School of Pharmacy) 前の新緑が美しい庭。そう言えば、私が一番最初に、日本からはるばるこの学校を見学に来たのも、今の季節の時期だった

 

では、また。