日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

スティーブン先生のこと(3) 私のこれからの人生の目標

このエントリは、前々回からのシリーズ(リンク⬇︎)になっています。以前から、なぜか不思議と縁のあったとある医師との、ここ数ヶ月での再会と別れを描いた実話です。

 

昨年のクリスマス休暇前最後の、スティーブン先生の出勤日のことだった。

先生は、家族のいるアイルランドでクリスマスを過ごすため、その晩の遅い便で、英国を発つ予定だった。

でも終業時間直後に、とあるがん患者さんのご家族(→娘さん。職業は婦人科専門医)が、

「父の治療がなっていない!」と逆上し怒り出した。

通常、こういった大きな苦情は、医局長が対応する。でも、その日、医局長は不在で、病院を出る寸前だったスティーブン先生を慌てて病棟に連れ戻し、対応に当たることになった。

怒鳴り声は、個室の面談室で閉ざされたドアからも聞こえてくるほどだった。その娘さんは医師ではあったが、専門性の高い婦人科の分野ゆえ、実のところ、急性内科の医療にはあまり精通していないようだった。さらには、その患者さんは、王立がんセンター病院との共同で治療を行なっていたこともあり、一連の苦情の中には、がんセンターにおける治療での不満と、この病院でのものが区別されていなかったりもした。この病棟内での治療の不適切さも指摘されたが、夜間や週末といったスティーブン先生の勤務時間外中に起きたことだった。でも先生は、その威嚇的な娘さんの苦情を辛抱強く傾聴し、解決策を図るしかなかった。そのため、なんと1時間以上、軟禁とも言える状態で、絶え間なく怒鳴られ、罵倒されていた。病棟の看護婦長さんも一緒に同席していたが、大方の説明は、先生が行っていたようだった。

その時、病棟に居残っていた私は、先生のことが、あまりに気の毒になった。もし何事もなければ、今頃、空港に向かっていたはずだったから。

そして、ふと、

(そういえば、あの面談室って、暖房が効きすぎているんだよね。今頃、先生、喉、カラカラだろうな。。。)

と。

このまま行けば、恐らく、先生が、あの面談室から出てくる頃には、病院の売店は閉店してしまっているはず。せめてもと、先生がいつも好んで飲んでいるフルーツフレーバーウォーター(写真下⬇︎)を買っておいた。

先生がいつも、患者さんや周りの人にさり気なくしているように、私も、

「何か、先生の役に立てれば 。。。」

という気持ちからだった。

 

スティーブン先生が勤務の合間に、よく口にしていた3大好物 「チョコレート」「ブラックコーヒー」そして「ヴォルヴィック・フルーツフレーバーウォーター」。ヴォルヴィック (Volvic) はフランス産の、英国内で最も流通しているミネラルウォーターの一つ

 

これ以上ないほどの暴言と罵声を1−2時間ほど浴びせられ、その娘さんの気が済んだ後、スティーブン先生は精魂尽き果てた様子でフラフラと面談室から出てきた。そして、ナースステーションで一人黙々と事後処理する姿からは、病棟スタッフの誰の気配も感じ取れていないようだった。

それを承知で、恐る恐る(ポンと)肩を叩いて「これ、飲んで」と冷えたヴォルヴィックのレモンウォーターを渡した。するとなんと、それまでの険しい顔が一転して、くしゃくしゃの笑顔になり、

「You are sooooo helpful, Maiko!!! (うわー、マイコ、助かったよ!!!)」と。

その表情を見て、この人(本当に強い人だな)と思った。

家族の繋がりの強いアイルランド人の1年の中で最大のイベントとも言えるクリスマスで、故郷へ帰る飛行機を逃しても、不平一つこぼさず、

周りのスタッフの至らなさを、全部、自分一人で背負って、

そんな渦中でも、私への気遣いを忘れなくて。

 

ひと段落して落ち着いた後、スティーブン先生は、別のデスクで残業をしていた私のところにやってきた。

「さっきは(水を)ありがとう。マイコとこうやって一緒に働けるボクは、本当にラッキーだよ」と言いに。

多くを語らずとも、互いに分かり合える「同志」といった空気が、そこに流れていた。

「良いクリスマス休暇をね」と言って帰宅していったが、先生は結局、その晩、アイルランドへ飛び立てず、ロンドンの自宅アパートに一人戻った頃には、真夜中になっていたはずだ。

 

ちなみにこれは業務上、日常茶飯事的にあったインシデントのたった1つ。スティーブン先生がこの「地獄の急性期内科病棟」で、医局長補佐として働いた3ヶ月間、それはそれは数え切れないほどの患者さんやそのご家族からの苦情、部下の若手研修医たちや病棟スタッフたちのミス、そして病院の運営上のトラブルからくるあり得ないような状況を現場で解決する筆頭者となった。先生は、どのケースも現実をきちんと判断しながらも、一緒に働くスタッフができるだけ傷つかないように対処していた。それを毎度つぶさに見た私は、この先生が、これまで一緒に働いたどの医師とも類ない美しい魂を持った人であることを、幾度も目の当たりにしたのだった。

