日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話(4)「労働許可書の壁」

 

このエントリは、シリーズ化で、前回の話はこちら(⬇︎)になっています。

 

2003年8月中旬、ロンドン市内の国営医療 (NHS) 病院のファーマシーテクニシャンとアシスタントの求人に手当たり次第に応募する日々が続いていた。その上、面接試験へ呼ばれることを見越しての準備、そして日中は、ロンドン大学薬学校でのパートタイムの仕事もしていたので、忙しい日々を過ごしていた。

私の英国での最初の雇用となった、ロンドン大学薬学校での仕事については、こちら(⬇︎)からどうぞ

 

でも、その頃から、私自身、この就職活動の中で、「いくつかのこと」に気づきだしていた。

 

まず、「労働許可書」の壁であった。

英国での永住権を持たない日本人は、原則として、英国でのフルタイムの就業に当たり「労働許可書 (work permit) 」が必要である。

その「労働許可書」は、英国での就職を希望する本人が、自ら申請することはできない。雇用者が英国内務省宛に「求人を募ったが、英国人(もしくは EU 加盟国籍)の合格者がいなかった。だから、この人を雇用したい」という煩雑な書類を作成した上に、高額の申請費を払って、その合格者へ「手配してあげる ('sponsorship') 」ものだから。

英国の大抵の求人応募用紙には、その最初の項目に「英国で労働許可書が必要な人か否か」を申告する欄がある。私は、当然そこに「Yes - 必要」と記入せざるを得なかった。そうするとそれだけで、自分が何時間もかけて書き上げた応募用紙が「即、ボツ」になってしまっているのでは? という感が否めなかった。少なくても半分以上の応募が、無駄になってしまっているようであった。

英国人の雇用を保護するポリシー、また、労働許可書を手配する経費を捻出できない、申請の書類作成が面倒臭い、といった理由で「外国人は雇わない」雇用先が、たくさんあるのだった。

 

そんな中、ありがたいことに2番目の面接の招待状が来た。

英国随一の眼科専門病院のファーマシーテクニシャンの職だった。 

 

しかし、であった。

 

面接会場に入り、まず最初に、本人確認のため、パスポート(=日本国籍)を提示すると、面接官たちから咄嗟に「この国での労働許可書を、持っていますか?」と聞かれた。

「持っていません。でも、雇用された暁には、誰よりも懸命に働く所存です。だから、その手配を是非お願いしたく、今日、この面接に来ました」と答えた。

面接官たちの顔が一瞬にして曇った。

面接が始まったものの、面接官たちの「外国人志願者は雇えない。面接しても時間のムダだから、今すぐにでも帰って欲しい。だから、面接もすぐに切り上げる」という態度があからさまだった。聞く耳を持たない人たちの意志を覆すような熱意あるパフォーマンスをしたかったのだが、始めから採用する気のない人たちの前で熱弁を振るうのは、とても、とても、難しかった。

結局、ここも不合格だった。

 

そして、その不合格通知を手にした時、「ここは眼科一辺倒の専門病院だった。もし今回、運良く合格したとしても、自分のキャリアにとって有益だっただろうか?」と問う自分もいた。その当時住んでいたエリアから徒歩でも通えるロンドンの中心地の病院であったこと、そして、英国内のみならず、世界的にも有名な病院であるため、その「ブランド」に惹かれて応募したというのが本心であったのではないか。本当に、心から働きたい病院だったかと問われれば「?」であった。

「できれば専門病院ではなく、大学病院か総合病院で、そこのローテーション(=薬局内の各部署を数ヶ月毎に交代し、さまざまな職経験が積める)職で働きたいなあ。。。。労働許可書を持っていない外国人だから、選り好みなんかできない身分なんだけど」

と、ぼやく自分がいた。

  

それから、求人募集を定期的に追っていると、精神科専門病院の薬局の広告がやけに多い、ということに気づいた。そして、奮って応募するのだけど、労働許可証の必要な外国人応募者は、絶対と言っていいほど、面接試験には呼ばれない(=書類選考時点での不合格)ということにも、薄々気づいてきた。

 

その「直感」が正しかったことが、証明されたような経験をした。

 

