日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

去りゆく者たちと退職の理由

 

今月は、私の職場で、退職する人の多い月だった。

皆、それぞれに、別の職や次の人生のステップに移っていく。

今回のエントリでは、そんな「去りゆく者たち」を、紹介してみたい。

 

まず一人目は、内科専門薬剤師であった、レイチェルさん(写真下⬇︎左)。

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レイチェルさん(左)と、この職場で出会い、互いに「生涯の友」と呼び合うようになった同格薬剤師のエリルタさん(右)。レイチェルさんの退職日に

レイチェルさんは、遡ること3年ほど前、当初、ローカム薬剤師(後述)として私が勤める病院薬局へやって来た。その後、薬局内で初めてつくられることになった「内科専門薬剤師」に応募・合格し、正式メンバーになった。

でも、今回の新型コロナウイルスのパンデミックを機に、自分の働き方を考え直し、再び「ローカム (Locum) 」に戻りたい、と。

ローカムとは、人材派遣会社に登録し、そこから仕事を紹介されて、主に臨時スタッフとして働く薬剤師。英国薬剤師たちの間では、一度でもローカムとして働き、その利潤を実感すると「二度と後戻りできない」魅力的な働き方と言われている。時給は正局員の2倍。日夜・週末当直業務をやらなくて良く、数ヶ月の休暇を取ることも可能。一方で、税金や年金の支払いなどが面倒になるといった点や、多くの人がやりたがらない業務(=調剤室)とか、無理難題な仕事を押し付けられることも多い働き方でもあるし、病欠の際は収入が無くなり、時には即、解雇される恐れもある働き方でもあるが。

ところでね、レイチェルさんは、数ヶ月前まで存在した、私が勤務する病院での「若手薬剤師4人組グループ」の一人でもあった。

 この過去のエントリ(⬇︎)で紹介した男性2人のザヒール君とシュラン君、そして女性2人のレイチェルさんとエリルタさんの4人が「若手薬剤師最強チーム」だった。

この4人、本当に仲が良くて、私は「薬局のABBA」と呼んでいた。実際、このグループの中で💞もあったのではと思う(どういう意味って? ご想像にお任せします。笑)。

英国の、特にロンドンの病院薬剤師たちの人事の移り変わりは、瞬く間に変わる。

レイチェルさんは、すでに次のローカム勤務先が決まっている。ロンドンの中心街に所在する、ユニバーシティカレッジロンドン病院の「医薬品製造室薬剤師」。有能な人なので、どこへ行っても重宝されるはず。

ちなみに、レイチェルさんの次の勤務先は、私が英国で就職しようとした際、一番最初に面接試験を受けた病院であり、まさにその薬局部門。その時の話は、こちら(⬇︎)からどうぞ。

 

二人目は、新卒臨床ローテーション薬剤師であったシンシアさん(写真下⬇︎)

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シンシアさんは、免許取得後、コミュニティー薬局で数年働いた後「病院薬剤師になりたい」と、新卒臨床ローテーション薬剤師として入局してきた。

始めは、病院薬局の実務に精通していないゆえ大変だったみたいだけど、日々の業務終了後も、病院の図書館に居残り勉強し、地道に努力しているのを間近で見ていた。とても素直で働き者で、私にとって、職場での小さな妹みたいな存在だった。

そして、先日、昇格の機会として受けた、自宅近隣の大学病院の「シニア薬剤師」の職に合格した、と。

よくやったね、おめでとう!

2年足らずの在籍だったけど、新卒臨床ローテーション薬剤師とは、そういう業種。通常、1−3年の在籍期間に、大抵の人は、得るもの(=職経験)を得たら、去っていく。

特にシンシアさんの場合は、コミュニティー薬局から転職したため「とにかく、病院の職を得ることができればどこでも構わない」と、遠い距離の自宅から通勤してた。英国の薬剤師は「職経験」を得れば得るほど、より条件の良いところへ転職できるようになる。シンシアさんの場合「理想の仕事」とは、自宅から近い場所の病院薬剤師職だった。

ちなみに私は、現在勤務する病院に、シンシアさんのように、新卒臨床ローテーション薬剤師として入局し、内部昇格を重ねて「居残っている」稀有な人。

6年間半働いてきて、同期で残っているのは、私より6ヶ月前ほど前に入局した男性薬剤師(→現在、整形外科センター主任薬剤師)だけ。で、私の次に長く在籍しているのが、上の写真にある、エリルタさん(シニア臨床ローテーション薬剤師・現在、抗がん剤・血液内科担当)のはずなのだけど、私と彼女との間には2年半ほどのギャップがある。その間、なんと100人以上の薬剤師が入局しては去っていった。皆、それぞれの理由で。

でも、常に人の流動性があり、新しい出会いと考えがもたらされ、実力次第でより良いチャンスを手にできる、この英国国営医療サービス (NHS) のダイナミックな職環境が、私は、気に入っています。

 

3人目は、シニア臨床ローテーション薬剤師のドーンさん

長年、プライベート病院に勤務していた。「飽きちゃった」ということで、国営医療サービス (NHS) に転職してきたけど、その業務のやり方の違いに、かなり違和感を持っていた様子。

英国で、患者全額負担のプライベート医療と、無料の国営医療サービス (NHS) は、天と地ほどの違いがあります。その例は、こちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

