このエントリは、シリーズ化で、前回の話はこちら(⬇︎)になっています。
学生ビザが切れるまで2週間を切った日。
思いがけず、もう一つの病院から、面接の招待状が来た。
ロンドン南東部に所在するキングスカレッジ大学病院の「医薬品倉庫・購買部門ファーマシーアシスタント」の職であった。
面接の招待状に表示された日時に、指定された場所へ到着し、仰天した。
そこには、たった一人の求人に、50名以上の候補者が一同に集められ、待合室に待機させられていたからだ。
応募者の名前が次々に呼ばれ、面接室へ消えていった。
そして、わずかな時間の後、笑顔でドアから出てくる者もいれば、泣きながら出てくる者もいた。
「一体、何が起きているの?!?!」と驚きを隠せずにいたところに、私の名前が呼ばれた。
部屋に入ると、席に座っていた面接官たちから開口一番;
「これから、あなたがなぜこの職に任命されるべきかの『自己アピール』をして下さい」
と。
この面接試験、応募者には席も用意されておらず、その場に立ったまま、兎にも角にも自分を売り込まなければならなかった。
これでもか、これでもかと、自分を「魅力的な商品」として売るトークを必死に続けた。すると数分の後、面接官たちから;
「はい、止めて下さい。あなたは1次試験合格です。3日後、またここへ来れますか? 2次試験があります」
と、無味乾燥に告げられた。
「(やったー!) ありがとうどざいます!! 2次試験も、喜んで伺います!!!」
と言って部屋を出た。
でも、この状況。。。 まるで、NHK の「のど自慢」のようぢゃない? とも思った。鐘一つで合格、もしくは退場させれるっていう、まさに勝ち抜き戦ってやつね。
そして、指定された3日後の2次試験日。
用意されていた個室へ通されると、そこには机一面に無数(→恐らく80-100品目ぐらい)の医薬品が並べられていた。
そして「医薬品の注文票」なるものが手渡され、それを制限時間内に、正確に集めるよう指示された。要するに、医薬品名や剤型、規格が似通った紛らわしい薬剤(例:写真下⬇︎)を、どのくらい間違いなく、迅速に分別できるか、ということを試す実地試験だった。
私は英国の病院で、病棟臨床薬剤師としての教育は受けたものの、実際の薬局内では働いたことがなかった。だから、英国で流通している医薬品の実物を目の当たりにすることが、それまで殆どなかったのだ。という訳で、この試験、できるだけの努力はしたけれど「慣れていないゆえに速さを競えなかった」という点が否めなかった。
英国の薬局で、ちょっとでも実際に働いてみれば、こんなの、何てことない試験のはずなのに。。。。と歯がゆかった。
この日は、合否はその場では知らされず、後ほど連絡が来ると伝えられた。そして、なんと、合格者には3次試験もあるとのことだった。
3次試験は2週間後。予定でいけば自身の学生ビザの有効期限がすでに切れている日であった。その旨を伝えると、試験日は変更できないとの一点張りだった。
結局この病院から私宛に、2次試験の合否の知らせは来なかった。合格した人にしか、知らせは来ないシステムだったのかも知れないし、3次試験に来れないかもと申した時点で不合格にされたのかも知れない。
雇用者は「買う側」なので、立場が強い。応募者は「買ってもらう側」なので、立場が弱い。
そんな当たり前の事実を、痛感した就職試験だった。
そして、過去に不合格だった就職試験を色々と振り返ってみた。
「英国の薬局現場で、ちょっとでも働いてみれば、何なく答えられたであろう質問・実地試験が多かったな」ということを認識した。英国では就職の際「それまでの職経験」を何よりも重視する。そんなお国柄ならではの試験方式であったのだ。英国の薬局現場で働いたことのない外国人の私には、それだけ不利な状況なのであった。
「英国の薬局での職経験が、欲しい」
と切実に思った。
その頃、西ロンドンの聖チャールズ病院というところでファーマシーテクニシャンとして働き始めた日本人薬剤師の友人の M さんから、思いがけない情報が入った。
仕事が順調に始まったこと。英国ならではのカルチャーに戸惑いながらも、良い職場であること。でもまだまだ人員不足の職場らしく「近日中に、また、アシスタントとテクニシャンの求人募集を出すらしいよ。その際は、麻衣子ちゃんに来てもらえると嬉しいな。一緒に働けるよ!」と。
運命を呪いたい気分だった。私の学生ビザは、あと2週間弱で切れてしまう。あと「もうちょっとだけ」英国に居られれば、私、その職に、確実に応募できるのに。。。ってね。
M さんをはじめとする、私の英国での最初の就職活動を支えてくれた日本人薬剤師の友人たちについては、過去のこちらのエントリ(⬇︎)からどうぞ
何とかして英国での仕事が欲しい。だから就職活動が継続できるよう、現在の滞在ビザを、何らかの形で延長したい。でも、大学院を卒業してしまった今、もう学生ビザは申請できない。
苦肉の策のあがきとして、私は、一つの作戦を考え出した。
後に、自ら「ゲリラ戦」と名付けたものであった。
私が、英国へやって来た最初の目的であり、卒業した「ロンドン大学薬学校大学院」についての詳細は、こちら(⬇︎)からどうぞ
ロンドン中の国営医療(NHS) 病院薬局に、求人広告が出ているか否かを問わず「何らかの仕事、もしくはボランティアでも良いので、実務経験ができる機会を下さい」と尋ねるメールを大量かつ無作為に送ったのだ。
内容はこんな感じであった;