ある日、東ロンドンに所在する、とある精神科専門病院の求人が出た。病院の所在地は今まで聞いたことのないエリアだった。

当時住んでいた学生シェアハウスの住人たちに「この場所知っている?」と聞くと、皆、口を揃えて「すーっごく、荒れている地区だよ」と。

「????」

でも「そんな『誰も行きたがらないエリアの病院』だったら、外国人の私でもチャンスがあるかも!」と期待し、応募用紙を入手しに病院を訪問することにした。

バスは家の近くの「これぞロンドン」という象徴的な街並みの金融街から発車した。しかし、次第に「ここ、本当に英国?」と目を疑うような、低所得の移民たちが寄り集まって住んでいる荒んだエリアとなっていった。そこを通過すると、窓ガラスが粉々に割れ、半ば爆破されたような廃墟ビル群が、雑草が伸び放題の荒れ果てた土地に立ち並ぶ「ゴーストタウン」となった。正直、今ここで下車したら、犯罪などに巻き込まれて殺されても、全くおかしくないように思える場所であった(→ちなみにここ、時は巡りその約10年後、なんと、2012年夏のロンドンオリンピックのメインスタジアム会場となりました。以後、この周辺地区は近代的に再開発され、当時の面影は全くない。これ、面白い話でしょ。笑)

そして、大分バスで揺られた後、「病院の最寄りのバス停」という所で降りた。そこは、工業地帯のど真ん中で、ドブ川に沿った整備されていない道をかなりの距離歩かなければ、病院正面まで辿り着かなかった。

そんなこんなで、やっとの思いで到着した病院であったが。。。

病院は、一体全体、開院しているのかどうかも分からないほど、人がまばらであった。大きな敷地にも関わらず、病院案内表示のペンキが(完全に)剥がれ落ちているため、どこをどう歩いたらいいのか、皆目見当がつかなかった。

薬局の前(裏?→見分けがつかなかった)のようなところも通り過ぎたが、長年の埃がこびり付いたような汚いビニールの垂れ幕がかかっており、見るからにおぞましい光景であった。

そして、日中にも関わらず、歩くのも気味が悪いほど薄暗い病院の廊下には、なんと、血痕がこびりついたストレッチャーや、何年も前から置き去りにされていたような書類箱などが散乱しており。。。。

ちょっとしたホラー映画さながらの場所であったと言えよう。

 

そして、やっと見つけた人事課であったが、採用担当の人から開口一番;

「ウチは、お金のない病院だから、労働許可書を持っていない人は、雇えないよ」

と、断言された。

(そうですよね。。。御病院、外国人の私に労働許可書を発行するぐらいの予算があったら、何よりまず、清掃チームを雇うべきですよね。。。。)

英国での職が喉から手が出るほど欲しかった私ですら、そんなことを同情してしまうほど、「それは、それは、すさまじく荒んだ病院」だったのだ。

2000年初頭、英国の精神科専門病院は、大なり小なり、こんな感じであった。

 

帰り道、例のドブ川に足を取れらないように気をつけて歩きながら、

「今日は、全くの徒労に終わっちゃったなあ。でも、まあ、この教訓として、私、できたら、裕福層の人たちが住む、安全なエリアの病院での職を得たいな。労働許可書を持っていない日本人だし、贅沢なんか言っていられない身分なんだけど。。。」

と独り、呟いた。

 

そんなこともあって、私は、それ以後、ロンドン市内の「環境の良いエリアにある病院」もしくは「有名病院」を狙って応募していった。自分の大学院時代の実習先であった病院薬局内で出た求人には、一つも欠かさず応募していた。

私のロンドン大学薬学校時代の病院実習についての話は、こちら(⬇︎)からどうぞ。

 

でも、私の指導教員であったその病院の薬剤師の先生は、はっきりと、こう言った。

「ここは、英国でも先駆的なモデル大学病院だ。しかもダウニング街(=首相官邸)や官庁街(写真下⬇︎)が目の前だ。そんな病院薬局で、ファーマシーテクニシャンやアシスタントという英国人でも容易に人が見つかるような職に、外国人薬剤師を優先的に雇っていたとしたら、それはちょっと『問題』だよ」と。

