日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

ロンドン大学薬学校 臨床薬学・国際薬局実務&政策修士コース (MSc in Clinical Pharmacy, International Practice & Policy)

 

英国では、9月になると、すっかり寒くなる。

そして、私は、毎年この時期になると、英国に移り住んだ頃のことを思い出す。

 

という訳で、今回から数回に分けて、私がこの地に住み始めた頃のことを、ちょっと書いてみようと思う。

 

私が渡英した最初の動機は、ロンドン大学薬学校 (The School of Pharmacy, University of London) の大学院(写真下)に入学したことだった。

Master of Science (MSc) in Clinical Pharmacy, International Practice & Policy (臨床薬学・国際薬局実務&政策) という1年間のフルタイムの修士コースだった。1998年に創設され、私は2000年9月に入学した。日本人を受け入れた最初の年だった。

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ロンドン大学薬学校(現UCL薬学部)正面玄関


このコース、驚異的なことに、今でも続いている。私の知る限りでも、私が在籍した後、日本人薬剤師も10名以上、このコースを卒業している。ただし、創設以来、コース担当責任者は、少なくても3代変わり、その間に、この単科薬学校は、ロンドン大学の最大規模カレッジである、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン (University College London, 通称 UCL) に吸収合併された。だから、当時の雰囲気とは、大分異なるみたい。でも、今でも、英国の臨床薬学というものを総括的に、比較的短期間で学べる良いコースだと思う。

英国の大学院で、英国人の学生に混じって臨床薬学を学ぶのだと思って渡英したら、世界中から集まった薬剤師向けの国際薬学コースなのだと知り、まずびっくりした。私が入学した年は、ベルギー、キプロス、エジプト、ナイジェリア、パキスタン、パレスチナ、サウジアラビア、シンガポール、そして日本からの学生の総勢11名だった。

その他、英国国籍の学生も3人いた。シンガポール系アイルランド人、香港系中国人、アルメニア系英国人で、ロンドンで、生粋の英国人薬剤師を見つけるのは難しい、ということが分かったのが、コース開始時の鮮烈な記憶として残っている。

 

この修士学位、1年の課程が終了したら、直ちに出身国へ戻り、「自国の臨床薬学の発展に貢献できるような人材になること」という目的で設立された国際薬学コースであった。

でもね、卒業後も英国へ残りたいと考える者が大多数だった。特に、発展途上国から来ていた学生は、自分の、そして家族のより良い将来のため、必死だった。

私も、英国に残りたいと思った。英国の臨床薬剤師たちの圧倒的な世界に魅了されたし、「臨床薬学」は、たった一年じゃ、とてもじゃないけど学びきれないと、このコース開始後、すぐ分かったから。

 

学期は3つに分かれていた。今、シラバスを見返してみたら、こんな内容であった。

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ロンドン大学薬学校 臨床薬学・国際薬局実務&政策修士コース2000-2001 シラバス

1学期:病院実習の一環としての、症例発表とレポート(*)。各疾患別の臨床薬学の講義。薬物動態学。英国の医療制度のしくみ。小論文(➡︎私は「薬学教育」についてのテーマで書いた)。薬学研究を行うに当たっての基礎、という連続講義もあった。それから薬学論文を読みこなす技術を学ぶための、ジャーナル・クラブという会も定期的に開かれた。

2学期:引き続き、病院実習をベースにした、症例発表とレポート。各疾患別の臨床薬学の講義。選択科目の履修(私は「薬学教授法」と「医療経済」を選択した。その他にも、「集中医療薬剤学」、「臨床栄養学」、「小児科薬剤学」、「オンコロジー薬剤学」も選べた)。その他、薬学社会学、薬学疫学などの連続講義。引き続き、ジャーナル・クラブ。それから、総合筆記試験。

3学期:選択科目の課題提出。自国と、自分が選んだ他国の医療制度の小論文(➡︎私は日本と米国を比較した)と口頭プレゼンテーション。卒論提出とその概要の口頭プレゼンテーション 

(*)病院実習の詳細についてご興味のある方は、過去のエントリ(⬇︎)もご参照下さい。

 

。。。。すごい、密度の濃いコースだったんだなあ、と今さらながら、驚愕。

大学院の講義は、大学内のフルタイムの先生方もいらっしゃったのだけど、数としては少数派で、大部分は、英国のトップクラスの臨床薬剤師や、その薬学分野での第一人者を、全国津々浦々から招き、担当させていた。だから、すごく実用的な話が聞けた。英国王立薬学協会総長の講義、といったものもあった。その当時、この組織が、英国薬剤師の免許登録先であったから(注:現在は、英国保健省下の独立機構に移管されている)、要するに、その時代の英国の薬剤師の中で、一番権威のあった方。でもなぜか講義中、教室の一番後ろの席におり、目立たぬようにしていた私の話すことを、とても面白がって聞いて下さったのを覚えている。

この臨床薬学・国際薬局実務&政策コース、少なくても私が在籍した時代は、このコースの創始者であり、現役のコース長であった先生の個人的ネットワークで、錚々たる講師陣を招聘していた。この先生のことは、いずれかの機会に、また詳しく書きたいなあ。真の意味で、英国の臨床薬学教育の一黄金時代を築き上げた「ゴッド・マザー」的な人だった。

 

ところで、英国の薬剤師は、免許を取得しても、それだけでは終わらない。薬剤師として働きながら、卒後教育の一環として、パートタイムで大学院に戻るのが普通だ。「ディプロマ (Diploma) 」と呼ばれる、修士 (Master) より一段下のレベルの、薬局実務に即した学位を取得するためで、特に、英国の病院薬剤師は、この学位がないと、事実上、昇格の機会が閉ざされるシステムになっている。