「ロンドン大学薬学校大学院国際臨床薬学コースを卒業したばかりの日本人薬剤師です。英国の薬局現場での実務経験を積みたく、メールさせて頂きました。お給料を頂ける仕事があれば理想ですが、無給のボランティアでも構いません。いずれかの機会を御病院薬局で作っていただけるようであれば、是非ご連絡下さいませ。ご連絡をお待ち申し上げております」
数にして40近くの病院へメールを打った。各薬局の代表者のメールアドレス以外にも、ロンドン大学薬学校でのアルバイトで、自らが作成・管理していた薬剤師名簿を駆使し、200名以上のロンドンの国営病院で働く薬剤師たちへ、文字通り無差別(=ゲリラ的)にメールを送った。宛先がたとえジュニア・中堅薬剤師たちであっても、彼らの上司に私のこのメールを転送してもらえないかな? そしてその中のだれか一人ぐらいには、反応してもらえないかな? と、藁にもすがるような気持ちで。。。
私がロンドン大学薬学校で卒業前後にアルバイトをしていた経緯は、こちら(⬇︎)からどうぞ
で、最初の数日間は、全く返事が来なかったのだが;
驚くべきことに、それからすぐ、ロンドン北部にある「ノースミドルセックス病院」というところの薬局長さんから、メールが来た。
「メール読みました。一度、うちの病院へ見学へ来てみたらどうですか? お互いに会って、話をしてみましょう」と。
指定された日時に、その病院へのこのこと出かけていった。当時住んでいた学生シェアハウスから一本のバス(写真下⬇︎)で行けたが、ロンドン市内にも関わらず、なんと2時間かかった。
私が英国での最初の就職活動中、バスを乗り倒していた話は、こちら(⬇︎)からどうぞ
お世辞にも治安の良いところとは言えない場所に所在する(→注:このエリアは、後の2011年、英国全土にまで広がった殺人放火暴動事件 '2011 Riots' の発端地になりました)、HIV 患者と違法薬物中毒患者が多い病院(写真下⬇︎)として知られていたが、薬局で出迎えてくれた初対面の薬局長さんは、とても上品で物腰の柔らかい女性だった。
調剤室の片隅の小さなオフィスに連れていかれ、色々な話をした。
ちなみに余談になりますが、安全なエリアに所在する英国国営病院薬局の窓口(=防犯ガラスなし)にご興味のある方は、一例として、私が去年訪れた「オックスフォード大学付属病院」の様子をこちら(⬇︎)からご覧になれます
英国での病院薬局内の実務経験を得たくて、連絡したこと。返事を頂けたのは、御病院だけだったので、とても嬉しかったこと。無給のボランティアでも構わないこと。今すぐ、フルタイムで働けるので、是非、機会を作って頂けませんか、とお願いした。
そして、もし受け入れて下さるのであれば、この病院薬局から「実地研修を受けているという証明書」を発行してもらえませんかとも掛け合った。それがあれば、現在の学生ビザが失効した後でも、何らかの形で英国に再入国できるかも、と思ったからだ。
「無給でも良いのであれば、何らかの実務職経験が積める機会は、ウチでつくれると思います。でも、受け入れ許可書は人事課から発行するものなので、薬局側では何とも言えません。とりあえずは私宛に履歴書を送ってもらえませんか?」との返答であった。
「履歴書は、本日、用意して持ってきました。どうぞお受け取り下さい」と、日本製のクリアファイルに挟めた履歴書を、その場ですかさず手渡した。
薬局長さんは、こちらが用意周到であったことに驚かれた様子で、
「では、こちらを私の方から人事課へ廻しておきましょう」と受け取ってくださった。
「いつから『無給実職務研修ボランティアワーク』を始められますでしょうか?」と聞いたところ、
「人事課での手続きが済んでからなので、最低でも1−2週間はかかるでしょうね」とのことだった。
「。。。。今月末から『短期の休暇』に入ります。その間に、証明書と手続きの書類を、こちらの履歴書に記載した現住所まで送ってくださるとありがたいのですが」とお願いした。
実際の所、私の学生ビザの有効期限は切れかかっている状態だった。でも、そんなことを正直に話したら、この前の就職面接のように「英国滞在許可を持たない人なんて、受け入れられないわ」ということになりかねないと危惧したのだ。痛い経験から学んだ「嘘も方便」であった。
そして、こちらの薬局長さんとは
「では、来月から」
と互いに笑顔で、握手をして別れた。
この会合、学生ビザが失効する、わずか5日前のことであった。
でも。。。英国へ残りたいとジタバタしつつも、現実を直視すれば、私は、ビザが切れたら日本へ戻るしかない運命になりつつあったのだ。
その頃、自身の銀行通帳の残高は、ゼロに限りなく近づいていっていた。(周りの人には言っていなかったが)一度日本へ帰ってしまったら、英国へ戻ってくる飛行機代すら捻出できない状態だった。
2003年9月末、ビザが切れる日を、密かに、あと一日、あと一日と、死刑執行を待つ囚人のように数えていた。
じわじわと追い詰められ、形容しがたい不安と絶望に押しつぶされるような毎日。
私の英国滞在の末路も、どうやら可視化してきたな、と思えた頃であった。
でもね、その時点では、知る由もなかったのだけど。。。
この「ゲリラ戦」と称して訪れた北ロンドンの病院薬局で懇願した「無給実務研修ボランティアワーク受け入れ証明書」こそが、のちに私を、英国滞在ビザ最大の危機から救ってくれたのよ。
勝負は、いつだって、最後まで分からない。
この後の話は、「英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話」のシリーズ化として、これからも続きます。
では、また。