日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

第56回日薬学術大会の登壇者としての舞台裏話(上)

 

先日、日本へ帰国していた。

9 月 17 −18 日に和歌山で開催された、第 56 回日本薬剤師会学術大会(⬇︎)に登壇したため。

第56回日本薬剤師会学術大会・参加登録章

 

実は私、日本で6年半薬剤師として働いていた時代、こういった類の学会へ行ったのは、たった一度きりだった。

そんなど素人がね、今回の学術大会の目玉の一つであった「海外の医療制度と薬剤師業務(米・英・独・台湾)」という分科会での講演を依頼されたのよ。

で、当然のことながら、準備中も、当日も、本番中も、分からないことだらけ。世間の常識がどれほどない人であったかを、次々と人前に晒すことになった(苦笑)。

 

でも何とか、無事終了して;

私のこれらの「舞台裏話」、これから学会に参加する・登壇する方々への、良い教訓・参考話になるのでは?

と。

そんな訳で、今回のエントリでは、この学会に参加して色々と体験したこと・考えたことを「舞台裏目線」で書き連ねてみることにします。

 

私が演者の一人として依頼された「海外の医療制度と薬剤師業務」という分科会は、和歌山県薬剤師会の現会長であり、今回の学術大会の運営委員長であった稲葉眞也先生が、日本薬剤師会の会員さんのご希望や意見を反映し、自ら企画されたものでした。

私が過去 10 年以上に渡って寄稿している、日本保険薬局協会の会報誌 'NPhA' の中の 'Beyond The Sea - 米国&英国からのレポート' という、米国と英国の薬局・薬剤師事情について対比する定期レポート記事を読んで下さり、NPhA 編集部を通して、今年の2月下旬頃、私の元に連絡がありました。

日本保険薬局協会会報誌 'NPhA' については、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

「新型コロナのパンデミックを機に変化した、海外の薬局・薬剤師事情を伺いたい。海外で活躍されている日本人薬剤師数名に講演して頂き、日本と各国の薬局業務の比較が参加者に伝われれば」という趣旨でした。演者一人当たりの持ち時間は 30 分。25 分の講演の後、残りの5分は聴衆の方々からの質疑応答という構成予定とのことでした。

その時点では、1)米国からは、私と共に NPhA で連載をしている、米国最大手チェーン薬局ウォルグリーンでスペシャリティ薬剤師をされている大野真理子さん、2)英国からは私、3)独からは、ドイツの薬局事情の日本語文献で、ほぼ必ずといっていいほどお名前が挙がる、ドイツ国内でご自身で薬局を開局されているアッセンハイマー慶子さん、そして、4)台湾で薬剤師をされている日本人に、どなたか演者として適任の方がいらっしゃらないか、目下探している、という状況でした。

来日できる人は実際の会場での登壇を、不可であれば、自国から Zoom でお願いしますとのことでした。

その時点では、私、9月 22 日に英国中部バーミンガム市で開催された英国臨床薬学会 (The UK Clinical Pharmacy Association, リンク下⬇︎) の「感染症・抗生物質適正使用シンポジウム」への参加を予定していました。よって当初、こちらのご依頼へは「Zoom で講演します」と返答しました。

英国の臨床薬剤たちにとっては最も主流な学会「英国臨床薬学会」のウェブサイトは、こちら(⬇︎)です。私も会員になっています。

でもその後、米国の大野さんが、こちらの学会に、実際に帰国して登壇すると聞きました。それで、日薬学術大会運営窓口が「びっくりしている」と(→注:この分科会、大会運営局としては、どの講演者も実際には帰国せず、Zoom でのウェブ中継になるであろうと予想していたとのことです)。

そんな中、時を前後して、私も転職が決定し、もはや感染症専門薬剤師ではなくなりました(リンク下⬇︎)。前述の「英国感染症薬学シンポジウム」へ参加する必要性がなくなりました。

私は最近、転職(=内部昇格異動)し、専門も感染症から急性期内科へと変わりました。その経緯にご興味のある方は、前回のこちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ。

