日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国の終末期医療と最期の薬

 

突然ですが;

今日は「英国の終末期医療とそこで使用される薬剤」について、書いてみたいと思います。

 

現在、私が勤務する病院では、主に新型コロナウイルス (COVID-19) 感染者さんの救命のため、集中治療室 (ICU) の病床がフル回転しています。

その集中治療室 (ICU) の一ヶ月前の様子は、こちら(⬇︎)からどうぞ

 

この場所、新型コロナウイルス感染における死者が出はじめた初期の段階では、ご高齢患者さんが大多数でした。でも最近は、若い世代 (20-50代) の方が半分ぐらいを占めるようになってきています。

というのは;

一般病棟に入院しているご高齢患者さんの中には「あんなにして(=人工呼吸器に繋がれて)まで、命拾いをしたくない」と、症状が悪化しても、集中治療室へ移動せずに、そのまま亡くなることを希望される方や、

持病の悪化で、通常だったら明らかに入院が必要な方でも「病院へ行く、イコール、新型コロナウイルスに感染する」という恐怖から、「それだったら、たとえ死期を早めることになっても、自宅にて、愛するものたちに囲まれながら、生涯を終えたい」と考える方々が増えてきているからです。

 

厄介なのは、今回の新型コロナウイルスの特徴として、症状が1−2日のうちに「急変」してしまうこと。そして放っておけば、とても苦しい状態で死を迎えることにもなりかねないということ。

という訳で、患者さんへ「より良い死」を提供をする上で、今、英国では、緩和ケア、その中でも「終末期に使用される薬」の確実な供給方法が、にわかに重要視されてきています。

 

英国人の一般的な考えですが「行き着くところ(=積極的な医療をとことん受けて)までして延命したくない」と考える方が殆どです。

そのため医療チームは「どこで治療を打ち切りにするか」ということを、本人や家族などを交えて、かなり早い段階で協議していきます。

病院の一般病棟にて、緩和ケアを受けて亡くなることを希望される方へは、スタッフの申し送り表やカルテに「DNAR」と書かれます。 Do Not Attempt Resuscitation -「蘇生措置・延命治療拒否」の略語です。

そして、今回の新型コロナウイルスのパンデミックが始まってから、この「話し合い」をする時期が、どの入院患者さんに対しても、今までよりさらに拍車をかけて早い段階になってきているように感じています。

 

患者さんが「緩和ケア」を選択し、死期が間近となると、薬剤師は、今まで服用されていた常用薬の見直しをし、そのほとんどを中止していきます。

どの薬をやめ、どの薬を残すかは、薬剤師の腕の見せ所でもあります。

いくつかの例ですが、スタチンやレボチロキシンといったものは即座に中止。基本的に、抗凝固薬は最後まで残します。てんかん薬を服用していた場合は、通常、レベチラセタムやミダゾラム(解説下⬇︎)の注射剤に変更します。

そして、このような終末期患者さんの薬の処方リストには、薬剤師は、緑色のペンで「EoL (End of Life の略語)」と書き込みます。薬を意図的に全面中止しました、と明確に表示するためです。

英国の薬剤師にとって、緑色のペンは、職業上の必需品です。そんな事情は、私のこのブログの初エントリ(⬇︎)をどうぞ


そして、下記の一連の注射剤が「人生最期の薬」としてセットのように処方されていきます(写真下⬇︎)。

モルヒネ(腎機能が落ちている場合は、オキシコドンに変更):疼痛・呼吸困難軽減

ミダゾラム:鎮静。「安らかな死に顔」になるのは、主にこの薬の効果。痙攣防止にも

グリコピロニウム:死期直前に起こる、気道から過剰分泌される痰の除去

ハロペリドール:死期数日前から現れるせん妄。モルヒネの副作用の吐き気止めとしても

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英国で終末期の緩和ケアで使用される主な注射剤

 

