東京オリンピック 2020 が閉会しましたね。
健闘された選手の皆さま、そして、開催に当たった関係者の方々、本当にお疲れ様でした。
私にとっては、このわずか 10 年の間に「生まれた国(日本)」と「移り住んだ国(英国)」の両方で、オリンピックが開催されたことになります。
でも、
ロンドンオリンピックの開催年は、プレレジ(仮免許薬剤師)研修中であったことと、その後の進路未定の時期とも重なり、心から楽しむことができず、
英国薬剤師免許取得前に行う実務研修、通称「プレレジ (Pre-Registration Training)」にご興味のある方は、以前のこちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ。
そして、
東京オリンピックの時は、ぜひ生で観戦したいと意気込み、何年も前から里帰り帰国を計画していたものの、依然、この新型コロナウイルスのパンデミックで、渡航すらできない状態。。。。
という訳で「せめて、英国内でオリンピック気分を味わおう!」と、先月末、2012年ロンドンオリンピックの会場であった場所を、初めて訪れてみることにしたの。
今風で言う「ステイケーション」という形でね(笑)。
今回のエントリでは、その中で考えた「2012 年ロンドンオリンピック後の、英国の移り変わり」を、特に医療の面からレポートしてみることにします。
今回の訪問は、ここ(⬇︎)から始まった。
このエリア、私が英国に移り住んだ当初 (=2000年代) は、まさに「未開地」とも言うべき場所だった。
で、今回の訪問後、そのあまりの近代化に驚き、改めて色んな人に「元はどんな場所だったの?」と聞き廻ったのだけど、どの人からも「何もなかった」とか「思い出せない」としか答えが返ってこなかった。
それほど以前は、誰にとっても、特筆すべき場所ではなかったのであろう。
このエリア周辺の、18 年前の私のおぼろげな記憶は、こちらの過去のエントリ(⬇︎)でも(ちょこっとだけ)記述しています。
でもね。。。
今回訪れてみて、仰天した。
駅からオリンピックスタジアムであった場所まで向かうあいだの道が、超近代的でおしゃれな巨大ショッピングモール(写真下⬇︎)になっており、ロックダウンの終わったロンドンの夏を楽しむ老若男女たちで、溢れかえっていたのだ。
日本ではごくありふれた「駅に直結したモダンな商業ビル」って、英国では少数。しかもね、ここには、日本食専門のスーパーマーケットさえあった。
だから、私「ここ間違いなく、今、ロンドン中で、最も東京っぽい街だなあ」と、感涙してしまったのだ(笑)。
でもそんな中、「あ、ここ(確かに)英国だ」と、我に返ったのが、こちら。
そんな光景を横目に歩き続け、この巨大ショッピングモールを横断した先に見えてきたのがこちら(⬇︎)
このスタジアムはオリンピック終了後、地元のサッカーチームへ譲渡されたため、今回、中へは入場できなかった。でも、せっかくなので、スタジアムの外側をぐるっと一周してみることに。
で、スタジアムの裏側(写真下⬇︎)へやってきて、思わず息を飲んだ。
テムズ河対岸に、英国の薬剤師免許登録先機構である「The General Pharmaceutical Council (通称 GPhC) 」が見えたから。
ちなみに英国の薬剤師免許の規制・登録は、過去約170年ほど「英国王立薬学協会 (The Royal Pharmaceutical Society, Great Britain) 」が統括していた。でも、ちょうど 2012 年ロンドンオリンピックの時期を前後して、その役割を、政府の独立機構「The General Pharmaceutical Council (通称 GPhC)」に移管した。で、現在、この高層ビルが、 GPhC のオフィスとなっているのだ。
スタジアムを一周した後は、その周りを取り囲む「クイーン・エリザベス・オリンピック公園」(写真下⬇︎)を散策してみることにした。
この公園の周りには運河が流れているのだけど、ここ(写真下⬇︎)、2012年ロンドンオリンピックの開会式の聖火リレーの最終幕で、 サッカー選手のデイヴィッド・ベッカムが、最高に格好良く到着した場所だったはず。