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英国首相官邸「ダウニング街」。また「ホワイトホール」とは、英国官庁街の別称。この写真の通り、私がロンドン大学薬学校大学院時代に実習をした病院と目と鼻の先に所在していた。

その会話から「超有名病院」での職は、外国人の私には、望み薄であることを認識した。まあ、普通に考えても、一流病院には、英国人の真っ当な資格・免許を持った超優秀な応募者たちが、我先に、ごまんとやって来るよね。。。。

ちなみに、この先生、この時点では、私が(まさか数ヶ月後、本当に)ロンドン市内の国営医療 (NHS) 病院でファーマシーテクニシャンの職を得るとは思っていなかったはず。まあやるだけやって、きっと泣いて日本へ帰るだろう、と予測していたんじゃないかな。

 

その頃は、経済的に余裕がなく、どこへ行くのにもバスだった(写真下⬇︎)。ロンドンのバスは、地下鉄より、料金が断然安い。当時、バスの一日券を購入すると、わずか2ポンド (日本円300円程度) でロンドン中を移動できた。うまくいかない就職活動と、うだるような夏の暑さの中、バスでの長距離移動中、よく2階の窓際の席から、道行く人々を眺めていた。

ロンドンは、さまざまな人種に溢れ、階級や貧富の差が顕著な街だ。一方で、老若男女が、自分の好きなことをして生活し、人生を謳歌している街でもある。だから、世界中から、自由や成功を求めて、移民がやってくる。

ここで生きる人たちの、それぞれの人生模様を、車窓から想像した。

そして、私も その一部になりたいと、切に願った。

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ロンドン名物の「ダブルデッカー」と呼ばれる2階建てバスと、「ブラックキャブ」と呼ばれるタクシー

 

でも、その術(すべ)が一向に見つからず、「私はこれから、どうなっちゃうんだろう」っていう思いが、片時も脳裏から離れなかった。

毎日、毎日、自分の英国での就職の可能性を、頭でぐるぐると考えていた。

 

そんなある日のこと、同時期に就職活動をしていた日本人薬剤師の友人の M さんが、就職面接に合格したという知らせを受けた。西ロンドンの聖チャールズ病院というところのファーマシーテクニシャンの職だった。しかも、ここが英国での初の就職面接試験で、一発合格だったと言うのだ。

M さんから「面接に呼ばれた」という話は聞いていた。私自身は、全く聞き知らぬ病院であったため、応募しなかった職であった。でも蓋を開けてみれば「ロンドン市内でも有数の高級住宅地に所在」し、「ローテーション職のテクニシャン」であり、何より「労働許可書も問題なく手配して下さる」という、外国人応募者にとってはあり得ないほど好条件の就職先とのことであった。

正直、羨ましかった。ああ、M さんは、P 君とのこれからの英国での生活が保証されたんだな、ってね。

そして、それから間もなくして、同じく日本人薬剤師の友人である A さんからも連絡が来た。ついに、北西ロンドンの大型教育病院の新卒薬剤師へ合格した、という知らせであった。

英国で一緒に就職活動をした友人の M さんと A さんについての紹介は、過去のエントリ(⬇︎)からどうぞ

 

そんなこんなで、相当なプレッシャーが出てきた時期であったと思う。私はその頃あたりから、常に、偏頭痛に悩まされるようになっていった。

 

9月初旬に、M さんと A さんと、私が当時住んでいた学生シェアハウスの近所のタワーブリッジ(写真下⬇︎)で、久しぶりに落ち合った。就職先の決まった2人は開放感に満ち溢れていていた。その会合の後、皆の共通の友人がその晩、パーティを開くとのことで、「これから会場に向かう。一緒に来ない?」と誘われた。でも、進路の決まっていなかった私は、さすがに行く気がしなかった。

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ロンドン「タワーブリッジ」。大学院2年目から英国で就職した頃にかけて、この周辺に住んでおり、よく散歩をしていた場所

 

2人が連れ立って乗った2階建てバスを見送りながら、

「私、これから、一体どうなっちゃうんだろう。。。。」

と、一人、自宅へ戻った。

 

そして、帰宅後すぐ、自室の机に向かった 。

一つでも多くの応募用紙を書くべく。

 

この続きの話は、後へ続きます。

 

では、また。