かれこれ1ヶ月前になるが、先月末のバンクホリデー中、例年のごとく、国内旅行をした。
英国では、5月の最初と最後の週末、そして8月の最後の週末が「バンクホリデー」と呼ばれる、土ー月曜日の3連休となっています。私の過去の旅行歴にご興味のある方は、こちら(⬇︎)もどうぞ。
「何もない所じゃないか。。。」と、明らかに興味を示さないパートナーを説き伏せ選んだ今年の行き先は、英国北部ダービーシャー州のリーハースト村 (Lea Hurst) というところ。日本人の方々には(そして、大抵の英国人にとっても)、ほぼ聞き知らない場所だと思う。
で、なんでそんな「何もない場所」で、長い週末を過ごしてみることにしたかって?
それはそこに、看護師の祖フローレンス・ナイチンゲールの幼少期からの邸宅が今なお現存し、昨年から宿泊施設として、一般の人も泊まれるようになったため。
フローレンス・ナイチンゲールと言えば、ご存知の方も多いと思う。
19 世紀に活躍した英国人女性。クリミア戦争での負傷者を手当てし、看護職の基礎を築いた人とされている。そのため英国の医療機関には、彼女の名前を冠した施設が山ほど存在する。
ちなみに、フローレンス・ナイチンゲールは、こちら(⬇︎)の大学病院の附属校として、世界初の看護学校(現ロンドン大学キングスカレッジ看護学部)を開校しました。この病院敷地内には、彼女の生涯を辿る「ナイチンゲール博物館」もあり、一般公開されています。
ところで私、子供の頃、かなり辺鄙な地方で育った。近所に小さな個人書店が一軒しかなく、そこの店主さんに「これ、如何ですか?」と勧められ、両親が定期購入してくれたのが、子供向けの「世界の偉人伝シリーズ本」だった。これぞ、昭和時代の「サブスク」(笑)。
で、私、毎月一冊頒布されるその本に、めちゃくちゃハマったの。
その中でも「ナイチンゲール」の伝記にとりわけ興味を示し、何度も何度も何度も読んだ。
今振り返れば、フローレンス・ナイチンゲールこそが、私が生涯で初めて知った、医療分野での「世界の偉人」だったのではないかと思う(日本人に限定すれば、やはりその本のシリーズの一人として読んだ、野口英世のはずだけど)。
そして、特にその本の中で;
ナイチンゲール家はとても裕福であったため「夏の家(英国北部ダービーシャー州リーハースト村)」と「冬の家(英国南部ハンプシャー州サウサンプトン)」を所有していた
という記述があり、その2つの屋敷の外観が、とりわけ大きな写真で掲載されていたこと、
フローレンス自身は「夏の家」の方を好み、そこの近所の貧しく病む者たちの家々へ見舞いに出かけるうちに、看護こそが「天職」と思うようになっていった
とか、
クリミア戦争が終結した後は、脚光を浴びることを好まず、偽名を使って船や列車を乗り継ぎ、ある日突然、たった一人で、家族が居るその「夏の家」に戻ってきた
といった描写が、特に記憶に残っていた。
ところで昨年は、フローレンス・ナイチンゲールの生誕 200 年ということで、英国内では、数々の記念行事が計画されていた。
そんな一連のプロジェクトのパンフレットを、ある日、ふと目にしたら;
「フローレンス・ナイチンゲールの幼少期からのダービーシャー州の邸宅が、つい最近、宿泊施設として開業された(リンク下⬇︎)。特に国営医療サービス (NHS) 勤務の者の利用を歓迎している」という広告を見つけたのだった(ちなみに「冬の家」であったハンプシャー州の方の屋敷は、現在、私立学校の校舎となっており、一般の者は立ち入り不可となっています)。
即、行ってみたい! と思ったものの、その直後、英国では新型コロナウイルス (COVID-19) のパンデミックが始まり、記念行事もほぼ全てが中止。
で、パンデミックがようやくほとぼり冷めつつある今年の夏の終わり。「夏の家」と呼ばれたように、気候の良い季節に過ごすのが旬の場所ゆえ、私自身「行くのは、今しかない」と決心したのだった。
で、訪れてみた感想。
遠かったです。。。。。(泣)
公共交通網の非常に不便な所にあり、ロンドンの自宅から片道だけで8時間かかりました。よって3日間の休みのうち、2日は事実上、その往復(だけ)に費やした次第です。
でも。。。
確かに、行く価値のある場所でした!!!!!
