このエントリは、シリーズ化で、前回の話はこちら(⬇︎)になっています。
英国へ奇跡的に再入国できてからは、立て続けに、就職面接試験へ出向いた。
数ヶ月前からの、失敗につぐ失敗から学んだ経験が蓄積され、この頃になると、応募する職のほぼ全ての病院から、面接に呼ばれるようになっていったのだ。
そんな怒涛の日々であった中の、今なお記憶に残っている就職面接試験のいくつかを紹介したい。
まずは、ロンドン北西部に所在する大型教育病院の、医薬品製造部門のファーマシーテクニシャンの職を受けた時のこと。
実はここ、日本人薬剤師の友人である A さんが、新卒薬剤師として勤務し始めたばかりの病院であった。
私と同時期に英国で就職活動をした3人の日本人薬剤師の友人については、こちら(⬇︎)のエントリからどうぞ
面接室へ行くと、3人の面接官が待っていた。
でも、実際に質問をしてきたのは、若手の中国系薬剤師と、アフリカ系ファーマシーテクニシャンの2人のみであった。医薬品製造部門長である年配の英国人薬剤師は、なぜか一言も発せず、明らかに興味のない様子で、始終、窓の外を見ていた。
でも、私は怯まなかった。私と視線を(一切)合わせようとはしない、そっぽを向いている人に向かって 30分以上、熱弁を振るった。
全ては、英国での仕事が欲しい一心で。
英国で、かなりの数の就職面接を受けてきて、私の顔の皮も相当厚くなってきたということであったのだろう。質問の受け答えのテクニックも、確実に上達していることが自覚できた。
でも、ここも不合格だった。
後日、この面接試験に対してのフィードバックを、なんと A さん伝いに、受け取った。
実は、この面接をして下さった一人の若手中国系薬剤師さん、入局したばかりであった A さんのメンターに任命された人だったのだ。
今も昔も、ロンドンで日本人薬剤師を見つけるのは難しい。だから、この薬剤師さん、
「今回面接に来た日本人、もしかして、A の友達?」と聞いてきたというのだ。そして、こう言ったという。
「彼女(=私のこと)は、ここでテクニシャンになるのには、もったいない。今すぐ、英国で薬剤師になるべき人だよ」と。
彼は、現在、英国内でトップ10 に入るような医薬品製造薬剤師になっている。
結果的に不合格ではあったものの、そんな人にこう言ってもらえて、光栄だった。
それから東ロンドンに所在する大学病院のローテーションファーマシーテクニシャンの面接を受けた時のことだった。
面接をしてくれたテクニシャン長が、見るからにポジティブオーラに溢れる方だった。とにかく、自分のこの仕事が大好き! という雰囲気が身体中から滲み出ており、こんな人の元で働けたら最高だろうな、と思った。だから私もつられて、ノリノリに質問の受け答えをした。今までになく良くできた感覚の面接試験であった。
でも、不合格だった。
理由は「接戦で(あなたは)次点だったの。すっごく惜しかったのけど。。。」と。
就職面接試験というのは、兎にも角にも、数ある候補者のなかから「1番」にならなければならない。さもなければ、不合格なのだ。そして、誰かが合格すれば、残りの応募者は全員不合格となるという、当たり前すぎるほど当たり前な事実を突きつけられた瞬間だった。
でも、そこで終わりではなかったの。
時は巡りそれから約5年後、私はこの病院で、英国の薬剤師になる最初の一歩としての「夏季薬局実習」の機会が与えられたのだ。
英国の薬科大学生が行う「夏季薬局実習」についての詳細は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)からどうぞ。
で、驚くべきことに、こちらのテクニシャン長さん、なんと、私のことを覚えていて下さったのです 。
たとえ不合格になった面接試験でも、好印象を残せば、覚えている人は、覚えている。逆に、生半可なパフォーマンスをすると、将来、その病院薬局の「就職応募者ブラックリスト」に載ることすらある。
ロンドンの国営医療病院 (NHS) の薬局スタッフ間のネットワークは、ありえないほど狭い。一つ一つの信用の積み重ねが何より大切であることを、そこで学びました。
一方その頃、私がロンドン大学薬学校大学院時代、臨床実習をしていた「聖トーマス病院」からの面接にも招待された。医薬品倉庫のアシスタント職だった。
聖トーマス病院の思い出については、こちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ
指導薬剤師であった恩師が「この病院では、労働許可書を持っていない外国人は(絶対に)就職できないよ」と言っていたにも関わらず、面接に呼んでもらえたのだ。
日本人が、英国で就職するにあたって難関となる「労働許可書」については、以前のこちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ
びっくりするとともに嬉しくて「頑張って、仕事を取るぞー!」とやる気満々になった。英国随一の大学病院薬局で、労働許可書を持っていなかった日本人が、医薬品倉庫のアシスタントからスタートし 、そこで将来、臨床薬剤師になれたら、サクセスストーリーそのものだな、なんて妄想も抱いてね(笑)。
でも、面接会場へ行き、仰天した。
とても不機嫌な顔つきの医薬品購買課のマネージャーさんから、開口一番、
「あなた、一体、今日、何で、ここに来たのよ?」と。
(え。。。?! あなたが、面接に呼んで下さったから、来たのですが。。。)
と言いかけた。でも、そこで、はっとしたのだ。
ああ、求人応募用紙の書類審査をした人と、実際に面接をする人が「全く」異なる場合があるのだな、と。
咄嗟に、
「日本人薬剤師ですが、英国で薬剤師になりたいのです。その準備期間として、英国の病院薬局内での経験を積みたく、今回、応募しました。ロンドン大学薬学校大学院時代は、こちらの病院で2年間ほど、臨床薬剤師としての病棟研修をしてきており、英国随一の医療現場であることも存じております。そんな場所で実際に働ける機会、またとないと思い、今日、ここに来ました」
といったことを述べた。
しかし、こちらのマネージャーさん、私の応募用紙をちらりと見て、
「でもねえ、この職、あなたの経歴からすると、『すーーーーーーっごく低レベル』な仕事よ」と。
「英国で薬剤師になるからには、薬局内のどのような仕事も経験したいと思っております。何でもやりますし、雇っていただけた暁には、絶対に後悔させませんので、何卒宜しくお願いします!!!」
あの手、この手、あらゆる語彙を尽くして「この病院薬局で働きたい」と訴えた。でも、このマネージャーさん、私のことを「全く解せない。異星人のようだわ、この子」といった目つきで、じーっと冷視しているだけだった。まさに、取りつく島もない人であった。
で、一言で言えば、この就職面接、私のこっぱずかしほどの「熱意の空回り」という形で終了した。
ダメな時は、どう頑張っても、だめなんだな。。。でも、それにしても、何で、向こうから面接に呼んでおきながら、初っ端から「雇いません」って宣言され、強硬に拒絶されるんだろう。。。これ以上の時間の無駄って、あっただろうか?
