日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

新型コロナの収束後、英国の医療現場で起こること(2)アルコール中毒患者の急増

 

今回のエントリは、シリーズ化となっています。

ここ最近の、私の職場の様子を綴りながら、英国の医療現場の実態や、薬剤に関連することを紹介しています。

前回は、こちら(⬇︎)からどうぞ

 

英国の急性病院では、元々、アルコール中毒で入院してくる患者さんの数が(異常とも言えるほど)多い。

私、日本では、飲酒を奨励しないキリスト教系の病院で働いていた。そのため「アル中」で入院してくる人を、ほぼ見たことがなかった。だから、渡英当初、アルコール中毒患者さんというものが、心筋梗塞や喘息の発作を起こした人と同じぐらいにありふれたものとして、緊急医療室へ引きも切らず運び込まれてくるという事実を目の当たりにし、唖然としたのだった。

私が日本で勤めていた病院については、こちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ

私が英国に来た当初、臨床薬学の実習を受け、初めて「アル中患者さん」に接した病院については、こちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

 

でも、新型コロナウイルス (COVID-19) 感染ピークの最中には、そのようなアルコール中毒患者さんの来院・入院がピタリと止んでいた。パブは営業停止されていたし、病院へ行く、イコール、新型コロナウイルスに感染し(即)死ぬ、ぐらいに思われていた時期だったからね。国民全体の関心が「生きるか死ぬか」ということで、アルコール中毒患者さんたちも、緊急医療室へ来るのを「自粛」していたのだろう。

そんな状況が一変したのは、外出規制が緩和された前後。

突如として緊急医療室に、ダムが決壊したように、アルコール中毒患者さんたちが次から次へと押し寄せてきたのだ。

そして、急性アルコール中毒に限らず、持病の慢性疾患の悪化が理由で入院してきた患者さんの中にも、飲酒量が通常より増えており、アルコール依存症になっていることに気づいた。

英国内での自宅待機中、多くの人がやっていたことは、実は「飲酒」だったのだ。 

 

ちなみに、英国の病院の緊急治療室へ「アルコール中毒」で運び込まれてくると、カルテや申し送り表などへの病名は(表現を和らげるように)「EtOH」と記される(写真下⬇︎)。酒=エタノール、ということで、英国ではよく使われている医療「業界」用語の一つ。

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病院医師から家庭医 (GP) への退院申し送りの手紙の一例。赤丸の「because of known hx with ETOH」は「アルコール中毒患者として知られているので」の意。ちなみに黄丸の「A&E」は「Accident & Emergency = 緊急医療室」の略語

英国の医療現場は「略語」だらけ。そんな「業界用語」の氷山の一角は、こちら(⬇︎)のエントリで解説しています

 日本でも同じであろうけど、患者さんが入院してくると、問診の質問の一つとして「普段、どのぐらいの量のお酒を飲んでいるか?」ということを聞く。

その量は、通常「ユニット」という単位で換算する(写真下⬇︎)。そして、一週間にどれだけのユニット数を飲酒しているかを割り出した上で、薬剤師は「離脱症状軽減の薬剤用量」を推奨する。

この「離脱症状緩和処方」は、急性中毒患者さんに限らず、普段から多量の飲酒をしている者へ対しても行われる。 入院中は、お酒を一切口にできなくなるからね。。。。

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英国医師会が作成した「どのお酒のどの量が『1ユニット』なのか」の目安を示す図解絵

 

英国のアルコール中毒の標準薬剤治療は、以下の通り;

1)ベンゾジアゼピン系薬

離脱症状の緩和を目的とし、それぞれの患者さんのアルコール摂取量(=ユニット換算)に応じて、高用量から開始し、毎日少しずつ減量していく。長期作用型のクロルジアゼポキアシドかジアゼパムのどちらかを用いるのが一般的(写真下⬇︎)。

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国家ガイドラインと言われているものはこちら(写真下⬇︎)ですが、

