日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

見知らぬ街の薬局を訪ねてみた。東京日本橋人形町・水天宮編

ここ、日本へ帰国すると常泊する宿のある街。

私、父の仕事の関係で、子供の頃、かなりの回数、引っ越しをした。日本での学歴は全て東京の学校になっているけれど、東京都内でもよく家を替えたし、今まで住んだ日本中のどこを思い浮かべても、我が家というか、故郷という感じがしない。

で、東京日本橋人形町・水天宮付近は、自分で勝手に決めた、私の日本での「ふるさと」なの(笑)。私、日本で休暇滞在する際、日本橋箱崎の東京シティーエアターミナルを拠点とするリムジンバスを利用し、空港を往復する。成田エクスプレスなどが開通していなかった頃、多くの人が、この場所から海外へ向かったと聞き知っている。幼少時、日本橋箱崎とは「外国へ行く」玄関口の代名詞として、子供心に魔法の響きがあった。だから、英国へ移り住むようになってからも、いつもここを利用している。バスからここに降りた時、「ああ、日本へ帰ってきた」と思うし、ここから去る時、いつも「これで、出国する」という気持ちになる。私にとって、日本で一番旅情に溢れた場所。まあ実際は、昭和から時が止まっているような雰囲気の、だだっ広いバスターミナルビルなのだけど。

私は、この街が大好き。世界有数の近代都市トーキョーの真ん中なのに、江戸の古くからの風情を残している。創業100年以上のたい焼き屋さんとか、竹細工屋さんもあれば、世界に名を馳せる日本企業のビルも軒並み連ねる。隣町は、ニューヨーク、ロンドンなどと共に、世界経済の中核を担う東京株式市場のある兜町、といったアンバランスさも素晴らしい。実用的な面では、24時間営業のファミリーレストランとか、オフィスコンビニもあり、私が日本で仕事できる環境もバッチリ(→これらは、安全な国日本ならではのものと言える。ロンドンだったら、真夜中、殺傷沙汰が起こる場所となり得るし、誰も夜中に働きたくないので、ビジネスプランとして成り立たないと断言できる)。

で、今回、このエリアの薬局を色々と観察してみた。まあ、本当は、帰国のたびに行なっているのだけど(笑)

 

まずは、ここ。

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日本のドラッグストアは、とてもカラフルだね。お祭りの縁日のよう。

 

次は、こちら。ドラッグストアと打って変わって、ものすごい静寂を保っている。

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ちなみに、英国では「調剤薬局」というものは存在しない。国内の薬局サービスを協議するPharmaceutical Services Negotiating Committe、通称 PSNC と呼ばれる機構が、薬局を開局する以上行わなければならない必須業務を定めていて、「調剤」と「OTC医薬品販売」は、そのうちの2つ。要するに、英国では、両方を行なっていないと「薬局」の看板が掲げられない。日本の物販だけを行う「ドラッグストア」も、調剤業務だけを行う「調剤薬局」も、英国内では薬局として認可されないのだ。

 

次はここ。

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実は、私、マツキヨさんで働いた経験がある(注:こちらの店舗ではありません)。英国での大学院の一年目を終え、失意の中帰国し、どうしても英国へ戻りたくて、その資金欲しさにつられて就職した。今はどうか分からないけれど、その当時、マツキヨさんは破竹の勢いで、薬剤師に対して破格の年俸を提示していたからね。

でも、わずか10日ほどで自主退職した。

仕事を、お給料の額を主軸に選ぶべきではないという、大切なことを教えてくれた雇用先。

 

次は、ここ。

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で、私、こちらのドラッグストア会社にも1年弱お世話になった。マツキヨさんを退職した後、こちらの会社の傘下の一つである「American Pharmacy」という薬局に就職したの。

Tomod's も American Pharmacy も住友商事が親会社なのだけど、その当時、経営陣が若々しく、ベンチャー的な雰囲気があり、すごく楽しかった。

管理薬剤師として採用されたのだけど、当初、その職だけでは、手持ち無沙汰だったので、物販の発注とかもやっていた。で、自分なりに色々な企画を仕掛けてみた。例えば、その頃、米ブッシュ大統領が、とあるブランドのプレッツェルが好物で、それを食べていたら、喉を詰まらせ死にかけたという事件があった。その輸入プレッツェルを大量に仕入れて、自分でキャッチコピーとかも考え(確か、『大統領も喉を詰まらせるほどの美味しさ!』だったように記憶している。笑)、店頭で売ってみたら、飛ぶように売れて、会社への思いがけぬ貢献となった。それから、その当時、市場に出たばかりであった「Dr シーラボ」という化粧品会社の製品の担当になった。こちらの会社の方と掛け合い、大量のサンプルを頂き、販売戦略を工夫し、他の販売店との差別化を図ったりした。で、この売り上げも急激な右上がりとなった。

