日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話(2)「共に就職活動をした日本人の友人たち」

 

このエントリは、シリーズ化で、前回からの続き(⬇︎)となっています。

 

ロンドンの国営医療 (NHS) 病院で、ファーマシーテクニシャン(以下、テクニシャン)の求人が出るたびにせっせと応募する日々が続いていた。でも、その時点 (2003年7月頃) では、どこからも面接には呼ばれない (=書類選考時点での不合格) 状態でいた。

 

そんな中、私の周りには、同じように就職活動をしている日本人薬剤師の友人たちがいた。

1人目は、ロンドン大学薬学校の大学院に入学した年、同級生だった A さん。A さんは大学院卒業後もロンドンに留まり、英国薬剤師免許変換試験準備をほぼ独学で行い、合格した(注:その当時、日本人薬剤師の英国免許への変換は、英国北部のサンダーランド大学という所で年に一度行われる試験に合格するだけで可能でした。2000年代中盤から、英国内の限られた薬科大学のみで開講されている1年間の免許変換コース (Overseas Pharmacists' Assessment Programme, 通称 OSPAP) へ入学することが強制され、その特別課程を終了しなければ、免許が変換できなくなってしまった)。A さん、毎日欠かさず大英図書館に通い詰め、試験準備の勉強をしたんだって。同じく大英図書館に毎日通い「資本論」書き上げた、カール・マルクスのようにドラマティックな話でしょ。

私が翌年、英国に戻ってきた時、A さんは、ロンドン近郊のエセックス州の病院で仮免許(プレレジ)薬剤師の研修中だった。そして、英国薬剤師免許試験の準備をしつつ、ロンドンの病院の新卒薬剤師の職に応募していた。面接試験には呼ばれるものの、採用決定までのいい返事はもらえていない、という状態だった。

2人目は、K さん。私の大学院2年目の同級生。K さんは偶然にも、私が日本で卒業した薬科大学の数年上の先輩でもあった。ロンドン大学薬学校国際臨床薬学コースに入学する前は、スウェーデンの大学にも留学していたことがあるというユニークな経歴を持つ。K さんは、見かけによらず、物事の見方が鋭かった。他の人が想像だにしないことを(ぼそっと)断言して、周りの皆が呆気に取られるのだけど、そのふと口にしたことが、後で本当に現実に起こった、ということがよくあった。そしてなぜか、英国人薬剤師たちにとっては印象に残る人だったみたい。というのは、私、今でも、ロンドン大学薬学校関係者の懐かしい方々に時々お会いすると、決まって、「K さんは元気?」と聞かれる。他の日本人薬剤師の友人で、こういうことは(あまり)ない。

3人目は M さん。K さんと同じく、私の大学院2年目の同級生。M さんは、日本で知り合ったオランダ系アイルランド人のボーイフレンド P 君と一緒になるために英国へ来た。P 君は、ロンドン大学のとあるカレッジの物理学系のポスドクをしており、日本語がペラペラな上に物怖じしない性格も手伝ってか、英国のもろもろに不慣れであった日本人の私たちの「水先案内人」のような役割をよくしてくれた。M さんは「ロンドンで仕事を見つけないと、大学院卒業後は P 君と離れ離れになってしまう」ということで、テクニシャンの職を、早くから探していた。P 君も「彼女にはいずれ、英国の薬剤師になってもらいたい」と、M さんを熱心にサポートしていた。

そんなことから、M さんとP 君のたっての願いで、英国で一足先に薬剤師になろうとしていた A さんを私が紹介することになり、その集まりに K さんもやってきて。。。 といったきっかけで、2003 年の春頃には、私の周りに「ロンドン&近郊在住の日本人薬剤師4人グループ」ができていた。

M さんと P 君は、ロンドン大学薬学校からほど近い、キングスクロスというエリアに住んでいた。その家は、大家さんが階下に住み、階上はロンドン大学の学生数人に賃貸しているシェアハウスだった(写真下⬇︎)。歯科学生がハウスメイトの一人であったり、住人たちが共同で使う大きなダイニングテーブルと居間があり、そこに顔の広い P 君の友人たちが絶えず出入りしたりと、千客万来な家だった。そして、ここが自然と、私たち日本人薬剤師4人グループの溜まり場にもなっていった。

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ロンドン大学薬学校から近い M さんの家が、日本人薬剤師たちの溜まり場のようになっていった。確かこの写真の右端の家だったように記憶している。今回、このエリアを久しぶりに訪ねて、通りの名前は覚えていたものの、家の番号がどうしても思い出せず、過ぎ去った年月の長さに愕然とした。。。

