このエントリは、前回(⬇︎)からの続きとなっています。
2010/11年度ブライトン大学海外薬剤師免許変換コース (Overseas Pharmacists' Assessment Programme, 通称 OSPAP) の学生は、ほとんどがアフリカ系(ガーナ、ナイジェリア、南アフリカ)か、インド系(インド、パキスタン)だった。その他は、アメリカ、ブラジル、エジプト、イラク、レバノン、そして日本人の私という構成だった。
インド系の学生は、女性の場合、ほぼ全員が結婚しており、小さなお子さんがいる人も多かった。学費も家族・親戚一同からのサポートで、問題なく行なっていた。その一方で、免許取得後、フルタイムで働く人は少数だった。インド系の人たちは得てして、一家の「ステータス」をとても大切にする。薬剤師免許は、一昔前の日本のような、嫁入り道具の一つのようなものなのであろう。
このコースを開始して、私自身一番驚いたのは、全50名の学生の中で、私(=日本人)とブラジル人学生2名だけが、母国で薬学を、英語で学んでこなかったという事実だった。他の学生は全員、普段の生活ではそれぞれの言語を使っているが、自国での薬科大学教育は「全て英語で行われている」と。
そう言われて見渡すと、私とブラジル人以外の全学生が、元英植民地や現英連邦加盟国、もしくは歴史上、英国が政治的に何らかの介入をした国の出身であった。なるほど。。。大英帝国時代からの遺産というのは、後世に至るまで、こんなところにも影響しているんだな、と理解した次第。
しかもブラジルの公用語はポルトガル語で、一応アルファベットを使っている。そういった意味では、日本人の私はクラスの中で「最も不利な学生」であった。このコースは、薬学論文を批判的に読みレポート提出するとか、最終学科試験も記述形式で回答する問題が多かったからね。
そういえば今日は、英ケンブリッジ公ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚記念日とのことですが、10年前の今日、私はそのTV中継を横目で観ながら、この海外薬剤師免許変換コース (OSPAP) の課題の一つであった、当時の英国の医療改革についての分析とその賛否を論ずる学術エッセイを、自宅の机でヒイヒイ言いながら書き上げていたのを、よーく覚えています(笑)。
ところで、話が派生しますが、EU の薬学教育は統一されており、その結果、ヨーロッパ各国の薬剤師免許は加盟国内で自動変換できます(リンク⬇︎参照。英国は昨年末 EU を離脱しましたが、この措置は、現時点ではまだ続行中)。よって、英国の海外薬剤師免許変換コース (OSPAP) には、ヨーロッパ圏の履修薬剤師は皆無 。
それから、オーストラリアやニュージーランドと英国の薬剤師免許は、2000年代中盤まで自動互換ができたけど、現在は不可となってしまった。よって現在、英国内で働くオーストラリア・ニュージーランド出身の薬剤師さんの殆どが、英国の免許がなくても雇用可能な製薬企業や薬学出版業界に勤務しているというのが実状。
その際たる例が、英国の国家フォーミュラリー 'British National Formulary (通称 BNF )' の、現編集部スタッフの大半がオーストラリアもしくはニュージーランド人薬剤師であり、英国での薬局実務経験のない彼らたちによって編纂されているという事実(リンク下⬇︎)。これ、かなりツッコミどころあり。
話を戻し。。。
前述の通り、アフリカ系とインド系学生が大多数を占めるクラスであったため、私は同じく「少数派」であったレバノン人の「ハニくん」、ブラジル人の「カミラさん」、そしてもう一人のブラジル人「フランシスコくん」と、何かと行動を共にするグループになっていた。
特に「ハニくん」(写真下⬇︎)とは偶然にも、翌年の仮免許薬剤師(プレレジ)研修も同じロンドンの病院で行うことになったため、一番親しくなった。でも実のところ、ハニくんは優秀で要領が良くて、本当に必要と思える講義以外、大学にあまり来ていなかったんだよね(笑)。
海外薬剤師免許変換コース (OSPAP) 課程修了後直ちに行う「プレレジ(仮免許薬剤師)実務研修」については、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ
ブライトン大学海外薬剤師免許変換コース (OSPAP) ではその課程の中で、選択科目を一つ履修するようになっていた。「有機化学」「抗生物質学」「精神科薬理学」「薬用植物学」のうちからどれかを選ぶようになっており、これらは、学部4年生と一緒に学ぶ授業に組み込まれていた。
