日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国臨床薬剤師の必読本+α

  

今からちょうど20年前の2000年5月、英国の留学に反対する母を連れて、ロンドンへ観光に来た。

そして、母に、ロンドン大学薬学校 (The School of Pharmacy, University of London) の校舎でも一緒に見てもらおうと、当日、一本の電話の後に訪れると、教務課の責任者の方が;

「今ちょうど、臨床薬学・国際薬局実務&政策のコース長、オフィスにいますよ。お会いしてみたらどうですか?」と。

それが、現在に至るまで、私が「英国薬剤師としての母」と呼ぶ、ソラヤ・ディロン (Dr Soraya Dhillon) 先生との最初の出会いだった。

私が英国へ移り住むことになった当初の目的であった「ロンドン大学薬学校臨床薬学・国際薬局実務&政策修士コース」については、過去のこちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ

 

先生のオフィスに突然通され、緊張の面持ちの中、質問の一つとして「9月からのコース開始まで、何か具体的に準備できることはありませんか?」と聞くと、以下の3冊の薬学本を紹介された。

 

➀ British National Formulary (通称、BNF) 

② Drugs in Use

➂ Applied Therapeutics: The Clinical Use of Drugs

 

「これらを入学前まで読み、慣れておくこと。指定教科書だから」と。

そして、なんと、そのうちの2冊(➀と②)は、先生の本棚にあった自分のものを、その場で貸して下さったの。

びっくりする私に、

「9月に入学した際に、返してくれればいい」と言って。

 

合格通知は受け取っていたものの、いろいろな逆境から「入学する」と、今ひとつ実感できていない時期だった。

でも、これらの本を、先生から直接手渡されたことにより;

「こんなに親切にしてくれているコース長の好意を無駄にしちゃだめだ。絶対に入学する」

と決心した。その晩、ロンドン市内のホテルの部屋で、母に、どうしてもこのロンドン大学の臨床薬学コースに留学したいと訴えた。

ディロン先生は、今でも私のことを、こう言ってからかう。「世界中の薬剤師を受け入れてきたけど、自分の不安そうな母親を私の元に連れてきて説得しようとしたのは、あなただけだった」と(笑)。

 

で、日本へ大切に持ち帰った「指定教科書2冊」;

かなり努力したにも関わらず、英国に来る前の準備としては、全く読みこなせなかった(泣)。

当時、日本の英語学校へ4年ほど通ってはいたけれど、薬学を英語で考える、ということがまったく身に付いていなかったからね。

 

そして、大学院に入学し、これらの本のレベルが「英国臨床薬剤師」としての最低ラインだと知り、自分が埋めなければならないその差の大きさに、愕然とした。

大袈裟な言い方かもしれないけれど、これらの本の内容を頭に叩き込み、その知識をさらに最新化させたものを、実際の患者さんに応用し治療することこそが、私が現在に至るまで、臨床薬剤師として踏んでいるステップであり、基盤なのだと思う。

 

で、驚くべきことにですね、

これらの本、20年後の現在でも、英国の薬剤師の間では不変の「ベストセラー」なんですよ。

私自身も、ロンドン大学薬学校での臨床薬学修士コース →海外薬剤師免許変換課程 (Overseas Pharmacists' Assessment Programme, 通称・以下 OSPAP) →プレレジ(仮免許薬剤師)研修→英国の臨床薬剤師となった今なお、これらの本を、折あるごとに読み返している。

そして、そのたびに、新しい発見がある。

 

という訳で、今回のエントリでは、これらの「英国臨床薬剤師の必読本+α 」を紹介したいと思います。個人的な経験を交えた関連情報と共に。

 

➀ British National Formulary (通称、BNF) 

英国の薬剤師たちの間で「バイブル」と呼ばれる、国家薬剤フォーミュラリー本。内容の詳細は、こちら(⬇︎)をご参照下さい;

薬剤の事典のようなものなので、実際に読み込むのには、すごく「ドライ」な本。でも英国の薬剤師免許試験は、ここにある内容を知っていることを前提とした試験になっているので、英国薬剤師全員の「必需本」と言える。

