日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

夏季薬局実習 (Summer Placement)

 

英国では、今、夏休みの真っ最中。

で、この時期、英国の薬局では、風物詩のようなものがある。

 

「夏季学生実習」

 

英国では「サマー・プレイスメント (Summer Placement) 」と呼ばれている。

 薬学生が「職経験」を求めて、薬局に張り付き、実習する。

 

英国の薬科大学では、学生に対して、学期期間外の実習先の斡旋は、基本的にはしていない。学生自らが、自力で探すことが求められる。そのため、薬科大学生は、学期期間中の週末の、自宅近所の薬局でのアルバイトなどから始め、毎年夏休みなどの長期休暇中は、「もっといい実習先」を探して、色々な職経験を積んでいく。現行の英国の薬剤師育成システムでは、これらの職歴がないと、薬科大学を卒業してからの1年間のプレレジ研修(注*)の職場の確保がおぼつかなくなるからだ。要するに、英国の薬学生は、入学と同時に、「就職活動」を開始していると言える。

 

(注*)プレレジ(仮免許薬剤師)研修についての詳細は、過去のエントリ(⬇︎)も参照下さい 。

 

英国の大手チェーン薬局「Boots」は、夏季休暇中、薬科大学生向けに、全国共通に準備された実習プログラムを提供し、参加者には、それ相当のお給料を出すほど。だから、この1−2ヶ月の実習は、とても人気がある。そして、2年連続この実習に参加した者が優先的に、Boots の仮免許(プレレジ研修)薬剤師として採用されるようなシステムを取っている。要するに、夏季実習で、すでに優秀な学生をふるい分けしているのである。

一方、大型大学病院薬局などでは、「ウチで夏季実習をやっても、その後の仮免許(プレレジ研修)薬剤師募集に有利になるということはありません」と明言しているところもある。実習内容も、薬局の現場で働いてみるというよりは、そこの薬局が行なっている「研究プロジェクト」の一部を請け負うような仕事が主となることもある。でも、実際、薬科大学生が、自分が将来、プレレジ研修や就職を希望する薬局内部に夏季実習で入り込めば、自然と人脈も出来、その職場の雰囲気も掴め、普段は公開されない「仮免許薬剤師雇用の際の面接試験の質問の詳細」といった情報も容易に聞き出せるのは、周知の事実。

その他、普通の学生が行わないような経験をし、「差」をつける薬学生もいる。「イタリアの製薬企業で、夏休み1ヶ月、インターンとして働きました」とか「英国王立薬学協会出版社の編集アシスタントとして、夏休み働きました」などという履歴書があれば、採用担当者は「おや? 面白そうな候補者だ。面接に呼んでみようか?」という気になる。だから、いかに面白そうな分野、自分が将来働いてみたい薬局や、有益な所で「夏季実習」をすること、そして、その実習場所を確保できるか、ということは、薬学生にとって、切実な死活問題なのである。

 

そんな私も、今からちょうど10年前、英国で薬剤師になる準備の一環として「夏季実習」をしてみることにした。英国の永住権が取れることが確実になりだしたからだ。その時点ですでに、ファーマシーテクニシャンとして4年以上働いていたので、その「実務経験」は、履歴書上大きなメリットになるはずだった。ただ、当時の勤務先が精神科専門病院であったため、「どこか他の一般病院で夏季実習をしてみたい」と切望するようになった。いずれは、ジェネラリストの臨床薬剤師になりたいと思っていたから。

 

で、英国の現役薬学生と同様に、ロンドン市内の国営病院薬局の「夏季実習生募集」の広告に片っ端から応募した。実は、これ、大抵の病院は、毎年数人しか受け入れない。100人に1人受かるかどうかの「難関」。特にロンドンの病院は、どこも競争倍率が高く、普通、病院の夏季実習先を絶対に確保したい学生は、まず、どこか地方都市での実習先を探すのが常である。

私は、とあるロンドンの人気病院で、書類選考は通過し、採用面接まで呼ばれたが「募集定員2名の所、もう一人の志願者との経歴があまりに異なる」との理由で不採用となった。要するに、(おそらく、若い)現役英国薬学生と、ファーマシーテクニシャンを長年やっている外国人薬剤師(私)を、実習中ペアとして組ませても噛み合わないだろう、ということだった。募集広告には、「公平に審査します」とあるけれど、こういう結果となることも、あった。

他の病院薬局からは、全く返事の来ない日が、それから長く続いた。

 

そんなこんなで、「もう今年の夏季実習の可能性は、どこもダメかなー」と思い始めた矢先、私の元に、突然、一通のメールが届いた。東ロンドンに所在する「ウィップス・クロス病院」という所の夏季実習担当者であった副薬局長からだった。そこには、たった一言;

 

「君は、Noriko の友達か?」

 

とあった。

 

えええ??? Noriko って。。。日本人の名前だよね。。。?

