日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

第56回日薬学術大会の登壇者としての舞台裏話(下)

 

このエントリは、前回(リンク下⬇︎)からの続きとなっています。


会場であった和歌山城ホールに到着すると、ものすごい数の参加者の熱気で溢れていました。

「薬学部ができたばかりの小さな県でも学術大会ができることを実証したい。従来の大都市のみならず、将来のさまざまな地方における開催のモデルになれば」との願いから、数年前に大会開催を誘致したと伺っていました。その志が見事に反映され、最初の受付から、和歌山県薬剤師会の方々や、恐らくボランティアであろう薬学生さん総出の、心のこもったおもてなしを受けました。

 

受付後すぐに、舞台裏の控室に通されました。

すでに、米国のウォルグリーン薬局に勤務されている大野真理子さんが、到着していました。

互いに「うわー、初めまして!」との歓声。10 年以上も写真だけ拝見していた方が目の前に居るって、不思議な感覚でした。

そして、実際にちょっと話しただけで、大野さんって、ホントに大らかな人であることが分かりました。

何よりまず驚いたのが;

「え、今回の学会の準備? 数日前から勤務先の同僚の写真を撮り出して。。。スライドは日本へ向かう飛行機のフライトの中で作ったわ。だって、25分なんて、大した話できないでしょ。何とかなるわよ」

と。しかも大野さん、前夜に日本に着いたばかりでした。

それを聞き、私は「へ?」と拍子抜け。

そして大野さん、人気者でした。「関係者以外立ち入り禁止」のはずの控室に、次から次へと来客がありました。どなたにも「お久しぶりー!!!」なんて言いながら、始終にこやかに歓談されていました。

 

本番開始前の1時間前に、この分科会の演者並びに関係者の皆さまでの「事前打ち合わせ」が予定されていました。そのため、私たちの分科会の座長となる日本薬剤師会副会長の安部好弘先生と、和歌山県薬剤師会理事の西山加津先生が、控室にお見えになりました。

自己紹介がてら、そこにいる全員での名刺交換がありました。

 

で。。。私、名刺、持っていなかったんですよ。

 

突如、ああ、日本って、名刺交換っていう文化があったな、という遠い昔の記憶が蘇りました。

「あの。。。英国の薬剤師って、名刺を持たないんで。。。」と(冷や汗をかきながら)お詫び申し上げました。でもこれ、本当です! 英国の薬剤師(→少なくても、国営医療サービス NHS に勤務する者)で、名刺を持っている人って、ほぼいません。

打ち合わせの過程で、アッセンハイマー慶子さんとも Zoom 画面越しに初めてお会いしました。本当に素敵な方でした。日本の薬学関係者が、ドイツの薬学事情を知りたい・薬局を現地視察したい場合は、兎にも角にもアッセンハイマーさんの所へ、というのも頷けました。コンピューター画面越しの背景のインテリアもとても素敵だったのでお聞きしたところ、ご経営されている薬局のご自身のオフィスからの中継だったそうです。

でもね、実はこの「打ち合わせ」には、ハプニングがありました。台湾からの演者として、游慶齢さんという、台湾人でありながら日本の薬学部を卒業し、現在は、台湾薬剤師会の幹部として活躍されている方も、今回、登壇されることになっていました。でも彼女、打ち合わせ時間の定刻になっても控室に現れず、この事前打ち合わせがいつまで経っても開始できなかったのです!!! 個人携帯電話番号へ連絡しても繋がらず、段々心配になってきて、副座長の西山先生が、会場内へ探しに出かけたほどでした。

 

そんなバタバタの最中でも、大野さんは余裕の心持ちで、茶目っ気たっぷりに、

「安部先生、記念に一緒に写真を撮りましょう!」と。

その時、撮影されたのがこちら(⬇︎)です。

本番前の舞台裏の控室にて。気さくに写真撮影に応じて下さった日本薬剤師会副会長の安部先生と、大野さんと共に。ちなみに私たちが使用した控室は、コンサートや舞台前に出演者が身支度をするために使用される大部屋で、壁一面に「女優ミラー」が設置されていました

 

本番 25 分前ぐらいに、游さんが、ようやく控室に現れました。今回の学会があまりに楽しくて、時間を忘れて、会場を見て廻っていたとのこと(大爆笑)。

皆さん、余裕だなあと、自分の小心者加減を呪うばかりでした。私は縮こまって、本番前の最後の見直しとして、台本をチラチラと見ていました。

 

そんな中、本当にありがたかったことがあります。

私の緊張具合を慮ってか、安部先生が

「失敗しても、命まで取られることはありませんから」

と、さりげなく仰って下さいました。

それで、大分、心が落ち着きました。

 

開始予定時間10分前に「それでは本番です。大ホールへ向かいましょう」と。

 

演者たちがホールに入場したことが分かると、本番開始数分前にも関わらず、演者たちの親しい知り合いの方々が、次々に客席から立ち上がり、ご挨拶に見えました。私の元にすら数人、ご挨拶に来て下さいました。