これらの薬は、最初は、各症状に応じて「単発的」に皮下注射などで使用されていきます。この時点では、患者さんは周りの者と、まだ意思疎通が取れます。

でも、上記の「単発的」使用では、症状がコントロールできなくなってきた患者さんへは、これらの薬を高濃度にし、一本の注射器に詰めたものを「シリンジドライバー」と呼ばれる装置で 24 時間持続的に投与していきます。

この「24 時間の持続注射」が始まると「もうすぐだな」という合図です。患者さんはそれまでの苦痛からほぼ解放されますが、それと同時に意識も無くなり、通常1ー3日のうちに亡くなられます。1ー2週間ぐらい生き長らえる方もいらっしゃいますが、稀なケースです。

 

病院やホスピス内では、専門チームが24時間体制で待機しているので、このような薬剤面からの緩和ケアは、比較的容易かつ迅速に対応できます。

でも、このパンデミックで「自宅で、緩和ケアにて亡くなりたい」という願いを叶える在宅ケア家庭医や、緩和ケア訪問看護師さんたちは、今、未だかつてないほど、大忙し。

 

実は先日、病院の廊下で、日頃から懇意にしている「エヴァ先生」とばったり会った。

エヴァ先生は、定年を迎えてなお、在宅ケア家庭医をやりながら、病院にも勤めているというエネルギッシュな医師。先生と私は、過去に何回か、異なった病院・病棟で、一緒に働いたことがある。週末のプライベートな時間に、ロンドンの公共バスや地下鉄の中で思いがけず出くわしたりしたこともある。どういう訳だか、縁のある人なの(笑)。

英国の大抵の医療従事者たちは、皆、渡り鳥のように職場が変わっていきます。でも所詮狭い世界なので、また一緒に働く日が来ることもあります。そんな事情は、以前のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

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エヴァ先生(左)、数年前、私が病院内で企画した「抗生物質適正使用啓発週間」のキャンペーンに(これまた)たまたま通りがかり、飛び入り参加して下さったこともある。典型的なユダヤ系医師らしく、実用的な考えを持ちながらも温かさ溢れる先生で、とても尊敬しています


で、その日、エヴァ先生、いつになく殺気立って、

「マイコ、今ね、新型コロナウイルスで人が一刻の猶予もなく亡くなっているのに、夜間に『終末期の薬』が入手できずに困っているの。あなたの薬局長に、何とかしてって言ってもらえないかしら」と。

終末期の薬と言えども、家庭医からの処方せんは、基本的には、コミュニティー薬局へ持って行き調剤してもらうべき。でも、真夜中だと、街の薬局は営業していない。

しかも、現在、英国では、これら終末期に使用される薬はいまだかつてないほどの需要があり、そのいくつかが、国内中の問屋さんで品切れなのだ。 当然、薬局によっては在庫していないものもある(はず)。

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英国では現在、鎮静薬のミダゾラムが、国内で(ほぼ)品切れ状態。この危機を予知した薬剤購買課長が、早めに沢山買い込んでくれたお陰で、私の病院薬局は今のところ大丈夫だけど。。。。(注:この麻薬保管庫の右側全域がミダゾラムで埋め尽くされています!!!)

 

そこで、エヴァ先生の提案で、私の病院薬局で始めたのが、こちらの新型コロナウイルス (COVID-19) に特化した「終末期薬セット」各種と、その暫定的供給法だった。

1)夜間はできるだけ、以下の経口薬セット(写真下⬇︎)で対処。

モルヒネ経口液:疼痛・呼吸困難

ロラゼパム錠:鎮静

ヒヨスチン経皮パッチ:気道からの過剰分泌除去

オランザピン口腔崩壊錠:せん妄、吐き気止め

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新型コロナウイルス(COVID-19) 在宅ケア患者さんに使用される「終末期経口薬予製セット」

これら一式を、PGD と呼ばれる「予製製剤」として、病院内の夜勤看護師総長室に保管。これらの薬は、英国の薬事法では「麻薬」に分類されていないので、家庭医や緩和ケア専門看護師は薬局を経ず、患者さんの自宅まですぐに持っていける。