この家に出入りしていた頃の私の生活、すごく楽しかった。大学院の卒業も決まり、ロンドン大学薬学校での仕事帰りに、M さんと P 君の家にふらっと寄って、お茶飲み話をしたりしてね。K さんも大学院終了後は、一時期、このM さんと P 君の家に居候していた。皆、先の見えない未来に(何らかの)希望を持っていたのだ。

その当時の、私のロンドン大学薬学校でのアルバイトの話は、こちら(⬇︎)からどうぞ

 

で、なんだかんだしているうちに、その夏までには、この日本人薬剤師グループの全員が、英国での就職活動をしていたの。

A さんは薬剤師の職であったけど、残りの3人が、同時期にテクニシャンの職を探していた。「互いに求人を奪い合うようなライバル関係になるかのかな?」と危惧したが、結果的にはそうならなかった。実際に、誰よりもこの友人たちの助けの恩恵を受けたのは、私であっただろう。4人の中で、最後まで、仕事が決まらなかったのだから。

 

そんなこんなのある日、ロンドンの中心部に所在する聖メアリー病院 (St Mary's Hospital) で「テクニシャン見習い」の求人広告が出た。

ロンドン聖メアリー病院 (St Mary's Hospital) についての過去のいろいろなエントリは、こちら(⬇︎)からどうぞ


その当時、英国のテクニシャンには、さまざまな資格が存在し、国家統一が取れていなかった。だから、外国人薬剤師であれば、英国のテクニシャンと同等もしくはそれ以上の資格があると見なされ、英国の資格がなくても求人へ応募できた。一方、この「テクニシャン見習い」は、国営医療 (NHS) 病院の薬局で雇用されつつ、週に一日、コミュニティーカレッジへ通い、薬学の学術的なことも基礎から学び、2年間で(いずれは国家統一免許になる予定であった)英国のテクニシャンの正当な資格を取得できる、という求人であった。

大学院の課程中、実習病院のテクニシャン見習いたちへ講義をした時のことが蘇り、かつ、日本の薬学部の実務カリキュラムを2年に凝縮したようなコース内容にも驚き、「何だったら、私、ここ(=テクニシャン見習い)から始めてもいいかな?」と思った。勉強しながら働き、お給料も頂け、何より、英国の滞在許可ビザも出してくれそうな職なんて、最高じゃない! それに、例えば将来、日本が「テクニシャン制度を発足させる」なんて動きになった時、私のこの経験、絶対に役立つだろうなあ、と想像した。

私が、大学院のコース課程の一環で、ファーマシーテクニシャン見習いたちに「教育実習」をした時のことのエントリは、こちら(⬇︎)からどうぞ

そして、色々と調べていくうちに、ロンドン市内のテクニシャン見習いたちが週一日通うコミュニティーカレッジは、なんと当時 M さんが住んでいた家の真向かいに所在するのだということを知った(写真下⬇︎)。

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ロンドン市内のファーマシーテクニシャン見習いたちが週一日通うコミュニティーカレッジ「Westminster Kingsway College」。週4日は雇用された薬局で実地訓練を受けながら働き、こちらの学校で薬学を学術的に学ぶことにより、約2年間の課程で、英国のファーマシーテクニシャンの国家資格免許が取得できる。

 

これって、本当に運命かも!!! と思って、並々ならぬ熱意をもって、応募した。

でもね。。。。 結局、ここからも、面接試験には、呼んでもらえなかった。

 

 

うまくいかない就職活動の合間に、時々、大学院のコースの実習病院の指導薬剤師の先生にも会っていた。

私のロンドン大学薬学校在籍中の病院実習についてのエントリは、こちら(⬇︎)からどうぞ

 

そんなある日「テクニシャン見習いに応募したけど、書類選考で落ちたみたい」と話すと、心底呆れた様子だった。そして、先生は、きっぱりとこう言った;

「何で、この国の大学院を卒業しようとしているおまえが、テクニシャンになるための学校へ入学するのよ? そういうのを『オーバークオリファイド』って言うんだ。おまえの応募用紙は、薬局内での審査に廻される前に、人事課のゴミ箱行きだっただろうな 」。

 