 

クリスマス休暇が終わり、新年になっても、来る日も来る日も、先生と一緒に働いた。

相変わらず激務ながらも、毎日、楽しくて。

いつの間にか、この時間が、ずっと続くものだと(錯覚)していた。

 

でも元を正せば、この「奇跡の再会」は、私もスティーブン先生も(偶然にも)2人揃って、ビザの問題を抱えていたからこそだった。

先生は、すでにシドニーのとある病院から雇用のオファーをもらっていたため、オーストラリア移民局からビザが発行され次第、すぐにでも英国を離れる心づもりでいた。だから、派遣医師としての契約は、週単位で行なっていた。

私の方は、英国滞在ビザに関する問題が全て解決した1月の中旬に「マイコは、3月からロンドン側の大学病院に戻る」ということが決定した。

別れの時は、刻々と近づいていた。

 

1月の終わりに、病院内のコーヒーショップ(写真下⬇︎)で、病棟の医局長(=スティーブン先生をヘッドハンティングした人)と私がたまたま一緒に居合わせた。2人並んでコーヒーを買う間に、自然と、スティーブン先生の話になった。

私は、

「これまで一緒に働いた医師の中で、圧倒的一位の先生です」と言った。

医局長の先生は、

「同感だ。あいつは恐らく、何十年に一人出るか出ないかと言えるほどの逸才の医師と言っていい。英国を去るのは、本当に惜しいよな。。。でもオーストラリアという新天地で挑戦したいと考えている奴を、引き止められないよ。まあでもボク自身は、あいつは数年かしたら、英国に戻ってくる気がしているんだが」

「もし、英国に帰ってきたとしたら、また雇いますか?」

「もちろんだよ。でも、あいつは、次に会うときは、医局長レベルになっていてもおかしくないだろうがね」

私が思っていたことを、全てそのままそっくり代弁していた。

 

病院内で朝から晩まで営業しているコーヒーショップ。ちなみにここ数ヶ月で、医局長の先生とも「ボクの補佐であるスティーブン医師がとりわけ信頼している日本人薬剤師」として、伝言を頼まれたり、気軽に話しかけてもらえる間柄になっていった

 

そんな迫り来る別れを惜しむ時間の中、ある日、ふと思いつき;

「先生が英国を離れる前に、私がエグジット・インタビュー(→注:Exit Interview = 欧米でよく行われている、組織の人事課が退職予定者から本音を聞き出す面談。スティーブン先生は派遣医師として働いていたため、その機会が設けられていなかった)をしてもいい? 『73の質問』(注釈*⬇︎)」と題して」と、聞いてみた。

スティーブン先生は、

「あのセレブリティに質問をするやつを、ボクに?」と笑いながらも「いいよ」と。

(*注釈)「73の質問」とは、世界で最も有名なファッション雑誌 VOGUE が著名人へ、原則ワンテイクで撮影するインタビュー映像(代表例⬇︎)。私はそれを、エグジッド・インタビューとして、スティーブン先生にこれまでずっと聞いてみたかった色々なことを質問しようと試みたのでした。


 

毎日少しづつ、仕事の合間や、2人で残業をしている時に、質問をしていった。

その過程で、今まで知らなかった、先生の意外な面を知ることになった。

 

アイルランド国内の研修医の労働条件の厳しさ(=実質上24時間連続勤務が多い)が嫌で、ダブリンの医学校を卒業してすぐ、英国に移り住んだこと。だから祖国では未だ1日として、医師として働いたことがない。

医学校卒業直後の2年間の研修医初期研修は、英国北部の名門ニューカッスル大学病院で行った。それからロンドンに来た。

ロンドンに移り住んだ最初の2年は、ユニバーシティカレッジ・ロンドン大学病院(リンク下⬇︎)で、クリニカルフェローとして働いた。そこで教えを受けたダイナミックな女性医局長医師の一人が、今なお、ボクのロールモデルになっている。

ロンドン中心街に所在する超大型大学病院である「ユニバーシティカレッジ・ロンドン病院」については、過去にこれらのエントリ(リンク下⬇︎)でも紹介しています

オーストラリアへは、単に、新しい環境に身を置きたいから行く。英国の医師免許が変換でき働ける国として、米国でもカナダでもニュージーランドでもどこでも良かった。でもオーストラリアが一番簡単に免許が変換でき、雇用の機会も多いと分かったので、そこへの移住を決めた。

