このエントリは前回(リンク下⬇︎)からの続きとなっています。英国にほぼ4半世紀住んできた中で、自身の登録してきたかかりつけ医や、病歴を振り返る短編シリーズとなっています。
4)サリー州の大型かかりつけ総合医療センター (2014年 1 月ー2020年 10 月)
2013 年 11 月、私は南ロンドン・サリー州境の大学病院の新卒臨床薬剤師の就職試験に合格した。これが英国での薬剤師としての仕事の、本格的な一歩となった。
私が英国に移り住んでからの道のりにご興味のある方は、以下のエントリ(リンク下⬇︎)をどうぞ
英国国営医療サービス (NHS, Natioanl Health Service の略) の病院に「新卒薬剤師」として入局すると、通常、ローテーション業務から始める。まずは調剤室、医薬品製造、医薬品情報室、高齢者病棟、外科病棟といった基本業務を数ヶ月交代で廻っていき、徐々に高度な専門・臨床業務へとステップ・アップしていくのだ。
現在、英国の大学病院は、地域内の近隣の2−4つほどの大小病院が連合した形でグループ化され、運営されているところがほとんど。その場合「医薬品製造部は A 病院」「医薬品情報室は B 病院」に設置、といった具合に、薬局業務の棲み分け・効率化がなされている。それに伴い、新卒薬剤師は、数ヶ月おきに異なる病院を渡り歩くように働いていくものだ。でも、蓋を開けてみると、私の新卒薬剤師としてのローテーションは、最初の1年間はほぼ全てサリー州の一般病院、2年目は全て南ロンドンの大学病院での業務と、固定されて組まれていた。
ということで、私は意を決して、それまで住んでいた西ロンドン地区から、初勤務地となるサリー州に移り住むことにした。そしてこの引っ越し後、まずやったことと言えば、「かかりつけ医院」の登録変更だった。
それまでの「赤ひげ先生=個人かかりつけ医院」ではなく、大勢の医師が勤務している近代的な「大型かかりつけ医総合医療センター」を試してみようと、その地域で最も大規模なかかりつけ医院に登録した(写真下⬇︎)。
このサリー州に住んだ1年間は、私自身、婦人科系のトラブルが絶えなかった。という訳で、ある日思い余って、かかりつけ医の予約を取った。
診察室で待っていたのは、かかりつけ医専門の資格を取得中の男性研修医師だった。なるほど、大型のかかりつけ医院内では、かかりつけ医の卵たちの実地訓練も行っているのだな、という状況もそこで目の当たりにした。
予約時に、女性医師でお願いしますって言ったはずなのにな。。。と思いつつ、口にするのに羞恥のある症状も、その訓練医師に正直に話さなければならなかった。
その若い男性医師は、私の症状の治療や解決法がいまひとつ分かっていない様子だった。英国国家医薬集のページを、私の目の前で一生懸命めくりながら、頭を抱えて処方箋を書いていた。
診察室を出た後、腑におちず、受付の方に、
「今回、女性医師を指定したはずなのに、男性の訓練医師の診察を受けたのですが。。。」と申し出た。すると、予約時の受付のミスであったことが判明した。
受付の方々は平謝りで「これから今すぐ、女性医師の診察を手配します」と。(英国人は、何事においても、ミスを認めたがらない人が多いので)珍しいほど丁重な対応だった。
そこですぐ(恐らく他の患者さんの診察を割り込む形で)別の女性医師に診てもらうことになった。
で、この先生が、大当たりだった。
J 先生という、私より少し年上の「知的かつ心優しいお姉さん」といった雰囲気の医師だった。英国北部の訛りのある話し方だった。私のケースに限らず、日頃から、医院のスタッフからの(無理な)お願いにも臨機応変に対応している人なのであろうことが感じ取れた(→注:英国人は、南部より北部の人の方が、堅実で親切な人が多いと言われている。あくまで一般論ですが、この見方、私も同意しています)。
私に提案してくれた治療も納得のいくものだった。この診療に大満足した私は、
「これからは、ずっと J 先生の予約を取ろう!」と心に決めた。
大型かかりつけ医院では、たとえ自分の登録かかりつけ医でなくても、他の医師の診察も、自由に選ぶことができる。例えば、糖尿病を専門にしている先生、喘息を専門にしている先生、そして、今回の私のケースのように婦人科に対応できる女性の先生、といった具合に。かかりつけ医も「専門化」してきたのだということを、私自身、この大型かかりつけ医院に登録して以来、直に肌で感じ取ることができた。