ベッカム選手は、このオリンピックスタジアムからほど近いエリアで生まれ育った人です。そのため、2012年ロンドンオリンピックの親善大使として招聘の段階から関わっていた。ちなみに、彼が誕生し、このオリンピック会場から最寄りの国営医療 (NHS) 病院の一つでもあった場所については、過去のエントリのこちら(⬇︎)をどうぞ。
ちなみに、2012年ロンドンオリンピックの聖火リレーの最終走者たちとは、
デイヴィッド・ベッカム選手が自らモーターボートを操縦してテムズ河を横断し、現代のオリンピアとも言うべき若き女性サッカー選手と共に、この運河へ到着。そして、この運河の橋のたもとにて、スティーヴ・レッドグレーヴ卿に引き継がれ、スタジアム内へ入場。そしてスタジアム内で、これからの未来を担う若いアスリートたちに託し、彼らたちによって点火した、という流れだった。
スティーブ・レッドグレーヴ卿は、日本では馴染みの薄い人かも知れないけれど、夏のオリンピックで、なんと5大会 (=20年) 連続で金メダルを獲得した、英国人ボート選手。
そして、その輝かしい栄光の影で、選手生活の大半を潰瘍性大腸炎や糖尿病と闘っていた人としても、よく知られている。
だから「適切な医療を受けることで、病気と共に生き、偉業を成すことができる」ということを体現した人として、英国ではほぼ誰もが知る、スーパースター的な人なのである。
私は、レッドグレーヴ卿の最後のオリンピック(2000年夏シドニー)開催直前に、英国へ移り住んだ。そして、大学院の実習病院先でのチュートリアルの時、指導薬剤師の先生から「インスリンを1日6回自己注射しながら、5連覇で金メダルを手にしたチャンピオン」として、それまで全く存じていなかったレッドグレーヴ卿について教えてもらった。実際、コースメイトの一人が、このレッドグレーヴ卿の例を言及する形で糖尿病の症例発表を締めくくり、採点をする臨床薬剤師の講師陣たちが皆大ウケしていたので「ああ、こういうことを知っていることこそが、英国の(医療)常識ってもんなんだな」と、異国で暮らし始めた直後のカルチャーショックの一例として、今なお鮮明に覚えている。
私が英国へ移り住むきっかけとなった、ロンドン大学薬学校大学院時代の病院実習での色々な思い出は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ
そういえば、2012年ロンドンオリンピックの開催式の中では、英国史上の功績を称える一幕があり、その一つとして「英国国営医療サービス (NHS)」も紹介された。世界中の多くの観客にとっては「国際スポーツの祭典に、なぜ医療が?」と(全くもって)意味不明だったんじゃないかな。
でもね、英国国営医療サービス (NHS) は、英国人の「誇り」と言っても過言ではないもの。実際、この出し物には、国営医療サービス (NHS) に勤務する(本物の)医療スタッフたちが多く出演していた。私が当時働いていた病院の薬剤師さんもその一人だった。ショーの内容は極秘だったので、彼女が一体何をやっていたのかは、本番をTVで観て合点がいった次第だったけど、彼女はその年の夏休み、多くの有給休暇を使い、ほぼ毎日、このスタジアムでリハーサルを重ねていた。
英国が誇る「国営医療サービス (NHS) 」についての概略は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)も合わせてどうぞ。
そんな昔のことを、いろいろと思い出しながら、広大なオリンピック公園をあてどなく歩いていたら、こんなところ(写真下⬇︎)にたどり着いた。
それでふと「まずい! 私、エキネシアの喉スプレーを持ってこなかったわ。今晩、ホテルに泊まるのに、部屋が乾燥してたら、どうしよう。。。」
と、急に不安になり、
早速、その製品を購入すべく、この周辺の薬局巡りをすることにした(笑)。
なぜ、エキネシアの喉スプレーが手元にないと、私、不安になるのかって? 過去のこちらのエントリ(⬇︎)もご覧下さいませ。
この2012年ロンドンオリンピックスタジアム周辺を訪れた記録は、次回へ続きます。
では、また。