日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

一般内科病棟ローテーション終了

 

全ての物事には、必ず、終わりの時がやってくる。

 

先週末、自身の約2年の長きに渡った「一般内科ローテーション」が終了した。

今はただただ、一つの幕が無事に閉じたことに、安堵の胸を撫で下している。

 

この病棟、私が現在勤務する大学病院の中で、誰もが認める「激戦地」。

「一般内科病棟」と名打っているので、どの専門にも属さない(=どこにも行き場のない)患者さんが、次から次へと送り込まれてくる。

院内最大の病棟の一つで、33床が日々フル回転。

そのあまりのスピードの速さに、病棟内の医師たちですら、どんな患者さんが運び込まれてきているのか、明確に把握できていない時もあるほど。

英国国営医療サービス (NHS) 病院の現実を、まさしく体現している場所。

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病棟回診中の一コマ。大学教育病院の一般病棟の典型的な光景

 

患者さんやご家族からの「苦情」は、日常茶飯事。

医療従事者数の絶対的な不足、その結果の、細部にまで手の届かないケア、そしてごちゃごちゃした環境から引き起こされる医療事故。。。。以前、この病棟を担当した薬剤師たちも、医療過誤を幾度か直接・間接的に起こし、訴訟で裁判所に出向かなければならなかった。

 

だから、私自身、この病棟で働き始めた当初は、正直「ここからどうか無事、脱出できますように。。。」という思いしかなかった。

医療裁判沙汰に巻き込まれずとも、この病棟を担当した歴代の臨床薬剤師は「自分の身を守るため」早々に転職するのが常だったからね。

それがね。。。6ヶ月の予定の任務だったはずが、同格の同僚が出産→育児休暇で1年以上不在になり、私がこの病棟に継続して働き続けることになった。で、この史上最悪の病棟こそが、自分の現在に至るまでの臨床薬剤師としてのキャリアの中で、最も長く在籍した病棟になったのよ。

古くからいるこの病院薬局のスタッフの記憶でも、これほど長くこの「地獄の一般内科病棟」で働いた薬剤師、過去に誰一人としていなかったんだって。

 

で、相当ネガディブなことを書き綴ったエントリになってしまっているのだけど、

 

今、ローテーション終了直後に振り返ってみて、本当にかけがえのない職経験だったと思っている。

確かに最初は「ここ(噂に違わず)地雷が埋め尽くされているような場所だあああ!!!」って恐る恐る働き始めたのだけど;

私は、与えられた仕事には、全力を尽くす人。

薬剤治療と医薬品管理の安全、そして何より、患者さん本位のサービスを目指し、この病棟のカルチャーを変えていこうと決心した。

苦しい戦いだったけど、無我夢中で走り続けた。まあ、その過程で、医師の先生たちや看護師さんたちと、星の数ほど口論したんだけどね。。。。(苦笑)

でも、2年経って振り返った今では「ここ、むしろ、臨床薬剤師として何でも学べる、最高の場所だったな! こんな貴重な機会を、歴代の同僚は、皆、逃してきたんだな。もったいなかったね。。。」とすら思えたのよ。

 

私のキャリア段階からしても、タイミングが良い時だったのだと思う。真の意味で、実力をつけたいと思っていた時期だったから。

自分の失敗で、患者さんを殺したくないという恐怖感から、日中の勤務が終わってからも、毎晩、薬局のオフィスに残り、この病棟の患者さん一人一人の薬剤治療を「これでもか、これでもか」と考え抜いた。

他の仕事(=感染症専門薬剤師)とも並行していたから、いくら時間があっても足りなかったな。

でも、そんな風にして毎日行う、翌朝の病棟回診への綿密な準備が評価されだし、自分でも職業的成長を実感できるほどになっていった。

一緒に働いた医師の先生たちからは;

「この病棟には、絶対マイコが必要」

「あなたは、私が今まで一緒に働いた薬剤師の中で、ピカ一」

「マイコは、僕たちが医療過誤を起こすかも知れなかった事態を、何度未然に防いでくれたか、数知れない」

といった、薬剤師冥利に尽きるような言葉も頂けた。

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一緒に働いた研修医の先生たち。左のリーマ先生は、現在、家庭医になるための訓練続行中、右の研修医1年目のトーマス先生は、次のローテーションに移り、関連病院内の一般外科病棟で働いている

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病棟回診中の一コマ。左のアレックス先生は、現在、近隣の病院で研修医2年目の訓練、中央のクリス先生は、放射線科専門医を目指している。右側の先生は、胃腸内科専門の医局長補佐だったのだけど、いつの間にか居なくなっていた。今、何処で働いているのだろう。。。?

