このエントリは、シリーズ化で、前回の話はこちら(⬇︎)になっています。
2003年9月末。
英国での就職が決まらず、絶望の中、学生ビザが失効する日を、あと一日、あと一日と数えていた。
そのビザが切れれば、私は日本へ戻るしかなかった。
ちょうどその頃、どういう訳だか、住んでいた学生シェアハウスの住人たちで、「皆で一緒に食事をしない?」ということになった。
私は、元来、人見知りが激しく、非社交的な人。人の多い集まりとかには、滅多に行かない。でも、このシェアハウスの住人は皆いい人たちで、その時ばかりはふと、参加してみようと思った。ロンドン暮らし最後の日の一つだし、もう、こんな機会はないだろう、と思ったから。
で、結局、この食事会、その当時、その学生シェアハウスに住んでいた世界中からの若者約20名が、ほぼ全員参加した。皆でぞろぞろ連れ立って、ロンドン中心地の中華街へ出かけた(写真下⬇︎)。
行き先は、超有名レストラン「ワン・ケイ(Wong Kei) 」(写真下⬇︎)。本場の味で美味しく、激安。でも、ウェイターさんたちの対応が『超』ぶっきらぼう。ロンドンに長く住んでいれば、誰もが(→特に、貧乏苦学生は。笑)一度は利用したことがあるはずの名所。
全員で大きな円卓を囲み、それはそれは賑やかな会となった。そんな中、私は、あと数日で、英国を経つ。そして恐らく、もうここには帰ってこれないであろうということを、皆に言い出せないでいた。
一人一人の楽しそうな顔を、順に眺めていった。
ああ、この仲間たちが一人残らず、私の就職活動を手伝ってくれたんだな。そして、私は、この人たちの恩に報いぬまま、静かに英国を去ることになるんだな。。。 何だか、やるせない気持ちで、一杯だった。
(私、あと数日で、皆の前からいなくなるけど)今まで、本当にありがとね。と、一人一人に、心の中で別れを告げていた。
自分だけの、お別れ会だった。
この学生シェアハウスの仲間たちが、私の就職活動を助けてくれた経緯は、こちら(⬇︎)からどうぞ
そして、学生ビザが失効する前日。
母校ロンドン大学薬学校へ出かけた。アルバイトの最後のお給料を頂きに。そしてついでに、校内の図書館へ行った。
その当時は、まだインターネットでの求人応募が確立されていない時代で、私はここで、毎週月曜日に発行される「The Pharmaceutical Journal」の募集広告を欠かさず見て、求人をチェックしていたのだ。
英国人薬剤師・薬局スタッフに最も読まれている薬学雑誌「The Pharmaceutical Journal」の詳細は、こちら(⬇︎)からどうぞ
届いたばかりの最新号の求人募集のページをめくっていたその時、ある広告に息が止まった。
日本人薬剤師の M さんが先日勤務し始めたばかりの、西ロンドンの聖チャールズ病院のファーマシーテクニシャンの求人広告が、再度、そこに出ていたのだ。
先日の M さんの言葉が、耳にこだました。
「あと少ししたら、また求人が出るらしいよ。麻衣子ちゃんが応募して、来てくれたら嬉しいな」。
日本人薬剤師 M さんの英国での就職についての過去のエントリは、こちら(⬇︎)からどうぞ
咄嗟に「あっ、この求人、誰にも取られてなるものかっ!」って、そのページをびりっと破り取った(笑)。
そして、学校前の公衆電話に駆け込んだ。その時点で、既に午後。今からその病院へ応募用紙をもらいに行っても間に合わないだろう、と思ったからだ。
ちぎり取った求人広告の最後にあった人事課連絡先に直接電話をし、是非、応募用紙を郵送して下さいと、まくし立てるように請求した。
ロンドン大学薬学校 (The School of Pharmacy, University of London. 現UCL School of Pharmacy) 前に昔から佇む、有名な公衆電話については、こちら(⬇︎)からどうぞ
で、興奮冷めやらずに、受話器を置いたのだけど、そのすぐ後;
私、明日、英国を去らなきゃいけないのにね。。。
日本へ戻ったらもう英国へは帰ってこれないのに。ここで一体、何やってるんだろ。。。
って複雑な気持ちになった。