1年目の初期ローテーション業務が終了した後の 2015 年3月、私は、2年目のローテーション業務開始に合わせて、南ロンドン地区に引っ越した。でも、その時点では、その先の将来が未定(注*⬇︎)であったため、かかりつけ医の登録はあえて変えずにしておいた。
(注*)英国の薬剤師は、より良い就職先を求めて、2−3年毎に転職する人が殆どです。でも私は結局、未だ一度も転職をせず、新卒で入局した病院にかれこれ 10 年間居続け、そこで内部昇格を繰り返した(リンク下⬇︎)、非常に稀有な薬剤師となっています。
その引っ越し直後の 2015年5月、私は暴漢に襲われた。
南ロンドンのクロイドンという町で、なんと英国の治安を司る内務省総本部から 100 メートルも離れていない場所での真真っ昼間の出来事だった。その時持っていた全ての所持品を一瞬のうちに奪われた。恐らくそのエリアの端のスラム街に住む少年ギャング達の仕業であり、ナイフを持ち歩いていただろうから、殺されなかっただけでも幸いだと言われた。ちなみにこの事件、警察が(一応)動いたが、今なお未解決で迷宮入りだ。
本来ならば、この事件の急性ストレスが癒えるまで、仕事を休むべきであった。でも、当時の私はまだ英国で薬剤師になったばかりの「新人」で、ものすごく要求の高いローテーション業務の最中であったため、日本流に「頑張らなくちゃ」と、即(何事もなかったように)職場復帰した。
でも、心の中はボロボロだった。次の週末、ロンドンの中心街を歩いていた時に、ふと例えようのない悲しみに襲われ、私は、道にしゃがみこんで、泣き崩れた。一緒にいたパートナーは即座に、私が精神的に大危機に陥っていると判断し「緊急医療室の精神科に行こう」と提案してくれた(→注:私のパートナーは、英国国営医療サービスの精神科の分野で仕事をしています)。英国では、かかりつけ医で精神科に精通している者は少なく、かかりつけ医からの紹介で精神科の専門医に診てもらおうとすると、受診まで数ヶ月は待たされてしまうからだ。
それでその晩、自分が勤務している大学病院の夜間緊急精神科サービスに駆け込んだが、「この大学病院とあなたのかかりつけ医院は管轄が違うので、診れない」と診療を拒否された。
こんな危機的状況でも医療にアクセスできない英国の医療サービスを恨みつつ、毎日毎日、ポロポロと止めどなく涙を流し、私はその後、2週間欠勤した。
でも、そんなことがあっても、私は、そのサリー州のかかりつけ医の登録を変更せずにいた。良いかかりつけ医を新たに探すのは、一苦労だと分かっていたので。
その数ヶ月後、私は勤務中、突如、原因不明の呼吸困難になった。あの暴漢事件の後遺症で、パニック障害に陥ったのかと危惧した。
でも、かかりつけ医の J 先生の診察を仰ぐと、甲状腺障害であると突き止めてくれた。大感謝だった。大学病院の専門医を紹介されたが、幸い一過性のもので、1−2年で症状は消えた。
その期間、対処療法として、プロプラノロールを頓用で服用していた。この大型かかりつけ医院内には、大手チェーン薬局も入っていた。そこのかかりつけ医が発行する処方せんの調剤を一手に引き受けており(写真下⬇︎)、とても便利だった。
でもね、良いかかりつけ医との付き合いは、決して永久のものではない。
2018 年の冬場、風邪をひどくこじらせ「J 先生の予約を」と電話をすると、
「J 先生ね、最近、お父様が亡くなられて、今、実家に帰っている。いつ復職するか未定」とのことだった。
英国国営医療サービスのスタッフは、身近な人が亡くなると、十分すぎるほどの「死別休暇」が与えられる。特に、緩和ケア部門にたずさわっている人は、早期に職場復帰するとフラッシュバックが起こりやすいとされているため、3ー6ヶ月ほど休みを取る人さえいる。
結局、J 先生はいつの間にか、このかかりつけ医院から退職していた。
恐らく故郷の英国北部の町に帰り、そこでかかりつけ医をすることにしたのだと推察している。
ちなみにこの時、J 先生の予約が取れず、誰でもいいと言って診てもらったのはナースプラクティショナーだった。簡単な症状は、看護師や薬剤師が診ていくという、英国の新しい医療政策の始まりの頃だったと振り返っている。
そのナースプラクティショナーさんは、聴診器で私の肺音を聞きながら「肺炎の一歩手前って感じね。アモキシシリンを出しとくわ」と言った。かかりつけ医は滅多に抗生物質を処方しないのでびっくりした。あれ? ナースプラクティショナーは、容易に抗生物質を処方するんだな、ってね。
