日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

ジョンソン首相の入退院と、英国の医療「業界用語」

 

ご存知の方も多いかと思いますが;

先日、英国ボリス・ジョンソン現首相が、新型コロナウイルス (COVID-19) の感染により、国営医療 (NHS) 病院へ入院した。一週間で無事退院したが、一時、集中治療室へ移動するほどにまで、容態が悪化した。

ちなみに、ジョンソン首相が入院していた病院は、私がロンドン大学薬学校大学院時代に実習した病院(⬇︎)でした


 で、日本のメディア(見出しに字数制限のあるネットニュース)で、それを

「英ジョンソン首相、病状悪化で ICU へ」

と報じた際、

「ICU って、集中治療室のことだったんだ」

というコメントを、 SNS 上で多く見かけた。

 

そこで、私は、思ったのだ。

「そうかー、ICUは『業界用語』だったな」

と。

 

英国の医療現場は、こういった略語だらけ。

私、英国で暮らし始めた頃、そして働き始めた当初、その星の数ほどある医療略語が、意味不明なものばかりだった。中には、英語と米語の違いで呼び名の違うものがあったし、英国内でも、各病院によって、その略語が(微妙に)違うものもあった。

これらを、長い年月で、一つ一つ覚えていったんだな。すっかり忘れていたけど。。。

思い起こせば、その用語のいくつかに無知であったがために「墓穴を掘った」り、「笑い者にされた」こともあったんだよ。

 

ということで、今回のエントリでは「英国医療業界用語」の氷山の一角を紹介してみたいと思います。

最近の「ジョンソン首相の入退院」に関連づけ、英国の医療の仕組みも解説しながらね。

 

1)NHS (National Health Service):英国国営医療サービス

このブログで再三記載している、英国の国営医療サービスの総称。National Health Service の頭文字を取り「NHS」と呼ばれている。英国在住者に、ほぼ全無料の医療を提供。英国の至る所にある NHS 医療施設は、青と白の看板とロゴで統一されている(写真下⬇︎)。

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NHS (英国国営医療サービス)。「青地に白字の NHS マーク」は、英国人に最も知られたロゴと言っても過言ではない

NHS は、英国のナショナリズムを象徴するものの代表格である一方で、私も含めた世界各国の人たちの雇用を受け入れている。そして、国営最大事業の一つとして、政治と切っても切り離せない組織団体でもある。

だから、このジョンソン首相の退院直後のビデオ演説(⬇︎)は、国民、NHS 従業員たち、そして世界中の人々へ向けても、NHS をアピールする絶好の機会になったと思う。

ちなみに、こちらの動画では、日本語字幕で「NHS」という語がそのまま使われています

 

私自身、この国の医療システムを全く知らずに、英国へやってきた。大学院のコースの第1週目に行われた「英国の医療制度」という講義の中で、ホワイトボードに書かれた「NHS」と「DoH」の語が何を意味しているのか全く分からず、ちんぷんかんぷんだった。まさか、その 「NHS」 こそが数年後、自身の雇用先となり、現在に至るまで働いている組織になるとは、その時、夢にも思わずね。

ちなみに「DoH」は英国保健省 (Department of Health)、日本の厚生労働省に相当する行政機関の略語です。

NHS についての解説は、以前書いたこちらのエントリ(⬇︎)も合わせてどうぞ

私が約20年前、英国に移り住んだ当初の目的であった、ロンドン大学薬学校の「臨床薬学・国際薬局実務&政策」修士コースの概要は、こちら(⬇︎)からどうぞ

 

2)GP (General Practitioner) :家庭医・かかりつけ医

英国で暮らす者は、まず、自分の家の近くの「家庭医(かかりつけ医)」に登録することが必要。その家庭医(かかりつけ医)を General Practitioner と言い、略して「GP」と呼んでいる。GP は一次医療のかなめで、基本、全科を診る総合診療医。

