日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国王立薬学協会 (Royal Pharmaceutical Society) の歴史探訪(其の一)

 

年末ということで、自宅の大掃除をしていたら、

開封をすっかり忘れていた「郵便物」があることに気づいた。

 

それがね。。。

英国王立薬学協会 (The Royal Pharmaceutical Society) からの会員証(写真下⬇︎)だったの。

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年に一度、会員費を払うと小さな会員カードが送付されてくるのだけど、今年は「創立 180 年記念」ということで、特別な証書が届いていたのであった。

英国薬剤師としての「必要経費」って、結構な額がかかります(とほほほ。。。)。そんな事情は、以前のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ。

 

王立薬学協会については、特に私が英国で働き始めてからの変革については把握していた。でもこれを機に、その発足からの歴史の流れを詳細に調べてみることに。

そしてその過程で、オタクな私は、王立薬学協会に関する史跡を訪ね歩き、ロンドン中を行脚することになったのよ(笑)!。

ということで、今回から何回かに分けて、その大真面目な『英国王立薬学協会の歴史・自主調査』を公開することにします。

 

英国薬剤師の職業団体としての代表である王立薬学協会の創立は 1841 年とされている。ちなみにこちら、日本で言えば「日本薬学会」に相当する団体。

それまでの英国では「薬局・薬屋」というのは「誰にでも開業できる」ものであったらしい。「薬剤師」と一言で言っても、お客さんの要望次第で、薬局内にて手術を行っている者もいたり、規制されていないが故の怪しい薬も販売されていた。

そんな風潮を危惧した、ロンドンで薬局・薬屋を営む、有志ある薬剤師たちが「自分たちの職業の位置付けを明確にし、法的に保護しよう!」と考えたのが、協会設立の始まりだったらしい。そしてその考えに賛同する者たちが、全国にあれよあれよという間に広がっていった。

 

で、こちら(写真下⬇︎)が、英国王立薬学協会の構想が生まれた場所と言い伝えられている跡地。

ロンドンの古くから法曹街として知られるストランド地区にあるこの写真の右側の建物の場所に、その昔、有名なパブ(居酒屋)'The Crown & Anchor' があった。そこで 1841 年初頭に、幾度となく薬剤師たちの会合が行われ「協会」の設立が決まったそう。

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ロンドン・ストランド地区にある、英国王立薬学協会の発祥地周辺の現在の写真。当時の様子が描かれた画(リンク下のWikipedia参照⬇︎)から、写真上(⬆︎)の右側の 'Pret A Manger' と看板のある建物こそが、元は協会創立の構想が話し合われたパブの所在地であったのだろうと断定。

こちらのパブ(⬇︎)、王立薬学協会創設以外にも、当時の英国の数々の歴史的瞬間の証人となった、有名な社交場だったらしいです。
ちなみに現在、この英国王立薬学協会発祥の地とされる場所で営業されている 'Pret A Manger (プレタ・マンジェ)' は、全国チェーンのサンドイッチ屋カフェ。日本にも一時期進出したが、撤退したと聞いた。英国で暮らす者たちにとっては、好評を博しているファーストフード店なのだが。。。。

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今回、夜勤当直勤務明けの代休の平日に、こちらのカフェ内にて、クリスマスシーズンの街を行き交う人々を窓越しにぼーっと眺めながら、サンドイッチを頬張りました(苦笑)

この王立薬学協会発祥の地の道向かいは、英国王立裁判所(写真下⬇︎)となっている。

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この会合の中心人物であったのは「ウィリアム・アレン (William Allen) 」と「ジェイコブ・ベル (Jacob Bell)」という名の2人であった。その結果、ウイリアム・アレンが英国王立薬学協会の初代会長となり、ジェイコブ・ベルが実務執行担当かつスポークスマンとして、この協会を強力なリーダーシップで導いていった。

 

そして、この2人の遺産とレガシーは、現在に至るまで、英国の薬業・薬局界に脈々と受け継がれているの。

 