これこそが、私が英国に移り住んでから、初めて抗生物質を服用したケースとなった。
5)南ロンドンの住宅街のかかりつけ医院 (2020年 10 月から現在に至る)
2020年秋、私は、頸後部に長年できていたしこりの除去のため、緊急手術をすることになった。
その時の一部始終にご興味のある方は、こちら(⬇︎)をどうぞ。全8話のシリーズとなっています。
手術自体は大したものではなかったが、術後約5週間、創傷治癒のため、傷口の洗浄や、被覆剤の交換が必要で、2−3日毎に看護師の元へ通うことになった。
この術後フォローアップは、本来であれば、登録しているかかりつけ医院内にて行うべきものであると告げられた。でも私は、その時点でもかかりつけ医院をまだサリー州から移していなかった。現在のロンドンの自宅からあまりに遠い医院(→タクシーで片道40分ほど!)であることと、手術をしたのが自身の勤務先の大学病院であったため、この術後処置は勤務先の外科外来治療室でやってもらえることになった。一般の人は、こういった優遇措置は不可であったであろうから、本当に助かった。
でも、この一件から「いよいよかかりつけ医を、近所に変えなきゃダメだな」と決心した。
それで、同僚たちに「この地域で、評判の良いかかりつけ医院って、どこ?」と聞き回ると、皆、口が重い。
「マイコ。。。このエリアのかかりつけ医院は、どこも最悪だよ」と 😱😱😱。
しかも;
「この地域は、かかりつけ医の選択を間違うと、命を落とすことにもなりかねない(=ヤブ医者が多い)」
と脅かす同僚すらいた 😱😱😱😱😱。
結局、信頼のおける同僚の一人が「まあここは、この界隈の中でも『まだいい方』だ」という医院に登録した。個人かかりつけ医院でもなく、大型かかりつけ総合医療センターでもない。5名の医師たちで運営されている、中規模のかかりつけ医院だった(写真下⬇︎)。
英国のかかりつけ医院は、普通の住居を改造した場所が多いです。そんな外観のいくつかは、過去のこれらのエントリ(⬇︎)もどうぞ
ちなみに私は、このかかりつけ医院にかれこれ4−5年登録しているが、建物の内部に足を踏み入れたのは、未だたったの一度だけ。登録の際に、そこで働く看護師さんとの顔合わせが必要で(写真下⬇︎)、それで訪れたのみだ。
2020年末から2021年初頭にかけて、新型コロナウイルス (COVID-19) に感染した。その回復間際に、このかかりつけ医院に病欠証明書を取りに行くと、受付は、一般の民家の元台所だったところを改造した場所だったようで、その曇りガラスの窓の狭い隙間(写真下⬇︎)から(スッ)と手渡された。だから、私は受付の方々の顔すら見ていない。
そして、数ヶ月前、新型コロナウイルス (COVID-19) に再感染(?)した際は、かかりつけ医の予約は一杯だと言われ、そこで働く薬剤師の「電話診療」を受けた。
その時の話にご興味のある方は、こちら(⬇︎)からどうぞ
英国の特に1次医療は、最近どんどん「リモート化」「バーチャル化」していっているのを、日々、感じている。
私自身、今は比較的健康なので、このエリアに住んでいても問題はないが、将来的にはどうなるのかな。。。という不安がある。老後に備えて、もっと医療サービスの良いエリアに引っ越した方が良いのではないかと、目下、真剣に考えている。
英国の医療の質は皆どこも一緒、というのは真実だ。でも、そのアクセスやサービスの良さは、やはり地域ごとに差があるのが現実だから。
ちなみに英国で「かかりつけ医の登録歴」というのは、各人がいつ・どれぐらいの期間英国に在住していたかを公的に証明できるものの一つとなっている。英国に合法的に住んでいる人でなければ、かかりつけ医に登録できないため。私は、昨年、英国の滞在ビザをリニューアルする必要に迫られ、その際に、この「かかりつけ医の登録歴」を、証拠書類の一つとして提出した(英国国営医療サービスの自身の電子医療レコードにアクセスすることで、簡単にダウンロードできた)。あと、特に懇意にしているかかりつけ医であれば、転職などの際に、身元保証人がてら推薦状を書いてもらう人に指定できたりもする。
色々と問題はあれど、英国人にとってかかりつけ医は、切っても切り離せない存在の人なのだ。
いつの間にか、2024 年も終わりですね。皆さま、良いお年をお迎え下さいませ。
では、また。