日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

あの日、あの時、あの場所で。英国薬剤師国家試験を受けた日から10年

 

前回のエントリから、大分間が空いてしまいました。

私、目下、入学した大学院(=処方薬剤師免許取得コース)の、次から次へと押し寄せる課題提出物の締切りに、あっぷあっぷと溺れかけている(苦笑)。

でも、その話はひとまず置いて、今回は、このことについて、書いてみたい。

 

10 年前のちょうど今日、英国薬剤師国家試験を受験した。

その時の模様の記憶を。

 

受験会場は、ロンドンの金融・オフィス街の中枢である「リバプール・ストリート駅」斜め向かいの文化会館(写真下⬇︎)だった。

世界3大市場ロンドン金融街への最寄り駅の一つ「リバプール・ストリート駅」周辺

私はこのエリアの文化会館「Bishopgate Institute」(写真上⬆︎)にて、2012年6月29日、英国薬剤師国家試験に臨んだ

ロンドンは、公共交通網が止まりやすい。そのため、英国の薬局・薬剤師の登録先であり、薬剤師国家試験の施行機関でもある「英国薬学評議会 (The General Pharmaceutical Council, 通称 GPhC) 」の受験案内書には「交通ルートを『複数』確保し、試験日前に必ず自分で試験会場まで行ってみて、実際の所要時間を確認すること」とあった。ちなみに英語で、こういった予行練習のことを「ダミー・ラン (Dummy Run)」と言う。

私は当時、ロンドンの地下鉄の中でも最悪の路線(= ハマースミス&シティライン。世界最古の地下鉄区間として知られており、とりわけ遅延・故障が多い) 沿いに住んでいたため、試験当日も、時間通り会場に到着できるかどうか、気が気でなかった。

結果としては、ノロノロと走るポンコツ車体ながらも、無事、最寄駅まで辿り着いた。久しぶりに地下鉄に乗ったら、どの駅のプラットホームも「ロンドンオリンピック仕様の道案内・広告」に刷新されていた。それまでの数ヶ月間、私自身、どれだけ試験勉強に明け暮れ、世間の「お祭り」からはとんと取り残されているのかを、否が応にも実感した。

それ以後も、私、オリンピックにはまるで縁がなく、2012年ロンドンオリンピック会場周辺を初めて訪れたのは、何と去年のことでした。その時の模様は、こちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ


英国の薬剤師国家試験は1日で終了するが、2部に分かれている。私が受験した時は、午前は「クローズド・ブック (Closed Book) 」- 日本の国家試験のように、記憶力がモノを言う形式。そして午後は「オープン・ブック (Open Book) 」- こちらは英国の薬局の2大実用参照本「英国国家医薬品集 (British National Formulary, 通称 BNF)」と「英国薬事法&倫理 (Medicines, Ethics and Practice, 通称 MEP)」を、自分が仮免許(プレレジ)研修中に使用してきたものを試験会場に持ち込み、それらを必要に応じて参照し、解いていく試験だった。

ちなみに、英国薬剤師国家試験の最新情報ですが、近年「オープン・ブック」試験には、受験者各自の BNF や MEP を持参させなくなりました。試験問題を解答するのに必要な情報は、これらの参照本などのコピーを試験用紙に添付して、受験者に一律に配布するようにしているとのこと。

だから以前、このエントリ(⬇︎)で書いた内容は、古い情報となってしまっています。でも、私が受験した頃の英国薬剤師国家試験と国家医薬品集 (British National Formulary, 通称 BNF) についてご興味のある方は、お読み下さいませ

英国の薬剤師国家試験は、薬科大学を卒業後、仮免許薬剤師として1年間の義務実務実習「Pre-registration Training (通称『プレレジ』)」を行なった最後に受験するものとなっています。私の「プレレジ」時代の話にご興味のある方は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

 

大方 20 代の受験者とは異なり、私にとっては、長い月日をかけ(やっと)受けることが許された、まさに一世一代の試験だった。だから、試験直前は本当に緊張していた。でも一旦始まれば、容易に解答できる問題ばかりだった。午前の試験が終わった時点で「この調子で行けば、大丈夫だろう」と一安心した。

