日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

休暇から戻ったら、勤務先の病院が激変していた

 

新型コロナウイルス (COVID-19) の流行に伴い、ほぼ誰とも会わずに自宅で過ごした、2週間の有給休暇が終わった。

その「英国ロックダウン(外出規制)」期間中に私がやったいろいろなことの詳細は、前回のこちらのエントリ(⬇︎)からどうぞ


で、先週初めから、職場へ復帰したのですが;

 

私の勤務病院が「激変」していた。

 

巷で報道されている様子から、容易に予想できることもあったのですが、実際に自分がその医療現場の渦中に身を置くようになり、改めて「これって、本当に、人類未曾有の事態だ」と。

今回のエントリでは、そんなことがたくさんあった怒涛の1週間を振り返ってみます。

 

1)院内の「全域」に感染者がいる状態になっていた

私が現在勤務する病院(所在地:ロンドン南部・サリー州境界)は、英国内でもかなり早い時期から感染者を受け入れてきた。そして現在、毎日、死者が出、その数も増え続けている (3月9日-4月11 日の間に約150名が死亡) 。

病院内は、英国保健省のガイダンスに従い「赤ゾーン」「黄ゾーン」「緑ゾーン」と信号色に区分し、それぞれの場所での感染防護具を段階化していた(写真下⬇︎)。でも、ちょうど私が職場復帰した日の朝礼で、なんと「もう院内で『緑ゾーン (=安全地帯) 』はどこにもない」と。

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英国保健省による、コロナウイルス (COVID-19) 感染患者、もしくはその疑いのある者と接する際に着用すべき感染防護具の指針

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私が勤務する病院の「集中治療室 (Intensive Care Unit, 通称ICU) 」。完全感染防護具を着用しない者は一切立ち入り禁止の「赤ゾーン」

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外来は全て「黄ゾーン」。診療は、目下、次々にキャンセルされていっています(後述)

その日を境に、院内の全スタッフに、マスクの着用が義務となった。これ、1−2ヶ月前までは、英国人の誰もが予想だにしなかった光景(写真下⬇︎)だったはず。

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 そして;

「我々の病院は、もはや大学教育病院ではない。『新型コロナウイルス感染者収容病院』である」と宣言された。

新型コロナウイルス関連以外の全ての教育・訓練プログラムがストップ。普通の患者さんたち(→まだ感染していないという意味で。例:脳梗塞、骨折、尿路系敗血症とか)は、サリー州境の一般病院へ移動させた。そのため専門医師たちの配置換えが行われ、病院中が総シャッフル。私が休暇前まで働いていた「高齢者(フレイルティ)チーム」も、どこかへ行ってしまった。

私が「高齢者(フレイルティ)病棟」で働いていた経緯は、以前のこちらのエントリ(⬇︎)からどうぞ

ちなみに私は引き続き、その「元高齢者(フレイルティ)病棟であった場所」を担当しているのだけど、ここ、他の病棟と比べて個室が多いのが特徴。だから感染者の中でも、とりわけ重症の患者さんが運び込まれてきている。毎日、そのうちの1−2人は、集中治療室へ移動しています。

 

2)臨床薬剤師のほぼ全ての業務が「遠隔操作」となった

入院(トリアージ)病棟、外科病棟の一部、産科病棟、そして肝心かなめの集中治療室 (ICU) を除き、臨床薬剤師はもはや病棟内で働けなくなった。院内の感染防護具が不足していること、そして、薬局のスタッフも次々と感染→病欠(注:家族の感染により自主隔離している者も含む)しており、現時点で人員がすでに通常の75%まで減少している。臨床薬剤師たちの業務はできるだけ「リモート」で遂行していくという方針に変わった。

ありがたいことに、英国では「2020年までに、医療記録の全てをペーパーレスにする」という目標が、以前から、医療政策の一つとして掲げられてきた。そのため、私が勤務する病院でも、処方や医薬品請求、投薬記録などの確認・操作が、コンピューター上で可能となっています(写真下⬇︎)。

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私の病院で使用されている電子処方せんと投薬簿がセットになっているソフトウェア

また、英国内の薬剤師には各自、下の写真にあるような ICカード(⬇︎)が発行されており、国民の家庭医の簡易カルテや薬歴を、オンライン上で閲覧することができます。

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英国の医療従事者は、随時、国民の家庭医の簡易カルテに、オンライン上からアクセスできます

