日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

私の英国かかりつけ医登録遍歴(上)

 

今年9月ー10月にかけて、大病をした。

これまでにないほどの長期病気欠勤をしたのにも関わらず、かかりつけ医の予約は全く取れず、その代わりに薬剤師の電話診察を受け(一応)回復した。

その闘病記の詳細は、これらのエントリ(⬇︎)をどうぞ。

 

この一件から、これまでの自身の「かかりつけ医」受診の記憶を、色々と辿ってみた。

そして、英国で 20 年以上暮らす間に、かかりつけ医院の機能、運営と規模、医師たちの気質、診察やサービスも、時代の流れと共に随分と変化してきてたことを、しみじみと実感した。

 

今回と次回のエントリでは、そんな英国かかりつけ医についての考察を、綴ってみたい。

現在、日本でも「かかりつけ医制度」の導入が整備されつつあるとのこと。極めて個人的なエピソードの数々ではありますが、英国の事例として、何らかの参考になるのではと。

ちなみに英国では、ほぼ全ての国民がかかりつけ医に登録しています。病院の専門医(=2次医療)の受診が必要な場合、かかりつけ医(=1次医療)から近隣の病院を紹介されるという仕組みになっており、最初から病院を受診することができないからです。そんな英国の医療制度についての簡単な説明は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ

 

1)ロンドン大学医療センター (2000年9月 - 2004年3月)

ここが英国に移り住んで、一番最初に登録したかかりつけ医だった。

大学院のコースが始まってすぐに、風邪を引いてしまった。当時、英国の医療システムについて全く未知であった私は、入学したばかりであった大学院の教務課に駆け込み、助けを求めた。そして、そこのスタッフに勧められるまま、大学から最寄りの医院の医師の一人にかかりつけ医登録したという成り行きだった。

このかかりつけ医院のことは、過去にこちら(⬇︎)のエントリでも書いています。

英国ジョージア朝時代に建てられた一般家屋を改造した医院で、一階が受付で、半地下が待合室と診察室になっていた。

待合室で診察の順番を待っていると、壁に、

「抗生物質は、風邪には効かない」

と書かれた巨大ポスターが貼られているのが目に入った。英国では滅多に抗生物質は処方されないのだということを、そこで(初めて)知った。そのお陰で、私もこれまでの 20 余年の英国生活で、抗生物質を服用したのは、たったの2回のみだ。

当時の英国は、カルテとかも電子化されておらず、医師が診察の要約をハガキのようなカードに手書きで2−3行書き込み、それを患者さん一人一人の専用の小さな茶封筒に医療記録として保管しているという『超』アナログなやり方だった。

このかかりつけ医院の患者は、原則「ロンドン大学の学生、かつ、その近くの学生寮に住んでいる外国人留学生」(=まさに当時の私のような人)しか登録していないようだった。普通の市井の人が住むようなエリアではなかったから。

こういう留学生相手のかかりつけ医院では、患者は(ほぼ)苦情を言わない。英国の医療がどんなことすら分かっていない人ばかりだし、基本、健康で元気いっぱいの若者が多いし、学業が終わればすぐ自国へ帰国するか、家賃の割安なエリアへ引っ越してしまうから。でも内部事情を知る人たちの間では、ここは当時、ロンドン市内の中でも飛び抜けて評判の悪い医院だったとのこと。私が登録したかかりつけ医も、上流階級の英語を話す容姿端正な英国人であったが、仕事に対する熱意がないのが一目瞭然だった。

ちなみにこの 20 年で、英国内で医師を志す者の層は激変した。現在は、親の代で、主に旧英国連邦諸国から英国に移住した子息たちの典型的な職業となっている。それから、他の国で医師免許を取得した後、英国にやってきて免許を変換し働いている人も多い。言い換えれば、私が英国で初めて登録したかかりつけ医のような、貴族然とした英国人医師は、ほぼ見当たらない(少なくても、ロンドンでは)。

それからこれは余談であるが、私が英国に移り住んで最初に登録したこのかかりつけ医院は、なんと、ハリウッド映画「アイズ・ワイド・シャット」(リンク下⬇︎)の撮影に実際に使われた場所であったとのこと。トム・クルーズが演じた医師役の開業クリニックという設定で。

ほんの数秒の映像シーンであるが「そうそう。私が英国で初めて登録したかかりつけ医院って、こんな感じの内装だったんだよね。。。」と、当時の様子が思い出され、懐かしく観た。

 

2)幽霊登録患者であった、貧困地区のかかりつけ医院(2004年3月 - 7月)

