日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

処方薬剤師免許取得への道(6)奨学金獲得と合格通知

 

このエントリはシリーズ化で、こちら(リンク下⬇︎)からの続きとなっています。

 

さまざまなことに東奔西走しながら、それを一つ一つ解決していき、もうすぐ願書は完成する、という矢先のことだった。

勤務先病院内の教育訓練部門から、今回、奨学金は1000ポンドまでしか出せないという、これまた「寝耳に水」な連絡が入ったのだ。

病院の帳簿では、数年前、英国医療教育機構から私へ、2500 ポンドの奨学金を給付したとの記録が残されているとのこと。実際には、私はそれを辞退し、別の薬剤師へ使われたため、事実ではなかった。しかし「『消えてしまった(=薬局内で横流しした)』2500 ポンドであれば、今回、薬局内の予算から充填すべきだ」と通告されたのだった。

私が現在勤務する病院薬局は、常に低予算で喘いでいる。薬局内で私に2500 ポンドを捻出するなど(到底)あり得なかった。

英国薬剤師の卒後教育と奨学金制度、そして以前、私に給付された2500ポンドが別の薬剤師に使われた件については、このシリーズでの初めの方(リンク下⬇︎)でも書いています

 

思いあまって、上司のドナさんに相談した。

「ここまで来て、また願書締切日を逃すなんて、あんまりです。こんなに面倒な思いをするのであれば、私、このコースを、全額自費 (3500ポンド=日本円換算57万程度) で払って履修することにしても構いませんよ」と。

正直、それまでの数ヶ月の、自分では(ほぼ)コントロールの取れない数々のストレスにうんざりしており、大学院の授業料を自腹で払うことによりそれが(全て)解決されるのであれば、そっちの方が、自身の精神衛生上、得策のように思えたのだ。

でも、ドナさんは、こう言った。

「この処方薬剤師免許コース、自費でやるってことは、大学院の授業日も、病院内での実地訓練の時間も、全部、自分の有給休暇を使ってやることになるんだよ。一年間『全く』休みがなくなるだろうね。。。。それに『自費でやります』って言うことは、ある意味、病院との借り貸しが無くなるんで、免許取得後はさっさと、他のより良い職場へ転職できるようになるし、周りにそう宣言しているに等しい態度とも取られるかも。将来、もし内部昇格の機会が出た時に、少なからず影響すると思う。。。。 ここは我慢して、奨学金を待った方がいい」と。

 

。。。。はあ?!?!?!

病院との借り貸し???

「恩義」とか「しがらみ」って、英国にもあったんだな。

今まで全く分かっていなかった「全額返済不要の奨学金を貰う」ということの真意を知った次第。

 

ただ、そんなゴタゴタの中で幸いしたのは、私が決めた自分の専門が「抗生物質の長期投与が必要な骨髄炎」であったこと。

薬剤師によるモニタリングが明らかに必要な領域で、それまで病院内で医療事故が相次ぎ、患者さんたちからの苦情も多いエリアだった。「薬剤師が一人、この分野で処方免許を取得すれば、より安全が図れるだろう」と病院内で合意され、薬局へ臨時配当(=私への奨学金)が出ることになったのだ。

で、資金が「どこからか」調達され、病院の奨学金給付責任者から、私の入学願書へその確約の調印がなされたのは、なんと、願書提出締切日の朝だった。

 

その日の終業後、私は、薬局のオフィスに一人居残り、自分の願書を何度も何度も目を皿のようにチェックしていた。でも、読み直せば読み直すほど、誤字・脱字が見つかった。それに最後の最後で「こう表現した方が、選考者たちによりアピールできるな」とか、色々な考えが出てきて、ギリギリまで手直しをする羽目になった。

そして、大学オンライン上の「提出ボタン」を押したのは、最終締切時間直前の23:45であった。

 

もう金輪際、こんな(要らぬ)苦労をするのは、御免だな。。。。

と、疲労困憊でボロボロになった身体を引きずり、帰宅した。

 

職場の薬局オフィスに隣接するコピー・スキャン室。願書提出締切日、私は、自分の机とこの部屋を、数えきれないほど往復しました

 

しかし!!!