内科医として色々な分野での経験を積みたい。だから、医師になって9年目の今なお、特定の専門分野を決めていない(→注:これ、英国圏の医師のキャリアとしては、非常に稀有。でも奇遇にも、私も臨床薬剤師としてほぼ同じ考えを持ち、実行してきた。だから、一緒に働く同僚として、こんなにも気が合ったんだと、妙に納得)。

でもその一方で「将来は、必ずや、病院での医局長(=コンサルタント)になる」という確固とした意志を持っていた。英国圏の若き研修医たちの大半は、最初は病院医志向だけど、次第に訓練期間が短く、フレキシブルに働ける家庭医 (GP) へと進路変更をする人が殆ど。そんな中、全く迷いなく、王道エリートである病院の医局長を目指しているスティーブン先生の姿から「外見はソフトそのものだけど、内は秘めたる情熱と鋼のように強い信念を持っている人」という面がはっきりと見て取れた。

それから;

このごく普通の一般病院の、カオスな急性内科病棟で働くのが好きだった。それまでは、履歴書上見栄えの良い大学病院ばかりで働いてきたけど、一流の大学病院ほど、医療が細分化しているから、患者さんを1人の人間として診るのが難しいよね。。。

といったことも正直に話してくれた。このことに関しては、私自身も、ここ数年、同じように感じていたことだったので、特に心に染み入る深い会話となった。

でも、一番印象に残った質問と答えは;

「How would you like to be remembered by those who worked with you? (英国で一緒に働いた人たちに、どんな人であったと記憶してもらいたい?) 」と聞いた際、ちょっと考え込んだ後、たった一言;

「.....just 'helpful'....(ただ『役に立つ奴だった』と思い出してもらえたら。。。)」と。

一貫して、謙虚な人だった。

 

そして、遂に訪れた、スティーブン先生の勤務最終日;

「マイコ、これはしばしの別れだよ。ボクはたぶん、数年で、英国に帰ってくると思う」

と言って、別れた。

 

スティーブン先生が英国での最終勤務日を終え出ていく際に、一緒に働いてきた急性期内科病棟、通称「地獄病棟」入り口前で撮った記念写真

 

スティーブン先生が、オーストラリアに旅立ってしまって、

「この2人の(不思議な)関係って、一体、何だったのかな?」と、今、振り返っている。

いくつかの「ある意味、類似していたのでは...?」と思える分かりやすい例を、妄想たっぷり(笑)に取り上げてみます。

 

例1)米国の TV 医療ドラマ「ER」の、マークとスーザン

実際、マークとスーザンのように、何でも話し合える、ものすごく気の合う同僚でした。

でも、スティーブン先生と私の間に、ロマンチックな感情はなかったです。あまりに年齢が離れすぎていたし(後述⬇︎)、私、プライベートでは15年来のソウルメイトとも言える最愛のパートナーがいますので。

例2)オーストラリアのロックバンド INXS のリードシンガー故マイケル・ハッチェンスと、ポップスター歌手カイリー・ミノーグ

カイリー・ミノーグは、マイケル・ハッチェンスこそが、短い交際期間ながらも、彼女がそれまで見たことのなかった世界への扉を開き、従来のアイドル歌手としてのイメージを脱却させ、世界的歌姫としてのスターダムへの変革期を形作った人であったとして、その感謝の意を、今なお度々述べている。

スティーブン先生は私に、これまでの臨床薬剤としての能力をさらに飛躍させたいと決意を新たにするきっかけをくれました。そして、自分の周りの人たちに、心から親切に接するという、人間の本質としての 'helpful' な姿勢を。

そんなかけがえのないギフトをくれたこの出会いに、これから一生感謝していくと思います。

でもね、一番しっくりと来たのは、

例3)バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフとマーゴ・フォンテイン

生まれた国も育った環境も性格も年齢も全く異なる2人でありながら、プロとして比類なき、伝説的なパートナーシップを築いたこと。

実は、私とスティーブン先生の年齢差も、この2人とほぼ同じ。そして、今後、これほど息の合う同僚に巡り会える可能性は(まず)ないと思うので。

私、マーゴ・フォンテインが、ヌレエフからのアドバイスをいつも喜んで受け入れ、それでさらに自分のダンサーとしての才能を進化させていったという逸話が大好き。

そして私自身、スティーブン先生と出会ってから、年下の人から学ぶということに全く抵抗がなくなったことも、すごく大きな変化であり収穫でした。

 

という訳で;

もし、先生が、本当に数年後、英国に戻ってくるのであれば、さらにパワーアップした2人として、再びタッグを組んで働きたいし、

オーストラリアで医師として成功し、永住することになったら、私も先生に負けないぐらい、世界的に著名な臨床薬剤師となって、グローバルレベルで、お互いの職業人生を讃えあう関係を続けていきたい。

 

そんな、これからの薬剤師人生の目標が明確化された、不思議な不思議なここ数ヶ月でした。

 

では、また。