このエントリは、シリーズ化で、前回の話はこちら(⬇︎)になっています。
ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、
ここ一番である、西ロンドンの聖チャールズ病院への就職面接試験を翌日に控えた日も、絶え間ない咳と発熱が続いていた。
身体がだるく、椅子に座っているのさえつらかった。面接の最終練習どころではなくなった。
どうか、せめて熱だけは下がり、面接試験に出かけられるだけの体力にして下さいと神に祈るしか術(すべ)がなかった。
でも、ベッドに横になっても、緊張で、意識が(中途半端に)覚醒していた。
「こんな質問が来たら、こう答えよう」とか、繰り返し繰り返し練習した、定番質問への回答のセリフが、頭の中でぐるぐると周り、頭も身体も(全く)休めなかった。
翌朝、熟睡ができなかった疲労からくる朦朧とした頭を抱え、でもかろうじて立ち上がれたため、最低限の準備をし、体調絶不良の中、自宅を出た。
私って、つくづく、運が悪いな。
一番可能性のありそうな就職面接試験日に、今まで引いたことのないようなひどい風邪。これじゃあ、もう無理だよ。
私って、いつも「ここぞ」って時に、しくじるんだよね。。。。
なんて、うらめしく思いながら。
しかし、であった。
地下鉄を乗り継ぎ、病院の最寄駅に着く直前に、その電車が地上に出た時のことだった。
電車の窓越しに空を見たら、なぜか、今までのジタバタがうそだったかのように、気持ちがすっきりしてきたのだ。服用していた風邪薬のお陰で、熱もかろうじて下がってきていたのだろう。
「もう、やるしかない」
と、覚悟した。
病院へ着き、面接試験に指定された場所へ行くと、その日最初の候補者であることが分かった。
英国の国営医療サービス (NHS) の就職面接試験では、大抵(暗黙の了解で)最も可能性のある候補者から順に面接を行なっていく(遠方から来る人は、交通手段の都合で後半の時間に割り当てるといった例外もあるが)。
私は、それまで、このいわゆる「ポールポジション」になったことが、一度もなかった。
今日は、かなり「脈」がある、と直感した。
最初に、英語の綴りと計算問題のテストが行われ、2人の面接官がやってきた。 一人は英国人の薬局長、もう一人は、インド系のテクニシャン長であった。
この時の英語の綴りのテストの詳細は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)からどうぞ
そして、この2人の面接官からの最初の会話が;
「ウチに最近、M って言う日本人薬剤師がファーマシーテクニシャンとして入局したのだけど、あなたは、ひょっとして、M の友達?」
であった。
「はい。ロンドン大学薬学校国際臨床薬学修士コースでの同級生でした」
と答えた。
薬局長さんは、とても感心した様子で、
「M は、よく働いてくれている。同じ大学院卒業の、しかも同じく日本人とあらば、この仕事は、あなたにとっても、ちょろいはずだわ」と。
その言い方に嫌味がなく、とても温かみを感じた。
ああ、今日、ここで頑張れば、英国で就職できるな、と確信した。
M さんをはじめとする、私と同時期に英国国営医療サービス (NHS) への就職活動をした、日本人薬剤師の3人の友人たちについては、過去のエントリのこちら(⬇︎)からどうぞ
私が卒業した、ロンドン大学薬学校国際臨床薬学修士コースについての詳細は、過去のエントリのこちら(⬇︎)からどうぞ
そして、面接試験が始まった。
「どうして、今回応募したのか」「ファーマシーテクニシャンに必要な素質や能力は何か」「業務マニュアルを書いたことがあるか」「チームで働いた経験と、自分がリーダーになった仕事の例、それから、遂行したことのあるプロジェクトの詳細を教えて」「ウチの病院は、同系列の離れの小病院があり、ファーマシーテクニシャンとしてたった一人で働くローテーション業務になっている。その担当の同僚が突然病欠した。代理として、これから今すぐその病院へ『行け』と言われたら、どんなことを準備して向かうべきか?」「『機会平等』について、あなたの見解を述べて」「上司とのミーティングが5分後に予定されており、急ぎの取り扱いの難しい小児外来処方せんが入り、薬局窓口には製薬企業の MR さんが立っている。どれを最優先にすべきか」「今日の面接試験には、あなたの他にもたくさんの候補者を呼んでいる。その中で、なぜ、あなたが任命されるべきなのかを述べて」
といった、ほぼ「定番」と言える質問が相次いで聞かれた。
それまで、英国の国営医療サービス (NHS) の就職面接試験を数え切れないほど受けてきて、これらの質問に対し、私なりの模範回答ができあがっていた。その上で「自分が言いたい答え」ではなく「相手が聞きたいであろう答え」を言うことに徹底した。
英国の就職面接試験で必ずといっていいほど聞かれる「機会平等」の質問については、過去のエントリのこちら(⬇︎)からどうぞ
それから、この病院では、面接試験の中盤に、処方せんのサンプルを渡され、その読み取りと解釈の試験もあった。