学生シェアハウスに戻ると、他の病院から取り寄せていた求人応募用紙も山のように届いていた。
でも。。。もう英国に戻ってこれないんだったら、これらに応募しても意味がないんだよなあ。
それらの応募用紙を自室の机に山積みにしながら、英国を出るための荷造りをし、部屋の掃除もした。
そして、夜になり、就寝すべくベッドに入ったのだけど;
眠れなかったのだ。
不本意に、未完のまま、英国を去る悔しさで。
がらんどうの部屋で、消灯した真っ暗な部屋でかすかに目に映るのは、荷造りされたスーツケースと、机の上に山積みにされた、未開封の求人応募用紙。
で、結局、私はベッドから起き上がり、
最後の悪あがきとして、それらの求人応募用紙を記入することにしたのだった。
住人たちが皆寝静まった、静かな静かなシェアハウスで、小さな机のランプの光を頼りに、無我夢中で、ペンを走らせた。
真夜中、夜明け、そして徐々に日が上がり、朝になっていくのを自室の窓から感じ取りながら、その間、私は一睡もせず、次から次へと応募用紙を仕上げたのだった。最後のあたりは、手が麻痺して動かなくなっていた。
何が私を突き動かしていたのか。
今となっては、本当に、分からない。
午前8時頃、手元に残っていた全ての求人応募用紙(8−9通?)を書き上げた。そして、頭痛と吐き気で朦朧とした頭と、疲労困憊の身体を引きずりながら、勤め人たちが忙しそうに駅へ向かう逆方向を歩いて、最寄りの郵便局まで行き、封筒の束を投函した。
その時点ですでに、私には、時間の感覚が、無くなっていたのだと思う。
学生シェアハウスに戻り、いよいよ出発だった。自室の鍵を明け渡しに管理人室へ行くと、メアリーさんが、満面の笑顔で抱きしめてくれた。
「休暇を楽しんでくるのよ! あなたの部屋は、できるだけ、誰にも貸さないようにしておくからね」
「うん、うん」と頷きながらも、
(実はね、休暇じゃないんだよ。私、これで、英国とはおさらばなんだ。。。。 今まで本当にありがとう、メアリーさん)
って心の中でお礼して、別れた。
重いスーツケースを持ち、涙が止めどなく流れる中、地下鉄を乗り継ぎ、西ロンドンのヒースロー空港(写真下⬇︎)へ向かった。
予約していた便は「ブリティッシュエアウェイズ(英国航空)」。
ターミナルに着いてみると、カウンターは、今まで見たことのないぐらいの長蛇の列であった。
その当時、ブリティッシュエアウェイズのロンドンヒースロー⇄成田間は、一日2便飛んでいた。しかも、その2便の間には3−4時間ぐらいの時間差しかなかった。それ故、
「ああ、両便の乗客が同時にチェックインをしようとしているから、こんなにも人だかりなんだな」
と(勝手に)思い込んだ。
騒がしい放送が流れていたようであったが、徹夜で、精根尽き果てるまで求人応募用紙を書いていた私には、どんな周囲の音も会話も、もはや聞こえなかった。ぼーっと、自分の番になるのを待った。
そして、自分の番となり、チェックインカウンターへ辿り着くと、こうであった。
「お客さま。。。お客さまの便は、搭乗手続き、すでに終了しております」
「え。。。?! 私、この列に1時間以上も前から並んでいました」
「1時間前が、ちょうど前の便の最終チェックイン時刻でした。前の便に搭乗の方は優先チェックインするので申し出るよう、何回も放送していたのですが」
「。。。。。。。ぎゃーーーーーーーーーーーーーーあああああああ!!!!」
要するに、私が並んでいた長蛇の列は、次の便の乗客たちの列であったのだ。
カウンター担当の方が、即座に受話器を握り、方々へ電話をしてくれたが、その時点で私が乗る予定であった便のゲートはすでに閉まり、滑走路へ向かっているとのことだった。搭乗は「絶対不可」であった。
「次の便に空席はありませんか。。。?」と消え入るような声で訊ねると
係の人は、コンピューターを検索した後、
「一席も空きがありません。満席です」と。
身体中の血の気が引いた。
求人応募用紙を徹夜で書いていたから、疲労困憊で、時間の感覚もなくなり、このような事態になったんだ。。。
まさに、泣きっ面に蜂だった。
同時に、怒りが込み上げてきた。
