日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話(12)「全くもって狂っているけど。。。おめでとう!」


 このエントリは、シリーズ化で、前回の話はこちら(⬇︎)になっています。  


西ロンドン・聖チャールズ病院での就職面接試験後、ほぼ1週間寝込んだが、その間、合否の知らせは来なかった。

 

英国国営医療サービス (NHS) の雇用における、就職試験の合否通知は、原則;

1)面接終了後、合格の可能性のある応募者にはその「身元保証人 (通常2−3名) 」へ連絡し、推薦状を要請する

その「推薦状」で、問題がない人であることを確認し、その内容を加味しての総合得点から、合格者を決定

2)まずは、その合格者に連絡が行く。電話での通知が多く、その場合、合格が告げられた時点で、本当に入局の意思があるかが確認される。もし、辞退すれば、次点者(たち)を順に繰り上げ合格させていく

3)そして、入職予定者が確定された後、不合格たちへ、書面で一斉に通知を入れる

というのが一般的な流れ。

 

でも今回は、私の元に、待てど暮らせど、合否発表は来なかった。

風邪から回復しつつある日々、今日かな、今日かな、と、やきもきして過ごしていた。

 

そして面接試験日から3週間が経とうとしていた日、ついにしびれを切らし、病院に電話をかけた。

求人広告での連絡先が人事課になっていたため、そこの人に「合否発表はどうなっていますか?」と聞くと、

「あれ? この求人、薬局内で止まっていますね。。。。この電話を薬局へ転送しますので、しばらくお待ちください」と。

 

長い待ち時間の後、面接をしてくれた薬局長さんに繋がった。そして、驚くべき事実が告げられた。

「ああ、マイコ? こちらから連絡しようと思っていた矢先だったわ。実はねえ、この求人、あなたの身元保証人からの推薦状を待っていて、滞っている状態なのよ」

「え?!?!」

 「一人目の実習病院先であった指導薬剤師の先生からのは届いているんだけど、二人目の、ロンドン大学薬学校大学院のコース長からのが届いていないの。先日の郵便ストライキのどさくさで、紛失してしまったんだと推測しているわ。。。でも、私たちも、あなたの推薦状が揃っていないばかりに、他の人に不合格通知を出せない状態で、困っているの。あなたの方から、コース長さんへ連絡を取って、推薦状の再発行をお願いしてもらえないかしら? 本当は直筆の書面ものが必要なのだけど、もう急いでいるんで、先にファックスで送ってもらって、実物は後から郵送でもいいとも伝えて」と。

 

「あなたの推薦状が揃っていないばかりに、他の人に不合格通知を出せないでいるの」という一言を、私は聞き逃さなかった。

「すぐに連絡し、対応させていただきます!!!」と言って、電話を切った。

私の英国での最初の就職活動に影響が出た、2003年秋の郵便ストライキについては、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ 

 

そのまま自宅を飛び出し、ロンドン大学薬学校へ向かった。

そして、かつて自分がアルバイトをしていた秘書室へ、息せき切って駆け込んだ。

そこの例のポーランド人の秘書さんに;

「コース長からの推薦状次第で、私、英国で、ファーマシーテクニシャンの職を取れるらしい! でも、郵便ストライキで、推薦状、紛失しちゃったみたいなの!! だから、できるだけ早く再発行して下さるよう伝えて!!! お願い!!!!」と。

私が、英国での仕事をどんなに欲しがっているかを知っていたその秘書さんは、落ち着けと言わんばかりに、

「分かった、任せといて! 先生は、明日、大学に来る。私、今日帰宅する前に、先生の机の上にあなたのことの置き手紙を残しておくし、明日の朝出勤したら、必ず彼女に再確認するから!」

と。

このポーランド人秘書さんと、私が以前、ロンドン大学薬学校でアルバイトをしていた経緯は、過去のこちら(⬇︎)のエントリからどうぞ


そして、翌日。

お昼過ぎにメールを開けると、最初に目に飛び込んだのが、聖チャールズ病院薬局長からの「合格通知」。

 