英国の大学病院の研修医たちはローテーションで4−6ヶ月おきに職場・病院が変わり 、専門医たちも医局長レベルでない限り、転職を繰り返します。そんな事情については、以前のこちら(⬇︎)のエントリも、どうぞ

 

そんな中で、私自身、失敗したこともあった。

そのいくつかを、ここに公開;

1)当直週と重なり、日夜の区別がつかないほどの激務の中、入院直後から深部静脈血栓防止のために投与していたダルテパリン(低分子ヘパリン)を使用後、急激に血小板が減少していった患者さんの因果関係を、数日間、見抜けなかった(注:日本では、ダルテパリンでこの適用は承認されていないみたい?ですね。英国では、ごく普通に使用されています)。

その患者さんのもう一つの問題であった急性腎不全のほうばかりに気を取られており、そのあまりの悪化ぶりに「あー、これじゃあ、もうダルテパリン使えないな。普通のヘパリンに変えなきゃ、じゃあ血小板値はどうなっているんだろう?」と思い、その時(ようやく)血小板の値をチェックした。で「ひえーっつ!!! 何でこの低レベル、まだ誰も気づいていないの?」と。

で、翌朝一番で担当の研修医に「おかしいでのは。。?」と告げたら、「その患者さん、今朝未明に吐血して、今、内視鏡室にいる」と。

(私が、もっと早くに気づいていれば。。。。)

全身の血が引けるって、こういうことを言うんだな、と身を以て知った。

ちなみにこの患者さん、ダルテパリンを中止してからも、血小板のレベルは一向に回復しなかった。で、それも変だよねえということになり精密検査をしたら、なんと「多発性骨髄腫」だった。早期発見できたことが、救いとなった。 

2)集中治療室から移ってきた新たにアジソン病と診断された患者さんに、徐放性塩とフルドロコルチゾンが一緒に処方され、数日間投与されていたのを疑問に思わず、担当の医師チームに指摘できなかった。私自身、アジソン病の病理とその薬剤治療にいまひとつ精通していなかったからだ。

幸いなことに、ナトリウムの急激な上昇には至らなかったけど、その後、内分泌系専門医の先生とのディスカッションで「何で、薬剤師さん、気づかなかったの?」と。

「無知」は医療現場では、言い訳にならない。アキレス腱を矢で射抜かれたような思いだった。

でも、失敗した時は、それを貴重な学習の機会として捉え、必要以上には悔やまないようにする「顔の皮の厚さ」を身につけたのも、この病棟での職経験でのおかげ。持てる限りの力は尽くしているけど、失敗をするときはする。で、その時、痛い思いをして学んだことは、次に同じような症例に出くわした際に活かして挽回だーってね。

 

看護師さんからのさまざまな質問や要求にも、できるだけ誠意を持って対応した。英国では、世界中からやってきた看護師さんや看護助手の方々が働いている。だから、各自の薬剤知識のレベルや、ぶっちゃけ「常識」というもの度合いすらまちまち。だから時にそれが原因で、あり得ないような医療事故も起こる。その一つ一つの問題を根本から解決していくことは、本当に骨の折れる作業だった。

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コンピューター上の薬の投薬簿を確認している看護師さんたち

でも私自身、このジャングルのように危険に満ちた病棟で働く薬剤師として泥沼を這いつくばっていた頃、新しい婦長さんが任命された。恐らく、この病棟が、長年どんなに危機状態にあるかということを病院運営陣も理解していて、特任された方だったのだと思う。