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南ロンドンに所在する、英国随一の精神科専門病院が長年刊行している精神科薬剤治療ガイドライン参照本、通称「モーズレイ (The Maudsley) 」。英国の実務薬学参照本のバイブルは「BNF」だけど、特定の専門分野では、この本のように、BNFより頻用されているものもある

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モーズレイ処方ガイドラインの「アルコール中毒禁断症状処方」のページ。ちなみに、こちらの病院ではクロルジアゼポキサイドが、フォーミュラリー 第1選択薬となっている

英国でも歴史あるモーズレイ精神科病院群のサービスについては、過去のこちらのエントリ(⬇︎)でも、少しだけ触れています

 各病院でも独自のガイドラインが作成されています。私の病院では、ジアゼパムが第1選択薬(写真下⬇︎)。

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私が勤務する病院の「アルコール離脱治療ガイドライン」のサマリー表。職業上欠かせない参照メモの一つとして、勤務時間中、常に持ち歩いている

英国薬剤師の間で「バイブル」と呼ばれる薬学総合参照本「BNF (British National Formulary) 」についての詳細は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ


2)高濃度のビタミン混合剤注射

酒以外を口にしなくなると、肝臓を再生させる栄養素が摂れなくなってくる。そのためアルコール中毒患者さんには、高濃度のビタミンB&C 投与が必須。

という訳で、こちらの英国内では超有名なビタミンB&C 注射剤、商標名「パブリネックス (Pabrinex) 」(写真下⬇︎)ですが;

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この写真でもご覧いただけるように、なんと、日本の「協和キリン」が販売元なのです!!! で、これ、けっこう高額。

数年前のこと、私の病院にやってくるアルコール中毒患者さんの多さと、この「パブリネックス注射」の消費量に、病院経営陣が驚愕した。そこで、薬局長経由で、ちょうどその頃、医薬品情報室のローテーション業務にいた「駆け出し臨床薬剤師」であった私の元へ、「何か安くできる術はないか?」と、問い合わせの依頼が来た。

で、色々と調べたのだけど;

こちらのジェネリック製剤、英国内には(一切)無いことが判明。。。。😱😱😱

それにしても、元来、日本の酒造会社であった製薬会社が、英国でアルコール解毒に欠かせない薬を独占販売しているって、日英薬剤師として、色々と考えさせられる。適切な例えではないかもしれないけど、元タバコ製造会社が、今は禁煙ガムを販売している、というようなものなのではないか、と。

 

3)経口ビタミンB剤

上記の高濃度のビタミンB&C「パブリネックス」注射を3−5日続けた後は、経口のチアミン(ビタミンB)剤とビタミンB群剤(写真下⬇︎)に切り替える。

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アルコール中毒患者さんの退院薬として必ず処方されるビタミンB製剤

最近、英国の国営医療サービス (NHS) では、退院薬として必要な薬が、街の薬局で各自が廉価で購入できるものであれば、今後、病院からは調剤しないという取り決めになった。でも、アルコール中毒者に処方されるこれらのビタミン剤は(相変わらず)例外としている。アルコール中毒患者さんは、経済的に苦境にある人、精神的に問題を抱えている人が多いこともあり、その事情を考慮し、病院から無料で提供しているのだ。

 

ところで、この「アルコール中毒者」への治療・入院者数をどう抑えるかというのは、英国の医療業界で、もう長年、ずーっと議論されている問題。

つまり、国民の税金で運営され、患者さん負担無料という国営医療において、自己責任で中毒になった人への治療を提供すべきなのか否かという医療倫理のあり方。これ、英国の医学校の入学時の面接試験の頻出質問でもあるらしい。

 

で、これは、私自身の実話なのだけど;

仮免許(プレレジ研修)薬剤師時代、ある日、立ちくらみのような状態から気を失い、ひっくり返るように倒れたことがあった。

幸い意識はすぐに戻ったのだけど、目撃者によれば、後頭部をコンクリートの地面に直撃したらしく「念のため、頭蓋骨が骨折していないか、確認した方がいい」ということになった。