「先日のファーマシーテクニシャンの求人募集面接にご来場頂き、ありがとうございました。この職を、あたなにオファーすることにします。つきましては、数日以内に、人事課から入局にあたっての手続き、特に、英国内務省への労働許可書申請の書類作成について連絡が来ると思います。そちらの指示に従って下さい。おめでとう。あなたが薬局のメンバーになってくれることを、楽しみにしています」

と書かれていた。

それを読んだ時の、胸が爆発してしまいそうなほどの嬉しさと達成感は、今でも、言葉にすることができない。

 

でも。。。これ、すごい早い展開ぢゃない? なんて思っていたら;

その合格通知のすぐ下のメールは、ロンドン大学薬学校のコース長からのものだった。なんと朝の5時台に打たれていた。

いつも早起きで、地下鉄の始発で大学へ来る先生が、オフィスに着いてすぐ対処してくれた様子が目に浮かんだ。メールには、こう記されていた;

「推薦状を再発行し、たった今、先方へファックスで送ったわ。念のために、送った内容を、このメールで、あなたにも知らせておく」と。

通常、推薦状の中身は、本人には知らされない。でも、このメールに添付されていた「私の推薦状」を読み、感涙した。

何だか、他の学生について書かれたもののようだなあ。。。 劣等生だった私の評価にしては、身に余る内容じゃない。。。ってね(笑)

私が当時卒業したばかりであった、ロンドン大学薬学校の臨床薬学・国際薬局実務&政策修士コースと、そのコース長へ英国での就職に必要な「身元保証人」を依頼した経緯は、こちら(⬇︎)からどうぞ


真夏の最中から始めた私の英国での最初の就職活動、この頃になると、ロンドンの街並みは、すっかり、クリスマス色になっていた。

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ロンドン中心地のクリスマスの様子

 

そして、この就職活動でお世話になり、お礼をしなければならない、さまざまな人たちの顔が浮かんできた。

まず最初は、英国に来た当初からお世話になっていた、聖トーマス病院の指導薬剤師の先生だった。

私が英国へ移り住んで最初に実習をした、ロンドン・聖トーマス病院と、そこでの恩師については、こちらの過去のエントリ(⬇︎)をどうぞ

 

数日後、シャンパンのボトルを抱えて、この恩師の元を訪れた。その日は奇しくも、先生の50 歳の誕生日の直前でもあった。

「お誕生日、おめでとう!」とそのシャンパンを渡した。そして、

「それからね。。。私から、もっとびっくりするようなプレゼントがあるんだけど。。。」

と前置きをした。

「何だ?」

「ロンドンの病院で、ファーマシーテクニシャンの職に受かったよ!」

それを聞いた直後の恩師の、目を大きく見開いた驚愕の表情、そして、それから一瞬間を置いた後の満面の笑顔を、私は生涯忘れないだろう。

 

「本当かああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーっつ!!!!」

 

この先生、私の英国での就職は(内心)無理だと思っていたはずです。その理由については、以前のこちらのエントリ(⬇︎)からどうぞ 

 

先生が、突然立ち上がり、

「お茶の時間にしよう!」と。

二人で階段を転がるように降り、カフェへ向かった。

 

そして、コーヒー片手に、私の4ヶ月に渡った「英国医療サービス (NHS) 就職活動」の振り返りが始まった。

 「OO 病院ではね、最初に労働許可書を持っていないって言ったら、面接試験はそれまでだった」

「半分閉鎖されているような精神科病院を訪れたらね、血痕がこびりついたようなストレッチャーが放置されていて、怖かったなあ。。。」

 「聖トーマス病院の面接の時はね、『何しに来たのよ?』って、一喝されたんだよ!」

「最後は、郵便ストライキで、コース長からの推薦状が紛失してしまってね。。。。」

など、

など、

など。。。。。。

 

ロンドン随一の国営医療 (NHS) 病院の臨床薬剤師として第一線にいたこの先生も、私が語る他の病院の (裏) 情報を面白がり、その一つ一つを、事情聴取する刑事のように、紙に記し始めた。

そして私が長い時間をかけて、応募した全ての病院とその一部始終を話し終わり、先生がその数を数えると、なんと、43になっていた。

 