PGD (Patient Group Direction) についての解説は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

 

2)正式な「終末期の注射剤」(上記参照)については、麻薬製剤が主なため、フォーマット化した処方せんを作成。今回のパンデミックが収まるまで、街のコミュニティー薬局が営業終了後の時間帯は、私たち病院薬局の当直薬剤師が、要請に応じてその都度調剤する、という取り決めがなされた。
でも、通常であれば「腎機能が低下している方へはオキシコドン」としているところも「今さらオキシコドンで対応しても(死は目前なのだし)大差はないであろう。個々の要望は受け難いので、全員モルヒネで対応、とか;

私の病院薬局内では現在「グリコピロニウム注射剤」が在庫手薄となっているため「ヒヨスチン経皮パッチ」で代替(→即効性は望めない);

といった、いくつかの「妥協策」が取られています。

今回の新型コロナウイルス (COVID-19) の渦中、私の身近な医療現場では、さまざまな「妥協策」が取られています。そんな事例は、以前のエントリ(⬇︎)もご覧下さい


さて、今回のエントリ冒頭の「死に方の選択」ということについて、話を戻しますが;

私自身は臨床薬剤師で、しかも感染症を専門としているため、患者さんの「積極的治療」考えるのが本業です。そして、それにとてもやりがいを見出しています。薬の持つ最大限の効果を追求する、という職業的本能がそうさせているのでしょう。そして、その考え抜いた薬剤治療を限界までやったがゆえに、死の淵から生還できた患者さんも、数えきれないほど見てきました。

でも、実際に、これらの積極的治療を最後まで続けて「抗生物質の点滴をしながら息絶えた患者さん」とかを目の当たりにすると、私が死ぬ時は、こういった状況は避けたいなあという思いがあります。職業人としての考えと、一個人としての願いは、全く一致していません。やはり、時期を見計らって、緩和ケアを選びたい。

理想の死に方を言えば、おばあちゃんになっても臨床薬剤師の最前線にいて、杖をつき、ゼイゼイ言いながら病棟を駆け廻っていて、夜勤当直中にコロッと死んだ、とかいうのが本望かな。でも、そうすると、若手同僚の誰かが急遽その代わりを引き受けなければならず、三途の川を渡っている途中で、「あのババア、もう当直なんてやらなくても良かったのに。。。」なんて、地上から苦情を言われるだろうなあ(大爆笑)。

 

ちなみに、私、日本で薬剤師として働いていた時は、東京23区内では初(?だったように記憶しています)に緩和ケア病棟を開設した、キリスト教系の病院に勤務していました。

そこで働いていた医師や牧師さんたちが、近代ホスピスの祖と言われる英国人シシリー・ソンダース医師が来日 (1997年) した際にお会いしていました。それで私も彼女の伝記(写真下⬇︎)を読み、その類稀なる生涯を知り「英国へ行き、薬剤師として勉強してみたい」という気にさせられました。

私の人生を変えた本(⬇︎)の一つといってもいいものです。この本は、当時、都内の主要書店にも在庫しておらず、渋谷区の日本看護協会を訪れ、購入した記憶があります。現在は、この本の改訂版が発売されているようです。

 

そして渡英後は、偶然とは言え、ソンダース医師が、最初は看護師として、そして後に医師としても勤務した病院(⬇︎)で実習することにもなりました。

だから、全人的緩和ケアは、私自身、今でもとても興味があります。

ソンダース医師が歴史上初の「緩和ケアホスピス」として開設し、彼女自身もそこで亡くなり、今なお世界中の模範となっている南ロンドンの「聖クリストファーズホスピス」、実は、私の現在の自宅近くに所在しています(リンク下⬇︎)。

 

新型コロナウイルスのパンデミックが終焉したら、是非訪れてみたい場所として、ウィッシュリストの一つに入っています。

 

では、また。