10 年以上に渡って一緒に連載をしていながら、異なる国に住んでいるが故に一度も会ったことのなかった大野さんに初お目見えする絶好の機会であることと、日本の薬剤師学会って、現在どんな様子なのかな? ということも興味があり、私も今回、日本に帰国しての現地参加を決意しました。

光栄にも、和歌山県薬剤師会会長の稲葉先生は「この分科会は、私個人、今回の学会で、最も楽しみにしているセッションです。当日は、他の仕事をストップし、聴衆の一人としてフロア参加します」と仰って下さっていました。

 

5月末に「講演要旨ご執筆のお願い」というものが届きました。ちなみにそれは学会用語で「抄録(しょうろく)」と言うのだと、今回初めて知りました。でも私は、なぜかそれを「しゃろく」と呼び、日本の学会経験の多い友人たちから、大笑いされました。。。(恥)

6月に数日休みがあり、落ち着いた環境でこの学会のプレゼンのスライドを集中的に作成しようと計画していました。でもちょうどその時、風邪を引いてしまいました。その後は、歯車がどんどん狂うかの如く、公私共に忙しくなり、学会の準備はちっともはかどりませんでした。

そんな中でも、学会のプログラムに載る自身の経歴紹介と抄録の提出締切日が迫っていました。これらは学会専用ウェブサイト上に自分自身でアカウントを作って作成するものだということも、今回初めて知りました。

経歴は 300 字以内でご記入ください、とありました。私、年齢的にかなり上をいっている(おばさん)だし、英国の薬剤師は、皆、より良いポジションを求めて、数年おきに転職するのが常。私の経歴書は、字数制限を大幅に超え、どこを削るか、ものすごく苦労しました(汗)。

肝心の抄録は、字数制限指定がなかった(はず?)なので、あっさりと書きました。正直、学会発表中に話したいことの具体的な内容やパワーポイントのスライドがまだ(全く)出来上がっていない状態で「抄録」をどう書いたらいいのか分かりませんでした。

でも、他の演者(=米・独・台湾)の方々の抄録を、大会開催日直前にウェブ上で拝見し、目玉が飛び出るほどびっくり 👀👀👀!!! そこには各人が学会で話す予定の内容が、完璧なレベルで詳細に掲載されていたからです。私のこの「あまりに簡潔な抄録」は、後で日本の薬学関係者からも「麻衣子さん、あれはさすがに短すぎ。。。」とご教示を受けました(苦笑)。

「そうか。。。学会の準備って、もの凄く早い時期から始めなきゃいけなかったんだ」

と、そこで学習しました(反省)。

 

日々の仕事に忙しく、準備できる時間がまとまって取れず、心だけが焦っていきましたが、結局、スライドの作成に本腰を入れ始めたのは8月からでした。

「英国の医療制度」「英国の薬局概要」「英国の薬剤師・テクニシャン・アシスタント」「英国の薬局サービス各種」「コロナから学んだこと」「まとめ」という骨子にすると決めましたが、持ち時間 25 分に収めるとすると、結局「大した内容の話ってできないな」と分かりました。スライドは最終的に 20 枚(表紙・利益相反の開示・自己紹介・目次・最後の質疑応答のスライドを除くと、本題としては 15 枚)となりました(スライド一覧⬇︎)。

私が今回の学会用に作成したスライド一覧

グーグルで調べると、日本語を話すスピードというのは、1分300字が目安であると知りました。私は通常、英語でプレゼンをする時は、原稿を一切作らないでやっています。でも、今回はさすがに、台本を作ることにしました。日本語を声に出して人前で喋るということをこの数年、ほぼやっていなかったことと、伝えたいメッセージを明確な言葉で表現したかったので。

第一校は 8100字でした。そこから随分と頭をひねり7600字にしました。で、それを自分で声に出して読んでみたら、25分前後だったので、とりあえずそれでいくことにしました。

