ちょっと前、誕生日で、お祝いをしてくれる人がいた。
その会場、たまたま、思い出深い場所の近くだったの。
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St Thomas’ Hospital(聖トーマス病院)
ロンドン・テムズ河を隔てて、国会議事堂(通称:ビッグ・ベン)の真向かいにそびえる、英国最古の病院の一つ(英国最古の病院がどこか、ということについては、色々な説があるけれど)。
ここ、「人類の医療史上初の偉業」が、たくさんある。
ほんのごく数例だけど;
フローレンス・ナイチンゲールが、看護学校を創設した病院であり、
ハロルド・リドリー卿により、白内障の人工水晶体(眼内レンズ)が開発されたのもここだし、
近代ホスピス運動の草分けであるシシリー・ソンダース医師も、ここでのソーシャルワーカーとしての職経験や、その後入学した付属医学校での教育を経て、緩和ケアの考えを実践した。
ここ(写真下)は、英国の薬剤師にとっても、誰もが、一度は働いてみたいと夢見る「聖地」。
私は、英国に来た最初の年、この病院で、臨床薬学の病棟実習をした。数あるロンドンの病院の中で、ここに配属されたのは、偶然だったのかもしれないし、でもある意味、自分で運命をたぐり寄せたのかも。
でも、ここ、基本、「自由放任教育」だったのね。自分の好きな時間に病棟に行き、勉強したい症例の患者さんを見つけて、自分で考え、調べて、学ぶのが大前提。そして、「時々」指導薬剤師に会って、症例内容と治療方針をディスカッションする、という実習だった。そして、自分なりに完成した症例課題を、在籍していた薬科大学院や、ロンドン津々浦々の病院薬局へ出向いて口頭発表し、そこの教員や臨床薬剤師さんたちに採点されるという評価法だった。
実習の初日、病棟へ連れて行かれ、指導薬剤師の先生からのごく短いガイダンスの後、「じゃあ、これから一年間、ここがお前の『第2の我が家』になるのだから、ご自由にどうぞ」と言われた。「えーーーーっつ」と思った瞬間に、置き去りにされた光景が、今でもまぶたにありありと浮かぶ。
でも、この経験からなのね。臨床薬学は、実際の患者さんから学ぶのが、一番効果的な勉強法なんだって、身を以て知ったの。
それから、「人に1から10まで教わらずに、自分で学んでいく」という姿勢を、この実習を通して、徹底的に叩き込まれた。
なーんて、かっこいいこと言っているけれど、私は、前代未聞の劣等生だったの。
言葉の壁、薬学の基礎もあやふや、英国医療制度についての無知、日本との教育法の違いなどから勝手が分からず、殆どの症例発表をやり直しさせられた。他の学生より倍近い回数を行った記憶がある。毎日、どうしたら良いのか分からず、泣いていた。
指導薬剤師も、私のあまりの落ちこぼれぶりに呆れて、実習の途中からは態度を変え、(他の学生よりは)懇切丁寧に教えてくれるようになった。英国の一流エリートが集まる病院薬局の教育部長(が、私の専任の指導薬剤師だった)に、大学の薬学部生でも知っていなければならないことを質問していたから、先生、本当にびっくりしていただろうなあ。
でも、そこで、英国でも随一の大学病院の薬局教育部長であり、かつトップクラスの臨床薬剤師でもあった先生にすがりついて学べたことは、「一生分の運を使い果たした」と思うくらいラッキーだった。英国へ来た当初は、文字どおり、この先生の後ろ姿を追い、できることは全て真似していたから、そのDNA は、確実に受け継がれたと思う。
これこそが、私が、今、英国の臨床薬剤師として働くことができている、秘訣(笑)。
で、落ちこぼれ学生ながらも、この憧れの病院に一秒でも長く居たくて、勉強したくて、土日も欠かさず、お気に入りの病棟に参上していたの(写真下)。本当に、『第2の我が家』になっちゃった。
少しでも、病棟で何が起きているのかを知りたくて、忙しい看護師さんに代わって電話を取ってみたはいいけれど、電話の向こう側で言っていることが全く分からず、「英語の喋れる人に代わってっ!!!」と怒鳴られ、悔しかったり、
英国では、人が亡くなると、むき出しのブリキの棺桶がゴロゴロと病棟にやってきて、遺体が、他の患者さんなどの人目を憚らずに運ばれていくのだということを目の当たりにし、カルチャーショックを受けたり、
鎌形赤血球症や、嚢胞性線維症、結核などの患者が、頻繁に入院してきたので、「ああ、ここは本当に、人種のるつぼの国際都市なのだな」と改めて認識しながら、ありがたく症例課題に使用させて頂いたり、
ロンドン有数の観光エリアに所在する病院なのに、病院の裏手は(その当時は)貧困地区だった。肉親・親族が全くいらっしゃらずに亡くなる、アル中、ヤク中、エイズ患者などが、かなり多くいた。ロンドン・アイの観覧車が迫るように美しく見える高層階の病棟の窓際のベッドで、静かに息を引き取っていく患者さんたちを通して、英国の光と影を、毎日垣間見ていた。。。。
などなど、このSt Thomas’ Hospital 時代の思い出は、数えきれない。
あれから、18年の月日が経とうとしているけれど、ここは今でも私にとって、英国での生活と、臨床薬剤師としての挑戦の「全てが始まった」、忘れられない場所。
いつの日か、また、ここで、働きたい。
転んでも、あの頃よりはずっとうまく起き上がることを学んだ(はずの)、自分を確かめるために。
では、また。