一番簡単なのは「薬用植物学」だよとアドバイスされていたにも関わらず、私はなんと最難とされる「精神科薬理学」を選び、大失敗した。結局、この科目の単位を落としてしまい、コース半ばで、本当に危機的な状況になってしまった。
私の海外薬剤師免許変換コース (OSPAP) 在学中、最も大変だった時期のことについては、以前のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ
「薬用植物学」を選択しなかったのには、自分なりに理由があった。私、日本の薬科大学時代、生薬学の授業で、あの無数の標本を(全く)見分けられず、かつ、延々としたラテン語名を(どうしても)覚えられずに、追試を受けた人(大爆笑)。だから、生薬学に対する『超』トラウマ的拒否反応があった。
でもね、蓋を開けてみたら、このブライトン大学薬学部の「薬用植物学」は「アロエの効用を、グループワークでレポート提出する」といった(ちょろい)課題で終了だった。評判に違わず「最も簡単な選択科目」だったのだ。そして私はこの手痛い経験から、日本の薬科大学ではほぼ必須科目であるはずの「生薬学」は、英国の薬科大学教育では、かなり切り口の異なる学問であるということを理解したのだった。
ということで、もし将来、ブライトン大学薬学部に入学予定の方がいらっしゃいましたら、是非「薬用植物学」を選択するよう、お勧めしまーす ! (笑)
それから「薬事法規・倫理」の講義は、薬学部のメインキャンパスからちょっと離れた別の学部の建物で行われていたんだよなあ。。。と思い出し;
一旦、薬学部の敷地を出て、往来の激しい自動車道を少し歩いていくと(ブライトン大学薬学部が所在するキャンパス、けっこう広いです。。。)
あれれ? 確か、大きな講義堂があったこの校舎(写真下⬇︎)が、すっかり工事現場の裏に隠れてしまっていました。
ちなみに、英国の薬事法規・倫理学に関しては、英国王立薬学協会から定期的に刊行されているこちらの本(⬇︎)が決定版。この本の内容を学生に分かりやすく理解させるために、薬科大学では授業が行われていると言っても過言ではありません。
Medicines, Ethics and Practice July 2019
- 作者:Royal Pharmaceutical Society
- 発売日: 2019/07/24
- メディア: ペーパーバック
で、今回、この周辺をよーく見渡し、びっくり。
こちらのキャンパス、実はここ数年で、大々的に近代化工事(写真下⬇︎)が行われていたことを知ったのだった。
時代は、確実に移り変わっていっているのが、見て取れた。
でも一方で「教育はビジネス」って考え方が、ものすごく目についたな。
再び薬学部キャンパスに戻り、その中庭(写真下⬇︎)へやってきた。
2011年6月、最終試験の最後の科目が終わった日差しの強い午後、この場所で、その年の薬学生全員と講師陣がわいわいがやがや言いながら記念写真をして別れたんだけど、その後、ほどんどの人とは消息が取れていない。
レバノン人のハニくんは、現在、ロンドン中心街のユニバーシティ・カレッジ・ロンドン病院で、小児科専門薬剤師をしている。将来は、オーストラリアに移住したいと言っていたけど、まだ実行に移していない。
ハニくんが現在勤務する大学病院は、私もその昔、英国での最初の就職活動(→ファーマシーテクニシャン職)の時に応募した病院でもあります。その時のことは、こちらのシリーズ(⬇︎)をどうぞ。
ブラジル人のカミラさんは、現在、西ロンドンの大型大学病院の集中治療室 (ICU) 主任薬剤師。昨今の新型コロナウイルス (COVID-19) のパンデミックで、大活躍したはず。
この2人は、 EU 国籍(注:カミラさんはブラジルの薬科大学卒業だが、先祖のルーツからブラジルとイタリア、そしてドイツのパスポートも所有している3重国籍者であった)であったため、英国での免許取得後も、職探しには困らなかった。
一方、その年の最優秀学生賞を受賞したブラジル人のフランシスコくんは、ブラジル国籍のみであったこと、かつ、英国での職経験がほとんどなかったため、就職にものすごく苦労した。やっとの思いでロンドン近郊ケント州の国営医療病院の新卒薬剤師の職を得たと聞いたけど、その後は薬剤師のキャリアをすっぱりと捨て、現在はコンサルティングファームで働いている。
人生いろいろだよね。
実は、今回のブライトン大学薬学部の訪問、私自身、今年秋から始めようと思っている「処方薬剤師免許取得コース」の下見だったんだけど。。。
ここへ、再度通うかどうかは、目下、熟考中。
では、また。