各病院の ITシステムによって多少の違いはありますが、入院患者さんのバイタルサインの記録とかも、オンライン上でチェック可能です。

そして、私の病院が所在するエリアでは、ちょうど数ヶ月前から、周辺の全家庭医医院と近隣の複数の病院が協働し、各患者さんの医療記録が全て統合されたオンラインデータにもアクセスできるようになった(写真下⬇︎)。

これらから得られる情報の全てが、今回のパンデミック下での「臨床薬剤師業務」の遂行に功を奏しています。

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現在、英国では、地域の家庭医と紹介先となる周辺の大学・一般病院のカルテの統合化が推進されています

でも、オフィスの机からの操作だけだと、患者さんとは全く話や質問ができず、医師ともディスカッションを行うことは不可。現在、疑義照会や薬剤治療介入・提案などは全て手短に、電話越しで行うのみとなっている。

そこでふと思い出したのが、患者さんの各ベッド上に設置されているテレビ電話(写真下⬇︎)。通常は、患者さんがテレビを観るのに使用しているだけなのだけれど、将来、これを応用すれば、薬剤師が、患者さんや医師とも画面越しに会話することにより、業務が(全て)終了できるケースも大いにあり得るのでは? と。

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そういえば、病棟の各ベッドには、テレビ電話が設置されていることに気づいた

薬局業務の「リモート化」って、実は案外簡単に実現できてしまうのでは? 薬剤師の未来の働き方は、今とは全く想像がつかないものになるかも、という見方が強くなりました。

でも、今すぐには、無理。目下、薬剤師が病棟へ行けなくなった分、看護師さんの負担が想像を絶するレベルになっている。病棟への電話は滅多に繋がらない。そして、臨床薬剤師業務は机の上からでもできるけど、薬局調剤室のスタッフは、今、本当に大忙し。本当に頭が下がります。

 

3)薬剤治療「妥協」案を、たくさん考えなければならなくなった

現在、私の病院では外来診療が全面的に中止、急を要さない手術も大幅に延期されている。一方で、一刻を争うガンの手術を予定していたものの、執刀医が新型コロナウイルスに感染してしまい、数週間の延期になってしまったケースも身近で聞き知っている。待たされている間に他の臓器への転移の可能性も出てくる訳で、心が痛む。

ところで私は、感染症専門薬剤師として、週一の半日「足壊疽治療」多職種連携外来診療に参加している。通常であれば、一人一人の患者さんの足の壊疽の進行具合を実際に観ながら「訪問看護師による自宅での静注テイコプラニン治療は如何でしょうか?」とか推奨できるのに、現在、英国内では訪問看護師の需要が増し、こういった手配はほぼ断られている。だから、ほとんどの患者さんに「経口薬へ切り替え」(写真下⬇︎)という措置を取らざるを得なくなってきているのだ。

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英国内で足壊疽の治療に使用されている主な経口抗生物質

でも、その中には「決して理想的な抗生物質の選択でも、投与法でもなく、最悪の場合、足の切断になる可能性アリ」の人も、かなりの数いるのです。

そんな訳で、先週は、さまざまな葛藤から「明確な治療方針が(全く)出せない」ゆえの話し合いが延々と続き(写真下⬇︎)、終わった後の疲労感が半端なかった。医局長、外科医、足治療専門師、そして薬剤師(私)の全員が「今日の妥協案が、後々訴訟になってしまったらどうしよう」という不安に駆られていたと思う。最良の治療法が分かっているのに、普段ならそれができるのに、それが実行できない今の現状は、つらい。

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外来が中止され、いつまでも決着がつかなかった、先週の足壊疽治療チームでの症例会議の様子。この分野に限らず、今、英国では、コロナウイルス感染者以外のほぼ全ての治療が滞り、医療従事者として苦渋の選択の「妥協案」を実行しなければならない状態になっている

 

4)聞いたこともなかった「目新しい薬剤治療」に対応している

今までやっていた自身の業務のほぼ全てが一旦中止。例えば、国家プロジェクトの一環として一年がかりでデータ抽出していた「尿路感染症」と「外科手術部位感染予防」の抗生物質使用の院内サーベイランスなども、英国保健省からの通達で、当座の提出は不要(延期)となった。