「オーバークオリファイド (overqualified) 」という言葉をご存知だろうか。英国の雇用では、よく聞く言葉だ。

英国に長く住めば住むほど、目に見えない「階級制」というものが見えてくる。雇用においては、その応募広告や募集要項で表示した通りの学歴と職歴を持つ人材が、まず面接に呼ばれ、原則的には、その基準に一番近い人から合格していく。それ以上の学歴や職歴を持つ志願者は、かえって「素質十分すぎ(オーバークオリファイド)」として、敬遠される場合が多いのだ。しかも、外国人応募者の場合、その学歴や職歴が、果たして英国と同等のものなのか、ということが面接官にとってわかりにくいことが多く、「角が立たないように『オーバークオリファイド』という理由で不合格にしてしまおう」ということになってしまっていることが多々ある。要するに「どこの馬の骨とも分からぬ外国人応募者よりは、英国の分かりやすい資格を持っている人を選ぶ」ということだ。英国人の雇用市場保護という意味でも、これは真っ当なことであろう。

 

英国のファーマシーテクニシャンは、正直、中学・高校卒業程度の学力があればなれる職業だ。

 

英国随一の大学病院のトップ臨床薬剤師である指導教員の先生にとっては、教え子が自分を安売りするように、その学歴と職歴よりもレベルの低い仕事に応募しているのが、本当に理解しがたいことであったに違いない。今なら、私も、彼が、呆れたように口にした言葉が、痛いほど、よく分かる。

そして、この先生に限ったことではなかった。その後、私はテクニシャンやアシスタントの面接試験を次から次へと受け、不採用通知を受け取る度に、特に英国人面接選考者たちからは、慰めともとれるように「あなたは、英国で、テクニシャンやアシスタントではなく、薬剤師になるべきだ」と言われた。

本当にその通りで、英国で(すぐ)薬剤師になれれば、それが一番よかったのだ。私自身が、それを誰よりも理解していた。でも、その時点では、ロンドン大学の大学院をやっとの思いで卒業したばかりで、海外薬剤師免許変換試験を受験したり、再度、別の薬科大学院で開講している免許変換コースへ行くのに必要な経済力がなかった。それより何より、英国に引き続き滞在することができるビザの保証が(全く)なかった。まだ語学の壁もある頃で、たとえ英国で薬剤師になれたとしても、本国の薬科大学を卒業した最精鋭の薬剤師たちと対等にやっていく自信もなかった。

で、1ランク下のテクニシャンの職、2ランク下のテクニシャン見習い、そして3ランク下のアシスタントの職に応募すると「学歴・職経験ありすぎ」と、軒並み断られる日々。。。。

 

外国人応募者ゆえの、英国の就職活動での「悩み」であった。

 

でも、どこか心の片隅で「いつか、テクニシャンの職が得れて、道が開けるだろうな」と思っていた。根拠のない予感だったんだけど。 

 

で、結果的には、その年の秋ー冬までに、私を含む「日本人薬剤師4人」全員が、英国国営 (NHS) 病院に、それぞれ就職できた。在籍したロンドン大学薬学校大学院の他の国出身のコースメイトの多くも同じように就職活動をしていたのだけれど、志半ばで滞在ビザが切れ、帰国した者が殆どだった。でも、日本人薬剤師たちは100%の就職率だったのよ。

上記のように、英国人たちには到底理解できないであろう就職事情も、日本人という同じ境遇の者たちだからこそ分かり合え、色々な情報を交換し、助けられたから。

この3人の友人たち(写真下⬇︎)がいなければ、私、決してこの国での最初の就職活動を成功させることができなかった。そして、今日に至るまで、英国で暮らし、仕事をしていないはず。本当に、本当に、ありがたい友情だったな。

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英国で同時期に就職活動をした日本人薬剤師4人一緒の数少ない写真の一つ。その当時 K さんが在住し、テクニシャンとして働いていた英国東部リンカンシャー州を皆で旅した時 (2004年夏頃?) に撮影したもの

 

この日本人薬剤師の友人たちの「今」に、興味あります?

 

皆、国営医療 (NHS) 病院に数年勤務した後、それぞれの志や事情で、日本に帰国した。

 

現在、日本で導入が期待されている薬剤フォーミュラリー策定の旗手になっていたり、医療技術評価の分野での第一人者であったり、BCG ワクチン会社の中核を担っていたりと、それぞれに活躍している。

私だけが、相変わらず、英国国営医療サービス(NHS) という名の泥沼のジャングルのような環境で、働いている(苦笑)。

 

でもね、今から数年前、私が日本へ里帰り休暇し、皆で再会した時、K さんが私に(ぼそっと)呟いた言葉がある。

 

「あなたは、ずっと英国に残り、臨床薬剤師として働き続けるよ」と。

 

今のところは、彼女の「予言」、当たっている(笑)

 

 

この後の話は、「英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話」のシリーズ化として、これからも続きます。

 

では、また。