まずは、ジェイコブ・ベルについて。

祖父の代にロンドンの中心街で薬局を開業 (1798年) した3代目経営者だった。当時から父ジョンと共にロンドンでも有数の薬剤師として知られていたそう。確かに、先見の明がある人であったのだろう。自分の職能を高めるべく、ロンドン市内のガイズ病院で、化学の講義を聴講していたとの記録が残っている。

ロンドン・ガイズ病院は、英国で古くから存在していた病院・医学校の一つとして、また国内で最高峰の医療教育を提供してきたことで知られています。私も渡英当初、この病院で実習をしました。その当時のことについてご興味のある方は、こちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ。

驚くべきことに、彼の一族の家業であった「ジョン・ベル&クロイデン (John Bell & Croyden) 薬局」は、今なお、当時と変わらぬ場所で開局されている(写真下⬇︎)。近年、英国大手チェーンの一つのロイズ薬局の経営傘下へ入ったが、その創業200年以上の歴史を冠し、屋号名を変えずに営業され続けている。

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ロンドンで現存する2番目に古い薬局である「ジョン・ベル&クロイデン薬局」。

ちなみに「ジョン・ベル&クロイデン」は、英国内の薬局の中でもずば抜けて高級感に溢れた雰囲気となっている。ロンドンのプライベート開業医院が立ち並ぶエリア(注*)に所在しているため、ここへやってくる患者・お客さまは、そこで診察を受けた人が多い。他では見かけない、あり得ないような商品(→例:スワロフスキーを散りばめた電動車椅子とか)も数多く扱っているため、アラブの富豪たちが好んで買い物をする場所としても知られている。

だから英国のごく普通の薬局とはとても言い難いのだけど、日本人薬剤師さんがロンドンに観光へ来たら、是非、訪れることをお薦めしている場所の一つ。

(注*)英国の医療はほぼ全てが、保健省管轄下の「国営医療サービス (NHS) 」により無料で提供されていますが、「患者全額負担(プライベートケア)」の医療も少数ながら存在します。プライベート医療機関は、ロンドン中心部の「ハーレー街 (Harley Street) 」と呼ばれる周辺に多く、ジョン・ベル&クロイデン薬局もこのエリアに所在しています。ハーレー街については、最近、こちらのエントリ(⬇︎)でも一部紹介しましたので、合わせてどうぞ。

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「ジョン・ベル&クロイデン」は現英君主エリザベス女王により王室御用達と認定されている薬局でもある

話が逸れますが、ジョン・ベル&クロイデンの他にも、王家の紋章が掲げられている珍しい薬局に(偶然)出くわした時のことは、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ。

 

「薬剤師の地位」を高めることに熱心だったジェイコブ・ベルは、その広報の一番のツールとも言える薬学雑誌の刊行を始めた。

それが、現在に至るまで、英国の薬剤師の間で最も読まれている「The Pharmacuetical Journal (通称 'PJ' )」。

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ジェイコブ・ベルが初刊し、現在に至るまで脈々と発行されている「The Pharmaceutical Journal (通称 'PJ' )」。だが時代のニーズに合わせ、その内容は変化を繰り返していった。例えば、私が英国で暮らし始めた頃は、学術誌というよりは、求人情報誌という位置付けであった。この10年間で、協会の財政難により、週刊から月刊誌になった。そしてこの写真にあるのが、紙面誌としては最終号となった今年の2月号。以後は全てデジタル媒体となることが発表された。

「The Pharmaceutical Journal (通称 PJ)」については、以前、これらのエントリ(⬇︎)の一部としても紹介しています。

 

さらに薬剤師の職業的利権保護のためには、政治的に強くならねばならぬと、ジェイコブ・ベルは、晩年、国会議員にまでなった。

彼が亡くなり葬儀を執り行った日、英国中の薬局が営業を停止し、喪に服したという逸話が残っている。ちなみに現在、英国内の薬局はどこも、定められた営業時間を守らずに急に閉店することは、法律で硬く禁じられているのだけど。

 

「英国王立薬学協会の歴史深訪」は、シリーズものとして次回へ続きます。

 

では、また。