勝手の知らない私は、これって、学会というものの慣例儀式なの? とドギマギしてしまいました。まるで、ボクシングやプロレスで、リングに上がる人を励ますようなものなのかな。。。と(苦笑)。

登壇者は、舞台の袖で出番を待っているのかと思いきや、こういった学術大会の場では、会場の客席の最前列に「次演者席」というものが用意されていることも、私、今回初めて知りました。

 

で、開演。

米→英→独→台湾の順ということで、まずは、大野さんの講演から始まったのですが;

聞きながら「これ、本当に、アメリカから日本に来るフライトの中で作ったんだ。。。」と感嘆しました。なんて、費用対効率のいい方なんだろう、と(→注:この講演では各演者に謝礼が支払われることになっていました)。

大野さんが話した内容が、私が話す予定の内容とも重なっており、一安心しました。本番直前に進行の流れの打ち合わせはしたものの、各演者がどのような話をするのかは、お互い、一切知りませんでしたので。

 

そして、ついに、私の番が来ました。

舞台へ上がる階段を一歩ずつ登っている時、大好きなピアニスト、フジコ・ヘミングさんのことを思い出していました。彼女の著書の中で「ステージに向かう時は、地獄へ行くときのよう。ガクガク足が震えて」という一節があるのです。

その時、私自身、まさしくその心理状況にいました。

 

そして、照明が煌々と輝く壇上に上がって、観客の皆さまを真正面に見た瞬間、

「うわーーーーーー!!!!」って(叫びそう)になりました。

何百人という人数の方々がそこにいらっしゃったからです。

でも座長席の方から、私の経歴が紹介がされている間に(不思議と)心の準備ができ始めていました。

 

そして、いざ、演題が始まると、練習中はあれほど「台本が覚えられない。。。どうしよう。。。😭😭😭」と慌てふためいていたにも関わらず、聴衆の皆さまの前で、意外とスラスラと話せていました。

 

この学術大会で、私自身(願わくば)やりたいと思い描いていたことがありました。

それは

「聴衆の皆さんの目を見て、心を込めて語りかける」

ということ。

AKB 48 ではありませんが「目からビーム✨」を出して、観客の皆さまとこの瞬間を味わいたいなあ、と(→注:ちなみに話が逸れますが、私はAKB 48 の大ファンです。だって、あのグループのコンセプト、英国薬剤師と似てるもん。笑)

途中からは、私自身も気持ちの余裕が出てきて、会場ホールの2階席を見上げると、プレス関係者の方々がものすごい数のシャッターを切って写真を撮っている様子が目に入りました。

 

質疑応答では、多くの質問が上がりました。答えても、答えても、次から次へと参加者の方々から質問の手が挙がりました。日本の薬剤師の皆さんが、英国の薬局・薬剤師事情について多大な関心を持って下さっているのが直(じか)に感じ取れ、私自身、本当に感動しました。

「これにて質問を締め切らせて頂きます」という、座長席からの終了の合図があった時、壇上に設置されていた時計カウンターを見たところ、 10 分ほどの質疑応答となっていました。大幅な時間延長をお許しくださった座長席の先生たちにも感謝でした。

ただ、こういった場での質問への受け答えって、頭の回転をものすごく機敏にしないと的確に答えられないし、誤解を招きかねない回答をすることもあるだろうな。。。ということも私自身、今回、改めて考えさせられました。後で振り返って「あの質問、こういった具体例も含めていたら、さらにより良く答えられたのにな」といったようなことが、たくさんありました。

今回頂いた質問というのは、日本の薬剤師さんたちにとって、現在とりわけ注目・重視しているテーマであるはずです。さらなる詳細な回答については、このブログで、今後取り上げていこうかな? というアイディアも浮かびました。

 

自身の講演が無事終了し、興奮冷めやらずに壇上を降り、席へ戻ると、隣に座っていた台湾の薬剤師の游さんが目を輝かせながら「スーッゴク、ヨカッタデス!!!」と言って下さりました。それで、ほっと安堵の胸を下ろしました。

 

そして、アッセンハイマー慶子さんの講演を聞き出したのですが;

次第に、

「トイレに行きたい。。。」

と思い始めました。

本番前、緊張を紛らわすため、楽屋でかなりの量の水を飲んでいたからです。でも、中座するのは失礼よね。。。と思い直し、止まることにしました。

 

最後の演者であった游さんの講演が終わる頃には、膀胱は破裂寸前でした。

 

そして、やっとこの分科会が幕を閉じ「さあ、トイレに行くぞっ!」と席を立ち上がった瞬間でした。

「あの。。。先生」という声に、

え? 誰のこと? と振り向くと、

私の席の背後に10名ほどの方が、並んでいらっしゃいるではないですかーーーーー!!!!!!

