今年1月から大学院で履修していた「処方薬剤師免許取得コース」が一段落ついたので、先日、これ(⬇︎)を観てきた。
英国ロイヤルバレエ団の今秋の演目「マイヤリング (Myerling) 」。
現所属ダンサーたちの中でも抜群のパートナーシップと言われる「スティーヴン・マクレー (Steven McRae) &サラ・ラム (Sarah Lamb) 」さん出演の回のチケットを購入した。日本人プリンシパルダンサー平野亮一さん(写真下⬇︎)が主演の回にするか、とても迷ったのだけど。。。
「マイヤリング」は、19世紀末オーストリア・ハンガリー帝国ハプスブルク家の皇太子ルドルフの情事心中事件(暗殺説もある)の実話を描いた作品。
暴力的かつ性的描写のシーンが多いため、14歳以下の者は入場不可、というバレエ作品の中でも珍しい演目(→ご興味があれば、YouTube でも過去の公演のハイライトを観ることができます)。
でね、この作品、医療にまつわる興味深いエピソードがいくつか含まれていたの。
という訳で、今回のエントリでは、このバレエを観て考えたことを、色々と綴ってみることにします。
今年1月に、英国ロイヤルバレエ団の公演を初めて観た時の記録は、こちら(⬇︎)をどうぞ
この作品、古今東西のバレエ演目の中では珍しく、皇太子ルドルフを演じる男性ダンサーが主役。彼がその短い生涯の中で関わった数々の女性(=バレエ団内の女性トップダンサーたちへ配役)と入れ替わり立ち替わり踊り、人生の破滅に至るまでが描かれる。政略結婚をさせられた皇太子妃とか、婚礼の披露宴中にその花嫁の姉と関係を持つとか、冷淡な母親(皇后)、街の酒場の娼婦たちとその中の一人のお気に入りの妾、そして、かつての愛人との再会と、その元愛人の姪であり、死の道連れにするティーンエイジャーとの最期。。。いやはや、人間の心理のダークサイド溢れる物語。
実際の皇太子ルドルフは、そんな奔放な生活から性病(梅毒とも淋病とも)に罹り、恐らく梅毒から来る精神障害で、陰鬱な性格に拍車がかかったと言われている。性病をうつされた性格不一致の妃は不妊症になってしまった。
梅毒も淋病も、現代なら、抗生物質(写真下⬇︎)で根治できる感染症。
抗生物質の威力というものを思い知らされる物語でもある。
それからこのバレエの最終章で、皇太子ルドルフが心中を遂げる前に、自分の身体にモルヒネの注射を打つシーンもあった。
「何で、モルヒネ。。。?」と呟くと、隣の席で観ていた私のパートナーはすかさず;
「高ぶった神経を鎮めるためだ。現実(=自ら命を断つということ)に直面し、恐れが出て、本当は耐えられなかったのだろう」と。
なるほどね。。。。19世紀末のモルヒネって、まだ化学合成が行われておらず、アヘン(芥子の実)から抽出されていたはず。確かにその頃のアヘンって、この世の憂さを晴らすものとしての「嗜好品」として使用されており、徐々に多くの人々の精神を破壊していき、その流通を巡って中国では戦争(=アヘン戦争)も起こり、英国が当時の世界覇者となったきっかけの一つにもなったんだよねえ。。。といった高校の世界史の授業で習ったことを思い出した。
で、そもそもモルヒネ(アヘン)って、いつ頃から使われていたの? と疑問に思い、調べてみたら。。。何と紀元前だった。
人類最古の薬の一つだったんだ。
こちら(写真上⬆︎ )私が、英語で書かれた薬学の教科書として初めて購入した本(東京・新宿新南口の紀伊國屋書店の洋書階で、20年以上前に買った。今なお、ロンドンの自宅の本棚に置いてあります)と、現在購入できる最新改訂版(リンク下⬇︎)です
ところで、この「マイヤリング」は、英国ロイヤルバレエ団のオリジナル代表作品。でもなぜ今回、再演されているのだろうと不思議に思っていたら、なんと、この作品を創った振付師の没後30年を記念しての特別公演だったそう。ケネス・マクミラン卿 (Sir Kenneth MacMillan) という方で、晩年の大作の一つに、ロイヤルバレエ団の付属学校を卒業したばかりであった10代の熊川哲也さんを大抜擢した人としても知られている。
そして、この振付師の名が不滅となったのが、30年前の今日 (1992年10月29日)。
ロンドンのロイヤルオペラハウスで、この自作「マイヤリング」が上演されていたそのまさに本番中に、舞台のバックステージで心筋梗塞により即死し、生涯を終えた人だったのです。亡くなる数年前に最初の心臓発作を起こし、自分の残された時間の有限を悟り、それ以来、取り憑かれたように、新しい作品を次々と世に送り出していた人だったらしい。
まさに命懸けで仕事をしていた人だったのでしょう。