ということで、今回のエントリでは、その宿泊記を、ここに公開。
最寄駅はダービーシャー州「マトロック・バース」駅(写真下⬇︎)。
そこからタクシーで 20 分ほど。でも、この元ナイチンゲール家の屋敷の入り口というのは、地元のタクシーの運転手にとってもよく知られていない場所らしく、途中、迷いに迷いました。
で、ようやくたどり着いたのは。。。。
セキュリティーの強固な正門(写真下⬇︎)
で、門を開けてもらった先に現れたもの;
地面に塵一つ落ちていない手入れの行き届いた豪邸です。こちらは玄関口ではありますが、実際は家の敷地の裏側に当たり、この広大なお屋敷のほんの一部でしかありません。
英国内で、過去に著名人が住んでいた家には「ブループラーク」と呼ばれる青い碑が掲げられます。このお屋敷もその登録がされていました(写真下⬇︎)。
英国内の「ブループラーク(青い碑)」の家を訪ねたもう一つの例は、こちら(⬇︎)のエントリもどうぞ。
この屋敷の現在の主であるピーターさんは、私たちの到着を今か今かと待っていて下さり、温かい歓迎を受けました。
早速、ナイチンゲール家のルーツや、この家の今日に到るまでの経緯の説明を受けつつ、予約していた部屋まで案内して下さりました。
その際に、ナイチンゲール一家が住んでいた時代が偲ばれる他の部屋の数々も見せて下さったのですが、すでに日没後であったことと、長旅の疲れで写真に残しませんでした。それを今、とても後悔しています。。。。
で、今回2泊したのはこちら(写真下⬇︎)。15の寝室があるこのお屋敷の中で、現在、4つ(だけ)を宿泊施設にしておられるとのことですが、特にこちらは、フローレンス・ナイチンゲールが在りし日々、自室として使用していた場所だったとのこと。
寝室に隣接するこちらは、フローレンス・ナイチンゲールが書斎兼居間として使用していた部屋(写真下⬇︎)。特に机は、彼女が愛用していたものだそうです。
その日は長旅で疲れ切り、即、眠ってしまいました。
翌朝。。。
寝室の窓から目に飛び込んだ庭園の美しさに、仰天。
そして今回、私自身一番気に入ったのは、客室の居間から出れるバルコニー(写真下⬇︎)でした。聞けば、フローレンス・ナイチンゲールも、ここからの眺めを、何よりも愛したと。
朝食は、本来ならば、階下のダイニングルームで、他の宿泊客の方々と一緒に頂くべきものでしたが、お願いしてみたら、快くこちらに運んできて下さいました(感動。。。!)
お腹が満たされた後は、早速、屋敷内の庭園を散策してみることに。
庭の片隅では、鶏たちが飼われていました。今朝の目玉焼き🍳は、きっとここから来たのでしょう(笑)。
敷地内の片隅の小さな柵から、屋敷を取り囲む広大な放牧地へと出ることもできました。
しばらく放牧地の中を歩き、再び、屋敷内へ戻り、庭園の花々を堪能しました。
この日は、お昼過ぎから周辺の町へ観光に出かけ、夕食も早めの時間にそこで食べた。自然の美しさに溢れた素晴らしい滞在先ですが、この宿の難点は、最寄りの人気(ひとけ)のありそうな場所へ行くだけでも、呼び寄せのタクシーで最低 15-20 分はかかること。
翌朝。もう、ロンドンへ戻る日。
朝からシャワーを浴び(写真下⬇︎)、昨日に引き続き、バルコニーで美味しい朝食を頂き、
明日から仕事なので、早めに発たねばと、手配したタクシーを待つ間に、もう一度、庭を散策した。
ピーターさんは「是非、 OO 駅から帰るように」と勧めてくれた。
その駅へ向かう道中、地元の人でなければ決して知り得ないであろう、森林の中の起伏の激しい細い道を走り抜けた。木々でほぼ覆われた空のわずかな隙間をかいくぐるように太陽の日差しが漏れ射し、その光の加減で、森の色合いが刻々と変わり、時空を超えている空間に身を置いているような体験をした。
そして間もなく、こちらの「ワットスタンドウェル」駅(写真下⬇︎)に到着。
こここそが、フローレンス・ナイチンゲールが、クリミアからはるばる帰って来た時、たった一人で降り立った駅だったんだって。
そして、トコトコ歩いて、あの「夏の家」に帰還したと。
フローレンス・ナイチンゲールも、あの神秘的な道を通ったに違いないと、確信した。
ホントにいい休暇でした。
絶対に、またもう一度、戻ってきたい。
では、また。
<文末に> この「元ナイチンゲール家の邸宅」への宿泊にご興味ある方への実用情報
- こちらは「ホテル」ではありません。現在のオーナーであるピーターさん一家が暮らす自宅の一角に泊まらせて頂き、朝食のみが提供されるという宿泊スタイルです。
- ピーター&ジェンさんご夫妻には、小さなお子さんたちと犬がいます。私が宿泊した週末は夏の繁忙期ということで、親戚の家に預けていたようで静かな環境でしたが、通常はもっと賑やかな屋敷のはず。
- 全4客室ともバスタブはなく、シャワー室のみとなっています。
- 高級なタオルやバスローブが用意されていましたが、ゲスト用の簡易歯ブラシ・髭剃りといったアメニティはありませんでした。シャンプーなども、必要であれば、オーナーさんご夫婦のものを使わせてもらう形。各自で持っていく方がベター。
- 車で来る場合、屋敷内に駐車できます。
- 地元のタクシーは親切で信頼できますが、ちょっと出かけるだけでも片道最低 20ポンド(日本円3000円程度)はかかります。
- 夕食は、周辺のめぼしいレストランを事前に予約しておくのがオススメ。