午後の試験まで、2時間の休憩時間があった。色々な人から「昼食中は、仲間内で午前中の試験のことについて話し合わないこと」と助言されていた。答え合わせなどをし、もしそれが一致しない場合、パニックになり、午後の試験のパフォーマンスに響くから、と。

だから、同じ病院や近隣の病院でプレレジ研修していた友人・知人の多くも同じ場所で受験していたのだけど、私は休憩時間、会場を一人するりと抜け出て、そこから徒歩圏のベーグル屋(写真下⬇︎)へ向かった。

東ロンドンのイスラム街にある名物ベーカリー「BEIGEL BAKE」

ここ(写真上⬆︎)、ロンドンに長年住んでいる人だったら「絶対に」知っている店。

ブリック・レーン (Brick Lane) と呼ばれる、その昔、ヨーロッパ各地で迫害を受けていたユダヤ人が英国へ亡命した際に、コミュニティーを創り上げた通りの端にある。でも近年、このエリアは、イスラム教徒が多く住むようになったため、なんとこの店の厨房で、ユダヤ人の国民食とも言えるベーグルを実際に焼いているのは、イスラム教徒というユニークな店。ベーグルは、ずっと釜戸の火を絶やさないで焼き続ける方がコスパが良いとのことで、この店はなんと365日24時間開店している。ロンドンでは珍しい営業形態。

この上の写真のとおり、見かけはささいもない店なのだけど、その焼き立ての美味しさと手頃な価格に惹かれ、常に人が引きも切らずこの店のベーグルを求めにやってくる。私のようなごく普通の人も、著名人も買いにくる。旅行ガイド片手に世界中から観光客が訪れる。夜間・早朝にかけては「仕事終わりの」お腹を空かせた売春婦も立ち寄る。週末には周辺のクラブで徹夜で遊んだ後、電車の始発を待つ若者たちがたむろする。ロンドンの人間模様がありありと見える場所。

私がいつもオーダーするのは「スモークドサーモン&クリームチーズ」(写真下⬇︎)。

この国試の日も昼食として、私はこのベーグルを2つペロリと平らげた。

先日、久しぶりにこのベーグル店を訪れてみたのですが、さすがに一気に2つは食べれませんでした。10年前はまだ若かったんだな。。。(笑)

そして、試験会場付近へと戻ったのだが、まだ時間があったため、近くのチェーン系コーヒーショップへ入った。テラス席で、一人、アイスコーヒーをすすりつつ、試験勉強の最後の見直しをしていたその時だった。

明らかに違法薬物中毒の浮浪者が近づいてきて、金をくれ、と乞うてきたのだ。

「あー、今、ちょっと小銭の持ち合わせがありません」と断った。

その人は、隣のテーブルへ、すっと移動した。周辺の日系企業のロンドン支社に勤務しておられるのであろう日本人のグループが揃って昼食を取っていて、皆、幾らかを差し出していた。

私って、何て薄情な人間なんだろう、と思った。でも、違法薬物中毒者にお金を与えるということは、彼らがさらなる薬物を買う資金を供給している行為に等しい。本来ならば、やるべきではない。

英国では、巷に違法薬物中毒者が溢れています。そんな事情は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

 

試験会場内の建物に再び入る直前に、パートナーに電話をした。

「(試験の出来は)今のところ大丈夫だと思う。安心して」と告げた。

信心深い彼は、午前中ずっと、自分の仕事そっちのけで、私の試験がうまくいくよう神に祈ってくれていた。

 

祈りと言えば、この日は、会場にいる何百人という受験者がさまざまな祈祷を捧げていた。ロンドンには、ありとあらゆる国出身の者が暮らしているし、薬剤師は、移民の割合が多い職業としても知られている。だから、各人の宗教も信条もさまざま。でもその日、とりわけ印象に残ったのは、とあるアフリカの国のグループ。20名ほどの同胞者たちが試験室入口で独自の円陣を組み、合格祈願をしていた。

