日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

処方薬剤師免許取得への道(10)大学院の授業内容(下)

 

このエントリはシリーズ化で、前回の話はこちら(⬇︎)になっています。


今年1月から、ロンドン大学キングスカレッジで履修していた「処方薬剤師免許取得コース」の講義内容の紹介と、そこから派生したトピックについて書き綴ります。

 

講義5:アドヒアランス (Adherence)

患者さんの薬の正しい服用を促す用語、すなわち「コンプライアンス (compliance) 」→「アドヒアランス (adherence) 」→「コンコーダンス (concordance) 」。その概念は年々進化してきたが、英国の薬学界では「アドヒアランス」が最もよく用いられている。というのは、英国の医療ガイドライン作成機構 'NICE (National Institute for Care and Excellence)' で「アドヒアランス」についての指針が公刊されているから(リンク下⬇︎)。

で、この授業は、なんとそのガイドラインの作成を率いた、医療心理学者ジョン・ワインマン教授と彼の助手たちによる講義だった。ロンドン大学キングスカレッジに約50年在任している伝説的な教授であることと、ロールプレイの練習がふんだんに取り入れられていたため、新型コロナウイルスのパンデミック中だったにも関わらず、この授業(だけ)は、大学院内の教室で行われた。

Prof. John Weinman 研究チームの公式ツイッターアカウントは、こちら(⬇︎)となっています

この講義での主なメッセージは:

慢性疾患で処方された薬の3−5割は、正しく服用されていない。

服薬指導で、患者さん向けの薬の説明書を「読んでください」と伝えるだけでは、アドヒアランスの向上は(ほぼ)ない。

アドヒアランスは、薬の服薬のみを指すのではない。処方者として、患者さんが診察時間に現れないとか、血液検査を拒否するといったことも含めて、総合的に考慮すること

アドヒアランスは、医療従事者の介入により、向上させることができる

ということだった。

そして、さまざまなシナリオを渡され、そのロールプレイ練習をひたすらやった。

のちの OSCE で「病歴を聴取し、診断を下し、患者さんと治療方針を話し合い、同意を得る」という実技試験もあったので、実践的な学びの時間となった。

ロンドン大学キングスカレッジ薬学部の一教室。コロナ禍の中でほぼ全ての授業がオンラインに切り替わったが、このキャンパス内にてリアルに行われた唯一のものが、この「アドヒアランス」についてのセッションだった

 

講義6:抗生物質の適正使用

ロンドン大学キングスカレッジの付属病院の一つである「ガイズ&聖トーマス病院」の感染症専門コンサルタント薬剤師(写真⬇︎)の講義だった。

英国の感染症専門薬剤師の最高峰の一人、Paul Wade 氏

英国内で「コンサルタント薬剤師」とは、各専門分野にて、国内で最高峰の方へ任命される役職となっています。以前、パーキンソン病の分野でのコンサルタント薬剤師にお会いした時の話は、こちら(⬇︎)からどうぞ

学生各自が、すでに録画された1時間に渡る講義をあらかじめ聴講し、内容を把握した上で、その後、こちらの先生との「Q & A」の時間が設けられ、オンライン上で解説されるという、大人数でのチュートリアルセッションだった。

私にとっては職業柄、特に目新しい内容ではなかったのだけど、英国の感染症専門薬剤師の間では「常識中の常識」である政府白書(⬇︎)の概要紹介とか;

米国の CDC (Centers for Disease Control and Prevention) の資料もふんだんに使った講義スライドだった。自国のみならず「他の国ではどうなのか?」と比較してみることって、ホントに大切。

そうそう、こちらの先生、録画講義の冒頭スライドで「'SHIONOGI' から監修・講演料として謝礼金を受け取っています」と開示していた。今、英国では、塩野義製薬が開発した抗生物質「セフィデロコル (Cefiderocol) 」が、最もホットな抗生物質となっているからね。