今までになくしっかりとした有能な人だった。私の提案に、全て耳を傾けてくれ、時間がかかったけれど、その改善策を共に実行してくれた。

そして、徐々にではあったけど、以前は入れ替わりの激しかった看護師さんたちも、良心的な方たちが定着して働く環境になっていった。

やはり、理解の得れる人たちとチームで働くのは、本当に、大切。

 

そして、病棟全体のカルチャーが着実に変わっていった結果、なんとこの病棟、去年の夏に、院内での「最優秀病棟賞」を受賞した。まだまだ改善の余地が大いにある場所ではあるけれど、それまでの過去を知っている病院経営陣からの激励の証だったのだと思う。私も、チームの一員として、本当に、本当に、嬉しかった。

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私が2年間担当した「一般内科病棟」の常勤主要メンバーたち。「最優秀病棟賞」を受賞した日の記念撮影。中央に婦長さん(英国人)を囲み、国際色溢れる看護師さんたち(フィリピン、エチオピア、イタリア、リトアニア人)や退院コーディネーター(英国人)、病棟秘書さん(ネパール人)たちの顔ぶれ。ちなみに左から2番目の退院コーディネーターのサラさんは、元英国航空のチーフパーサーで、第2の人生として、この仕事を選んだという異色のキャリアの持ち主。公務員体質が蔓延しているこの英国国営医療サービス (NHS) で、民間で勤務した人の考えは、とても貴重だった。個人的にも、特に気の合う同僚の方だった

 

で、先週末、私は、ついにこの病棟での勤務の最終日を迎えた。

この約2年間、自ら関わった薬剤治療に関して、大きな過誤や裁判沙汰が起こらず、ダイナミックな医療現場の最前線で、その主要スタッフの一人として働けたことを、本当に感謝している。

これだけ臨床薬剤師として密度濃く駆け抜けた期間、後年、きっと懐かしく思い出すと思う。

私の前任者は「この病棟で生き延びれたら、臨床薬剤師として飛躍的に成長するよ。そしてその後は、英国中のどんな一流病院でも通用するようになると思う」と言って退職していった。

彼が言ったことは、正しかったと信じたい。それを私自身が証明するのは、これからだけど。。。。

 

で、私の今後の担当病棟ですが;

本来ならば、2年前まで担当していた一般外科病棟へ戻るはずだったのですが、諸事情により「高齢者病棟」を担当することになりました。

今、英国では「フレイルティ (frailty) 」という言葉が注目されています。高齢者患者さんの中でも、やがては介護が必要になりつつある者たちに対し、どれだけ現状の健常状態を食い止めることができるか、いわゆる「健康高齢者」と「要介護高齢者」の境目にいる方々をターゲットにした医療。

英国政府の最新の医療政策に対応し、私が勤務する大学病院でも、数ヶ月前「フレイルティ病棟」なるものがオープンした。そのテコ入れ薬剤師になって欲しいとの薬局経営陣からの命を受け、半年程度の予定で、新たな仕事をすることになります。もちろん、本業の感染症専門薬剤師の仕事との掛け持ちです。

今までのように、来る日も来る日もベルトコンベア式に運ばれてくる重症患者さんたちへの応急処置的な薬剤治療、数ヶ月おきに変わる研修医の先生たちとのかりそめの仲での仕事ではなく、数人の専門医と多職種医療者たちとの連携で、ご高齢患者さんたちを全人的に診る18床の病棟での仕事です。

新しいチャレンジが、楽しみです。

 

でもねえ、薬局の上層部からは「状況によっては(=すなわち、私の後任者が持ち堪えられない場合)、マイコをまたこの『地獄の一般内科病棟』に引き戻すかも。その時は、また宜しくね」とも言われた。

ひょえーーーーー(終わった達成感に浸っているので、それ、当分の間は、ご勘弁のほどを。。。。)!

 

では、また。

 

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約2年間に渡るこの一般内科病棟での勤務終了時、病棟のスタッフ一同からこちらの花束を贈呈された。前述のサラさんの発案だったみたい。さすがは「退出」コーディネートのプロ(笑)。感涙しました