そんなこんなしているうちに、勤務先店舗周辺の調剤薬局の一つが倒産し、近隣の精神科クリニックが処方せんの受付先に困っているという話を聞いた。そこで、その処方せん調剤を引き受けることになったの。

それからわずか1週間ほどの準備期間の後に、薬剤師としててんてこまいになるほどの薬局業務に従事することになった。今まで、一日の処方せん調剤枚数が多い日で3−5枚だった薬局に、薬剤師を数人雇ってもまだ余裕があるほどの利益が上がるようになっていったのよ。

という訳で、American Pharmacy でお世話になっていた頃は、自分が関わる商品・企画・業務が、なぜか全て「当たる」という不思議な現象が起こり、「私って、商才があるのかも。こういう能力を伸ばすのもいいかもな」という考えも (ふと) よぎった。英国へ戻らなくっても、このまま「ビジネスウーマン」としてやっていくのも一つのキャリアかな? なんてね。

 

でも、私は、英国へ戻った。

 

日英の薬局業界で長年働いてきたけれど、どんな経験も、いつかどこかで、また役に立つ時がやって来る、と思えることが時折ある。例えば、英国で最初に就職した病院内で、その1−2年後、初めて昇進の機会(公募制)が出た際、そのポストは「精神科の専門・病棟ファーマシーテクニシャン」だった。数ある応募者の中から、英国内での職経験自体は一番浅く、「外国人」であった私が任命された。国は違えど、誰よりも「精神科の薬剤に関しての知識と職経験がある」という理由で。そう、American Pharmacy での経験が、『抜擢』の鍵となったの。私は、英国で働き始めた当初は、英国内務省が発行する「労働許可書」というものの規定で、雇用先を限定されていたため、他の病院や薬局へ転職することが、とても難しかった。だから、この昇格は、身に沁みて有り難かった。

ちなみに、この日本橋人形町・水天宮エリアで、マツキヨさんと Tomod's さんは道を隔てて向かい合わせ。自分の職歴を振り返り、何か因縁を感じる。日本へ帰国する度に、両ドラッグストアでは、必ず買い物をする。以前お世話になった感謝の気持ちを込めて。そして、「日本でビジネスウーマンになっていたら、今頃どんな風になっていたのだろう」と想像しながら。 

 

でも、このエリアで、一番気に入っている薬局はここかな(写真下)。人形町の甘酒横丁にある、昔ながらの個人薬局。

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ずっと「ケロ君」だと勘違いをしていた。実は、「ケロちゃん」だったのね。。。 前回のブログ日記には、全て「ケロ君」と書いてしまったよ(謝)

この「薬局店頭のケロちゃん」、最近では、滅多に見なくなったよね。私が子供の頃は、今のように、ドラッグストアが街に乱立することもなく、医薬分業も普及していなかったから、調剤薬局というものもなかった。個人薬局が多く、その店舗の前には、ほぼ必ずこのカエルがあった。だから恐らく、この「ケロちゃん」こそが、私が生涯で初めて記憶している『薬局』の姿であり、現在に至るまでの原点。

幼少時を過ごした仙台の片田舎(=駅から車で小1時間ほど、バスも1時間に1本あるかないかの辺鄙な所だった)の家の近くの薬局の「ケロちゃん」を見て育った子供が、「日本橋箱崎」という外国への玄関口を目指し、日英という異なる国で、そこでもさまざまな薬局業種で働く『旅』を続け、ここまで来ているんだ。

そんなことを思い起こさせてくれる、この古くて新しくて、日本情緒あるこの街に帰って来るのが、いつも楽しみ。これぞ、私の「故郷」。

 

日本の休暇、楽しかった。

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で、英国薬剤師生活再開。今週末は、日夜拘束の「当直勤務」だよ。これ、激務なんだ(泣)。頑張りまーす。

 

では、また。