9月上旬に、スライドがようやく完成しました。事前にただ一人、スライドと台本を見てもらいました。以前、英国で薬剤師として働き、現在は日本の大手調剤薬局のフォーミュラリー事業推進部の部長となっている友人の A さん(リンク下⬇︎)でした。交友関係の少ない私ですが「今秋の和歌山の学会に出ます」と口にした途端に「じゃあ、僕も学会に現地参加します!」とか「私もオンラインで視聴します!」と言って下さる方々がいらっしゃいました。それらの皆さまは、高額の参加費を払って学会参加されるのだから、事前にスライドを見て頂き意見を求めるのは、理にかなっていないよね。。。と。

私の 20 年来の友人である A さんにご興味のある方は、以前のこれらのエントリ(⬇︎)をどうぞ

A さんからのコメントは実に多岐に渡り、どれを取捨選択すべきか、とても迷いました。

その中には「麻衣子さん、それを日本の学会の壇上で言うのは、控えた方が。。。」といった、とある内容への難色もありました。英国の薬局経営の点からはあまりに当たり前のことだったので、私としてみれば「え。。!? なぜそれが『爆弾発言』となり得るの?」と驚愕でしたが、A さんは日本の薬局業界で長く働いており、学会経験も豊富な方。彼女の見解を信頼し、その部分は削除しました。

でも、最終的には「できるだけシンプルな内容とメッセージにする。どのようなバックグラウンドの薬剤師さんたちにも、英国の医療制度と薬局・薬剤師業務の現状についてご理解して頂けるようなレベルの話にしよう」という直感でいくことにしました。

 

それだけの準備をして、日本へ向かいました。本当は英国にいる間にもっと実践的に練習したかったのですが、日々の仕事で忙しく無理でした。

日本滞在中のホテルの部屋の中で、本番を想定した形で、30 回ほど練習しました。その過程でスライドと台本の最終的な微調整を行い、7500字となりました。ただし年齢的な記憶力の衰えからか、自分で作った台本を丸暗記できず、一部アドリブでやってみると、制限時間を大幅にオーバーすることが分かり、本番1−2日前は、パニック状態になっていました。

前夜のリハーサルがあまりに不出来で「もうダメだあああ。。。絶対に、本番で失敗する。何で、こんな依頼を引き受けてしまったんだろおおおーーー😭😭😭」と心の中で叫んでいました。

ホテルの部屋に一人篭り、コンビニのご飯を食べつつ、学会演題の練習中。。。の図。ところで私、日本のコンビニ商品、大好き。何を食べても、世界一のクオリティー ❤️(笑)

 

私があまりに殺気立った様子でお願いしたからでしょうか。宿泊していたホテル(写真下⬇︎)のフロントの方が、本来であればチェックアウトが翌朝 10 時のところを、12 時まで居てもいいと言って下さいました(しかも無料で!)。ホテル前から会場までのタクシーの手配もして下さりました。その上、私の部屋の階の朝の掃除の開始時間も大幅に遅らせて下さったようで、私ができるだけ静かな環境で寝れる・最終リハーサルができるようにして下さいました。実際、前夜は明け方まで眠れなかったので、こちらのホテルのスタッフの皆さまのこれらのご配慮には、感謝の言葉がありませんでした。

今回の学会開催中、私が宿泊していたホテル。スタッフの皆さまが、全てにおいて神対応でした。ちなみに私はこちらのホテルを自分で手配・予約しましたが、学会で登壇する者へは、運営事務局が、学会会場から至近距離のホテルの部屋を確約して下さっていたということを、後になって知りました(私、どんだけ、日本の学会事情に無知なの。。。? 笑)

 

そして迎えた当日。

正午きっかりに、ホテルのフロントの方が手配して下さった個人タクシーがやってきて、緊張と不安から病人のように青ざめた顔で乗り込みました。

目指すは市の中心部に所在する「和歌山城ホール」。そこの 950人ほどを収容できる大ホールが、私に用意されていた舞台でした。

 

この第56回日薬学術大会 in 和歌山の登壇者としての舞台裏話は、次回に続きます。

 

では、また。