日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話(1)「最初の一歩」

 

今回から数ヶ月に渡って、「英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話」を書いていこうと思います。

途中で、日々のできごとの記録のエントリも混ざるはずなので、脱線しがちなシリーズになると思うけど。。。(笑)

 

ここ(写真下⬇︎)、私が、英国で最初に、ファーマシーテクニシャンの職に応募した国営医療 (NHS) 病院。

ロンドン南東部にある「クイーン・エリザベス病院 (Queen Elizabeth Hospital) 」というところ。

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私が英国で、一番最初にファーマシーテクニシャン職に応募した「クイーン・エリザベス病院」。元は英国陸軍病院が前身のためか、英国国営 (NHS) 病院としては珍しく、入り口に英国旗を掲げている

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「クイーン・エリザベス病院」正面玄関


英国で、ファーマシーテクニシャンになろうと決心した経緯は、以前のエントリ(⬇︎)に書いた。


現在、英国の国営医療サービス (NHS) の求人は、ほぼ全てが、NHS Jobs というウェブサイト(https://www.jobs.nhs.uk)で統括されている。

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NHS Jobs ウェブサイト

英国の国営医療サービス (NHS) の現在の雇用プロセスの詳細について以前書いたエントリは、こちらからどうそ(⬇︎)

 

でも、私が英国でファーマシーテクニシャンになろうと就職活動を始めた頃 (2003年夏) は、このようにオンライン化されておらず、全てが紙の媒体で行われていた。

その当時、英国の薬局関係の仕事で、最も求人広告が掲載されていたのが、王立薬学協会が刊行している「The Pharmaceuitcal Journal (通称・以下、PJ) 」。その頃、英国では薬剤師不足が深刻な問題になっており、毎週発行されていたこの薬学雑誌の後半ページは全て求人広告欄となっていた(写真下⬇︎)。薬剤師のみならず、人手不足の薬剤師の仕事を補佐するファーマシーテクニシャンやアシスタントの求人募集も、そこに溢れていた。

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私が英国に移り住んだ頃の「The Pharmaceutical Journal」後半ページの求人広告。どこも人手不足で、全国津々浦々からのさまざまな薬局業種の募集広告が、溢れかえるように掲載されていた。

 

だから、ここでの求人情報を毎週チェックし、ロンドンの病院の「ファーマシーテクニシャン」の募集広告を見つける度に、片っ端から応募してみることにしたの。

で、一番最初に目にした求人広告が、ここだった訳。

 

当時、このような求人の応募も、全て手書きの用紙で行われていた。だから、如何にして「求人広告を(誰よりも早く)目にし」「応募用紙を、就職したい病院から(いち早く)取り寄せ」「記載した応募用紙を締切日前に(確実に)返送するか」が、就職活動の鍵であると、私自身、考えた。 求人広告によっては、それを目にしたわずか数日後には募集締切日になっているところも、あるぐらいだったから。

だから、ロンドン市内の病院であれば、その病院を直接訪れ、そこから応募用紙を直接入手し、記載後すぐまた、直接病院へ持ち込むか郵送で返送する、というのが、一番確実な手だな、と判断した。

ということで、こちらの病院を、独りでのこのこと(笑)訪ねてみたのが、私の英国での「ファーマシーテクニシャンの職を得る就職活動」の「最初の一歩」となったの。

 

この病院、世界の時刻標準となっている「グリニッジ天文台」が所在する街の東側に所在していた。そのため、地下鉄「ノースグリニッジ」という地下鉄の駅(写真下⬇︎)からバスを乗り継ぎ、この病院を訪れた。

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ロンドン地下鉄ジュビリーライン「ノースグリニッジ駅」

 

病院の正面玄関(写真下⬇︎)に入ったとたん、年配のボランティアさんが「どうしましたー?」って、声をかけてくれてね。

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「ファーマシーテクニシャンの職に応募したいから、薬局へ行きたいです」というと、親切にもその場まで連れていってくれたの。

その道すがら、この病院は元々英国陸軍病院が前身である、比較的新しい国営医療 (NHS) 病院であること、だから、ロンドンの他の病院に比べると敷地が広く、全てが低層の(=横にだだっ広い)病院となっていること、そして、病院中にスロープが完備されており、車椅子やストレッチャーに乗せた患者さんなどでも、エレベーターを使用せず容易に移動ができることなどの説明をしてくれた。今まで、ロンドン市内の高層ビルが象徴的な大型大学病院しかほぼ目にしていなかったので、他の病院を訪れ、色々と実際の様子を見れることに、わくわくした。