「外科」「集中治療室」「整形外科センター」のローテーションが終わったところで、折り返し地点に気づき、残りは「小児科」「調剤室人材マネジメント業」「抗がん剤・血液内科」だけだと認識したこと、そして、最近、日夜・週末当直チームの一員として参加するようになり「これ、すっごい大変な仕事だ」と悟ったんじゃないかな。

私が現在勤務する病院では、入局後1年ほど経つと「日夜・週末当直チーム」に(強制的に)加入させられるのが常。でも、残念ながら、この任務が「できない」と退職していく人が多い。当直業務にご興味のある方は、過去のこちら(⬇︎)のエントリもどうぞ

人には、適材適所ってもんがある。

無理なことは無理と判断し、新天地を探していったドーンさんは、真の意味で、賢いのだと思う。

まあ、実際は、多くの人に別れを告げずに去っていった。私も、後日、大分経った後に、事の顛末を聞かされ、びっくりだった。

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真ん中に小さく写っているのが、ドーンさん。プライベート病院から転職し、色々とカルチャーショックを受けたよう。薬剤師の業種はさまざまで、人により向き不向きがある

 

4人目は、主任ファーマシーテクニシャンのマット君

いずれは、母国ニュージーランドに帰りたいと、いつも話していて、40歳を前にし、ついに決心がついたと。

マット君については、以前、このエントリ(⬇︎)で紹介しました

ロックミュージシャンとしての成功を目指し、20歳半ばでギター片手に、英国へ来た。職探しに苦労しながらも、個人薬局の無給ボランティアから始め、ロンドンの国営病院 (NHS) の主任ファーマシーテクニシャンにまでなった(→テクニシャンは、上のポジションになればなるほど、求人数が極端に限られてくる。そのため主任級への昇進は、薬剤師よりはるかに難しくなります)。その一方で、ミュージシャンとしての才能の限界の自覚、バンドの解散、ガールフレンドとの破局、親友の死が立て続けに起こり、この数年は、特に、色々とあった人。

一緒に働くことが多く、よく私のことを気遣ってくれた人だったので(写真下⬇︎)、寂しくなるねえ。。。

彼のこれからの人生の新しい章での幸せを、願わずにはいられない。

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マット君、ニュージーランドヘ帰国する度に「姉が経営するカフェで作っているマカロン(写真上⬆︎)」を個人的なお土産としてくれた。当直業務で走り回っている際のエネルギー補給に、とてもありがたかったです

ちなみに、マット君のお姉さんが経営しているカフェは、こちら(⬇︎)。ここのマカロンは、掛け値なしに、世界一美味しいと思う。現在はニュージーランド国内だけとのことですが、将来は、世界的な販売を、是非!


で、ふと思い立ち、自身の「退職・転職遍歴」も、改めて振り返ってみた。

先日の「20年の軌跡と軌跡」のエントリ(⬇︎)と合わせて読んでいただけたら、光栄です。

薬剤師として生涯初の就職先であった、日本での病院薬剤師の職は「臨床薬学の先進国で学びたかったから」ということと「中小規模の病院で、人の流動性・多様性に乏しい職環境だったから」かな。当時の日本は、まだ終身雇用や年功序列の考えが主流で、行き先不明となることに不安もありました。でも、思い切って新しい世界に飛び込んだことで、さらなる可能性の扉が開き、人生最良の決断だったと思います。

私が、日本で勤務していた病院のことは、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

次のマツキヨさんは「薬剤師本来の仕事とは、あまりにかけ離れている業務だな」と感じて。

その直後のアメリカンファーマシーは「英国に戻るため」。このまま、日本で働いてもいいんじゃないかって、すごく迷いました。

マツキヨさんとアメリカンファーマシーで働いていた頃の話は、こちら(⬇︎)のエントリもどうぞ

英国で最初に就職したファーマシーテクニシャンの職は「英国薬剤師免許変換コース (OSPAP) 入学のため」。

仮免許薬剤師(プレレジ)研修時代の病院は、最初から「期間限定」契約だった。就職活動が難航し、残留しようと考え、そこの新卒薬剤師の求人にも応募したけど、その選考に漏れたため、1年きっかりで退職。

その時のことは、こちらのエントリ(⬇︎)でも、少し触れています。

英国国家医薬品集 (BNF) のインターンは、在籍中、正式な編集員になろうと意気込み、その就職試験も受けた。でも「本当になりたいのであれば、英国での実務薬剤師としての職経験を積んでから、戻って来なさい」と諭され、不合格になった。その時は、お先真っ暗になったけど、今は、この言葉に、本当に感謝している。両方を経験した今、机上で薬学参照本の編集を行うより、臨床薬剤師として医療現場を馳け廻る方が、遥かに自分に向いている仕事だと、断言できる。

英国実務薬剤師として初の仕事となった臨時準局員の仕事は、そこで数ヶ月後に出た「新卒薬剤師」の求人に応募したものの、実力不足で不合格になった。追い出される形での屈辱的な辞め方をさせられ、この退職が今までの中で、一番辛かったです。

で、それで一念奮起して、その数ヶ月後に勝ち取った新卒臨床薬剤師の職をオファーしてくれたロンドン郊外の大学病院に、今日に至るまで、もうかれこれ6年半勤めている。運良く、都合のいい時期にエキサイティングな昇格の機会がいくつか与えられ、今のところ、転職する予定はないけれど、今後はどのような路を歩んでいくのだろう?

 

転職は、自分探しの旅でもあるね。

 

では、また。