ちなみにセフィデロコルは、英国内では現在「高額医薬品」というカテゴリーになっている。患者さんのデータ詳細を、政府管轄のウェブサイト上から提出することにより使用が許可され、国から各病院へ直接払戻しが行われるという措置がとられている。従来ではモノクローナル抗体医薬品、昨今では COVID-19 治療薬といった医薬品に適用されてきましたが、抗生物質としては、この塩野義製薬の「セフィデロコル」が英国初の高額医薬品区分となりました。

この過去約35年、新型の抗生物質は世界的にもほぼ上市されていなかった。その中での塩野義製薬の快挙「セフィデロコル (Cefiderocol) 」。現在、英国の市場では1日分の投与が日本円換算で 12 万円程度

 

講義7:エビデンス・ベースド・メディシン、処方に影響する要素

この授業では、薬剤の効果を測る一指標である、NNT (Number Needed To Treat) とか NNH (Number Needed To Harm) とか、ARR (Absolute Risk Reduction) とかの考え方と計算法のおさらいをした。これ、英国の薬科大学院では、必ず習う。

でも、この講義の最大のメッセージは;

「製薬会社からの誘惑は、たくさんある。その罠にはまらないでね」という話でした(笑)。

かなり前のことであるが、私、日本へ帰国休暇した際に「英国で働く日本人薬剤師としてのお話を『ざっくばらんに・こじんまりとした会で』お聞かせ下さい」という依頼を、仲介人づてに受けたことがある。色々な手違いから散々な会となり、お越しくださった方々には本当に申し訳なく、自身の信用にも大いに傷がついたのであるが(→この話、いつかこのブログで書きたい)、その時、何よりびっくりしたのは、その会合、知らぬ間に、某巨大製薬企業が協賛されていた。会場は超高級ホテルと見紛うようなその製薬会社の高層階のセミナー室にセッティングされ、そしてそこには「ここ、結婚式の披露宴会場?」と錯覚してまったほど、金箔の3段重ねの煌びやかなお弁当と、両手でも持ちきれない程のお土産が、参加者全員 (80名ほど?) に用意されていたのだった。

これ、英国では「絶対に」あり得ない!!!

国営医療サービス (NHS) 勤務の薬剤師であれば、5ポンド (=日本円換算800円程度) 以上の金品を頂いた時は、事細かに開示しなければならない。製薬会社もそれを心得ている。だから職場で時々催される「薬剤説明会」を兼ねたランチも、それ以下の金額に抑えたもの(写真下一例⬇︎)となっています。

英国の製薬企業のMR さんが用意する典型的なランチの例。ごく普通のスーパーマーケットで売られている「Meal Deal」と呼ばれる3点(サンドイッチとジュースとポテトチップス)が配られます。金額として、一人当たり3ポンド(=日本円500円) 程度。ちなみに英国では、昼食にポテトチップスを食べる人多い。皆でバリバリ音を鳴らせながら、製薬会社さんからの話を聞いています

そして、この程度の「接待」でも、良くないものだと言われ続けている(⬇︎)。

この講義での最後のスライド:「無料のランチなんていうものは、あり得ません = 製薬会社には必ず(隠された)促販戦略があります」ということを伝えたメッセージ

 

講義8:薬理動態学・臨床薬理学

この科目は、3−4時間に渡って録画された講義シリーズを聞きながら、自分のペースで学んでいくものだった。講師からの直接の授業は設けられず、究極の自己学習形式が採られた。

でもこの分野って、ほぼ、薬科大学の学部生で学んだことの復習。大学院の講師陣としては、このようなやり方が、コスト・パフォーマンス良いはず(笑)。

その一方で、過去にこのコースを履修した人たちからの口コミで「筆記試験で、最も比率の高い出題分野」であると聞き、私自身、一所懸命、勉強した。

その過程で、日本語で理解したいなあ。。。という箇所もあり、この本(リンク⬇︎)を購入した。すごく分かりやすく書かれた教科書でした。日本での薬科大学生の時に巡り合っていたかったなあ。。。と思えるほど。

