日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

新型コロナの収束後、英国の医療現場で起こること(1)違法薬物中毒者

 

私が勤務する病院での新型コロナウイルス (COVID-19) 状況ですが;

集中治療室 (ICU) は、大分落ち着いてきました。

もちろん、感染・その疑いのある患者さんはまだ毎日入院してきており、予断は許されませんが、感染防具の着用基準を格下げした病棟(写真下⬇︎)も多くなってきました。

そこで、1−2週間前から、臨床薬剤師たちは、全病棟へ戻ろうということになり、全員マスク着用の元、通常の業務に戻っています。

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病棟出入り口に設置されている、簡易感染防具着用コーナー

 

その一方で;

ああ、これって、英国の典型的な入院患者さんだけど、ここ数ヶ月は(全く)目にしていなかったな。こういう患者さんがやって来たこと自体が「医療サービスが、通常に戻りつつあるという兆し」なのかな、と思うケースも起こり始めています。

という訳で、これから数回に分けて、英国の「ポスト・コロナ」医療現場で起こること、いや、もう起こり始めていることを、書いていきたいと思います。

 

まずは、

ケース(1)違法薬物中毒者患者さんたちが入院してきた

 

先日、夜間当直当番をしていた時のこと;

ポケベルが鳴り応答すると、電話口で、看護師さんが怒っていた。

「患者さんが、今、退院するっていうのに、薬局から配達された退院薬のバッグの中に、必要な薬がいくつか、入っていない💢!」と。

当直薬剤師は、自宅からでも、薬局のコンピューターシステムにアクセスできます。それで、その患者さんの退院処方薬の内容を確認してみると;

「メサドン」の文字が目に飛び込んできた。それに「プレガバリン」や「クロナゼパム」も。

私「(ははーん。。。)」

英国国営医療 (NHS) 病院の「当直薬剤師」業務の典型例は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ


日本では、がんに伴う疼痛に使用されるのみとのことですが、英国で「メサドン」と言えば、違法薬物中毒者の治療薬の代名詞のようなものです(写真下⬇︎)。半減期の長い麻薬という特性を利用し、乱用していた違法薬物の置換・代替薬として服用させ、その用量を長期間に渡って少しずつ減らしていくことにより、依存性を徐々に軽減し、最終的にはその違法薬物を止めさせる目的で使います。

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英国の違法薬物中毒者の治療に使用される代表薬「メサドン」は、この写真にあるように、かき氷のメロンシロップのような毒々しい緑色の液体であることが特徴

英国では、国民の実に2割が、生涯のうち一度は何らかの「違法薬物」(例:ヘロイン、コカイン、大麻、MDMA などや、医療用麻薬の乱用も含む)を使用したことがあるという、恐るべきデータがあります。自分の身近な友人・知人たちの中にも中毒者がいるということが、珍しいことではありません。そのような背景から、英国では中毒者を「罰する」よりも「救済する」ことを優先しています。

国営医療 (NHS) 病院の緊急医療室では、違法薬物中毒に由来する錯乱状態や合併症を起こした患者さんがやってきても、何ら驚きません。どの病院でも「よくある」ことだからです。でも、思い起こせば、この新型コロナウイルス蔓延のピーク時は、その姿を(全く)見なくなっていました。

ちなみに英国では、この「メサドン治療」を、ごく普通の街の薬局が提供しています。中毒患者さんは、自分のかかりつけの薬局へ毎日出向き、一日一回分の用量のメサドンを、プライバシーの保たれたカウンターや個室で、薬剤師の目の前で服用します。薬剤師は、患者さんが口に入れたメサドンを、確かに飲み込んだかをチェックします。メサドン自体、中毒性がある麻薬のため、一度口に入れたものを、薬局の外に出たとたんに吐き出し、その吐き出した液体を闇市場で売り、もっと強力な麻薬を買う資金にしてしまう患者さんもいるからです。離脱具合が良好であると、数日分の量を投薬し、薬剤師の監察なく自宅で服用できるようにもなりますが、それでも街の薬局では、通常7日以上のメサドンの一括供給は行いません。

