このエントリは、前回(⬇︎)からの続きとなっています。
いきなり唐突な話であるが:
私はこのブログ「日英薬剤師日記」を、細々ながらも、かれこれ6年間続けている。
そんな中、ブログを開始してすぐ、自身で気づいた、奇妙な事実がある。
というのは私、ブログを綴るのは、いつも決まって、自宅の書斎スペースの小さな机の PC。自分以外、誰もいない状態で BGM とかもかけず、黙々とタイプしている。完全に自分の(殻)に篭っているとでも言うべきなのかな。言い換えれば、例えば、おしゃれなカフェとかで、周りに色々な人がガヤガヤいる環境とかで書くとかいったことは、皆無。
そして、自分で投稿したエントリを後で読み返すと、
「あれ? これ本当に、私が書いたものなのかな。。。?」
と、自分で自分の首を傾げること、しばしば。
「誰か(=私ではない別の人。もしかしたら、もう一人の自分)」が書いた文章なんじゃないの。。。?」という不思議な感覚に陥いるのだ。
そんなことを繰り返すうちに、あ! と(突然)閃いた。
「そう言えば、ヴァージニア・ウルフも代表作の一つ『自分だけの部屋』(リンク下⬇︎)で同じようなことを言っていたなあ!」と。
そして、ヴァージニア・ウルフ自身の執筆場所=「自分だけの部屋」は、英国のイースト・サセックス州に実在していたのだ。
遠い昔の記憶が鮮やかに蘇った。1960 年代、日本人精神医学者・神谷美恵子さんも日本からはるばる訪ねた「モンクス・ハウス (Monk's House)」という名の家に間違いない! と。
そして調べてみると、その「モンクス・ハウス」は現在、ナショナル・トラストが管理しており(*注釈&リンク下⬇︎)、一般人も訪れることができるということを知ったのだった。
(*注釈)ナショナル・トラストとは、英国の歴史的建造物の管理や自然を保護している団体。以前、この団体が推奨する「散策ルート」経由で、英国の薬科大学を訪れてみた時のことについては、こちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ
以後、モンクス・ハウスが「将来、訪れてみたい場所リスト」の一つに加わった。
私は、現世でやってみたいことをいつもせっせと手帳に書き出し、日々それを実行している「人生の実験者」です。そんなリスト作りは、以前のこちらのエントリ(⬇︎)にも書いています。
でもね、この「モンクス・ハウス」、実は、ものすごくアクセスの悪い場所に所在している。
最寄りの鉄道駅からかなり距離があり、そこからその家周辺まで行けるバスなどの公共交通網もない。駅にはタクシーも常駐していない(そんなことからも、1960年代に、日本からはるばるそこを訪れた神谷美恵子さんの行動力に、改めて驚嘆せざるを得ません。。。)。
しかも、現在、一般公開している日時はごく限られている(→恐らく、その小さな村の住民のご高齢ボランティアの方々のやれる範囲で管理・運営されているため)。入館も予約制で4週間前からしかチケット購入ができない。
だから「行きたい」と思いつつも、実際には、すぐには現実化しにくい訪問地であった。
そのうち、新型コロナウイルス (COVID-19) の世界的パンデミックとなった。
英国ではその期間、「ロックダウン(国内封鎖)」もたびたび行われた。外出が規制され、日常の物資も不足し、短期間ではあったが、私自身も、戦時中の擬似体験のようなものをした。
そんな時、ふと思い起こされたのが、ヴァージニア・ウルフ夫妻のことだった。第2次世界大戦中、ロンドンの自宅を空襲で失った後、元々は彼らの別荘であった「モンクス・ハウス」に移り住んだとのことであったが、そこで一体どのような生活をしていたのだろう? と。
パンデミックが終焉したら「絶対に『モンクス・ハウス』を訪れよう」と誓った。
で、今年、ついにその訪問が叶ったの。
日帰り旅行としては難しい場所のため、有給休暇を確保し、入館チケットの入手も虎視眈々と狙い、庭園がとりわけ美しい場所との評であったため、気候の良い5月下旬に訪れた。
そして、パートナーに車を運転してもらい、ついに辿り着いたこの場所(⬇︎)。。。。
早速、入場。
母屋の居間の片隅にあった机(写真下⬇︎)
彼女の寝室であった部屋の本棚(写真下⬇︎)には、世界各国で翻訳されている彼女の著作が蔵書されていました。
でも、この家の一番の見どころは、やはり評判に違わず自宅裏の庭でした。
庭園の一角には、ヴァージニア・ウルフ夫妻の墓も
そして、この庭の一番奥に、ヴァージニア・ウルフの名作の多くが生み出された彼女専用の執筆小屋=『自分だけの部屋』がありました。
ちなみにこの日、アクセスが極めて難しい、英国の片田舎とも言えるこの場所に、世界中から多くの人々が訪れていた(写真下⬇︎)。改めて、ヴァージニア・ウルフの小説が、時代を超え、国境を超えて、人々を魅了し続けているのかを目の当たりにした次第。
