日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

ロンドン大学 国際学生寮 (International Hall, University of London)

このエントリは、前回からの「英国に移り住んだ頃の話」のシリーズものです。

 

英国に移り住んだ最初の年、「International Hall(インターナショナル・ホール)」 と呼ばれるロンドン大学の学生寮に住んだ。

日本を飛び出し、スーツケース1つでやって来た異国での新生活の、最初の住処。何もかもが必死だった頃の(ほろ苦い)記憶のある場所。

この学生寮、ロンドンの中心地のブルームズベリーと呼ばれる文教地区の、大英博物館にもほど近い場所に所在してた。

 

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ロンドン大学学生寮 International Hall

 

ロンドン大学には、たくさんの「カレッジ」があり、そのカレッジが総称され「ロンドン大学」と呼ばれている。

各カレッジで、そこの学生だけが入居できる専用の寮を持つところもある。その有名な一例としては、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの「ラムゼイ寮 (Ramsay Hall) 」。英国のロックバンド「コールドプレイ」は、ここに住んでいたメンバーたちで、大学在籍中結成されたグループであった。

私は、学校から近ければ近いほど良い、という理由で、入学した薬学校から、庭を隔てた真向かいの「インターナショナル・ホール(国際学生寮)」というところを選んだ。ここは、どこのカレッジの学生も受け入れており、皆がごちゃ混ぜになって住むところだった。

で、ここ、住み始めてすぐ、ロンドン大学の数ある学生寮の中でも、一番最悪な所だということが分かったの(笑)。お風呂・シャワー室とトイレは共同。キッチンもなく、全員が地下の食堂で食べるという、「究極の共同生活」だった。

6階建ての、総勢570名ほどの大所帯が住む寮だった。若い(うるさい。笑)学部生は下の階、勉強に集中しなけばならない大学院生は上の階と住み分けがされていた。

私の部屋はW551号室だった。西棟の最上階の、一番奥の部屋の一つだった。ボロボロの部屋だったけれど、唯一の救いは、寮の中庭が一望できる素晴らしい眺めだったこと。 

 

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私が住んでいた「西棟 (West Wing)」。私の部屋は中庭に面していたので、ここからは見えない

 

同じ廊下沿いに住んでいた20人あまりの住居人が、私の「ご近所さん」となった。

斜め向かいの部屋に、韓国人の女性が先住していた。言語学の博士号を取得途中の学生だった。この人こそが、英国で、一番最初にできた友人。人が来ては去っていくというロンドンの街では珍しく、彼女も私と同じく、紆余曲折を経て、英国の永住権を得ることができたため、今日に至るまで親しく交友している。年齢が一つ違いなのだけど、誕生日も近く、私の姉のような人。お互いこの寮を去った後も、一時期、勤務先が偶然目と鼻の先になったりと、なぜか、とても不思議な縁で繋がっている。

それから、真向かいに、英国人学生がいた。電気技師をしていたのだけど、40歳を前にして人生を見直し、一発奮起して、国際公衆衛生学の修士課程に入学したと言っていた。正式な結婚はしていないけれど、ティーンエイジャーの娘さんがおり、時々「お父さんに会いに」、彼が住む小さな部屋を訪ねていた。でも、「娘の母親とは、最近、別れてね」と言っていた。色々な人生があるのだな、と学んだ。

ロンドンには、こういう人が星の数ほどいる。「社会人学生」の宝庫だし、他人は「いい歳して何をやっているの?」などとは決して言わない。そして、周りを見渡すと、色々なパートナーシップがある。この人は、卒業後、WHOのインターンとしてスイスへ渡ったのだけど、今、どうしているのかな?

京都大学の博士課程に在籍しながら、大学からの全額奨学金で留学しているという、見るからに秀才の日本人もいた。この方は、この寮での1年間で、やはりこの寮内に住んでおり、言語療法学を学んでいたシンガポール人のガールフレンドができたのだけど、一年後に彼は日本、彼女はシンガポールへ帰国予定、この関係をどうするのか悩んでいた。ロンドンという、人の流動の激しい街で恋愛関係を長続きさせるのは、実は、とても難しい。

哲学の博士課程に在籍している中国人女性がいた。いつも語学の壁にぶち当たっている私に「思うこと、伝えたいことがきちんとしていれば、言葉というものは自然と出てくるのですよ」などと、とても深淵なことを教えてくれた。

それから、祖国で思想・政治的に弾圧され、その支援組織に匿われるように博士課程を履修している男性がいた。なぜか、寮内の廊下で鉢合うことが多く、とても穏やかな人だった。私は、彼の氏素性を全く知らなかった。でも、ある日、たまたまロンドンの中心街の大通りを歩いていると、この人が先頭に立ち、彼が信条とするもののデモ行進が大規模に行われているのに出くわし、仰天した。その後、この人のスピーチ&討論会が、この学生寮内で行われると、世界中からの支持者やマスコミが殺到し、まるでハリウッド・スターのような記者会見場と化した。この人、のちに政治的亡命者として英国籍を得たと、大分後になってから、聞いた。