一方で、職場復帰第一日目に上司からは「新型コロナウイルスの治療に効果があるであろうとされる薬剤の国家レベルでの治験」が始まったので、すぐに対応してくれと(写真下⬇︎)。

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英国オックスフォード大学主催の、新型コロナウイルス治療薬治験。その名もずばり「RECOVERY (Randomised Evaluation of COVID-19 Therapy) Trial 」。人類の医学史上最速の準備期間で開始された臨床治験なんだって。1)ロピナビルとリトナビル (HIV薬)、2)デキサメサゾン (ステロイド) 、3)ヒロドキシクロロキン (抗マラリア薬) の3群。でも来週から、4)アジスロマイシン(抗生物質) が加わり4群となるという情報が入った。そんな訳で、国営医療 (NHS) 病院薬局現場は只今、大混乱中。。。!

それからコトリモキサゾール (ST合剤) がイタリアでの感染爆発時に効果があったらしいという情報が入り、多くの医師が使用したいと薬局に連絡してきた。でも現在、英国内では ST合剤の在庫が手薄(嗚呼)。じゃあ、せめてトリメトプリムをと、従来は「尿路感染症」の英国内第一選択薬であったものが、突然「呼吸器系感染症」に使用され出している。

普段は「どこにエビデンスがあるんですか?」、「ガイドラインに従っていないので、薬剤変更を推奨します」、「費用対効果を考えると、良い薬剤選択ではないですね」、「院内フォーミュラリーに収載されていないので、次回の薬事委員会で正式に話し合いましょう」なんて言っているけど、このような国難レベルの非常事態では「患者さんの命が救えるのなら、試そう!」と。そんな医療前線の「戦闘態勢」を、今、目の当たりにしています。

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今回のパンデミックで急に脚光を浴びることになった「ST合剤」と「トリメトプリム」

  

5)人類普遍の無償の愛を、毎日感じている

目下、英国国営医療サービス (NHS) の従業員たちは、国民から「ヒーロー」として崇め奉られている。「我々の命は、この人たちの手にかかっている」と言わんばかりに。

巷に物資がなくても、職場の IDカードを提示すれば、スーパーマーケットに「優遇入店」させてくれる。小売店によっては、英国国営医療サービス (NHS) 従業員限定の「特別割引」もしてくれている(写真下⬇︎)。

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英国のコンビニ的存在の「WHSmith」は、現在「ありがとうセール」と称して、英国医療サービス (NHS) 従業員には、全商品を20%引きで販売している

先日、あまりの疲労と眠たさで、病院内のカフェへ行き(写真下⬇︎)コーヒーを買おうとしたら、お店の人はお金を受け取らなかった。こちらの経営者さんのご好意により「国民を救ってくれているあなた」へは無料にしているのだと。

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こちらのコーヒーショップ、というか、私が現在勤務する病院のケータリングを一手に引き受けている会社の社長さんは、本当に太っ腹な方です。今回の事例と似たもう一つの例は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

 

一昨日の夕方は、病院正門前に、突如、地元の警察官さんたち一同が無数のパトカーに乗ってやって来た。何だ、何だ? と窓を開けたとたんに、整列したパトカーのクラクションが一斉に鳴らされ、私たち医療スタッフの日々の健闘を盛大な拍手で讃えてくれた(動画下⬇︎)。まさに「サプライズ」。本当に、本当に、感動した。



ロンドンの地域の住民に根ざした典型的な国営病院で、普段は喧嘩っ早いスタッフが多く、暴力的と言ってもいいような職場が、今、一丸となり、このパンデミックと戦っている。今まではあり得なかったほどの献身的なケアが患者さんへ提供され、同僚同士でも思いやりを示していることを目の当たりにし、驚愕する毎日。世界中からやってきた人々が働いているため「あなたの国、あなたの家族は大丈夫?」と尋ね合うのが、日常の挨拶がわりになっている、今日この頃。

ボリス・ジョンソン首相ですら集中治療室に収容されたぐらいの緊迫した状況なのだから、私たちだって、明日はどうなっているか分からない。でもそんな中(不適切な物言いであることは重々分かっているけど)新型コロナウイルスが、いつもは批判されがちな英国の医療機関 'NHS' を、未だかつてないほど一つに団結させている。

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入院(トリアージ)病棟入り口ドアに、いつの間にか貼られていたポスター。英国民の声を代弁しているようなメッセージと絵が素敵

 

では、また。