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「クイーン・エリザベス病院」の階段がわりの長いスロープ

 

で、薬局へ着いて、窓口に出てきたそこの担当者(ファーマシーテクニシャン長)に「ファーマシーテクニシャンの求人に応募したいので、応募用紙を下さい」と言ったら、直撃訪問する人って少ないらしく、びっくりされてね。でも、中へ招き入れ、薬局内部を見学させてくれた。

そんな中での会話で;

「え? 日本人薬剤師?! 何でまた、ファーマシーテクニシャンに応募するの? あー、なるほど、海外薬剤師免許変換までの準備期間ってことね。。。 労動許可書の手配はねえ、ウチの薬局では判断できず、人事課次第になるわ」

といったことを聞き;

「応募用紙は人事課へ行ってもらってね」と教えてくれた。

そうかー。募集広告は薬局で出すのだけど、雇用は、病院全体の人事課が担当しているんだ。。。

そんなことも分かっていなかった「私の英国での職探し」のスタートだった。

 

で、この初めての「就職活動のための病院訪問」をした一日、全てが緊張の連続だったのだけど、「自分がやりたいことは、自ら行動を起こし、勇気を振るって門を叩け」ということを、改めて再確認した経験だったのね。

人事課へ行き、求人応募用紙を入手した頃には「絶対、英国でファーマシーテクニシャンの職を取ってみせる!」とまで、夢が膨らんだ。

そしてこの日の「学び」に味をしめ、その後、ファーマシーテクニシャンの職を応募したほぼ全ての病院には、自らその場所を訪れ、その内部を見学した。その過程で、それまで2年間住んでいながら、未知の場所が多かったロンドンの地理や交通網にも、とても詳しくなった。

 

で、夢を抱えて自宅へ戻り、その募集要項を熟読し、求人応募用紙を記入しはじめたのだけど。。。。

大苦戦(泣)。

 

日本人ゆえ、色々と分からないことがあった。

「『NI ナンバー』って何?」

「卒業した中学校と高校の『科目と成績』を書けという欄があるのだけど、どういう意味??」

「応募用紙の最後に、志望動機・自己アピールの作文欄があるんだけど、何をどう書いたらいいんだろう???」

日本ですら「就職活動」というものを(ほぼ)したことのなかった私には、あまりにも分からないことだらけだった。その週末の全ての時間を費やし、うんうん唸りながら、初めての求人応募用紙を書き上げた。

 

で、その投函前に一つ、クリアにしておかなければならないことがあった。

「身元保証人」だ。

英国では、求人に応募する際、その応募用紙の最終項目に、最低2人の「身元保証人」の名前の記載が必要となる。書類選考が通過し、面接試験にも合格できる可能性が出てきた時点で、雇用者が、各応募者が挙げた身元保証人らから「推薦状」を取るのだ。その内容によっては、時に、面接終了時点では最有力候補とされていた応募者が振り落とされ、2番手だった人が任命されるというような「逆転勝ち」も起こり得るほどの効力を持つ。「身元保証人」は、通常、現職の上司や、学生であれば、直接の指導教員などにお願いをする。

でも、私自身、この「身元保証人」を依頼するに当たり、大きな不安があった。

というのは、私の場合、英国での自分を最もよく知る者として、その当時在籍していた「ロンドン大学薬学校のコース長」と「実習病院での指導教員薬剤師」にお願いするのが妥当であった。でも、この大学院の国際臨床薬学コース、「自国の臨床薬学の発展に貢献できるような人物の育成」を目的で設立されたものであった。だから「英国に居残る形での就職活動」は、このコースの趣旨とは、相反することだったのだ。

 

恐る恐る、コース長との面会の予約を取り「色々考えたのだけど、ファーマシーテクニシャンの職に応募して、いずれは英国で臨床薬剤師になりたい」と言った。

コース長は(小さな)ため息をつき、

「わかったわよ」の一言だった。

 

