日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

英国薬剤師免許試験とBNF

 

先月末、英国薬剤師免許試験の合格発表があった。今回、2318名の仮免許薬剤師が合格し、合格率は79%だったそう。

私の職場の病院薬局の、今年度 (2017/18年) の仮免許薬剤師は4人いた。3人合格した。1人は、諸事情により今回の受験は棄権した。次の9月の試験に備える。

日本の国家試験もそうだと思うけれど、薬剤師免許試験の受験には、様々なドラマがつきものだ。皆それぞれに、「自分の物語」がある。

 

で、今回は、(大分遅ればせながら)7月1日のエントリ(⬇︎)からの続き。

 

私がプレレジ研修時代の終盤に薬剤師免許試験の勉強をしていた頃の、『私の物語』。

 

私が、仮免許薬剤師だった当時、英国の薬剤師免許試験は、2部に分かれていた。

午前の第1部は、何の資料も使わずに答えていく試験。どれだけの薬学知識を「暗記」しているかにかかっている。日本の薬剤師国家試験は、今でも全ての試験問題が、この形式のはず。

午後の第2部は、BNF (British National Formulary) という英国国家医薬品集や、英国薬事法規書(Medicines, Ethics & Practice, 通称MEP)(写真下)持ち込みで、試験問題に答えていく試験。この中に、薬学計算問題も含まれる。

1部、2部とも、マークシートの択一式だった。

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私が試験会場内に持ち込んだ「英国薬事法規書 (MEP) 」と「英国国家医薬品集 (BNF) 」

 

英国の薬剤師免許試験では、日本の国家試験にあるような、薬の化学構造式とか、公衆衛生の試験法などといった学術的なことは、一切出題されない。あくまで「実務薬剤師」として、薬局現場で働くときに知っていなければならないことを中心に出題される。

究極に言えば、この試験で不合格だったら、「あなたは、いつか確実に、患者を殺すでしょう」と、烙印を押されるぐらいの、基本中の基本レベルの問題ばかりが出題される。

そのような試験であることを聞かされつつ、実際に受験するまでは半信半疑であったが、合格した今、私も全く同感。日本の薬剤師国家試験に合格した人であれば、容易に解答できる内容だと思う。

薬学計算試験は、1990年代後半に、ある仮免許薬剤師が、ペパーミント水の調剤の濃度希釈計算を間違い、その結果、新生児が亡くなってしまった調剤過誤事件の教訓から、英国薬剤師免許試験の必須科目となった。そのため、他の分野がどんなに高得点でも、計算問題の正解率が70%に到達しないと、足切りされる。

といっても、これまた、日本人だったら小学生でも答えられるようなレベルの計算問題ばかり。

英国人は、本当に計算が苦手。特に暗算ができない。

私の仮免許薬剤師時代、研修の一環で、ロンドン市内の病院の仮免許薬剤師が一同に会した免許試験対策勉強会があった。その際、同期の仲間たちは、ちょっとひねったぐらいの計算問題にも、頭を抱えて考え込んでおり、私は目が点になるほど、びっくりしたことがある。

暗算という方法で答えが出せる私は、その時だけ、一躍「スーパー・ジーニアス・ジャパニーズ」となった(後にも先にもそのセッションだけだったけどね。笑)。算数をきちんと教わる、日本の初等教育、最高。「Kumon (公文)」がなぜ、世界中でもてはやされ、英国人の親御さんたちにも人気なのかが、よく分かった。

ちなみに、この英国薬剤師免許試験の一部の「計算問題」、つい最近から、計算機持ち込みでよくなった。日々の薬局現場では、皆、計算機を使っているし、英国薬剤師の卵たちの、「計算試験での足切り不合格者」のあまりの多さを憂えての配慮らしい。。。

 

ところで「BNF (British National Formulary) 」とは 、英国薬剤師の間で、別名「バイブル」と呼ばれる、国家医薬品集参照本。

英国王立薬学協会と、英国医師会の共同発行で、半年に一度書籍出版している(オンライン版は1ヶ月ごとの更新)。実際には、英国王立薬学協会内の出版社に勤務する薬剤師が編纂し、英国医師会との合同委員会で内容確認、決議され、出版されている。

英国で認可されている薬の詳細が、全て要約されている。名称、適応、用量、副作用、禁忌、相互作用、必要なモニタリング、服薬指導点、それから、主な疾患の総論とか、国の標準治療ガイドラインの要約、高額医薬品の英国内での使用規制、といったことも掲載されている。

英国の薬局現場で働く際、この本さえあれば、とりあえず何とかなる、という「究極の一冊」。最近では、大抵の薬剤師が、携帯のアプリから参照するようになったけど、一昔前まで、薬剤師といえば、皆、緑色のペンとBNF を、職業上必要不可欠なものとしてセットにし持ち歩いていた(注:「緑色のペン」について意味不明な方は、こちら(⬇︎)のエントリもご覧ください)。

 

で、私は、試験勉強を進めていくうちに、試験の第1部にしても第2部にしても、BNF の内容を隅から隅まで理解・暗記すれば、ほぼ全ての質問に答えられ、絶対に合格できると悟ったの。だからとにかく、この「バイブル本」を読み込むことにした。

