日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国で初めて医者へ行ったときの話

このエントリは、前々回からの「英国に移り住んだ頃の話」(⬇︎)のシリーズものです

 

英国の大学院に入学した途端に、体調を崩してしまった。当時は、若くて、病気一つしなかった私だったので、「何かおかしい」と思ったが、まさか風邪とは思わなかった。

日本の病院薬局の職場を退職後、数日のうちに東京のアパートを引き払い、英国へ渡り、1週間以内に大学院に入学した、という無茶なスケジュールだったので、体力が落ちていたのだと思う。

英国の建築様式が古い建物は、窓枠が木製で造られていることが多い。その場合、大概、窓がきちんと閉まらない。私が住んだ学生寮もご多分に漏れず、建て付けが悪かった。渡英して2−3日間は、窓がきちんと閉まっているのかすらも分からず、隙間風が吹く中、寝ていた。今考えれば、風邪を引いて当然の状況であった。

 

大学院に入学したてで気が張っており頑張っていたが、翌日には高熱を出して、フラフラになってしまった。

英国へ来たばかりで、医者って、どこに行けば会えるのだろう、ということすら知らなかった。

助けを求めるように、入学した大学院の教務課へ行くと、「大学付属の家庭医診療所へ行きなさい」という。

そこはどこなのかと尋ねたら、

「大学本部の裏の一本道を隔てた、ガウアー・ストリートにある。。。ペラペラペラ。。。ペラペラペラ。。。(→この部分は、その当時、語学の壁があり、全く聞き取れなかった)」と言われた。

英国の住所は、日本のように「何丁目何番地」とは表示されない。どんな小さな道や通りにも名前がついており、その名前から、地図で探していく。

で、その「ガウアー・ストリート」はここから何分ぐらいか、と聞くと

「10分ぐらいかな」とのこと。

とにかく、身体が辛く、この状態をなんとかして欲しいと、身体を引きずるようにして、その通りの辺りまでフラフラと歩いて行った。

 

でも、その教えてもらった「大学付属の家庭医診療所」、なかなか辿り着けなかったのね。教務課の人は、長身の英国人だったから、彼の足で行けば本当に10分ぐらいだったのかもしれないけれど、小柄で、しかも体調不良で足取りもおぼつかない状態であった私の歩調では、実際、20分ぐらいの所だったの。その誤差に惑わされて、途中、何人もの通りすがりの人に、何度も方向を尋ねるのだけど、なかなか辿り着けない、そして、やっとその通りに辿り着いても、診療所の場所自体が分からない、そして、その間に体力を消耗し、身体の状態はさらに悪化していく。。。 という最悪なパターンとなった。今だったら、グーグルマップで、一発で探しだせるのにね(笑)

で、やっとのことで、その「大学付属の家庭医診療所」とやらを見つけると、そこは何の些細もない、英国の普通の住居のような建物だった(写真下)。だから、まさかここが診療所であると思わず、その前を何度も、行ったり来たりとうろうろしていたという訳。英国の診療所は、日本のクリニックのように派手で一目で分かる看板を掲げないのだ、ということが、そこで分かった。

 

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英国で最初に登録した、ロンドン大学付属の「家庭医診療所」

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普通の住居のような建物の「家庭医診療所」。英国では、医療機関でも、大きな看板を掲げないところが多い



重たいドアを開け、受付の人に、やっとの思いで

「診てもらいたいのですが」というと

「ここの家庭医に登録しているの?」と聞かれた。

「初めてです」というと

「じゃあ、今日はだめ。まずは、患者登録の手続きが必要で、その担当者は、今日はもう帰宅してしまったから」と言われた。

 

「へ?(こんなに重体なのに診てもらえない???)」

 

「いつが最短ですか」と聞くと、

「5日後」と言われた。

 

「5日後?!?!?!?!?」

こんなに高熱を出しているのに?????