ロンドン大学薬学校の大学院を卒業した後、私は、ロンドン市内の国営医療 (NHS) 病院にファーマシーテクニシャンとして就職した。

働き始めて2ヶ月ほど経った真冬の時期、ひどいインフルエンザに罹った。当時、医薬品倉庫で、ベテランのスタッフが誰もやりたがらない「ワクチン製剤の供給業務」を押し付けられ、来る日も来る日も、医療冷蔵庫の中で凍えながら働いていたから。

あまりの高熱でフラフラとなり、ロンドン大学薬学校在籍中に登録したあの医院へ診察希望の電話を入れると「大学院は卒業してしまったんでしょ? 他のエリアに引っ越してしまったのであれば、ここではもう診れません」とのすげない返答だった。

この会話から私は、英国のかかりつけ医というのは、各人の在住区域により管轄が異なり、エリアをまたいで引越しをすると、新たなかかりつけ医に登録することが必要なのだということを学んだのだった。

結局、その時のインフルエンザは、丸一週間自宅で寝て、自力で治した。

その頃から「英国のかかりつけ医は、何もしてくれない」ということを達観しつつあった。

 

でも、そのインフルエンザから回復すると、早速、近所の「かかりつけ医」を探し始めた。やはり万が一の時、英国でかかりつけ医の登録は命綱となるから。

現在は、インターネットの発達と共に、英国中のどのかかりつけ医院も、その評価レビューを誰もが閲覧できるようになっている。その情報を基に、かかりつけ医を選ぶ人が大多数であろう。でも、その当時はそんな情報源はなく、かかりつけ医探しは、友人・知人からの口コミが主流であった。

で、私はその頃、ロンドン中心部からやや南東に位置するエリアのシェアハウスに住んでいた。ということで、そこの住人仲間たちに「どこのかかりつけ医に登録している?」と聞き廻り、目ぼしい医院を2−3軒当たった。でもなんとその全ての医院から「現在、新規患者の登録は受付ていません」と断られた。

英国のかかりつけ医の給料は、よく「人頭払い」と表現されている。医療が国営事業として運営されており、国が原則、各医院での最大登録患者の上限を定めている。そして、その登録患者数に合わせて定額の給与が支払われるという「サラリーマン医師」なのだ。日本の開業医のように「患者を多く診れば診るほど、自分の儲けになる」のとは真逆の報酬システム。だから、英国のかかりつけ医は、自分の医院の登録患者が最大定員に達すると(余計な仕事はしたくないと言わんばかりに)新しい患者は受け付けない。登録していた患者さんが他のエリアに引っ越したり、亡くなられたりすると欠員募集があるけど、評判の良い名医ほど、新規の患者は登録できないというのが現実であった。

だから私は結局、そのエリアで「最も人気のない(→だから、常に新規患者を募集している)医院」に登録せざるを得なくなった(写真下⬇︎)。そこは「タワーブリッジ」という、ロンドンの一大観光名所から徒歩2−3分の場所に所在していたが、一歩裏道に入ると、低所得者や生活保護受給者が密集して住む地域であった。

今回、かつて数ヶ月だけ登録していたこのかかりつけ医院を、 20 年ぶりに訪れてみました。周辺は相変わらず物乞いやホームレスが多く、切なかったです。。。

「ロンドン・タワーブリッジ」については、これら(⬇︎)のエントリもどうぞ。私は、英国に移住した最初の2ー3年はこの付近に住んでいたため、今なお、とても思い入れのあるエリアです。

でもね、全く気乗りしないで登録したこのかかりつけ医院には、想像だにしないオチが待っていた。

私がこの医院の登録を完了したなんとその翌週に、その当時住んでいたシェアハウスの閉鎖が、突然、通告されたのだ。

だから、ここのかかりつけ医、私自身、せっかく登録したのに、一度も受診することなく「幽霊患者」のごとく除名した医院だったのよ(苦笑)。

 

3)ユダヤ系名医かかりつけ医院 (2004年7月ー2014年1月)

そんな訳で、それまで住んでいたシェアハウスが閉鎖された後、私は、ファーマシーテクニシャンとして働き始めた病院のスタッフが数多く住む公務員寮へと引っ越した。そこは、ロンドンのど真ん中のウェストミンスター区と呼ばれる、英国の公官庁が集結している地区にあった。東京で言えば、千代田区のような場所。政府のお膝元ということで、医療や福祉も全国の模範となるよう非常に力が入れられており、とても住みやすいエリアだった。

ロンドンに移り住んで以来、3度目の引越しであったため「英国で、新しい場所に移り住んだら、まずやるべきことは、かかりつけ医への登録だ!」ということも、過去の数々の痛い経験から体得していた。