その解答として;
小児の処方せんなので、調剤料金は徴収しない
処方せんの受け取り時は、簡単な薬歴をチェックし、アレルギー歴も確認する
処方せん上には、ペニシリンアレルギーの患者さんと記載されているのに、それが含まれた物質が混合剤が処方されている(写真下⬇︎)。そのアレルギー反応の度合いにより、薬の変更が必要となる
小児の薬の処方にしては、量が多い
医師へ問い合わせる際は、院内ガイドラインに沿った抗生物質を推奨する
濃度計算に注意して調剤ラベルを作成する
溶解した後の薬剤は、使用期限や、冷蔵保存のステッカーを貼る
投薬時には、計量スプーンや、経口シリンジを忘れずに渡す(写真下⬇︎)
といったことを、矢継ぎ早に答えた。
「やっぱり、薬剤師ねえ」と感嘆して下さった。
その時は知る由もなかったけど、英国で、薬剤師とファーマシーテクニシャンは、似て非なるもの。そのレベルには、実は、雲泥の差があるのだ。
引き続き、自分を「最高の商品」として、面接官たちへ売りに売り続けたが、あまりに白熱したセールストークを繰り広げたため、試験時間の半ばを過ぎると、喉がカラカラに乾いていった。
面接が行われていたテーブルの上に、水が用意されていた。今までで、初めてのことだった。
我慢できず、
「あの。。。。 こちら頂いていいですか?」と聞いた。
「どうぞ、ご遠慮なく」と言われた途端、その水を飲みだすと、止まらなくなった。
ゴクゴクゴクゴク。。。ゴクゴクゴクゴク。。。。ゴクゴクゴクゴク。。。
私のあまりに勢いのいい飲みっぷりに、面接官の2人が大笑いしだした。そして、こう言われた。
「あなた、すっごくいいキャラねえ。今日、体調万全でなさそうなのに、今までの質問の受け答えは最高よ。じゃあ、あと2−3問で終わりだから、もうちょっとだけ、頑張りましょう!」と。
ああ、本当にいい人たちだな、と思った。
この病院は、ロンドンで無名と言っていいところだけど、スタッフはとっても温かい人たちだ。私のいいところばかりを見てくれている、と。
そして、約 30 分に及んだこの面接試験の最後の質問が、これであった。
「3年後(あなたは)何をしていると思います?」
答えに困る質問だった。
雇用者としては、本日の候補者である私に、できるだけ長く在籍してもらいたと思っているだろう。
でも「ずーっと、同じ仕事をしていると思います」と言えば、向上心のない人に見られるかもしれない。
「すぐにでも薬剤師になりますので、3年後には退職していると思います」と言えば、大金を積んで労働許可書を手配してまで雇う価値はない人だと判断されるだろう。
で、こう答えた。
「恐らく、キャリアの岐路点にいると思います。ファーマシーテクニシャンとして働き続けていれば、チームを先導していくような役職になっていたいです。条件が合えば、英国で薬剤師になるため、免許変換コースへ行く準備もしていると思います。その時の情勢や、チャンスを見据えて、随時、柔軟に対応していきたいです」と。
面接試験は、始終笑いに包まれ、和やかな雰囲気で終了した。
お礼を言い、面接室を出ると、次の候補者が、ドアの前の椅子に座って待っていた。
無事終了したことに安堵の胸を撫で下ろし、笑顔で出てきたため、その2番手候補者であった方の表情が凍りつき、私にきつい視線を投げかけているのが、ちらりと見えた。
つくづく、面接試験は残酷だ、と思う。
最後まで気を抜かないと、病院の敷地を出るまでは(シャン)としていた。
しかし。。。
やはり、体調は絶不調だったのだ。
病院の正門を出たとたんに緊張の糸が切れ、ふらふらとへたりこんだ。
途中、地下鉄の乗り換えに必要な階段の上り下りすらできそうに思えず、一本で帰れるバスに1時間半ほど揺られて、這うように自宅へ戻った。
そして、そのまま自室のベッドに倒れ込んだ。
そんな状態でも、頭の中ではぐるぐると、面接で聞かれた質問が次から次へと蘇った。
「ああ言えば良かったかな」
「こう答えれば良かったかも」
就職面接では、面接官との会話でのやりとりが関わってくるので、後で振り返ると、言いたくても言えなかったことが次々と思い出されてくる。だから、どんな時も「後悔」が出てくるのが常だ。
一方で、
「もうこれ以上できないほど、頑張ったパフォーマンスだったよな」とも思った。
でも、
「体調絶不良で面接を受けたから、『病弱な人』と見なされ、雇ってもらえないかも。。。」
とか、
「これで不合格だったら、どうなるんだろう。もう、どこにも受からないだろうな。。。 そうしたら、本当に、日本へ帰るしかないな」
といった不安が押し寄せた。
そのストレスでまた高熱を出し、風邪はさらに悪化し、その後は全く起き上がることができなくなった。
結局、丸1週間ほど、生きる屍のように寝込んだ。
その期間の記憶は(全く)ない。
私にとっては、まさに死力戦とも言える、就職面接試験だったのだ。
この後の話は、「英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話」のシリーズ化として、次回に続きます。
次回がこのシリーズでの最終話の予定です。
では、また。