日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

処方薬剤師免許取得への道(8)ラーニング・コントラクト (学習規約書) の作成

 

このエントリはシリーズ化で、前回の話はこちら(⬇︎)になっています。

 

「ラーニング・コントラクト (Learning Contract) 」という言葉とコンセプトをご存知でしょうか?

これ、英国の薬剤師の間では『常識』的に使われている。

 

英国の薬剤師は、ずばり、徒弟制。厳しい階級制で成り立っているし、職務上必要な教育・訓練は、原則、経験ある者が、若手を教えていくというシステム。

英国の病院薬剤師の「階級制」についての詳細については、以前のこちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ

でも、2000年代、教える側と教わる側の「温度差」が問題視された。先生役の先輩薬剤師が熱心でも、若手薬剤師がいい加減な態度であったり、逆に、新人薬剤師の方が一所懸命でも、ベテラン薬剤師が忙しさにかまけてその訓練に十分な時間を割かず、ほっぽらかしにされた、といったことが巷でもよく見受けられた。

そんな中、導入されたのがこの「ラーニング・コントラクト (Learning Contract) 」だったの。

ラーニング=学習、そして、コントラクト=規約、ということで、監督薬剤師と若手薬剤師の間で学習到達目標を明確にし、両者で合意した事項を書類として作成。そこに2人でサインをする。そして、その達成に向けて努力する。互いの態度やパフォーマンスなどに不満がある場合は(最悪の場合)法的に訴えることができる、というほどの効力があるものとなった。

だから英国では、特に、免許取得前の義務実務実習「プレレジ研修」や、免許取得後の卒後実務教育「ディプロマ」を履修する若手薬剤師は、その開始時に、監督役となる薬剤師と必ず、この「ラーニング・コントラクト(学習規約書)」を交わす。

英国の薬剤師が免許取得前に行う1年間の義務実務実習、通称「プレレジ」については、過去のこちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ


で、そんな慣習をすっかり忘れていた私。。。。

ロンドン大学キングスカレッジの処方薬剤師免許取得コースに入学した途端に言い渡された最初の課題が、

「ラーニング・コントラクトを、自分の監督医師と作成する」

ということだと知り、目を剥いた。

 

英国の処方薬剤師免許取得課程は、大学院での授業と自身の職場での実地訓練を同時並行させて進めていく。特に実地訓練では、それぞれが定めた専門分野を、職場内の監督医師(もしくはその代理の方)と共に働くことにより採点・評価されるため、大学院の講師陣は、一人一人の学生の具体的な訓練内容を把握できていない場合が殆ど。

だから、大学院側は;

「自分のラーニング・コントラクトと学習到達目標(つまるところ、処方免許薬剤師になるための自己カリキュラム)は、職場の監督医師と一緒に作ってね」

と(丸投げ)しているの(笑)。

その根本には、英国王立薬学協会が作成している「処方者はこうあるべき」という骨子(フレームワーク)がある(リンク下⬇︎)。そこに羅列されている、 76項目にわたる「行動指針」というものを免許取得過程で全て網羅できれば、どんな内容の実習でも、どんなやり方でも構わないと。

でもその一方で、各学生がこの「ラーニング・コントラクト」で規約したことを、どれだけ達成できたかを確認するのが、このコースの最終日に行われる「口頭試験」であるとのこと。だから「的を得ており」「到達度が数値化しやすく」「9ヶ月間のコース履修期間内に実行可能なこと」を『ラーニング・コントラクト(学習規約書)』に盛り込むべし、という条件が付けられた。

 

という訳で、今日のエントリでは、私が作成した「ラーニング・コントラクト」の内容を公開。

 

まず最初に、自身が今後処方薬剤師として専門にする分野を「定義」することが求められた。

「細菌性骨髄炎。糖尿病足壊疽や、菌血症、外科手術後の感染が原因のものを主に診る。妊婦・授乳婦・小児は除く。口腔付近のもの、真菌性もしくは結核菌由来のものも除く。入院患者・外来患者・在宅ケアの患者さんを網羅する」

と明言した。

処方者としてどのような診察や検査を自身で行っていくか、ということを事細かに羅列する欄もあった。

「問診 - 病歴・薬歴聴取。バイタルサイン、身長と体重の測定と診察 - 感染部を肉眼で見ることや骨髄炎を起こしているであろう身体の部位の触診。薬の服用具合の確認と副作用のモニタリング。血液検査。テイコプラニンのTDM。血液培養・骨培養・足壊疽部位のスワブの結果分析、レントゲン、CT や MRI の結果レポートの解釈など」