友人の車に乗せられ、英国国営医療 (NHS) 病院の緊急医療室に着いた時点で午後10時頃。祝祭日であったその日、待合室は患者さんで溢れかえっていた。あまりの待ち時間の長さに何度も「私の順番まだですかー?」と受付に聞きに行き、そのたびに「あと数時間はかかります」と言われた。

緊急医療室では「意識のない人」や「呼吸の止まっている人」が最優先だ。少なくてもその時「息をしており」「外傷もない」私は、その晩の診察の最後の最後の患者となった。そんな訳でついに「次があなたの番です」と言われたのが、早朝5時半頃。

でも、その次の瞬間ね。。。

「街の中心地で酔っ払った若者たちが喧嘩し、殺傷沙汰が起きた。アルコール中毒による意識不明者も含めた10数名がこれから救急車で運ばれてくる。申し訳ないが、あなたの番は、その人たちへの対応が終わってからになる」と言われたの。

もう、ブチ切れ😡💢😡💢😡💢😡だったな。

酔っ払いは待ち時間なくすぐに医者に診てもらえ、頭蓋骨を破損しているかも知れずに、一晩中徹夜で順番を待っている私は、さらに後回し? 私、あと2−3ヶ月後に、英国薬剤師免許の筆記試験を控えているんだから、「おつむ」大切なんだよっ(泣)! てね。

私は、この「トラウマ的事件」を境に、お酒を(ほぼ)飲まなくなった。

その時のことは、過去のこちらのエントリ(⬇︎)にも、ちょこっと書いています。ちなみに、この時は、頭蓋骨は大丈夫だったものの、打った背中半分が、後日、鮮やかな紫色の内出血となり、1−2週間、頭と首が動かせなくなってしまった。もうちょっと早く診てもらえれば、回復のスピードも違っていたのではと思う。でも、これ、英国の医療でも、特に悪名高きサービスと言われる緊急医療室での「平均的」な扱いです。

 

でもね、アルコール中毒で病院に来る人というのは、こういった「シンプル」なケースばかりではない。

例えば、私が現在勤務する病院は、EU に比較的近年に加入した東欧諸国からの移民が多く住むエリアでもある。若者は夢や希望を持って英国へ移住したけど、その子供たちを経済的に頼り、この国へ一緒にやってき、慣れない環境で暮らすその親たちは、疎外感から一日中家にいることが多くなる。彼らの数少ない娯楽と言えば「お酒」。

だから、一見するとごく普通の人たちが、アルコール中毒患者として、よく病院にやってくる。このケースに共通することは、患者さんは(ほとんど)英語を話せないこと。薬歴聴取の際に、正確な情報が得にくい。

アルコール依存と処方薬の過剰服用での自殺未遂で運び込まれてくる人も多い。

最近、特に記憶に残ったのは、過去に何度も自殺を図り、そのうちの一つの鉄道投身で半身不随となり、脾臓も摘出していた人。当然、免疫力が弱く、今回入院し、アルコールの解毒治療をしている間に、新型コロナウイルスに感染していることが判明。肺炎も尿路感染症も併発し、生死の境を彷徨った。ほぼ全ての抗生物質に耐性を示し、感染症専門薬剤師の私は、頭を抱えた。

 

アルコール中毒患者さんたちの一人一人の背景に、社会の根強い問題が反映されている。

 

こういった状況、英国では今、急激に加速しだしている。

そして、これからもっとひどくなっていくであろうと、見受けている。

 

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新型コロナウイルスのパンデミックが始まった頃、シリアスな局面では笑いが必要だ、と同僚たちが薬局オフィスの廊下に貼り出したポスターの一つ「2021年アル中患者匿名会合」と題されたもの。でもこれ、もはや冗談ではなく、本当に現実化しそうに思え、笑えなくなってしまいました

 

では、また。