で、私が履修したこの修士コース、基本的には海外留学生ばかりの国際臨床薬学コースであったのだけど、講義の一部が、この「ディプロマ」取得を目指す、英国の若手臨床薬剤師たちのコースとも重複されており、授業で一緒に学ぶことが、たびたびあった。英国の意欲溢れる若手臨床薬剤師さんたちと対等になって、グループ学習などで貢献するのは、とてもハードルが高かった(事実上、太刀打ちなんてできなかったよ。。。)。でも、この「スーパーかっこいい英国薬剤師さん」たちと一緒にいると、「薬剤師って、こんなにエキサイティングな仕事だったんだ」とか、「私、今まで、日本で、薬剤師として、何をしてきたのだろう」、などと考えさせられ、英国で臨床薬剤師になる決心をしたんだよね。

今、自分が、ロンドンの病院の臨床薬剤師になり、あの当時、一緒に勉強した英国人薬剤師たちと、ちらほら再会することもある。皆、さらに昇進し、かっこよく、偉くなっている。

 

私は、毎日、課題の多さに泣きながらも、このコースを心底楽しんだし、殊の外、英国の国営医療病院での実習に衝撃を受けた。そして、日本で薬剤師として働いていた頃の「行き詰まり感」はここ、すなわち「真の意味で、実践に即した臨床薬剤師の指導教員がいないという環境」だったのだ、と確信した。でもその一方で、この修士コース、英国の教育システムならではの、「自主学習」に重きを置いていたため、海外薬剤師にとっては、あまりにガイダンスに乏しいと感じ、面食らうことも数多くあった。

そこで、私の卒業論文は、創立されて3年目だった、この臨床薬学・国際薬局実務&政策修士コース自体の「評価」をテーマとした。コース長も、私の実習病院での指導薬剤師(➡︎英国随一の国営病院の薬局教育部長であり、現役の臨床薬剤師でもあり、そしてパートタイムで、ロンドン大学薬学校の教員もしており、この臨床薬学・国際薬局実務&政策コース長の片腕的存在として、このコースを支えていた。詳細は、上記リンクの過去のエントリ「全ての始まり:ロンドン・聖トーマス病院」も合わせてご参照下さい)も、私の奇抜な卒論テーマを面白がり、サポートを惜しまなかった。そんなこんなで、この2人は、私の英国の大学院時代の最大の「恩師」であり、今日に至るまで、私の英国薬剤師としての「父と母」。

 

でもね、私、この卒論に没頭するあまり、提出締切日を守れず、その年の卒業を逃したの。まあ、卒業しなかった理由は他にも、色々あったのだけど。。。

ともあれ、この渾身の力を込めて書き上げた私の卒論(写真下)を元に、この臨床薬学・国際薬局実務&政策コース、海外薬剤師が、英国でもっと有意義に学べるように、それ以後、大分改善していったと聞いた。そして、私の病院実習の指導薬剤師の恩師は、この私の修士論文の一部をヒントにし、数年後、50歳半ばにして博士号を取得した。迷惑のかけっぱなしだった学生でも、何か恩返しができることがあったのだなって、すごく嬉しかったな。

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私の修士論文。2001年9月11日に最終提出した


あの教室で、一緒に勉強した仲間たちは、今、世界中に散らばっている。

英国にある程度の期間残り、職経験を経た後、帰国した者もいれば、中にはごく少数だけど、私のように、英国に永住した者もいる。

自国へ戻り、大学教授になった者もいる。自国の保健省に勤務したり、医療ジャーナリストになった者もいる。その後の世界中の薬剤師業務の意識を変えた、画期的な論文を発表した者もいる。ロンドンの名だたる大学病院で、国内でも希少価値の核医学専門薬剤師として勤務している者もいる。日本人の同窓生は、今、日本でも有数の革新的な病院で、医薬品情報業務を先率している。大切な友人の一人。

 

私は、前代未聞の落ちこぼれであったために、コース長やら、担当の指導教員に、ことの他、心配をかけた。でも、「バカはかわいい」を、まさに地でいったタイプ。一年目で卒業できなかったから、一度日本へ戻り、資金を貯め、翌年にまた英国へ戻ってきて、英国での就職活動をしながら、卒業した。

私の前述の2人の恩師は、2000年代中盤に、このロンドン大学薬学校を去り、新設大学の薬学部を立ち上げた。今でも定期的に、私を、そこの外部講師として呼んで下さっている。どうやら、他の卒業生にはあまり依頼していないようで、卒業生冥利に尽きる。

この2人、私が、その後、10年の月日をかけて英国の薬剤師になった時、本当に喜んでくれた。あの時の落第生が、ここまで来れると思っていなかったんじゃないかな。

 

2000年9月の初頭、ロンドン大学薬学校の教室に、臨床薬学を学ぶべく集まった世界中からの薬剤師14名中、私が、一番長い年月をかけて、夢を実現した。そして今、ロンドンの病院の臨床薬剤師の最前線にいるのは、私だけになっている。

 

あの頃の未来に、私たちは立っているのかな?

 

うん、(まあまあ)立っていると思う。

 


では、また。 

 

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ロンドン大学薬学校の前に昔から変わらず佇む公衆電話。最近、ロンドン市内のインスタ映えする場所として、知名度が上がってきているとのこと(笑)