ロンドンの自宅からアマゾン・ジャパンにて注文しましたが、国際送料はそれほどかかりませんでした。便利な世の中になったものです。

自己学習用に配布された、この科目の講義スライドをプリントしたもの。特に薬物動態学は、日本の薬科大学生以来の苦手意識を克服すべく、一所懸命再勉強しました(笑)

話が逸れるが、私の周りには、両親の代で英国に移住し、自分は英国で生まれたという(=よって、生粋の英国人ではない)人が多い。現代の英国薬剤師は、この「移民2世」が大半を占めているといっても過言ではない。

このような人たちは、家庭内では家族のルーツの母国語で会話をしているが、学校の教育は全て英語で行ってきている。だから、仕事(=薬学)のことについて考えている時は、脳内が全て英語モードになっている。

でも私は、日本の薬科大学を卒業し、30歳近くなってから英国の薬科大学院に入学したため、薬学を学び直す時「あ、これ確か、日本の薬科大学でも習ったな。で、日本語では、何て言うんだったっけ?」と、いちいち日本語⇄英語変換する癖が抜けない。

唯一例外なのが「臨床薬学」の分野。日本で(ほぼ)習わなかったから、英語で自然に考えている。これ、自分でも、面白いなー、と思っている。

私は日本の薬科大学を1990年代に卒業しました。今では考えれらないと思いますが、当時「臨床薬学」は選択科目となっていました。そんな当時の話は、過去のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ

 

講義9:医療倫理と、チーム医療

ロンドン大学キングスカレッジの看護学部(→近代看護の祖フローレンス・ナイチンゲールが開校した看護学校の現校)の学生との合同授業だった。この講義が行われた日、私は英国南西部コーンウォール州にて休暇中で、ホテルの部屋から出席した。オンライン授業は、こういった時、本当に便利。

その時の休暇の模様は、こちらのエントリ(⬇︎)をどうぞ

この講義の主な内容は、1979年に米国人学者ビーチャムとチルドレスが提唱した、医療倫理の4原則:

自立尊重 (Respect for autonomy)

無危害 (Non-maleficence)

善行 (Beneficence)

正義 (Justice)

についての解説だった。

 

色々な解釈がされている「4原則」であるが、処方者に関したことで言えば;

自立尊重:治療を受ける人には、知る権利、プライバシーの保護、インフォームドコンセントが保証されるべきである

無危害:まず第一に、患者さんへ害を与えるような処方をしない

善行:患者さんへできる限りのことをする

正義:誰が、そして、何が優先であるかを理解する(英国の国営医療は、最小の資源で最大の治療効果を生み出すことを目標としているため)

と簡約できると理解した。

 

で、この「医療倫理」の講義をもって、3ヶ月間に渡る、ロンドン大学キングスカレッジ処方薬剤師免許コースの理論的講義が終了した。

 

それにしても、薬事法規、処方者としての免責、クリニカル・ガバナンス、ポリファーマシー、公衆衛生、アドヒアランス、抗生物質の適正使用、エビデンス・ベースド・メディシン、製薬会社との関わり、薬理動態、臨床薬理、医療倫理。。。と、盛りだくさんな授業内容でした。

 

実際には、これらの講義に加え、臨床診断技術の習得の実習も並行して行われていたため、超ストレスフルな学習期間だったんだよ。。。

 

では、また。

 

<おまけ>

ロンドン大学キングスカレッジ薬学部内には「ドラッグコントロールセンター」という、英国内で唯一の世界アンチ・ドーピング機構認定の検体分析機関が存在する。だから、薬学部の建物入り口脇には、こんなショーケース(写真下⬇︎)も飾られていた。新型コロナウイルス (COVID-19) の影響で、実際にはたった2日しか薬学部のあるキャンパスへ通学しなかったのだけど、このディスプレイのあまりのインパクトの強さに、思わずパチリ📸