このエントリは、前回(⬇︎)からの続きです。
なぜか不思議と縁のあった、とある同僚医師との出会いと別れを描いた実話です。
昨年11月中旬の週末明けの月曜日。
朝、いつものように、担当の急性期内科病棟(→私の勤務先の病院群内で最も忙しく危険度の高い場所。それ故、通称「地獄病棟」と呼ばれている)へ行くと、長身ゆえデスクとの高さが合わず、特徴のある猫背で働いている医師が一人いた。
その後ろ姿に、私は思わず、目を見開いた。
(あ、スティーブン先生だ! やっぱり、まだ、英国にいたんだ。でも。。。どうして、よりによって、ここに。。。?!)と。
その瞬間、思わず、病棟中に響き渡るような大声で、叫んでしまった。
「スティーブン先生!! 一体、どうしたのーーーーーっつ!!!」ってね。
その声に振り返った先生は、照れながらも笑顔で;
「やあ、マイコ、久しぶり! オーストラリア行きのビザの発行が遅れていてね。暇を弄んでいるんで、働くことにした。マイコがまだこの病棟にいてくれて、嬉しいよ。ここで働くのは、今日から3日間だけの契約なんだけど。。。」と。
これぞまさしく劇的な「再会」だった。
数年前にこの「地獄病棟」で働いていたとは言え、来ては去ってく入れ替わりの激しいスタッフの中で、スティーブン先生のことを覚えている者は、ほとんどいなかった。若い研修医たちも、いきなり現れたこのアイルランド人シニア派遣医師に、最初は懐疑的だった。
でもね、彼らは次第に、先生の医師としての能力の高さと面倒見の良さに、目を剥いていったの。
そして、病棟の医局長(→スティーブン先生が数年前に在籍した時と代が変わっていた)もその働きぶりに仰天し、契約が終わるはずであった3日目に;
「オーストラリアへ行くまで、これから毎日ここで働かない? 僕の補佐医師になってよ」と。
異例の昇格と破格の申し出だった。人材派遣会社に属している医師が医局長補佐になったのだから(時給=日本円換算 18,000 円程度)。でも、スティーブン先生の任命は、それを持ってしても余りある価値があることを、私が誰より知っていた。
結局、スティーブン先生とは、それから3ヶ月、ほぼ毎日一緒に働くことになった。
で、今回、また「ガチ」で働くことになって、新たに驚いたことがあった。
とにかく、仕事をするスピードが早い。若手研修医がやるような仕事も、自分が率先して行なっていた。そして、自分のチームの部下の研修医たちへの指示出しや、病棟へ実習にやってきた医学生たちへの訓練の提供も的確だった。
英国の医局長補佐レベルの医師たちの中には(医局長になる一歩手前ということで)自分の出世以外に興味がない人もたくさんいる。自身の業績となるプロジェクトや研究発表などで頭が一杯で、若手研修医を監督・指導しに病棟にやってくるのは、彼らの就業時間間際のみであることも多い。でも、スティーブン先生は、以前、自分も中堅研修医としてこの地獄病棟で働いていたことから「若手研修医が毎日、どんなに大変な思いをしているのか」が手に取るように分かっていたのだろう。ほぼ一日中彼らと一緒に病棟にいる、いつでも頼れる「兄貴」として、先生は、若手研修医たちから絶大な人気を誇る医師になっていった。
医局長も、その様子に安心したのか、病棟へほとんど来なくなり、毎朝の患者さんの回診は、スティーブン先生が病棟スタッフの皆を引き連れて行うようになっていった。
薬剤治療の基本や安全な処方の仕方とかは、以前私が先生に教えたことを、そのままそっくり、若手の研修医たちに伝授していた。しかも私の口調まで、すっかり真似して。。。(苦笑)。
でも私は、そこで、ハッとしたのだ。
この先生は、私が持っている知識や技術を、全て吸収していった。
でも、私は、この人から(ほぼ・何も)学んでいない。