特に、試験第2部は、BNF 持ち込みの試験で、しかも、自分の本に多少の書き込みもOKというほどのもの。ということは、どこに何が書いているのかを明らかにしておけば、制限時間のある試験でも、効率よく問題に答えていけるはず。

という訳で、過去の試験問題見本やら、予想試験問題集を解きながら、その解答部分となったBNFの箇所には、自分のBNF に、全て蛍光ペンや色鉛筆でカラフルに印をつけた。その結果、試験頻出と分かった分野には、自己製の見出しをつけたり、解答に必要な箇所のページが一秒でも早く探せるように、索引を作ったり、独自の切り込みを入れるなど、徹底的に改造した(写真下)。こんなことを重ねていくうちに、試験日直前までには、試験頻出の箇所のページ数(例:抗凝固薬の総論は146ページ、リチウムは234ページ、鉄剤換算の表は589ページっ! といった具合)まで、自然と記憶するぐらいになっていた。

 

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過去に出題された箇所には、全て蛍光ペンや色鉛筆で印をつけ。。。

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試験頻出分野は、蛍光ペンで囲み、付箋見出しもつけ。。。

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一秒でも早く答えが探し出せるように、独自の索引を作ったりした。


この作業に没頭していくうちに、それまでいまいち熱の入らなかったプレレジ研修も、自分が担当した患者さんの薬剤治療について、BNF をフル活用し、主体的に考えるコツが分かってきた。英国の臨床薬剤師の最前線で働いている現在でも、この姿勢は、基本変わらず、未だに一日に最低5−10回ぐらいは、BNF を検索していると思う。

そして、この試験準備を通してね、「私は、やっぱり、薬剤師の仕事が好きなんだな」と、再確認できたの。プレレジ研修自体の混沌としたフラストレーションとか、将来、英国の薬剤師免許を得ても、仕事が全くないかも、という不安があっても、毎日毎日、この英国薬局バイブル「BNF」を徹底的に参照していくうちに、徐々にまた、薬剤師という職業に対する情熱も取り戻していき、「私、やっぱり、英国で薬剤師になりたい」と決意を新たにした。あの当時、私にとって、BNF を読むという行為は、自分に対する精神カウンセリングのようなものだった。

で、この隅から隅まで読み込んだBNF (写真下)を試験会場に持ち込み、英国薬剤師試験に、無事合格することができた。本当に、このBNF のお陰で、約10年越しの夢が実現したと言っても過言ではない。

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新品のBNFと使い倒したBNF

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そして、この仮免許薬剤師時代に芽生えた「BNF」に対する愛着、というか執着こそが、私へ、英国薬剤師としての最初の就職の扉を開けてくれたのだ。

というのは、どの「新卒薬剤師」の求人に応募しても、面接にすら呼ばれなく、このままいったら、失業だなあーと、絶望の中で薬剤師免許試験の勉強をしていたある夕方、ふと、

 

BNF って、本当に良くできた薬学本だなあ。これを編集している所で、私、働くこと、できないかな? 

 

って、唐突に、本当に、突然、閃いたのね。

自分で言うのもなんだけど、私には「オタク」みたいな気質がある。子供の頃から、辞書とか、事典とかも、何の脈絡もなく、気ままに読んでいたりしていた。私が子供の頃は、wiki はおろか、インターネットすら存在しなかったからね。。。 あと、なぜか昔から、出版業界というものにすごく憧れていた。だから、この「英国薬局バイブル」が、どこで、誰により、どのように作られているのか、ということに、とても興味が湧いたの。

 

で。。。。 英国薬剤師免許試験に合格した数ヶ月後には、私、BNF の編集オフィスで、働いていたんだ。

 

「思いついたが吉日」で、求人もないのに、BNF編集部に直接連絡をして、関係者に直談判し、仕事をもらっちゃった。

同期でプレレジ研修を終了した薬剤師仲間たちは、熾烈な就職戦線の中、免許を取得しても、全く就職の当てがない、と血眼になっていた。でも私は、周りの人とは全く事なる方法で、英国薬剤師として、初めての仕事に就けた。振り返って見ると、仮免許薬剤師時代の研修が嫌で嫌で、試験勉強にあれほどのめり込まなかったら、BNF にも興味を持たず、本当に失業していたな。

 

という訳で、これ、私がいつも思っていることなのだけど;

「運とか、きっかけというものは、本当に、どこに転がっているか分からない。そして、勝負は最後まで、分からない。情熱が、全てを動かす。」

 

だから、この日記を、今回たまたま読んで下さっていて、もし今、路に迷っている薬剤師さんがいたら、どんなことにも希望を持って、でもとりあえず、目の前のことに集中するといいよ。

 

英国薬剤師免許試験に合格したあの日から、6年。今でも自室の本棚(写真下)にあり捨てられない、私の運命を変えたBNFを引っ張り出し、これまでの自分と、今と、これから目指したい自分に、あれこれ思いを巡らせた週末でした。

 

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 BNF で働いていた時の話も、またいつかの機会に。

 

では、また。