20年前の今日、2001年9月11日は、締切日から数ヶ月遅れて、ロンドン大学薬学校大学院の卒論を提出した日でした。
当時住んでいた学生寮から徒歩圏の大英図書館(写真下⬇︎)に毎日通い、ようやく書き上げたものでした。
その執筆中、私は、身体的にも精神的にも、ボロボロの極限でした。
こんなにまで努力したのに、ちっとも満足するものが仕上げられず、卒業できないんだな。
お金も、底をついちゃった。
これから日本へ帰っても、中途半端な私は、一体、何をやるんだろう?
という自問自答と絶望の中、この巨大な図書館の2階「サイエンス・フロア」の机の一つを陣取り、一日中、パソコンとにらめっこでした。
疲労困憊の身体に鞭を打つように、カフェインが必要でした。
財布からなけなしのお金を叩いて、1日1回決まって、図書館内のカフェで、コーヒーとスコーンを買っていました。
根を詰めた作業が続く中、このカフェでのひととき(写真下⬇︎)は、現実の辛さを紛らわす、何にも代えがたい気分転換でした。
毎日そのカフェに通っていたので、そこで働く店員さんたちとも、次第に顔なじみになっていきました。
その一人に、イタリア系の若い男性がいました。ひょっこりと英国へやって来て、すぐにこのカフェでの仕事を得て、ロンドン暮らしを楽しんでいる様子(→注:当時、英国は EU 加盟国であったため、EU 国籍者の英国滞在・就労には、原則、制限がありませんでした)。当時のうらぶれた私とは大違いでした。
同僚と陽気に冗談を言い合いながらも、コーヒーを入れる手つきが鮮やかで、ああ、この人は、ここでだてにアルバイトとして働いている人ではないな、とも(ぼんやり)思っていました。
そんなある日のこと。
彼から手渡されたお釣りが、渡したお札の額の割には、多めなのでは。。。? と思いました。
その日は、私の勘違いかも。。。 と言い出しませんでした。
でも、その次の日。
間違いありません。明らかに、過剰な額のお釣りが戻ってきました。
え。。。? と口を開けたとたん、
彼は、私の口を遮るように、今までにない真剣な目つきで、
(受け取れ)と。
その「無言の合図」はそれから、私が卒論を完成する日まで、毎日、毎日、続きました。
他の同僚の店員さんがいる時でも、私がカフェのカウンターの列に並んでいるのを見かけると、私の会計をすかさず担当し(誰にも気づかれないように)コーヒーもしくはスコーンのどちらか一つ分の料金しか受け取らなかったのです。
よほど飢えて、ガリガリに痩せて、焦燥しきった留学生だったのでしょう。
だから(自らのセンサーで)、私への「救済策」を発令して下さったのです。
この方の善意と無言の励ましがなければ、私の修士論文は、決して完成しませんでした。
そして、今思えば、
この店員さんは、当時の私のような人を、数え切れないほど見てきていたに違いありません。
英国の新学期は、普通、秋から始まり、翌年の5−6月には終了します。夏休みの間に図書館に四六時中居るということは、大抵「訳あり」なのです(→もちろん、例外もありますが)。
事実、その夏、大英図書館の閲覧室を見渡せば、「志を抱き、学業に励んでいるものの、うまくいっておらず、文無しで、ギリギリ瀬戸際」という、似た境遇の人たちばかりのようでした。
彼の無言の「頑張れエール」は、きっと、私だけに向けられたものではなかったはずです。
残念ながら、彼に会ったのは、私が卒論を仕上げた日が最後となってしまいました。
私はその後すぐ、学生ビザの有効期限が切れ、日本への帰国を余儀なくされ、
夢を捨てきれず、一年後、再びロンドンに戻ってきた時、そこに、彼の姿はありませんでした。
大英図書館のカフェは、その後、私が知る限りでも、3−4代、テナントが変わっています(写真下⬇︎)。
だから、あの苦しかった時(何も言わず)助けを差し伸べてくれた彼が、一体、何処へ行ってしまったのかは、全くもって分からずじまい。
でもね、もし私が、将来有名になったりして「あの人は今 ? 」みたいな TV 企画とかをして下さるんだったら、是非、この人を探し当ててもらいたいなあ。
そして、もし本当に再会できるのであれば、
あの時の数ヶ月分の「コーヒーとスコーン」の代金を 20 年越しの利子付きで支払い、
こう言って、お礼をしたい。
「あの時の、あなたのご親切がなかったら、私、ここまで来れてませんでした」って。
今日は、9月11日。
20 年前の今日、米国各地では信じられない大惨事が起き、多くの方々が犠牲となり、悲しみと憎しみが渦巻き、その結果、戦争にまで突入したけど、
同じ時期に、ロンドンの片隅では、こんなにも心あり、名も知らぬ人を(こっそりと)助けていた人もいたんだよ、という事実を広めたく、
私自身、これまで、ほとんどの人に語ってこなかったこの話を、今日は書いてみた。
では、また。
私が英国へ移り住むきっかけとなった、ロンドン大学薬学校大学院時代の話や、当時住んでいた国際学生寮で「9.11」を知った時の模様は、過去のこれらのエントリ(⬇︎)にも記しています。
私がロンドン大学薬学校の学生だった頃、近所にあるこの大英図書館は、大半のコースメイトたちにとっての「お籠り勉強部屋」でした。その一人の日本人の友人 A さんは、卒業後もこの図書館に通い続け、独学で英国薬剤師の免許を取得した人(リンク下⬇︎)。日英薬剤師のパイオニアとしてのその偉業に、心から尊敬しています。