私、免許試験の準備をしていた時、この本を片時も離さずに読んでいた。そして、英国で薬剤師になってから、短期間ではあったものの、この BNF 編集部で働けたことは、今までのキャリアのうちのハイライトの一つ。

ただし、BNF は今から5−6年ほど前、 大々的な改革が行われ、それまでのベテラン編集者たちのほぼ全員が退職した。本の構成もガラリと変わり、現在の編集チームはなんと、英国での実務経験がないオーストラリアやニュージーランド薬剤師たちが大半。

だから、英国薬剤師の間でも「BNF は以前ほどの『輝き』はない」と言う人が多い。

でも、英国で認可されている全ての薬の情報が、医療標準ガイドラインの要約などと共に一冊となり、国のお墨付きで販売されているこの本の存在価値は高い。

「英国の薬学本で、たった一つを選ぶとしたら?」と聞かれたら、私は、やはりこの「BNF」であろうと答える。

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BNF 編集部オフィスは、英国王立薬学協会ロンドン本部内に所在している。この協会の図書館には、1940年代から発行され続けてきた歴代のBNF(写真上⬆︎)が所蔵されている

② Drugs in Use

1991年の初版以来、改定を重ねて出版されている、英国臨床薬学の教科書の決定版。

 「高血圧」「糖尿病」「喘息」といった疾患別の教育的症例を、その時代の最も「旬」な臨床薬剤師たちが執筆している。だから、英国内の薬剤師の「Who's Who」を知る情報源としても有用。最近では、同年代の知り合いも編集チームに選ばれるようになり、びっくり。私もそれだけ、英国で年を重ねている証拠(苦笑)。

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「Drugs in Use」の最新版。数年前、クルーズ休暇中に読む本として持っていき、フランス・ツーロンの港で撮影したもの

ロンドン大学薬学校大学院臨床薬学コースの主な課題であった「症例発表」とは、この本に掲載されているような形式で行うのが王道とされていた。だから、私自身、医療現場で使われる英語の定番的な言い回しを習得しようと、暗記するほどまで覚えこんだ章もある。

ちなみに、この本は、私がその後入学した英国南部ブライトン大学での英国海外薬剤師免許変換コース (OSPAP) の指定教科書にもなっていた。どれだけ英国の薬剤師たちの間で支持されているかの表れでもある。

 

➂ Applied Therapeutics: The Clinical Use of Drugs

こちらは、1970年代中盤から改定を重ねて発売されている、米国臨床薬学の金字塔とも言える教科書。

このエントリの冒頭に戻るが、ロンドン大学薬学校の臨床薬学コース長から「指定教科書」として紹介された3冊のうち、➀「BNF」と➁「Drugs in Use」はその場で貸して頂いたのだが、この「Applied Therapeutics」(リンク⬇︎)だけは例外だった。ものすごく高価な本だし、小さなスーツケースぐらいの大きさがある分厚いものだったから。

この本は、ロンドン大学薬学校臨床薬学コースに入学後、大学から履修生全員へ各自一冊「一年間の無償貸し出し」という配慮がなされ、使用した。現在はキンドル版もあるし、大分アクセスしやすくなったと思う。文明の利器に感謝。

ちなみに、➁「Drugs in Use」は、米国の「Applied Therapeutics」に対抗する英国版のようなものとして刊行されたものだと(個人的には)察している。中身の本質は、どちらも同じだと思う。

でも、面白いことに「Drugs in Use(英)」と「Applied Therapeutics(米)」に関しては、世界中からやってきた薬剤師のコースメイトたちの中でも、好みがはっきりと分かれていた。

私は「Drugs in Use」を徹底的に活用し、「Applied Therapeutics」は必要な箇所だけ参照した。でも、同級生だった日本人の友人は「Applied Therapeutics」の方が好みだったらしく、そのポケット版本を自費で購入し、読み込んでいたのを覚えている。

だから「Drugs in Use」(英)と「Applied Therapeutics」(米)のどちらかを購入しようと迷っている方がいらっしゃったら「自分の好きなスタイルの方」を選べばいいと思います。