私が初めて接した「メサドン患者さん」は、仮免許(プレレジ研修)薬剤師時代、地域の街の薬局で実習していた時のことでした。こちら(⬇︎)の過去のエントリもどうぞ

 

そのため、この「メサドン」を服用している患者さんが病院へ入院してくると、担当の薬剤師は、その患者さんのかかりつけ薬局との「連携」が必須となります。例えば、患者さんのパートナーなどが代理としてメサドンを取りに薬局に来店しても、むやみやたらに渡さないこと(→同じく薬物中毒者であることが多いため)を伝え、退院時には、再度その薬局へ連絡をし「明日からまた通うことになりますので供給の再開をお願いします」と一報を入れます。そうすることで、病院・街の薬局間での重複供給を避け、患者さんが余分に入手したメサドンで過量中毒を起こしたり、闇市場へ転売し、断とうと努力していた違法薬物を購入する資金にされてしまうことを避けるのです。

 

で、話を戻し、電話口の看護師さんは;

「メサドンは(私たちの病院薬局から、退院時には提供しないと)分かっているけど、患者さんが言うには、一緒に服用していたプレガバリンとクロナゼパムも、自宅には残薬が全くなく、1週間分を病院薬局から退院時に出すということで、医師・薬剤師と合意した」と。

「。。。。。?」 

確かに、こういったケースも無きにしもあらずです。例えば、自殺未遂を起こして入院してきた患者さんなどに対しては、経過観察として、退院薬としてはごく少量を小分けにして調剤することもあります。

でも、薬剤師の「勘」っていうものでしょうか。私、この患者さんの言っていること、変だなと思いました。

「話をでっち上げているのでは?」と。

プレガバリン 300mg 朝晩、クロナゼパム 500microgram 朝昼夕晩 と、かなりの量を服用しており、これらの薬も十分中毒性のある薬だから。。。

 

でも、残念なことに、当直薬剤師である私の元に連絡が来た時点で、午後8時頃。この患者さんの担当医も薬剤師も勤務を終えており(→だから、私が時間外当直をしているんだよね。苦笑)、彼らに直接事情を聞いて、確かめるすべはありません。

こういった状況、当直薬剤師業務の「あるある」です。自身は全く関わっていなかった用件を問いただされ、答えに窮するっていう。

 

 そこで、私は提案しました;

「関わった医師も薬剤師もすでに帰宅しています。プレガバリンもクロナゼパムも今日の服用はあと1回のみなので、病棟在庫のものからそれぞれ1回分を今晩の分として服用させ、患者さんを退院させて下さい。明日の朝一番で事情を確認にし、必要であれば調剤します。この件に関しては、それでも遅くはありません」と。

でも、看護師さんは;

「患者さん、プレガバリンもクロナゼパムも自宅には全くなく、それが不安で、家に帰りたくないって。当直薬剤師のアンタが薬を用意してくれない限り、今晩もここに入院するって言い張っているよ」と。

英国の国営医療サービス (NHS) は、国民の税金を元に、利用者負担全無料の医療を提供しています。そのため、患者さんをいかに早く回復させ、退院させたかが、各病院の評価の一指標となっています。だから、こういった本来であれば回避できる状況で、退院を延期されるというのが、最も避けたいことなのです。

私は、きっぱりと、こう言いました;

「当直薬剤師は、現時点で、この話の詳細は分かりかねるので、明日、責任を持って対処する、とカルテに記載して下さい。そして、患者さんを退院させて!」と。

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プレガバリンもクロナゼパムも依存性の高い薬です。しかもプレガバリンは、英国でその乱用の多発から、昨年より「麻薬」分類となりました。そのため、私自身、この要求は、患者さんが薬を余分に入手する「罠」なのかもしれないと思い、情報不足の夜間対応はあえて拒否したのでした。

 

で、翌日の朝、薬局へ出勤し、昨日からの退院処方せんを探し出してみると;

その患者さんと医師、薬剤師が「1週間分の供給をする」と合意した旨は、どこにも記載されていませんでした。

退院薬の手配に関わったプレレジ(仮免許)薬剤師からは;