とした。

「自分が処方する予定の薬のフォーミュラリー」を定め、それをリスト化させる欄もあった。免許取得後は、どのような薬も処方できるようになるが、大学院在学中の練習としては、5剤以下が理想的だと但し書きがされていた。

えーーっつ、あまりに少ない品目数なんじゃない??? と思ったが、絞りに絞って、結局、以下の6剤にした。

私の大学院在学中の限定処方フォーミュラリー:抗生物質「フルクロキサシリン」「ドキシサイクリン」「メトロニダゾール」「セフトリアキソン」「テイコプラニン」「コ・アモキシクラブ」の6剤

この他にも「補足的処方 (Supplementary Prescribing) 」という、監督・専門医師との協働下で処方する予定の薬を挙げよ、という欄もあり、以下の3剤を選んだ。

「フシジン酸ナトリウム」「リファンピシン」「エルタペネム(日本未承認薬)」。これらは、私の勤務先の病院では、通常、感染症専門医の了承無しには開始できない抗生物質のため、補足的処方フォーミュラリーとした

 

そして、実際の「学習目標」であるが、上記の英国王立薬学協会の指針を基に、以下のような内容に定めた。

1)患者さんを診断できるようになる

糖尿病足壊疽患者カンファレンス・外来・入院患者回診に毎週月曜日午後に参加。その他、整形外科外来や緊急医療室、病棟に入院してきた感染症骨髄炎・椎間板炎などの患者さんを診て、診断技術を磨く。

大学院の課題の一部として、モデル的症例レポートを3つ提出する

私が行う診察の様子を、監督医師などに採点される「実地試験」に合格する。

大学院のカリキュラムの一環としての基本診断技術試験 'OSCE' に合格する。

 

2)自分の専門分野に関するエビデンスに基づいた薬剤治療に精通し、臨床判断ができるようになる

医療論文データベースを検索し、感染症骨髄炎の一般ガイドラインや最新の治療法に熟知する。

大学院の課題の一つである、自身の処方分野での「薬剤治療と安全管理フレームワーク」を作成し、期日までに提出する。

自分自身のフォーミュラリー薬剤について、製薬会社からの添付文書や、国家フォーミュラリー (BNF) の箇所を熟読し、その内容に精通する。

感染症骨髄炎について書かれた英語圏での代表的な教科書や参照本を読む。

自身の病院の臨床検査科を訪れ(写真下⬇︎)、病理・感染症検体の培養法の詳細やオーダーシステムを学ぶ。

今回の処方薬剤師免許取得にあたり「ラーニング・コントラクト(学習規約)」の一つとして、勤務先病院の臨床検査科で1日過ごしてみるという体験をしてみた。普段の勤務時間中だったら(ほぼ)不可能なはずなのに、大学院での「ラーニング・コントラクト(学習規約)」に含めることで、異なる部署で働いたり、他の病院を見学することが、正当化された(笑)。自分の職能をブラッシュアップし、新しい考えを取り入れるという点からも、どれも貴重な学びの機会となりました

 

3)1つのみならず、複数の治療法選択を提案することができ、患者さんと合意の取れた処方を行えるようにする

自身の病院にて最低 110 時間を費やす実地訓練で、診断した患者さんのサマリーを逐一書き残す。それを内省したり、監督医師からフィードバックをもらうことで能力を向上させる

大学院の授業の一つに「アドヒアランス」のロールプレイを行うセッションがある。それに自主的に参加し、そこで学んだことを、実地に活かす。

 

4)処方訓練

さまざまな処方箋様式に慣れ親しみ、処方の練習をする。

職場内の電子カルテのシステムに精通する。

 

5)情報提供 - 病状の進行具合や診断・検査の目的を明確に説明できるようになる

さまざまな医師の診察を観察し、患者さんとどのようにコミュニケーションを取っているのかを学ぶ

英国内の薬剤の箱に必ず添付されている「患者さん向けの薬の説明書」をじっくり読んでみる

英国内の国営病院の医薬品情報室で統一使用されている「質問受付記載データーベース」を検索し、自分の処方フォーミュラリー薬に関しどのような質問が頻出されているのかを把握する