ちなみに「Applied Therapeutics」の創刊者であったのは、後にカルフォニア大学サンフランシスコ薬学校の学長となった Mary Anne Koda-Kimble 先生という日系2世の臨床薬剤師。臨床薬剤師という職業とその教育のパイオニアが日本人女性だったという事実は、世界に誇るべき偉業だと思っている。

現在は退官されておられるとのことですが、私、この先生に、一度お会いしてみたいというのが、薬剤師としての、長年の目標。

 

以上、ロンドン大学薬科大学臨床薬学修士コースの「定番教科書」は、この3冊だったのだけど;

もう一つ、私の薬学愛読書をここに挙げてみたい。

 ④ Pharmacy Case Studies

私の恩師、「英国薬剤師としての母」のソラヤ・ディロン先生は、2000年代中盤にロンドン大学薬学校を去り、ロンドン北部に隣接する、自分が生まれ育ったハートフォードシャー州に薬学校を創設し、後に学長となった。

その新設ハートフォードシャー大学薬学部で、各講師たちが作成した臨床薬学症例教材をまとめたものが、こちらの「Pharmacy Case Studies」。

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「Pharmacy Case Studies」:英国ハートフォードシャー大学薬学部の臨床薬学の授業が一冊の本になったもの

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私自身、この本は、ほぼ全てのベージに、重要事項を蛍光ペンでマーカーしながら読み込みました


ディロン先生と共に、この本を共同編纂したのは、私のロンドン大学薬学校時代、英国人薬剤師ディプロマ学生として同級生であったレベッカ・レイモンドさん。選択科目の薬学教授法のクラスで一緒のグループになったり、私が王立薬学協会の BNF オフィスで働いていた時、彼女は隣の部署で別の薬学参照本の編集に携わっていたりと、「なぜか時折、縁のある」人。

私がロンドン大学薬学校時代、選択科目で履修した「薬学教授法」については、こちら(⬇︎)のエントリもどうぞ

前述の「Drugs in Use」では網羅されていないエリア、例えば「感染症」とか「小児科」といった章も含まれている。「学部生レベル」「仮免許薬剤師レベル」「新卒薬剤師レベル」といった具合に、一つの疾患でも難易度が分かれたさまざまな症例が載っているので「Drugs in Use」よりも読みやすいのが特徴。

 

もし、英国の臨床薬剤師のレベルにご興味のある方は、まず最初にこの「Pharmacy Case Studies」に触れ、分からない薬剤は「BNF」を辞書を使うように調べながら読み、その後「Drug in Use」へとステップアップするのがおすすめ。

これらの内容をマスターし、実地訓練を積めば、英国の臨床薬剤師として(能力的には)確実に働けます。

 

それから、最後に「プラスα」として、こちら。

 ⑤ The Pharmaceutical Journal (通称、PJ) 

本から得られる情報は、出版されたその日から古くなっていく。だから「Drugs in Use」にしても「Pharmacy Case Studies」にしても、現在の臨床ガイドラインには合っていない箇所も多くなってきています。

だから、薬剤師として日々、最新の知識・技術をアップデートしていくことが必要。

 

そこで、私がよくチェックしているのが、英国王立薬学協会が定期的に発行している薬学ジャーナル「The Pharmaceutical Journal」(写真下⬇︎)。

これを隅々まで読めば、臨床薬学業務のみならず「英国の薬局・薬剤師の今」が分かる決定版。

英国王立薬学会員になると、この雑誌は自宅へ送られてきますし、ウェブサイト上の会員限定の記事も無制限にアクセスできるようになります。

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「The Pharmaceutical Journal (通称、PJ) 」。英国の薬局・薬剤師向けの最新情報と卒後教育記事満載の雑誌

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「The Pharmaceutical Journal (通称 PJ )」のウェブサイト版。最近は、世相を反映し、新型コロナウイルス (COVID-19) の最新情報で埋め尽くされている

 

日本の薬学生・薬剤師さんも、英国王立薬学協会の会員になれます(=会員費の支払いが必要なだけで、ハードルの高い入会条件は設けていないはず)。雑誌の日本への郵送も行われています。英国の薬剤師事情・薬局の今にご興味のある方は、ご参考まで(リンク下⬇︎)。

 

では、また。