引っ越した翌日、新しい住処のトイレの窓からふと外を見ると、道の真向かいに「かかりつけ医院」が所在していることに気づいた。

ピンときて、早速その足で、そこのかかりつけ医院に飛び入った。

受付の人に、

「新しく引っ越してきた者です。ここに登録できますか?」と尋ねると、

「できますよ」と。

その場で即、このかかりつけ医院に新規患者登録をした(写真下⬇︎)。

引っ越してきたばかりの公務員寮から目と鼻の先のかりつけ医院に登録することができた

で、このかかりつけ医院が、大当たりだった。

このエリアで超人気の医院で、登録患者は常に満員。だから、ちょうど欠員が出ていた時に飛び入って登録できた私は、あり得ないほどの幸運を手にしたのだった。

ここは、ユダヤ系英国人医師が、たった一人で運営している医院だった。ロンドンに住むユダヤ人コミュニティーの中で、知らぬ人がいないと言ってもいいほど名の知れた年配の女医さんだった。

親しみやすい笑顔で、患者の訴えを親身に聞きつつも、診察自体は極めて論理的で「あなたの現在の症状の場合、治療の選択肢は3つあるわね。1つ目は。。。、2つ目は。。。、3つ目は。。。で、どうしましょうか?」と言った具合に、患者の意思を非常に尊重する姿勢だった。私はこの先生の仕事ぶりを拝見しながら「人生の難題を理路整然と自分の頭で考え、分析し、解決に向けた明確な作戦を立てる」という、人生の大切なスキルさえ学んだ気がする。

ちなみに私は 30 代の頃、婦人科系のトラブルが色々とあった。先生も同じ世代の時、同じような症状があったとのことで、我が事のように心配してくれた。そんな時、ああ、この先生がかかりつけ医で本当によかったと、毎度思ったものだ。

そして一番感謝したのは 2005 年2月。夜中に原因不明の呼吸困難になり、救急車で近隣の大学病院に搬送された時のこと。この時、生まれて初めて、救急車に乗った。ああ、私、ここで命を落とすな、今が、人生最後の瞬間なんだな。。。と、本当に死を覚悟した。

でも、緊急医療室に着いた途端に症状は収まってしまい、若い研修医にあっさりと「仕事のストレスによるパニック障害でしょう」と言われ、今すぐ出ていってと言わんばかりに、退院させられた。T シャツ一枚で救急車に乗せられたため、靴も履いておらず、自宅へ帰るお金も持っていない状態で、厳寒の冬の真夜中に、病院から追い出された形となった。

でも、ほうほうのていで自宅へ戻った途端に、一晩中下痢と嘔吐を繰り返した。翌日、這うようにこの医院を訪れ、このかかりつけ医の診察を「緊急患者」として仰いだ。

私の体調不良の経緯を、じっくりと聞いたこの先生は、静かに話し始めた;

「昨日、チャイナタウンで食事をしたって言ったわよね? 多分、食中毒ね。。。。あれ(=ロンドン中心街の中華料理)、体調が悪い時は、絶対に食べてはダメ。きちんとした衛生管理ができていないレストランが多いから」

と。

ロンドンで長年暮らしてきた人だけが知り得る「生きる知恵」を(こそっと)教えてくれたのだった。

このかかりつけ医院の唯一の欠点と言えば、金曜日の午後は休診であったこと(先生が、ユダヤ教の安息日を厳守していたため)だけだった。

 

ただし、この頃(2000年代中盤)から、英国では、かかりつけ医の近代化の大きなムーブメントが起きていた。

医学の進歩、高度・専門化と共に、この私のかかりつけ医のような「赤ひげ先生」さながらの「なんでも診れる医師が一人で運営するかかりつけ医院」というのは、時代遅れのサービスとなりつつあった。政府の医療政策の元、異なる専門性を持つかかりつけ医たちが複数人で連合して開院する「かかりつけ医総合医療センター」という形態が台頭してきたのだ。

でも私はこのユダヤ系英国人のかかりつけ医が大好きで、大きな信頼を寄せていた。この先生がこの医院にいる限り、私は健康上で何も心配することはない。だから、ずっとこのエリアで暮らしていきたい。だから、英国中どこにも引っ越したくない、とまで考えるようになっていた。

 

でも結局、このかかりつけ医とは、お別れしなければならなくなった。英国の薬剤師として就職できた最初の勤務先の病院がロンドン郊外であったため、私自身、そこに転居せざるを得なくなってしまい。

ちなみにこの先生、数年前、定年を迎えたようで、現在は、かかりつけ医をリタイヤされている。

彼女がかつて運営していた医院のレビューサイトを覗いてみたら、代が変わったせいか、目も当てれぬほどガタ落ちの評価になっていた。

やはり、彼女の人柄と手腕で、人気の高かった場所だったのだ。

 

英国で、理想のかかりつけ医に登録できるのは、奇跡に等しい。

 

次回は、この「名かかりつけ医」を去った後の、私のかかりつけ医登録遍歴についてです。

 

では、また。