過去に「ブループラーク」登録がされている家のいくつかを訪れた時の記録は、これら(⬇︎)のエントリもどうぞ
で、それを知り、私自身、現在使われている心臓発作・狭心症を予防する薬って、いつぐらいに開発されたものなのかなー? と興味を持ち調べてみたのだけど;
なんと大半が、1980年代後半から90年代前半にかけての開発だった。
例えば:
スタチン:80年代後半から世界的に発売。シンバスタチンは1992年頃から
クロピドグレル:1998年から英国内で使用開始
ランソプラゾール (クロピドグレルと併用する胃腸保護薬):1992年 → 英国では今や OTC 薬ですが、私が日本で薬剤師として働き始めた頃、日本開発「タケプロン」は、保険点数の関係上、使用期間にとても厳しい規制がかかっていた薬であったこと、よーく覚えています。
ラミプリル:1980年代後半から世界的に使用開始(→英国内のACE 阻害薬で最も頻用されているものですが、日本では未発売だそうですね。びっくり)
アムロジピン:1980年代後半に開発され、世界的な使用開始は1990年代前半
ビソプロロール:日本の田辺製薬が開発した薬であったことを、今回初めて知りました。英国では1990年代前半から医療現場で使われ始め、今なお、第一選択 β 遮断薬です。
ちなみに「ビソプロロール」は、英国では「バイソプロロール」と発音しています。以前、日本語と英語で発音の違う薬剤名について書いたエントリは、こちら(⬇︎)からどうぞ。
それより何より、今日の臨床薬学の土台となっている「エビデンスド・ベースド・メディシン (EBM) 」の始まりが 1992年(リンク下⬇︎)。
これらの薬の開発や発売がもう少し早かったら、マクミラン卿は、この世にもっとバレエ作品を送り出していた人だったのではと思う。
命懸けの仕事って言えばね、「マイヤリング」は、今日のバレエ作品の中でも、ダンサーたちにとって超絶技を要する演目だとのこと。そのためリハーサル中に怪我人が続出し、キャスト変更が(ほぼ必ず)行われるという悪名高き作品としても知られている。
今回、私が観た回の主演であったスティーヴン・マクレーさんは、私自身、近年、バレエに興味を持ちだす前から、名前だけは知っていた。私生活の様子が、英国内の写真雑誌に華やかに掲載されたり、メディアにちょくちょく出ているので、ぼんやりと「自分を商品にして魅せることが上手にできる人なのだな」と。
そんな中、数年前、再起不能なほどの怪我をし、そこから地道にリハビリをし、再び舞台に返り咲く様子や、バレエダンサーとしての本職の傍ら大学院へ行き、修士号を取ったということも知った。不屈の精神を持つ、人間味ある方の踊りを、今回、是非、生で見てみたいと思った。
相手役であり準主役のサラ・ラムさん(→舞台の最期に、皇太子と心中するティーンエイジャーの男爵令嬢役)は、現在42歳ということで、年齢的にもこの演目での公演は、もう未来永劫、観られないのでは? ということが頭をよぎり、これが今回のチケット購入の決め手となった。
んが!
サラさん、ほんと〜〜〜に素晴らしかったです。役柄になりきっているということはもちろんなのですが、どんな素人が見ても「この人は『全く別格』のバレリーナ」というオーラのある踊りでした。百花繚乱のように踊る他の女性プリンシパルダンサーたちの中でも、頂点の頂点を極めている方であることが一目瞭然でした。
私が観た回では、本番中、サラさんの身体が何度も空中回転し振り回されるような激しい踊りの最中に、彼女の片足が、小道具として使われていた椅子に、ものすごい衝撃で激突(→意図したものだったのか、アクシデントだったのか不明)。文字通り、体当たりなシーンに、ダンサーたちにとっても命懸けの仕事であることを目の当たりにした、このバレエ作品。。。。
突然、話が変わりますが、私、目下、職場の病院で「感染症専門プリンシパル薬剤師代理」をしている。上司が、数ヶ月前に転職してしまったのでね。
で、私、ここ最近「頂点を極める人」としての重圧や、それに対する自己暗疑に、日々、精神的に苛まれている。
でも今回、この「マイヤリング」を観て、サラ・ラムさんの大ファンになり、彼女のインタビュー動画の一つを後日見ていたら、こんなことを言っていた。
「英国ロイヤルバレエ団プリンシパルダンサー、そしてその中でも最高峰の人と讃えられるのは本当に光栄なこと。でも、それで安堵したことは未だ一度もない。長年続けていればいるほど、観客の皆様の期待値も上がっていく。私自身が、自分の踊り(パフォーマンス・仕事)への最も辛辣な批評者でいるようにしている」と。
心に刺さる言葉だったので、思わずメモした。
では、また。
<おまけ>