患者さんが最初から病院へ行き診察を受けることはできない。病院の外来は全て専門医によるもので、自分が登録をしている GP からの紹介での、全予約制となっているから。

英国では、GP の職能が一定水準化され、各疾患のどの時点で専門医に紹介するかも全国統一された基準が定められている。それが医療の効率化に大きく貢献していると言える。

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英国の家庭医医院の一例。大きな規模の所では、家庭医の診療室の他に、採血室や乳幼児定期予防ワクチンの接種所、訪問看護や足まめ治療、終末期医療に特化したチームなどを同じ建物内に有しているところもある

ところで今、日本でも、GP という語は、医療関係者の中では、かなり広まってきているみたいですね。こちらの先生(⬇︎)の功績だと思う。

佐々江龍一郎先生、英国の医師免許を取得し、その後、日本の免許も取得したという稀有な方です。ロンドンで GP をされていた頃、ひょんなきっかけで知り合いました。日本へ帰国されてからますますご活躍されておられるようです。誰に対しても誠実で気さくな方なので、フォローしてみるといいかもしれません。

  

3)A & E (Accident & Emergency):緊急医療室

先ほど、家庭医 GP を通さないと、英国では病院で診てもらえないと書いた。でも、救急車を呼ぶほどの緊急時(例:心筋梗塞、呼吸困難)とか、大怪我をしたといった際は、大病院の一部門として設置されている「緊急医療室」へ直接行きます。

「緊急医療室」、米国では「ER (= Emergency Room) 」って呼ばれているけど(→1990年代中盤から世界的な人気を誇った医療系ドラマシリーズのタイトルとしても有名だよね⬇︎)

英国では「A&E」と呼ばれている。Accident & Emergency の略で。

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私の勤務先の「A&E (緊急医療室)」玄関。A&E の中に、家庭医 (GP) の時間外診療室を併設しているところも多い

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A&E (緊急医療室) 横に設置されている救急車乗り入れ口

ロンドン大学薬学校大学院時代での病院実習が始まったばかりの頃、指導教官から突然「今日は、A&E の見学に行くぞ」と言われ、A&E の意味が何なのか分からないまま、その場所へ連れていかれた。そして現場のあまりの凄まじさを目の当たりにし「ああ、ここ『ER』ってことですね!」と興奮気味に言ったら、そこの救命専門医の先生方が「それは米語だ」と悲しげな顔をされた。

普段はあまり表に出さないけど、英国人って、実は心の底で「米国よりウチらの方が優っている」と思っている節が(そこはかとなく)ある。という訳で、これ、私自身が「墓穴を掘った」出来事として記憶している。そう、英国の緊急医療室は「ER」ぢゃない。「A&E」デス!(笑)

 

4)AMU (もしくは MAU)、SAU:入院トリアージ病棟

患者さんが、緊急医療室で応急手当を受け、その場で帰宅できることもあるけれど、「入院が必要」と判断された者は、通常、入院トリアージ(仕分け)病棟へ移る。

で、トリアージ病棟は;

内科の場合は「AMU」。Acute Medical Unit の略(写真下⬇︎)。病院によっては「MAU (Medical Admission Unit)」とも呼ばれているところもある。ややこしい。

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勤務先の「AMU (入院トリアージ内科病棟) 」入り口

一方、外科の場合は「SAU」。Surgical Assessment Unit の略。

余談になりますが、私、ジュニア薬剤師として数ヶ月おきに部署や病棟が変わる職種(臨床ローテーション薬剤師)として働いていた時代を振り返ると、この「SAU (外科トリアージ病棟) 」のローテーションが一番楽しかったです。内科のようにどこまでもとことん考えていく世界も大好きですが、外科のように優先順位をつけ、パッパと判断を下していく環境も性に合っていたのだと思います。