ちなみに、私が合格した数年後、日英薬剤師としての弟分「D くん」が受験した際は、試験時間中、奥さまは一人静かに写経をしていたと聞いた。心に沁み入る話だなあ、と感動した。

このブログに時々登場する、私の日英薬剤師としての弟分「D くん」については、過去のこちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ


午後の試験も、滞りなく終了した。計算問題は全問すらすら解けたし、うーん、正解かどうかちょっと迷う。。。と思えたのは、2−3問だけだった。午前・午後の試験とも、一度解いた問題をもう一度見直せる時間の余裕もあった。だから、午後の試験終了のチャイムと共に「(マークシートの行を一段間違えた、といったような壊滅的なミスがない限り)合格だ!」と確信した。

そうそう、マークシート式の試験と言えば、良質な鉛筆と消しゴムが必須。でも、これら、英国では入手しにくい。という訳で私は、この試験の数ヶ月前に、ちょうどロンドンを観光で訪れた日本のとある薬業雑誌社の編集長さんから「お土産、何がいいですか?」と聞かれた際に、すかさず「日本製の鉛筆を!」とお願いした(写真下⬇︎)。消しゴムはその数年前の日本での里帰り休暇中、ロンドン大学薬学校時代に一緒に勉強した日本人薬剤師の友人の K さんが「日本には、今、こんな珍しい消しゴムがあるんですよ」とプレゼントしてくれたものを持参した(写真下⬇︎)。さまざまな方々の善意に支えられていた試験だったんだなあ、と今更ながら振り返り感謝している。

贈り物として頂き、私が実際に試験場に持ち込んだ日本製の鉛筆と消しゴム。日本の文房具は世界一の品質ですね。10年経った今なお、時折使用しています

ロンドン大学薬学校時代の友人「K さん」については、過去のこちらのエントリ(リンク⬇︎)をどうぞ


試験終了後、知り合いの多くは「打ち上げ会」と称し、試験会場近くのパブに出かけたみたいだった。でも私は一人、自宅へ戻った。数ヶ月間の集中的な勉強が終わったことに放心状態となり、あえて薄暗い地下鉄には乗らず、試験会場から自宅まで1本で帰れる2階建てバスに揺られながら、ロンドンの美しい夏の街並みを、車窓からぼーっと眺めながら、帰宅した。

 

ちなみに、私、日本の薬剤師国家試験は、25 年以上前に受験した。

指定された会場は、東京の星薬科大学だった。試験は、2日に渡って行われた(はず)。

今、Googleマップで調べたんだけど、恐らく、山手線で五反田まで行き、私鉄に乗り換え、会場へ向かったんだと思う。戸越銀座という名の賑やかな商店街を歩いた記憶が(朧げながら)ある。

1階の緩やかな段差のある古めかしい講義室の、廊下側の後ろから2−3番目の席だった。

 

ところで私、日本で卒業した薬科大学では、卒業試験(=国試の模擬試験)に、最後まで合格できなかった人 😅。

1回目は1月(本試)、2回目は2月、そして3月の中旬に行われた「最後の最後の追試」まで受けた(→注:私が日本の薬科大学生であった1990年代は、3月末が国家試験日でした)。今だったら、受験票を大学に取り上げられて、国試の受験を差し押さえられたであろうレベルの学生よね(苦笑)。

でもね、その割には、国試は(案外余裕で)合格した。86-87% ぐらいの正解率だったことを覚えている。

世間でよく言われている通り「最後まで『低空飛行』した人が、本番では最強」の典型例だったのでしょう。

 

日本の国試に合格した時、その 10 年後には、英国でファーマシーテクニシャンとして働いていることになっていようとは、夢にも思わず、

英国の国試に合格した時は、就職先がどこも決まっておらず、絶望の中、日本へ帰国しようかとも考えていた。だから、10 年後の今日、ロンドンの大学病院で、感染症専門臨床薬剤師として働いている自分の姿など、全く想定外だった。

 

次の 10 年後は、どうなっているんだろう? 

いつだって崖っぷちの人生だけど、懲りずに全力で、挑戦していきたい。

 

では、また。