そして、ため息をつきながら、こう言った。

「40以上のテクニシャンとアシスタントの職に応募し、11回目の面接試験で合格。おまえ、日本では薬剤師で、英国の薬科大学院さえ卒業しているのになあ。全くもって狂っているけど。。。よくやったよ。おめでとう!」と。 

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英国でプレセントに迷った時はシャンパンがいいよ、と聞き、この時の恩師へのお礼の時から購入しだした「モエ・エ・シャンドン」。だからこのボトルを目にするたびに、英国で最初の就職先を掴み取った時のことを思い出す。ちなみに私は(ほぼ)下戸でーす(笑)


あれから、16年の月日が経った。

この首の皮一枚でつながったファーマシーテクニシャンの職を皮切りに、私は、現在に至るまで、ロンドン市内の10 ヶ所以上の医療施設で働き続けてきた。

でも、やはり一番最初に就職した「聖チャールズ病院」(写真下⬇︎)には、今でも特別な思い入れがある。

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西ロンドン「聖チャールズ病院」。ロンドンの中でも、知る人ぞ知る小さな病院だけど、さまざまな出会いがあり、私の英国でのキャリアの始点となった場所

「3年後には、英国薬剤師になる準備をしていると思います」と面接試験では答えたけれど、私は、結局この病院に、ファーマシーテクニシャンとして6年半、海外薬剤師免許変換コース入学のため一旦退職した後も、仮免許(プレレジ研修)薬剤師として1年間戻り、計7年半も在籍した。

面接をしてくれた薬局長さんは、私が英国永住権を申請する際、身元保証人にさえなってくれた。

私が英国永住権を取得した時の話は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ

競争的な大学病院ではなく、こういった家庭的でこじんまりとした病院から英国でのキャリアをスタートし本当に良かったと、今振り返り、感謝している。

 

でも;

この病院で働き始めたばかりの頃は、英国での職場環境に戸惑い、語学の壁もあり、上司から「コミュニケーション向上コース」へ行くよう指示されたり、

ローテーション業務の一環として、系列の小さな病院で働くことになった時は、天井が突然崩れ落ちてきたり、水道が何日も止まってしまうようなひどい状態の薬局で、私自身、結核の疑いが出たり、救急車で病院に運ばれるほどの体調不良になったこともあった。

その一方で、

ある程度の経験を積むと、精神科専門シニアテクニシャンに抜擢してくれ、

その新しい職務で、日本流にサービスを改善をしたら、病院組織全体での「最優秀雇用者賞」を受賞した。

 

世界中から働きに来る個性あふれる薬剤師さんたちの仕事ぶりを垣間見ながら、自身が「理想」と思う薬剤師像を模索したり、

面白くて尊敬できる人と組んで仕事をすることが、どんなに大切かということも教えてくれた。

 

後年、この病院薬局は、財政難から他の経営母体へ吸収合併された。すると一転して、暴君のような上司と働かなければならなくなった。ひどいオチだけど、この元上司は、英国税務局を揺るがすような犯罪を犯し、現在、刑務所に収監されている。

そして、最後の一年間、仮免許(プレレジ)薬剤師として戻ってきた時の訓練は、本当に大変だった。成果が思うように出せず、新卒薬剤師雇用の選抜からも外された。それで、この病院を最終的に去ることになった。

私のプレレジ(仮免許)薬剤師時代の話については、過去のこちらのエントリ(⬇︎)からどうぞ

で、この退出こそが、元々の夢であった、英国の大学病院での臨床薬剤師となる挑戦の、これまた七転八倒の就職活動の始まりとなったの。

 

これらの話も、また、いずれかの機会に。

 

とりあえず、12 話の長きに渡った「英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話」のシリーズは、これで完結でーす。

 

それでは、皆様、来年も良い年を!

 

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今年のクリスマス期間は仕事に明け暮れ「イベント」らしいことを全くしていなかった。そんな私を、先週末、ロンドン在住の長年の友人が、アフタヌーンティーに連れ出してくれた。「あの時、ファーマシーテクニシャンの職に合格していなかったら、この友人とも巡り会わず、今、こんな素敵な場所にもいなかっただろうなあ」と感慨深く思える時間となった。人生は、多くの偶然と、人の助けと愛に満ち溢れている

 

では、また。