これらのトリアージ病棟に数日ほど留まり、色々と検査・治療、様子見をしたものの、「長期戦になりそうだな」と判断されると、患者さんは、それぞれの症状に適した病棟(例:一般内科、一般外科、高齢者病棟や呼吸器系病棟など)に移るというのが、入院過程の通常の流れとなります。

「一般内科病棟」の様子については、こちらの以前のエントリ(⬇︎)もどうぞ


5)CCU (Coronary Care Unit):「心臓疾患治療室」

心筋梗塞などを起こしA&E (緊急医療室) へ運ばれた人は、応急処置の後、AMU (トリアージ病棟) を経由せず、この専門病棟へ直行する。で、この心臓疾患治療室 Coronary Care Unit も、その頭文字を取り「CCU」と呼ばれている。

私、英国での薬剤師免許を取得後、NHS 病院薬剤師としての正規の職がなかなか得られなかったため、「臨時準局員」というポジションで、数ヶ月間働いたことがある。この身分だと、どの病棟を担当させられるか、毎日、当日の朝まで分からないことが多かった。

で、ある日「今日は CCU をお願い」と言われ、きょとんとする自分がいた。精神科専門病院で仮免許(プレレジ研修)薬剤師をしたので、CCU が何を意味するのか、知らなかったのだ。

私の仮免許(プレレジ研修)薬剤師時代にご興味のある方は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

そして、その病棟へ到着し、身が凍った。ここ、臨床薬剤師の中でもめっちゃ高度知識が必要とされる分野じゃないっつ! ってね。就職難の時で、自分を大いに盛って入りこんだ職場だったので、うんと背伸びをしなければならなかった。毎日、毎秒、冷や汗をかきながら働いた。何とかつじつまを合わせようと、影で懸命に勉強した。それが、私の英国臨床薬剤師としての最初の一歩だった。

ちなみに英国の病院内で、CCU はしばし、呼吸器系病棟と隣接されて設置されていることが多い。という訳で、私が現在勤務する病院の CCU(写真下⬇︎)は、目下、新型コロナウイルス感染者たちのなかでも集中治療室へ行く一歩手前の患者さんばかりの「大激戦地」となっています。

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CCU (Coronary Care Unit) 心臓疾患治療室(注:この写真にある「Ward C6」とは、「C楝6階病棟」という、病院内での所在地を示す語です)

6)ICU (Intensive Care Unit) と HDU (High Dependency Unit)

ICU (集中治療室) はまさしく生死を争う人たちの収容病棟。時に ITU (Intensive Therapy Unit) と呼ぶこともある。全病床に人工呼吸器が完備されている。患者さん1人に対し、常に1−2人の専属の看護師がベッドサイドにつき、24時間片時も目を離さない看護が提供される。

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私の勤務先の病院案内板。集中治療室は 'Intensive Therapy Unit' と表示されている

HDU は、ICU より一段下がったケアという位置付け。看護師も患者さん2人につき1人の配置となる。私が勤務する病院では、HDU は主に、リスクの高い手術をした直後に、患者さんの予後観察の場所として使用し、命の危険がないと判断された時点で一般病棟に移動させるという流れになっている。

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勤務先の ICU (集中治療室) と HDU (準集中治療室)。入り口は一緒で、内部でセクションが分かれている。医療スタッフは共有されている

ちなみに、今回の新型コロナウイルス感染拡大で、英国内の HDU は次々と閉鎖されている。スタッフは全て ICU 業務へ集中しろ、と。

私が勤務する病院を含めた南ロンドン複数の国営医療 (NHS) 病院での(ざっとした)統計では、現在、新型コロナウイルス感染患者さんで、ICU へ移動した者たちの生還率は 55-60% 程度と算定されている。ジョンソン首相も退院後の演説(動画リンク上⬆︎)で「どちらに転んでも(=助からなくても)おかしくなかった」と言っていたけれど、これは決して大げさな言い回しではなかったと見ている。

 

では、また。