この「モンクス・ハウス」を後にしたのち、私自身、どうしても行きたい場所があった。
ヴァージニア・ウルフが入水し、自ら命を絶った、「ウーズ川 (River Ouse) 」と呼ばれる近所の川へ。
彼女が辿った、人生最後の道って、どんな所だったのだろう。。。? と。
実はその川への行き方、グーグル・マップに写真表示されていない。方角としては「モンクス・ハウス」の前から続く長い一本道を歩けば辿り着くだろうと予想できたが、その途中でいくつか柵があるようで、車が通行できないエリアとなっていた。徒歩にしても、その川までどれだけ距離があるのか皆目見当がつかなかった。でも、せっかくここまで来たのに諦めたくないな。。。きっと無事たどり着けるだろう、という勘と共に、意を決して歩いてみることにした。
パートナーと共に、ひたすら歩いた。私たち以外、誰一人見かけないだだっ広い草原の一本道で、途中、唯一すれ違ったのは、辺りで放牧されている私の背丈より大きい牛の群れたちだった。どうか、襲われませんように。。。🙏 と内心、祈りながら通り過ぎた。幸い、牛たちは、見慣れぬ人間(=私たち)に興味津々で尻尾をふりふりしつつも、始終、柔和な感じであったが(ほっ。。。笑)
でも、そんなのどかな風景こそが、ヴァージニア・ウルフの人生最後の「時間」であったのだろう。
そして、30 分ほど歩き、行き止まりとなった道の先の土手を上り、突然、視界が広がり現れた「ウーズ川」(写真下⬇︎)
ああ、この場所で自害したんだな、と一目で確信した。
穏やかな流れの川なのであるが、その縁に大きな石がゴロゴロあったので。ヴァージニア・ウルフは、自分が羽織っていたコートのポケットにこれらの石をたくさん詰めて、入水していったと伝えられている。
ところで、これもよく知られていることであるが、ヴァージニア・ウルフが夫レナードに最後に書き残した手紙は「世界で最も美しい遺書」と語り継がれている。
その文中でもとりわけ有名な「私の人生の幸せは、全てあなたのお陰だった 'I owe all the happiness of my life to you'」「私たちほど幸せな2人はいなかった。'I don't think two people could have been happier than we have been'」は、私も読むたびに頬に涙が伝う箇所である(ご興味のある方は、インターネット検索し、是非、全文をご覧下さいませ)。
ちなみに極めて個人的な話となるが、私のパートナーは、英国内でも有数の難治性精神分裂症の患者さんの治療にたずさわっている。そのため、人生が破滅した人たちに、これまで数えきれないほど接してきた。だから、今回、モンクス・ハウスを一緒に訪れ、ヴァージニア・ウルフの生涯の詳細に触れ「才能に溢れながらも死に至った精神分裂症の典型的な症例だね」と絞り出すような声で呟いていた。
彼は、私に本当によくしてくれている。「ヴァージニア・ウルフが住んでいた『モンクス・ハウス』に行ってみたい!」と一言言っただけで、数時間の車の運転も厭わず、そこへ連れていってくれた。こんなのはごく一例で、私がやりたい、時に突拍子もない冒険を、いつも一緒に楽しんでくれている。
何でこれまでに、私によくしてくれているのかな。。。? と折々に訊ねているのだけど、そのたびに
「これまで出会った中で、一番面白い『患者』だからね。生涯探究すべき人だと思っている」とおどけて返答してくれている(→注:私は幸いにも精神疾患を持っていません)。
私が英国に移り住み、当初ファーマシーテクニシャンとして働いていた頃から、私自身ですら信じていなかった私の可能性を、私より信じてきてくれた人である。英国で薬剤師になった大変だった時期も始終サポートしてくれ、その後も、私がこれまで成し遂げてきたとされる全てのことを、事実2人3脚でやってきた。それはまるで、妻ヴァージニア・ウルフの作品が世間に広まるよう出版社さえ立ち上げた、夫レナードのように。
だから感謝の気持ちを込めて、私は、ヴァージニア・ウルフの最期の言葉を現在形にした「私たちほど幸せな2人はいない」というメッセージを、いつも彼に伝えている。
私たち以外誰一人いないウーズ川のほとりに座り込み(写真下⬇︎)、こんなにも美しい場所で命を絶った、英国の奇才女流作家ヴァージニア・ウルフの生涯に想いを馳せた。
まあ実際のところは、2人とも慣れぬ道を長いこと歩いてクタクタで、この川縁に腰掛けた途端に動けなくなり、ロンドンの日本食デリで買ってきていたどら焼きを分け合ってむしゃむしゃと頬張っていたのだけど(爆笑)
心身ともに健康で生きているありがたさを噛み締めた日だった。
では、また。