 

私は、この寮で、2001年9月11日を迎えた。

その日は、締切日から大分遅れた卒論をやっとのことで製本し、提出した日であった。

疲れ切った身体を引きずるように寮に戻ると、顔なじみになっていた寮の受付スタッフが、「知っているか? ニューヨークのツインタワーに、飛行機が突撃し、両ビルとも倒壊してしまった」と。

「え? え?」と何度も聞き直した。私の英語の聞き取り力不足から、間違った解釈をしているのだと思ったからだ。でも、最後には、私の耳がとらえたことは、とてつもないことであることが分かり、その場に呆然と立ち尽くしたことを思い出す。

その晩、寮内のコモンルーム(各階にある、学生用の共同の居間で、基本、ここにしかテレビがなかった)では、学生が群がり、皆、食い入るようにテレビを見ていた。

それはまるで、国連総会さながらの光景だった。世界中のあらゆる国から来た学生が、一同に寄り集まって暮らしていた寮だったからね。

 

ところで、話が前後するが、ある春先の週末、たまたまこの寮の部屋におり、静かに勉強をしていたら、ドアをノックする人がいた。

ドアを開けると、インド系の男性が、家族連れで立っていた。

「28年前、この部屋に住んでいた。ロンドンに家族旅行で来たが、懐かしいので、是非、中を見せてもらえないか」と言われた。突然の訪問にびっくりしたが、セキュリティのしっかりした寮だったので、受付の人に通されたのだな、と察し、

「どうぞ、どうぞ」と部屋へ招き入れた。

「全く変わっていない」と感慨深げに私の部屋を見渡した。それから、窓際に来て、花が咲き乱れる中庭を見渡した。この人も、ここからの眺めが、最高であることを知っていたのだ。

 

ロンドンは、夢や希望のある人が、人生を賭けてやってきて、挑戦する街。そして多くの人が去っていく。そして、次の日には、また多くの新しい挑戦者がやってくる。

私も、この街を、一度は、失意のうちに去った。そして、また戻って来た。

 

今まで、このエリアに時々来ると決まって、英国に来た頃、右も左も分からず、毎日を必死にもがいて生きていたことを思い出し、胸が苦しくなっていた。

でも、今回訪れて、なぜか、懐かしむ気持ちも出て来たの。

 

一所懸命ながらも、やり方を全て間違え、どうしようもないほど格好悪かった頃の思い出も、いつかは、愛おしい記憶になるんだね。

 

そして、今回、この寮を訪れて、一つの石碑が立っているのを見つけた(写真下)。恐らく私が住んでいた頃から建立されていたはずなのにも関わらず、気づかなかったのだ。ここに住んでいた年は、文字通り、無我夢中だったので、気に留める余裕すらなかったんだろうな。

 

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で、この石に刻まれた名前を見てびっくりした。ここ、1960年代、史上初の女性国連議会議長となったヴィジャヤ・ラクシュミ・パンディットにより開寮した学生寮だったんだーーー! そして、きっと、私の部屋を突然訪ねて来たインド人の方、この寮が建てたばかりの頃に入居した人だったんだろうな。 

 

実は、私がこの場所を去った2−3年後、この寮は大々的な改築工事を行った。あまりにもボロボロの状態だったからね。その際、寮の正面玄関の位置も変わり、内部もガラリと改装したと聞いた。 外観だけが、昔ながらの面影を残している様子。私の記憶にある思い出を壊したくなかったから、今回は、あの時のインド人の来訪者のように、寮の中には入らなかった。

でも、その代わりに、この寮から目と鼻の先のチャイニーズレストランに立ち寄った。寮の学食がとてもまずかったのと、時間制限がある中食べるのが嫌で、よく利用していたところ。いつも閉店前に行き、ウェイターさんに嫌がられたっけ。ロンドンの生馬の目を抜くレストラン業界で、かれこれ約20年も続いているので、今回食べても、確かに、手頃で美味しかった。

 

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私の英国在住1年目、数え切れないほど利用したチャイニーズレストラン「Hare & Tortoise」

 

ロンドンで生きていくのに、自分の食べ物の好みを保つのは、本当に大切。で、次の住まいは、自炊のできる学生シェアハウスにした。その時代の話も、いつの日か。

 

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住んだ学生寮から一番近かった地下鉄駅「ラッセル・スクエア」。大英博物館への最寄駅でもある

 

では、また。