帰りのバスの車窓に映し出された、明らかに疲れ切った自分の顔を見て;
「あーあ。今日の面接も、ダメだったな。。。」
とため息をついた。
当たり前のことであるが「就職面接試験を受ける」と一言で言っても、そこには、膨大な準備と時間とエネルギーが必要とされる。
応募願書を、毎回、募集病院の特徴に合ったものにすること。誤字脱字のチェックを、毎度、目を皿のようにして行う。
面接試験の招待状が来たら、面接官となる人たちのバックグラウンドをリサーチする。
面接日の数日前には、自宅からその病院までの交通網を把握しておく。ロンドンは、公共交通網が止まりやすいので、最悪の場合、タクシーで行けるような現金も用意しておく。また、見知らぬ病院に初めて行く場合、敷地が広いと、薬局の場所を探すだけで、30分などすぐ経ってしまう。常に時間に余裕のある行動が必要。
前日には、面接に着ていくスーツの埃を取り、シャツも洗濯し、アイロンをかけ、靴もピカピカに磨く。
面接当日に持っていく物を完璧に揃えておく。面接の招待状、身分証明となるパスポート、ポートフォリオはもちろんのこと、携帯用のヘアブラシや歯ブラシ、雨が予報されている日には、予備の靴や、靴磨きも、バッグに入れておく。
英国薬剤師の就職・転職面接の際、必須品の「ポートフォリオ」についての詳細は、以前のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ
面接試験直前は緊張を抑え、パフォーマンスが面接中にピークになるように、うまく感情をコントロールしていく。
そして、面接本番は、全く見知らぬ場所で、全く見知らぬ人たちに向かって、自分を「最高の商品」として売るべく、熱弁を振るう。
で、こちらは最大の努力を払い、準備万端で出向いても、前述のように「何で、ここに来たのよ?」などと剣もほろろに扱われ、門前払いになることも(多々)あるのだ。
毎日、毎日、新しい求人に応募し、面接の練習をし、面接試験に出向いた。そして、上記のように神経がすり減る所業を、延々と繰り返していた。
真っ暗なトンネルの中にいるようで、「合格」という出口がまったく見えない日々が続いていた。
不合格につぐ不合格で、精神的に、ボロボロになっていた。
そんな日々の中、本当にありがたかったことがある。
日本人薬剤師の友人の A さんが、いつも絶妙なタイミングで、定期的に電話をくれたことだった。
同じ時期に英国で就職活動をした日本人薬剤師の友人たちのなかでも、K さんとM さんは一発合格であったこともあり、この話題は、2人にとっては、すでに「過去のこと」になっているようであった。
でも A さんは、私ほどではないにしても、それなりの数の就職面接試験を受けたのちに希望の職に合格したため、私の心中が察せたに違いない。
そんな訳で、就職面接試験を受けるたびに A さんから決まって連絡が来た。「どうでしたか?」、「今回は、こんな質問を聞かれた」、「うーん。その質問には、こう答えれば良かったかもですね」などと、2人で受話器越しに「反省会」をするのが、日課になっていた。
で、そんなことが繰り返されていた、ある晩のことであった。
ふと、私が;
「なんかね、私、最近、面接を受けるのが、楽しくなってきた。まあ、実際の自分よりかなり『デキる人』を演じて、他人を言いくるめるという行為が、板についてきたって言うのかな。。。」
と、口にした時であった。
A さんが、間髪を入れず、きっぱりと、こう言ったのだ。
「麻衣子さん、もうすぐ受かりますよ。私もね、面接、面白くなってきたなーと思った、その次の面接で、受かったから」と。
同じような道を通ってきた友人だけが、口にできる言葉だった。
それ以後、何だか自分の中で、吹っ切れるものがあった。
A さんの言葉が、おまじないのように思えて、
「私は、絶対、次の面接で受かる」
と思い込むようになったのだ。
そして、私は、本当に「次の就職面接試験」で、合格したの。
この後の話は、「英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話」のシリーズ化として、これからも続きます。
では、また。