私の2年間の英国滞在の最後の結末がこれ? ってね。
そして、こう訴えた。
「今日、私の英国の滞在ビザ、失効してしまうんです。だから、何が何でも、英国から出国しなければならないんです。もし、私を次の便に振り替えることができない場合、御航空会社は、外国人の違法滞在を手助けしているってことになるんですよっ! 地下とかの貨物スペースでも構いませんので、とにかく乗せて下さい!! お願いします!!!」と。
必死だった。今後、例えば、数年後でも、英国へ戻ってこれるような場合のことも考えて、パスポートを汚したくなかったのだ。
絶体絶命な状況であっても、恐らく、心の片隅で;
「これで終わりには、決してさせない。いつの日か、また英国へ戻ってきて、臨床薬剤師になる」と、誓っていたのであろう。
悪いのは、全くもって、飛行機の時間を間違え、空港内のアナウンスも聞いていなかった私なのであった。でも、その頃、私は、英国での就職面接試験を立て続けに受けていたお陰で「たとえ自分に非があっても人を説き伏せる」という弁論術を学びつつあった(→注:英国人は、ホントに、この才能に長けています。笑)。
私の脅迫じみた訴えに、カウンターのスタッフの方々も、バタバタと救済の手配に走って下さった。やはり「本日中に、英国滞在のビザが失効する乗客がいる」というのが、最大の懸念であったのであろう。
そして、大分時間が経った後、こう説明を受けた。
「次の便の空席を待ちましょう。キャンセルが出れば、無料で席をご用意できます」
「もし、空席が出なかった場合は。。。?」
「誠に申し訳ありませんが、その場合は、お客様ご自身の手配で、他の航空会社を探して頂くことになります」
「。。。。。。。」
それから数時間に渡る、宙ぶらりんの状態が始まった。永遠とも思える長さの、拷問のような待ち時間であった。
「とにかく、お願いだから、キャンセル席が出ますように。。。。」と祈るしかなかった。
もし、空席が出なかったら、どうするんだろう?
とにかく、今日中に英国を出国しなきゃなあ。でなきゃ私、本当に、違法滞在者になってしまう。
英国から一番近い国の国際空港として。。。フランスまで行くことになるの? でも、他の航空会社にしても、今日の便の当日券ってあるのかな?
それとも、ユーロスターでパリに行くか。。。
でも、ユーロスターで着いても、そこからパリの国際空港の行き方、知らないんだよね。
で、パリから帰国するとしたら、航空券も新たに購入しなきゃいけないな。もうお金ないよ。日本へ帰れないかも。。。
居ても立ってもいられず、空港ターミナル内をふらふらしながらも、ほぼ15分毎にカウンターへ戻り「空席が出ましたか?」と聞きに行った。そして、「いえ、まだ。。。」と首を横に振られるということを何度も何度も繰り返し、数時間が過ぎていった。
そして、その満席であるはずだった便の出発時間が、わずか40分前に迫った時;
「1つ空席が出ました!」と。
もう時間がなかった。スーツケースも預けられず、全て機内持ち込みで良いと言われ、ブリティッシュエアウェイズの係員の女性と共に、出国セキュリティゲートへ駆けつけた。
その女性は、セキュリティゲートのスタッフに私の事情を話し、優先レーンへ通してくれた。
そして、こう言われた。
「搭乗口まで急いで下さい。あなたが到着次第、出発するとのことです」と。
「あ。。。あの。。。本当にありがとうございました。お名前は?」と涙ながらに聞いた。
この方のお名前は、今でも忘れることができない。まごうことなく、私の英国生活での恩人の一人。彼女のお陰で、私は、パスポートの記録に傷がつくのを回避でき、時は巡りその約5年後、英国の永住権を手にすることができたのだから。
私が無事、機内へ乗り込むと、すぐに機体のドアが閉じ、飛行機は滑走路へと向かった。
そして、その文字通り満席の便が、定刻通り離陸した瞬間、私は、
「英国のバカヤローーーーーーー!!!」
と、心の中で叫んでいた。
この後の話は、「英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話」のシリーズ化として、これからも続きます。
では、また。