あとどれだけの期間、一緒に働けるか分からないけど、先生がオーストラリアへ行ってしまう前に、この人の持つ知識や技術、そして何より美しいその人柄から、できるだけ多くのことを学ぶことができれば、私、今後の薬剤師人生で、天文学的なレベルで成長できるんじゃないかな。。。? と。
ということで、かつてスティーブン先生が私に対してやっていたであろうこと;
「相手を(静かに)観察し、真似し、実践し、それを応用していく」ことを、今度は、私が先生に対してやると決意したのだった。
その結果、たった数ヶ月で、本当に色々なことを学んだ。そのことに関しては、もうここでは書き切れないほどなのだけど、ほんの一部を紹介;
病棟の一日の流れを熟知しているため、やるべき仕事のベストタイミングを「決して」逃さない。だから、昼食を慌ただしく取るのは決まって午後3ー4時頃。超人的働きぶり。
本当の意味で、マルチタスクをしている。病棟にかかってくる電話を誰よりも早く取り(→これ、本来は、病棟受付の仕事なんだけど。。。笑)、病院中のありとあらゆる部署からの問い合わせに対処しながらも、同時にコンピューター画面に向かい、患者さんの翌日の血液検査のオーダー用紙を印字していたり、退院薬の処方箋を発行していたりとか。そういった秒刻みのスケジュールと言っても過言ではないほど多忙を極める働きぶりでも、周りの者に忙しい素振りを見せず、エラーをほとんど起こさない人だった。
他のチームの医師たちが担当している、自分が熟知していない患者さんのご家族からの問い合わせとかでも、カルテにパッと目を通しただけで瞬時に病状を把握し、親切に対応していた。ちなみに、これ、英国人の医師はほぼ「私の担当患者ではありませんので」と言い、突っぱねる。
先生自身のカルテの記録が、他の医師たちに比べて抜群に明瞭で分かりやすかった。私は、先生が記載した内容を毎日逐一チェックし、実践的な診断法や治療方針(=すなわち先生の医師としての思考回路)や、はたまた患者さんやご家族との話し合いの際の言葉選び(=コミュニケーションスキル)などを、頭に染み込ませるように学んでいった。
耳がもの凄く良かった。10メートルぐらい先の、ベッドの周りがカーテンで覆われている患者さんの息遣いとかも聞き取れていたみたい。それである瞬間、とある患者さんの異変に気づき、真っ先に駆けつけ、蘇生処置を始めていたのには、病棟中のスタッフが仰天した。
医局長補佐として、責任感も一層強くなったのだろう。若手医師がやり残した・見落としたかもしれない仕事の片付けをするため、次第に夜遅くまで、病棟に居残るようになっていった。残業をする時、先生と私はよく隣合わせのデスクを使用した。私は、そこでの先生とのちょっとした雑談から、いろいろな医学知識や技術を教えてもらったりもした。
ある時、身寄りなく身動きが取れないおばあさんが緊急で入院し、しかも入れ歯の接着剤を持って来なかったため、口をフガフガさせ、うまく話せないでいた。自分のチームの患者さんでないのにもかかわらず、スティーブン先生はそれに目ざとく気づき、
「マイコ、入れ歯の装着剤って、薬局に在庫していないの?」と。
「在庫していないんですよね。。。もしかしたら、病院内の売店にあるかもしれませんが」
と答えると、早速、
「ボク、買ってくる。ちょうど残業のお供に、チョコレート欲しいなと思っていたし」と言いつつ、階下の売店(写真下⬇︎)へ飛んで行った。そして自分のポケットマネーで購入した入れ歯装着剤を、その患者さんのベッドサイドに、そっと置いてあげていた。
病棟の看護師さんたちは、その光景に、皆、感動して涙した。私もその瞬間(とき)だ;
「あ、この人、将来、絶対に、世界一の医師になる」
と確信したのは。
私の臨床薬剤師としての腕を、相変わらず評価してくれていた。そのエピソードの一つを紹介。
