今回のエントリは、前回(リンク下⬇︎)からの続きとなっています。
英国王立薬学協会 (Royal Pharmaceutical Society) の歴史を辿り、ロンドン市内の史跡を訪ね廻った記録です。
初代会長の「ウィリアム・アレン (William Allen) 」については;
元は、絹工業を営む家の息子だった。でも、家業には興味を持てず、前回のエントリで紹介した、英国王立薬学協会初代執行人兼スポークスマンとなったジェイコブ・ベルと同様、ロンドン・ガイズ病院内での化学の講義を聴講し「薬剤師こそが天職だ」と悟った人だったらしい。
ロンドン・ガイズ病院は、私の人生を大きく変えた場所でもあります。その話にご興味のある方は、過去のこちら(⬇︎)のエントリもどうぞ。
そして、ロンドンの昔から存在する金融街エリア(写真下⬇︎)の片隅にあった薬局に、最初は事務員として入り、めきめきと頭角を現し、最終的にはその薬局の共同経営者にまでなった。文字通り、叩き上げた人だったのであろう。
ウィリアム・アレンの死後、その薬局の跡を継いだ彼の妻の家系の甥たちは、薬局経営のみならず、製薬の開発にも力を入れた。この製薬会社は、ウィリアム・アレンの苗字と彼の妻の旧姓を取り「アレン&ハンブリーズ (Allen & Hanburys) 社」と名付けられた。
で、その製薬会社は、現在どうなっているかと言うとですね;
150年以上の時を経て、なんと英国を代表するグローバル製薬会社「グラクソ・スミスクライン (GSK) 」の前身とされているのだ。
その事実を知った時ね、私、驚愕した。でも一方で、
「ああ、そう言えば。。。!」
と、点と点が繋がった。
私が英国で働き始めた頃、薬局の棚に在庫する「グラクソ・スミスクラインの製品」っぽいものが、よーく目を凝らして見ると「アレン&ハンブリーズ社」と印字されているもの(一例:写真下⬇︎)が、それとなくあったんだよなあ。。。と。
で、これまた色々と調べていくうちに「アレン&ハンブリーズ社」の元工場であった建物が、今なお東ロンドンに現存することを知り、そこを訪ねてみることにした。
外観は当時のまま、でも内部は近代的に改造され、シェア・オフィスとなっていた(写真下⬇︎)。なんと「PILL BOX(ピル・ボックス = 薬箱)」という商業地名にて。最高のネーミングぢゃない(笑)!。感動した。
中へ入ってみると。。。。
シェア・オフィスの一階は、一般の人でも利用できるレストラン兼カフェがあり、ミニ・ワークスペースにも商談場所にもなっていた。たくさんの若手起業家たちが出入りしていました。
ところで、英国内においては「Pharmacy = 薬局」という語の使用は、国の薬局登録機関 (General Pharmaceutical Council, 通称 GPhC) が厳重に取り締まっています。薬局以外の商業施設(例:レストランやカフェなど)の店名に使用することは硬く禁じられています。
そんな事情の具体例は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ。
で、こちらを訪れた後は、まるで連想ゲームのように;
「そう言えば、グラクソ・スミソクラインの現本社って、一体どこに所在しているんだったっけ?」
という疑問が。。。。
早速ググって、その場所も訪れることにしてみたの。
こんなことに興味がなければ、絶対に訪れないであろうなと思える、ロンドン郊外の住所だった。最寄りの地下鉄の駅から距離があり、国鉄の駅も接続が良くないエリア。でもそういえばここって、以前一緒に働いていた若手薬剤師の同僚が、マイホームを購入した場所だったな。すごく環境が良いって喜んでいたっけ、といった昔の記憶を、ふと思い出した。
そんな訳で、グラクソ・スミスクライン現本社周辺のエリアを探索すべく、そこから最寄りのホテルを予約し、今年最後の「週末ステイケーション」をしてみることにしたのであった。
でね、私自身も、このエリア、すっかり気に入ってしまったのだ。
こちら、ロンドン郊外にある「グラクソ・スミスクライン」の世界本社(写真下⬇︎)。西ロンドンにあるヒースロー空港へ行く途中の高速道路から見える大きな建物の一つとして(ぼんやりと)覚えていたのだけど、このような至近距離で見るのは始めてだった。
運河沿いに建っていた(写真下⬇︎)。ロンドンにはテムズ川の他に、運河も市内を横断するように流れている。
グラクソ・スミスクラインの本社沿いの運河周辺には、このような「自然保護区」もあれば、ちょっと歩くと、近代的な住宅が建ち並ぶ「ロンドン再開発エリア」も混在していた。
ロンドン散策マップの「超穴場」を、今回、大発見。
それでは、皆さまも、よいお年を!