 

へ? 一体、何? と思った瞬間、「oo 製薬会社の xx です」とか「 △△ 大学病院の薬剤部長の xx です」と、皆さま、名刺を手に、ご自身を紹介されました。

私、この時ほど、自分で名刺を持っていないことを恥じたことはありません。。。。

しかも、私に「ご挨拶」をして下さろうとする方々の列は、どんどんどんどん長くなっていきました。

 (ト。。。トイレに行きたい。。。)と思いつつ、最終的に25 名ほどの方々とご挨拶させて頂きました。どなたも、私より遥かに社会的地位のある方ばかりでした。私、英国の国営医療サービス (NHS) の前線現場で働く(ただの)一薬剤師なのにね。。。。

 

その中に、学生さんも一人いらっしゃいました。

「将来、海外で薬剤師になりたいです。『日英薬剤師日記』のブログを読んでいます」と言って下さいました。

学生のうちからこんな学会に参加されて、凄くないですか? しかもこの学生さん、翌朝、大野さんと一緒にホテルで朝食を共にしたそうで、大野さんも、激褒めしていました。私なんかより遥かに「学会はネットワーキングの場」ということを心得ていました。

この学生さんとお話した後、ふと、FIP の現 CEO である、キャサリン・ダガン先生 (Dr Catherine Duggan) を思い出しました。ロンドンの薬科大学生だった時、FIP の国際カンファレンスに参加した。それが、後年、FIP の 女性初の CEO となる(記事下⬇︎)原体験だった、といった話を伺ったことがあります。

もしかしたら、この学生さんも、あと数十年後、日本薬剤師会とか FIP の会長になる人なのかな? と思えた印象がありました。

ちなみにダガン先生、私がロンドン大学薬学校の大学院生であった時代、そこの講師の一人でした。「薬学研究法」の授業を担当しており、私が課題で提出した「自分がやりたい研究の提案書」(写真下↓)に、関心を持って読んで下さった思い出があります。

ロンドン大学薬学校大学院時代、私が提出した「薬学研究法」の課題と、ダガン先生による採点表とコメント

 

その後は、ちょっと距離のある場所で会食を予定していたので、会場をすぐに後にしました。

明日の2日目は、一参加者として会場を色々と見て楽しむぞーって思いながら。

会場ホール玄関前に、登壇した分科会の副座長を務めて下さった西山先生がおられました。講演終了後、私があまりに多くの方々に取り囲まれてしまったので、そこで待っていて下さったようでした。そのさり気ないお心遣いが心に沁みました。一方で、先を急いでいたため、西山先生とも本当に短い時間しかお話しできず、心残りでした。

 

でもですね。。。

私、様々な理由から、2日目の参加ができなくなってしまったのです。

そのため、この和歌山の学術大会は、演者として自分の出番の2時間前に会場入りし、講演をし、すぐに会場を去りそれっきり、という結末になってしまいました。

そして、事もあろうに、登壇前後のバタバタもから、この分科会の企画者であった和歌山県薬剤師会会長である稲葉眞也先生に、当日ご挨拶をするのを、私自身、すっかり忘れてしまっていたのです。

 

後日、稲葉先生へお詫びのメールを送りました。

すると、先生からのお返事には、こうありました。

「私も大会委員長として、当日は予想以上に忙しく、自分が座長を務めた会以外は、どのセッションにも参加できませんでした。心残りでしたが(私が登壇した)分科会はとても楽しく有意義なものであったという報告を受け、安心しました」と。

その一文が、胸に刺さりました。それこそが、私自身も、今回、学術大会の演者として参加させて頂き、痛切に感じたことだったからです。

すなわち;

「学術大会では、オーガナイザー・演者と、参加者・聴衆は、(全く)異なる立場にある」

ということ。

大野さんや游さんみたいに、演者もやり、学会も楽しむ、というのが理想なのですが、初参加の私には無理でした。そして、今回、初の開催地となった和歌山県薬剤師会長さんも。

 

それにしても、今回の和歌山の学会、本当に良い経験でした。

あの舞台で、客席にいらした多くの参加者の方々の熱意を見た時、私自身、心から「ああ、英国で薬剤師としてやってきて良かった」と思えましたから。

 

さて、今回のエントリの最後に、一つ言及したいことがあります。

下の写真の右側の方、元「ドラッグマガジン」、そして現・日本保険薬局協会会報誌 「NPhA」の藤木洋編集長です。2000年代前半から、当時は非常に珍しかったであろう海外で働く日本人薬剤師たちに注目し、その方々たちのレポートをご自分の雑誌や書籍に多数出版続けてきたパイオニアです。今回の学会の大野さんと私の登壇も、NPhA 編集部を通して依頼がありました。

よって、こちらの編集長さんの長年の功績がなければ、今回の和歌山の日薬学術大会の「海外の医療制度・薬剤師業務」の分科会はなかったはずです。

「編集者は黒子」というお考えからか、メディアや SNSでお顔出しされることがほぼ皆無の方ですが、私の今回の学会講演のエンディングロールに入るお名前は、間違いなくこの方です。ということで、ご本人に特別に許可を頂き、ここに写真を初掲載させて頂きました。

9月18日・大阪某所にて。藤木編集長の企画で、大野さんと私の対談が行われた時の様子の一コマ。2人の対談記事は、日本保険薬局協会会報誌 'NPhA' の次号に掲載予定です。

 

では、また。