一度、スティーブン先生が、水腎症の患者さんに、利尿剤を(少々)やりすぎてしまったようで、急性腎不全からなかなか回復しない患者さんがいた。やりすぎたと言っても、利尿剤の効果は個人差があり、他の既往症との兼ね合いや、患者さん個々の治癒力などから、治療の適量が予測不可能な面もある。これは、実際の医療現場ではよくあることだ。
でもこの患者さん、それから色々な手を尽くしても、腎不全は一向に回復せず、徐々に悪化を辿っていき、ついには末期段階までになった。医療チームの皆が「この患者さん、助からないかも。。。」と思い始めた時;
私は、この患者さんが服用している薬(=ポリファーマシー)を一つ一つじっくり検証していった。終業後の残業時間中に、この患者さんの過去の分厚いカルテも時間をかけて洗いざらしに見直し、あれ? と(→私、自分自身の勉強も兼ね、大方のスタッフが帰宅してしまった後のリラックスした雰囲気の病棟内で行うこういった仕事が大好き❤️)。
そういえばこの患者さん、メサラジンを服用している。しかも 20 年来の潰瘍性大腸炎の既往歴で、現在は寛解期だ。
メサラジンって、確か、結晶尿の副作用があったよね。もしかして、それで、急性腎不全が憎悪しているんじゃないかな。。。? ってね。
早速、隣のデスクで仕事をしていたスティーブン先生に「メサラジンを(一時的に)中止し、それでもし潰瘍性大腸炎が悪化した場合、水腎症の治療としてすでに服用しているステロイドの量を増やして対応しましょう」と推奨した。すると、この患者さんの腎不全、それから数日のうちにみるみる回復したのだ。
後日、この患者さんが退院していった時、スティーブン先生は私に;
「キミが、あの患者さんの命を救ったんだよ。You are an amazing and helpful pharmacist (素晴らしく有能な薬剤師だね). 」と。
その時以来「helpful」という語が、私の耳から離れなくなった。
アイルランド人のアルコール中毒患者(仮名:ダグラスさん)が入院してきた。同出身国のよしみということからなのか、毎日、病棟内をフラフラしながらも、よくスティーブン先生に悪態をつき絡んでいた。先生は生来の親切心から辛抱強く話を聞いてあげていたが、しょっちゅう仕事を中断させられ、次第に、困ったな。。。という表情を見せていた。
そんな中、ある日、この患者さん、ふと私へ、自分が服用している薬について質問をしてきた。私も、普段のスティーブン先生の、誰に対しても誠意に接する態度を見習い、親身に答えた。そうしたら翌日からこの患者さん、毎日、毎日、私の元にやってきた。先生は、この患者さんの「興味」が自分からマイコに移ったと(内心)大喜びだったが、私も次第に、この患者さんの度重なる対応に疲れてきた。
その様子を察した先生は、冗談混じりに、
「ねえ、マイコ。最近、ダグ(→注:本名ダグラスの愛称)と随分、仲良さそうだね。妬けるなあ。。。もしかして『今度、一緒に、ギネス(ビール)を飲みに行こう』って誘われたんじゃない? でも病棟を抜け出して、パブに行っちゃダメだよ。ダグは重度のアル中で、その治療中(注釈*⬇︎)なんだから」と。
私は赤面しつつも、2人で大笑いした。
以前は、私がシャイな先生をからかっていた。でも、いつの間にか立場が逆転し、先生が絶妙なユーモアで私をからかっていた。
(*注釈)英国の病院では、信じられないほどの数の患者さんが、アルコール中毒者として運ばれてきます。そのことについては、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ
これ以上望むべくもない、理想的な職業パートナーとも言える医師と働け、臨床薬剤師として、夢のような日々が続いていた。
この話は、次回へ続きます。
では、また。