 

そのショックから、その場で失神してしまいそうであった。日本だったら、こんな時、即医師に診てもらえ、今の私ぐらいの症状だったら、点滴を受け、総合感冒薬と抗生物質と、それからイソジンうがい薬とトローチが、速攻処方されるよーーーーーっつ、と叫びたかった。

その時、私は、英国の医療制度では、皆、「家庭医」と呼ばれる、かかりつけの医師に登録せねばならず、登録をしていないと診察すら受けられないという「えらい目」に遭うのだということを体得した。

でも、交渉するほどの英語力も体力も持ち合わせていなかったこと、そして、受付の方が、ものすごくぶっきらぼうで、「この5日後の予約枠を取らないのだったら、さっさとそこをどいて」と言わんばかりの態度だったので、仕方なく、その「5日後」の予約を取った。

 

「神も仏もない国だなあ(→イギリスはイングランド国教会が国教だから、宗教観が薄い。だから当然といえば当然なのだけど)、大学院が始まったばかりで、すでにコースの課題が山のようにあるのだから、こんな時に病気になってられないのに。。。。。」と半べそをかきながら、トボトボと学生寮に戻ってくると、廊下沿いに、例の、元電気技師・国際公衆衛生英国学生の部屋のドアが半分開いていた(この意味が謎の方は、上(⬆︎)のリンクの「ロンドン大学 国際学生寮 (International Hall, University of London) 」のエントリをご参照下さい)。

 

部屋をちょっと覗くと、「おー、どうした」と声をかけてくれた。

ここで不満が一気に爆発し、「高熱を出して、家庭医に行っても診てもらえなく、5日後の予約と言われたーーーーっつつつ(泣)」と話すと、一言。

「何で、わざわざ家庭医に行ったの? 時間の無駄だよ」

「。。。。。へ???」

そして

「薬局へ行って、アスピリンと亜鉛入りビタミンCを買い、のめ。この国では、風邪の時は、みんなそうしている」

と言われた。

 

私は、日本で、曲がりなりにも薬剤師であったから「日本では、風邪の時に、アスピリンなんてのまないんだけどな。。。」と思いつつ、でも、もうすがるものはこれしかないと、さらにフラフラした足取りで、学生寮の近くにあった、英国の大手チェーン薬局の「Boots」へ出掛けた。言われた通りに「アスピリン300mg錠 一箱 16 錠入り」と「亜鉛入りビタミンC」を買った(写真下)。両方買っても、当時2ポンド(300円程度)程度だった。英国の薬は、あり得ないほど安いな、とびっくりしたのを覚えている。

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英国大手チェーン薬局 Boots のアスピリンとビタミンC+亜鉛剤。ビタミンC+亜鉛剤は発泡錠で、水に溶かして、スカッシュのようにしてのむ

 

その夜は、言われるがままにこれらを服用し、「もう、明日には、絶対立ち上がれなくなっているはずだ。これで死んだら、あの診療所を訴えてやる。いや、ここで死んじゃったら、訴えられないな。。。で、誰が私の死体を発見するんだろう。。。」などと、高熱にうなされながらも、頭の中でぐるぐると、果てしない妄想と、最悪の事態を考えながら寝付いた。

 

でも、その翌朝;

昨日の状態とは雲泥の差で、症状は軽減していた。まだちょっとフラフラしていたけど、起き上がれて、無理をしたけど、学校へも行けたのね。

それから数日間、ずっとこのアスピリンと亜鉛入りビタミンCを服用し、本調子ではなかったものの、この風邪を乗り切った。そんな中でも、大学院のコースでは、初めて英語で人前で喋る「プレゼンテーション」を行ったから、実際は、相当頑張ったのだ。

そして迎えた5日後、風邪はほぼ回復しており、自分でも、もう医者はいらないな、と思いつつ、でも予約したんだから念のためにと、家庭医診療所へ行った。

 

医師のいる診察室へ通されると、

「あー、でも、もう治りかけでしょ」と一言。即座に受話器を取り、どこかへ電話したかと思うと、別の部屋へ通された。

そこは、看護師の部屋だった。

看護師さんは、

「風邪は、パラセタモール(=アセトアミノフェンの英国名)かアスピリンと、亜鉛入りビタミンCをたくさん摂って治すのよ。薬局で買った?」

「はい、両方とも服用していました」

「じゃあ、それを治るまで続けてね。ロンドン大学の留学生ということだけど。。。 海外から来たばかりの学生というのは、自国から環境が変わって、風邪を引きやすいの。気をつけてね」