「患者さんのかかりつけ薬局へ電話したら、家庭医の方からプレガバリンもクロナゼパムも継続処方せんがすでに発行されていたので、私たちは今回供給しなかった。かかりつけ薬局では、昨日の午後、ガールフレンドがその調剤薬を取りに来たって言っていた」と。

「え。。。薬、ガールフレンドに渡っちゃったんだ」

英国内でメサドンを服用している患者さんには、大抵、精神科専門訪問看護師や福祉面での世話人といった、薬物中毒の更生を手助けする人たちが配属されています。退院薬の情報はその人たちにも伝達するのがベストだったかもね、もしかしたら、ガールフレンドも違法薬物中毒者かも知れないから。。。 とシニア薬剤師の私はフィードバック。でも、関わったプレレジ(仮免許)研修薬剤師も、2重確認をしたジュニア薬剤師も、こういった「英国内の違法薬物中毒者ケアの仕組み」の詳細に精通しておらず、後の祭りでした。

現在、仮免許(プレレジ研修)薬剤師は、一年間の実務訓練の最終段階にきています。私が勤務する病院では、実際に病棟を「薬剤師になったつもりで」1人で担当させ、後で先輩薬剤師が不明瞭な点(のみ)を一緒に確認するという実習を行っています(詳細は過去のエントリ⬇︎もどうそ)。そのため、その先輩薬剤師自身の経験不足や見逃しがあると、時に惨事となることもある。今回は、その典型的な一例でした。でも、大学教育病院は、こういった失敗から学ぶ場所でもある。頑張れー!

 

そして、それから1−2週間後;

私の(密かな)予測通り。。。。

今度は、前述の違法薬物中毒患者さんのガールフレンドという人が、病院の緊急医療室へ運び込まれてきた。

例の「彼氏の代わりにプレガバリンとクロナゼパムを薬局に取りに行った」その足で、ヤクの闇売人の所へ行き、それらの薬を売ったお金と差額を足し、ヘロインを購入したそう。

呼吸困難から救急車で運び込まれてきたのだけど、ヘロインを注射した部位なのであろう足が腫れ、蜂窩織炎を起こしていた。そして深部静脈血栓症の疑い。いわゆる「ヤク中患者」の典型的なケース。

早速、入院となり、偶然にも私の担当病棟の患者となった。で、抗凝固薬と、抗生物質の静脈注射を即、開始したのだけど;

 

なんと、彼女、入院3日目に、病棟から「脱走」してしまったのだ。

 

禁断症状が出て我慢ができず、闇売人のところへまたヘロインを買いに行ったんだろうなあ、と容易に察しがつきました。

しかも抗生物質注射の投与口であった静脈留置針を手につけたまま、行方不明。へロインを打つのにこれ以上ないほど最適なルートだよね、と担当の医師たちと私、思わず目を見合わせてしまいました。

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違法薬物中毒患者さんの静脈注射治療は、できるだけ早く経口薬に切り替えるのが基本。でも、この患者さんは、切り替えを予定していたまさにその日に「脱走」してしまったのでした

 

英国国営医療 (NHS) の病院では、患者さんがこのように「自主退院」すると(基本的には)その後は追いません。「それが、患者さん自身の意思である」とし、たとえ治療上必要な薬であっても、原則、退院薬は供給しないという、冷徹なポリシーになっています。

でも、一薬剤師の私個人としては、今、彼女の行方をとても心配しています。深部静脈血栓症の診断が確定され、経口抗凝固薬治療を開始したばかり(写真下⬇︎)でもあったから。。。

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直接経口抗凝固薬アピキサバンの初期倍増量投与中でもありました。。。


やれやれ、こういったこと、新型コロナウイルスが猛威を振るっていたこの数ヶ月間では、決して起こっていなかったのに。国民全員に「外出規制令」が敷かれていたから、ヤク売人たちだって、自宅待機していたはずだからね。。。 英国内の違法薬物闇市場は「営業再開」したのだな、ということが、今回、はっきりと見て取れました。

 

そんなこんなから、英国の医療現場の「日常」が、ポツポツと戻ってきているのを、肌で感じ取っています。

 

では、また。