本当は、私の帰国を望み「日本の臨床薬学の発展とその教育に貢献する人」になって欲しかったに違いない。だからこそ、私を自分の秘書アシスタントとしてまで特別に雇ってくれていたはずなのに。。。

私の英国での最初の雇用は、卒業したロンドン大学薬学校のコース長の秘書アシスタントでした。その経緯は、以前のエントリのこちら(⬇︎)からどうぞ

 

でもね、実はこのコース、その年在籍した半数以上のコースメイトが、英国に引き続き残りたいと、就職活動をしていた。だから、私の「身元保証人」となってくれたコース長は、すでに多くのコースメイトの「身元保証人」にもなっており、さほど驚いていなかったワケ。その中には、自国政府からの全額奨学金を受け留学し、卒業後の帰国を誓約していた学生や、ブリティッシュカウンシルによる特待生もいた。でも皆、自身のより良い将来を望み、英国での活路を求めていたのだ。

これ(あまりおおっぴらには語られていない)英国留学の「表と裏」。

 

で、取りあえず私も、コース長への説得という難関を突破し、初めての求人応募用紙をポストに投函した。

 

それで、次の段階はどうなることやと期待していたものの。。。。。

 

待てどくれども、結局、この病院から「面接への招待通知」は来なかった。

 

そして、次から次へと目にする求人広告にも片っ端から応募していったのだけど、最初の5−6回ぐらいの応募では、全く面接に呼ばれなかった。

 

どうしてだったかって?

私は、致命的な間違いを犯していたのよ。

 

前述の通り、求人応募用紙には、職歴や学歴の項目を記入した後、「どうしてこの職があなたに任命されるべきか、今までの応募用紙項目で書ききれなかったことを述べなさい」みたいな自己アピールをする作文欄がある。私は、そこに、本当に正直な気持ちで、その文末を「今はまだ英語力に自信がないのですが、この仕事に任命された暁には是非全力で頑張ります」みたいな締めくくりで終えていたの。

 

英国の求人応募用紙では「自分を売りに売る」のが大原則。だから自分の短所は「決して」記載するなという不文律がある。一方、長所は大いに誇大し「自分がどんなに凄い人であるか」を語るのが基本。実際はどうであれね(笑)

私は、そんなことも分かっておらず、自己の欠点を自らあからさまにし、求人応募用紙に記述していたのだ。

で、ある日ふと「何で面接に呼ばれないんだろー? もしかして、この最後の文面が問題なのかな?」と思い、その次の職の応募用紙から、その「英語に自信がない」の部分を取り除いた。そうしたら、ポツポツとではあるが、確実に、面接に呼ばれるようになったのよ。

 

これ、今振り返ると、本当に、笑える話よね。。。。

 

でもね、自分で来る日も来る日も、いかにこの就職活動の「勝算」を上げるべく「こうしたらいいんじゃないか」とか、「今度はこう変えてみたら、雇用選考者にとってもより分かりやすい文面になるな」などと、いろんなことを考え、実行していくうちに、英国の就職活動の「常識」というべきものが、色々と分かってきたの。

 

だから、どんなことでも「最初の一歩」を踏み出し、挑戦し続けていくことって、ホントに大切。そして、(時に、痛い)失敗をしながら、それを一つ一つ乗り越えていくと、いつかはきっと、うまくいく時がやってくる。

 

そんなこと当たり前だよー、っていう人多いかもしれないけれど、私自身、この「最初の一歩」を踏み出すまで、相当の時間がかかった。そして、失敗するのを怖がり、実際の一歩を踏み出せない人も、沢山見てきた。

 

私は何の特別な才能もないから「この就職活動、まずは質より量だ」と割り切ることにしたの。

数打ちゃ、そのうち当たるだろう、ってね(笑)。

 

で、最終的には、その通りになった。その過程で数えきれないほどの失敗と、恥ずかしく格好悪い思いをした、心身創痍の果てにね(苦笑)

 

今回は、とりあえずこれでおしまい。この後の話は、「英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話」のシリーズ化として、これからも続きます。

 

では、また。

 

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今回のエントリのため、先日、クイーン・エリザベス病院を久しぶりに訪れた帰り道、世界時間の標準となっている「グリニッジ天文台」にも立ち寄った。この天文台がある丘から眺めるロンドン市街の風景は「これぞ、ロンドン!」と思える場所の一つ