という、2ー3言で、診療は、お終いだった。だから、この診療所から、薬が処方されることは一切なかった。

あの元電気技師・国際公衆衛生英国人学生が言った通りだった。この国では、「風邪ぐらい」では、医者へは行かない。薬局へ行き、自分で治すんだな、ということが腑に落ちた瞬間だった。「セルフ・メディケーション」なんてコンセプトもなかった頃から、ここ英国では当たり前のように、それが実践されていた。そして、医師も自分の診察時間を無駄にしたくないから、他の医療従事者でも対応できることは、さっさと同僚(→今回は、看護師)に廻すんだな、ということが、よーく分かった。

 

こんな(子供騙しな)診療でも、終わったからには会計をしなきゃと思い、診察後、また受付に行くと、

例のぶっきらぼうな受付の方は、これまた、「何しに来たのよ」と言った態度。

「あのー、お会計は?」と聞くと、びっくりしたような顔をされ、

「この国は、医療は無料なのよっつ! (仕事の邪魔だから)さっさとそこをどいて帰って」

と言われた。

追い出されるように重たいドアを開け、診療所を後にした時、「お金を払わないで、医院を去るって。。。何だか、レストランで食事をした後、食べ逃げしているよう」

と思った。

 

以上が、私の、英国に移り住んでから、一番最初の「医療体験」。

 

英国に移り住んで18年が経つけれど、この時期の英国国営医療サービス (NHS) は最悪だった。80年代のサッチャー首相時代からの「医療崩壊」を改革すべく、政権を掌握したブレア首相が就任して数年目の時期で、ようやく国営医療の改革のテコ入れがなされようとしていた、まさにその幕開けの時だったからね。英国の医療は、自分が患者になってみると、何もかもが機能していないと、日本からやって来て1−2週間目だった私にとっても、それは一目瞭然であった。

特に、当時は、医師不足が顕著で、普通の人が家庭医の診察を受けるだけでも、最低5日、下手をすると2週間ぐらい待たされるのが当たり前だった。家庭医は、医学校を卒業して3年すると、すぐになれるような時代だった。だから、医師の質にもばらつきがあった(注:現在は、2年間の研修医期間を終了後、3年間の家庭医としての専門訓練、つまりは最低5年以上の実地経験を経ないとなれないシステムに変革しています)。

でも、そんな時代だったからこそ、医師不足を補うべく、薬剤師の職能が広がり、処方薬剤師の免許も制定され、職能の拡大した薬剤師の仕事の補佐をする、ファーマシーテクニシャンの需要も増えた。英国の医療の質自体に国家標準を持たせようと、NICE が設立され、医療安全のために、クリニカルガバナンスのコンセプトも打ち出された時代だった。そんな英国の医療の稀に見る変革のダイナミズムを目の当たりにしつつ、その国営医療サービス (NHS) 組織内で、薬局スタッフとして働くことができる幸運に、私は、後に、恵まれたのだ。

 

この「ロンドン大学付属家庭医診療所」へ行ったのは、後にも先にも、これが最初で最後だった。その後、私は、ロンドン市内を数回転居の後、西ロンドンのすごく腕の良いユダヤ系英国人の年配女性の家庭医に長年登録していた。その一方で、緊急時、救急車で運ばれた際には、近隣の大学病院で、あり得ないほど最悪な扱いを受けたりと、患者として利用する英国医療サービス (NHS) に関しては、悲喜こもごも。 

 

ちなみに、この、私が英国へ来て一番最初に登録した家庭医である、ロンドン大学付属家庭医診療所の所在地の「ガウアー・ストリート」(写真下)、夏目漱石がロンドン大学留学時代、一番最初に住んだ通りだそう。

 

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夏目漱石は、英国留学中に神経衰弱を発症し、それが、彼の後の作品に大きく反映したと言われている。うん、確かにここ、ちょっと煤けた通りだよ(笑)。

 

私にとっても、ここが英国医療の原体験。それから18年、英国の医療の様々な変革を見続けてきたけれど、英国で一番最初に、患者として家庭医に行った時のことは、この国の医療制度が全く分かっていなかった故に、仰天に次ぐ仰天の連続、今でも鮮烈な記憶として残っている。

 

では、また。