 

6)治療経過の観察と見直し

感染症医局長と週2回行っている回診で、感染性骨髄炎の患者さんに関しては、自分自身が主体となり、治療の提案や見直しを重点的に行う。

退院した患者さんや、外来・訪問看護へ移行した患者さんの抗生物質治療の見直し・フォローアップを、漏れなく行う。

 

7)処方を行う上での安全管理・医療過誤の防止

職場内の医療安全専門薬剤師さんと共に、薬剤事故の解析を行う。

自分が起こした処方ミスの始末書と再発防止対策提案を書く(→なんとこれ、大学院コースの課程の一環として「最低1通は提出せよ」という、必須課題でした!)。

院内感染症対策委員会に出席する。

自身の病院内でのサポートとネットワーク形成の一環として、すでに処方免許を取得されている看護師・薬剤師・足病治療師の方々の部署へお邪魔し、仕事ぶりを拝見させてもらう。

 

8)プロフェッショナルな処方薬剤師になる

英国薬事法・薬剤師倫理書 (Medicines, Ethics and Practice, 通称 MEP。リンク⬇︎) を見直す。

製薬会社との関与における職務規定に精通する。

英国の薬事法・薬剤師倫理書の決定版と言えば、こちら(リンク⬇︎)。海外薬剤師免許変換コース (Overseas Pharmacists' Assessment Programme, 通称 OSPAP) 時代から慣れ親しんでいた参照本でしたが、この処方薬剤師免許取得コースでも「薬事法規・薬剤師倫理」の講義があり、試験で必ず出題される分野であったため、改めて読み直す必要に迫られました。

 

9)処方薬剤師としての継続的な職能の向上

この処方薬剤師免許取得コースの集大成として、自身のポートフォリオを作成する。

英国抗生物質・化学療法学会の会員になる。

同じような職種にある他の病院の処方薬剤師の方々と、横のつながりとしてのネットワークを築く。

英国の薬剤師は、自身の業績を示すものとして「ポートフォリオ」というものを常時用意しています。ポートフォリオに関しては、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ。

 

といったことを学習到達目標に掲げた。

 

でもねえ、こう書いてみると、なんだかスラスラ連ねているけれど、実はこれ、結構大変な作業を伴う課題だったんですよ。

始まったばかりでよく理解できていなかった、このコース全体の流れや、大学院の授業の内容全般を把握する必要があり、それを自分の専門分野での実務実習にどう落とし込むか、自身の職場ではどのような医師がどのような外来スケジュールで働いているのか、そしてそこへお邪魔して、監督医師以外の医療従事者からも教えを乞うことができる状況なのか? といった細かい交渉も必要だった。いい加減なことを公約して、最終口頭試験で苦労しないようにと、規約書の文面には、一言一句、注意を払った。結局、作成に2−3週間費やすことになったのよね。

 

で、監督医師との合意・サインをもらうべく、この「ラーニング・コントラクト(学習契約書)」の一切を抱えて、彼のオフィスを恐る恐る訪ねると。。。

先生は、開口一番、こう仰って下さったのだった。

「ボク、君のことは、なーーんにも心配していない。これまでの現場での働きぶりを見てきて、いい加減なことをする人ではないって分かっているし、このコースもきっとうまくやるだろうって確信しているから」と。

そして、私が用意した書類の数々(写真下⬇︎)を、内容をろくに確かめもせず、次々とサインをしてくれたのだった。

私が実際に作成した「ラーニング・コントラクト」の一部。最終的に20ページ以上の規約書となりました

私の処方薬剤師免許取得に当たっての、職場における監督医師である「恩(オン)先生」については、過去のこちらのエントリもどうぞ。

巷では厳しい評価を下す先生として知られていたので、拍子抜けすると同時に「他人の可能性を、心の底から信じることのできる人なのだなあ」と感動した。

でもかえって「こんなに信用して下さっている先生を、失望させちゃダメだ」と、私は、勉学により励むようになった。

すでに大学院ではオンラインでの講義もどんどん進められており、学ばなければならないことの多さに、パニック状態であったのだけど。。。。

 

この「処方薬剤師免許取得への道」はシリーズ化で、その後の話は次回へ続きます。

 

では、また。