それからも、一筋縄では行かなかったのだ。

 

この願書、なんと翌週には、大学から早速「受け取れない」という連絡が来た。

願書内に不備がある。志望動機理由記入欄が、空白になっていると。

前回のエントリで説明したが、この処方薬剤師免許取得コースでは「大学院本来の願書」と「英国国営医療サービス (NHS) 教育機関」への2種類提出しなければならなかった。私自身、その意図が、最後まで理解できなかったのが仇となった。特に志望動機の作文欄は、2つともほぼ同じ文面の質問であったため、大学院規定のオンライン願書の方に「別紙に書いた箇所をご覧ください」と一文書いたら、入学審査オフィスからは「白紙である」と見なされ、受理できないと連絡が来たのだった。

5日以内に志望動機文書を「追加提出」すれば、入学選抜を考慮します、とあった。

 

腹腸が煮えくり返るような思いだった。大学ウェブサイト上の入学募集要項では、この点に関し、明らかに説明不足だったから。

そして、この一連のプロセスで気づいたのは、ロンドン大学キングスカレッジは、英国でも屈折の「マンモス校」であるという事実だった。毎年数万人の学生が国内外から入学を希望する。よって入学事務局では、極めて機械的に一次選抜を行っている。応募者一人一人の事情には構っていられないのであろう。そして実際に、入学後も、大学の事務局と、コース講師陣と、学生たちのコミュニケーションに、今ひとつ「?」な部分があるということが、正直、否めなかった。

 

それにしても、これ以上、願書に一体、何を書けばいいんだろう。。。。?

疲れ切った頭と身体に、また鞭を振るうことになった。

 

改めて、

「なぜ、英国内の数ある処方免許取得コースの中で、ロンドン大学キングスカレッジを志望したのか?」 

「他の候補者と異なる、私のオリジナリティとか強みって、何だろう?」

と、しみじみ考えた。

 

そして;

「20年前、英国へ来たばかりの時に実習した『私の原点』の病院の付属大学であること」

私の「原点」の病院については、過去のこれらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

「言わずもがな、世界でもトップクラスの医療教育を誇る大学機関であること」

「紆余曲折を経て、英国で臨床薬剤師となり、今、ロンドンの大学病院の前線現場で働いている。その臨床薬剤師の最終学歴ともなり得るこのコースに、自分の原点の場所に立ち戻るべく、御校を選びたい」

といったことを述べ、

「英国で稀有な『日英薬剤師』として、そして、最先端の卒後教育と職能向上を実践している一例として、御校で処方薬剤師免許を取得した暁は、私自身、薬剤師という職業のアンバサダー的役割を、国際レベルで果たしたい」

と文章を締めくくった。

そして再度「提出ボタン」を押した。去年の10月末のことであった。

私が実際に提出した入学願書。手前が最初に提出した 11 ページに渡る
規定のフォーマット用紙。奥の2ページが、記入に不備があると指摘された後、自分で急遽タイプし、別紙追加提出した志望動機文書

 

それから、キングスカレッジからは、全く音沙汰が途絶えた。

12月になっても、連絡がなかった。

「来月初旬から始まるコースに、まだ合否の連絡が来ないって、どーゆーこと? まあ、私の願書は、今回の志望者の中で間違いなく『一番最後に提出した人』になってしまったであろうから、2022年1月の入学も、恐らく無理だろうな。。。。」

と半ば諦めかけていた、去年のクリスマス直前のある日;

おめでとうございます! 次回の処方薬剤師免許取得コースの入学を許可します

 

最高のクリスマスプレゼントだった。

私は、突如として、わずか2週間後から、パートタイムの大学院生になることが決定したのであった。

 

10 年ぶりに学生に戻ることにワクワクしつつ過ごした、2021年の終わりと、2022年の始まりであった。

 

ロンドン大学キングスカレッジ本部ストランドキャンパス内の学生カフェからの眺め。テムズ川越しに国会議事堂ビッグ・ベンや大観覧車ロンドン・アイが真向かいに見える「これぞ、ロンドン!」とも言うべき場所

 

このエントリはシリーズ化で、その後の話は、次回へ続きます。

 

では、また。