 

高鳴る胸を抑えられなかった。意図することが全く分からない、ぶっきらぼうとも取れる、たった一文のメールであったが、私は、このチャンスを逃さなかった。

「Noriko さんは存じ上げておりません。でも、お名前から察するに、御病院の薬局には日本人がいらっしゃるようですね。これを機に、私を夏季実習生として受け入れていただけませんでしょうか? それから、夏季実習の前にでも、Noriko さんからガイダンスを頂きたく、ご紹介頂けると光栄です」

と返事をした。

 

すると;

「いいよ。でも、Noriko は今、ウチの病院の仮免許(プレレジ研修)薬剤師として働いていて、薬剤師免許試験を目前に猛勉強しているから、それが終わってから会ったらどう?」

 

と提案してくれたのだ。もう、飛び上がらんぐらいに嬉しかった。

 

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ウィップス・クロス病院。イングランドの元サッカー選手、デイヴィッド・ベッカムが生まれた病院としても有名


それから数ヶ月後、英国薬剤師免許試験が終わったばかりというNoriko さんに、初めて会った。初対面なのに意気投合し、パブで2人、時間を忘れるほど話し込んだ。お互い年齢も近く、英国に移り住んだ時期もほぼ一緒だった。今まで、まるで接点のなかった日本人薬剤師2人が、あるきっかけで、ロンドンの片隅で会うということに、不思議な縁を感じた。Noriko さんは優秀で、その年のウィップス・クロス病院の仮免許薬剤師の中でもただ一人、新卒薬剤師として引き続き雇用されることが決まっていた。Noriko さんは、この日の出会い以来、今日に至るまで、私の英国でも数少ない「日英薬剤師」の大尊敬する先輩である。今でも、職業上行き詰まった時など、相談に乗っていただいている。一度話し出すと、お互い、英国の国営医療 (NHS) 病院で勤務している日本人薬剤師が遭遇する、「あるある」話が止まらなくなる仲(笑)。

 

きっとNoriko さんが、私のために、色々と内部で交渉して下さったのだと思う。私の夏季実習の話は、確実に進められた。そして、実は、本当にラッキーなことに、突然「君は、Noriko の友達?」と連絡を下さった、こちらの病院の副薬局長さん、香港系中国人で、親日家の方だった。2週間しか有給の取れない私のスケジュールを考慮した、素晴らしい実習プログラムを用意して下さったのだ。実際、この年、この病院薬局で受け入れた夏季実習生は、私ただ一人とのことだった。

ウィップス・クロス病院薬局の夏季実習は、本当に楽しかった。私はここで、英国に来て初めて、「医薬品製造」や「薬剤品質管理」部門、「医薬品情報室」の業務に触れたり、「集中治療室」や「外科病棟」で働く臨床薬剤師から、直接教えを受けることができた。その当時住んでいた西ロンドンの自宅からこの病院に通うには、片道1時間半ぐらいを費やしたが、毎日、朝出かけるのが待ち遠しかった。そして、Noriko さんが、その夏見事に英国の薬剤師免許試験に合格された際には、今まで使用されていた「過去の試験問題集」や「勉強したノート」の一部を譲って頂いた。このご恩は、感謝してもしきれない。

そして、私は、このウィップス・クロス病院での夏季実習の翌年は、ロンドンの超大型大学病院の夏季実習に受け入れてもらうことができた。「あ、君は去年、ウィップス・クロス病院で実習したんだ。じゃあ、今年はウチが相応しいね」といった具合に。前年のウィップス・クロス病院での経験がなければ、当然得られる機会ではなかった。 

 

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ウィップス・クロス病院正面玄関

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正面玄関から病院内を突き抜ける廊下。英国の病院の中で、一番長い廊下らしい。廊下沿いに、無数の外来や病棟があり、プラットホームがたくさんある大きな駅を歩くような感覚

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懐かしい、薬局付近。でも。。。

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薬局は閉まっていた。訪れたの土曜日の午後だったからね。残念だったな。。。

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入院患者さん用の薬局入り口。英語で Ward とは「病棟」を意味する



本当は、この「ウィップス・クロス病院」で、プレレジ研修が出来たら良いな、とも思ったのだけど、色々な事情から、叶わなかった。

でも、この夏季実習の経験は十分生かされている。10年経った今、私は、あの当時(ぼんやりと)思い描いていた通り、ジェネラリストの臨床薬剤師となり、現在は、感染症専門臨床薬剤師として働いている。

ロンドンの病院薬局の人事の移り変わりは、激しい。Noriko さんも、その当時の香港系中国人の副薬局長さんも、この10年でさらなるキャリアを重ね、現在は、お二人とも別の場所で勤務されている。

 

「夏草や兵どもが夢の跡」、ではないけれど、今からちょうど10年前の夏の、あの出会いに本当に感謝したくて、2週間だけお世話になった懐かしい病院を(こっそり)訪れてみた週末でした。

 

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病院内の食堂がリニューアルされており、びっくり。通勤のラッシュアワーを避けるため、ここで1−2時間、その日に習ったことを復習してから帰宅するのが常だった。

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余談だけど。。。ここの病院の食堂&カフェで、今回頂いたこのバノフィー・パイ (Banofee Pie) 、すごく美味しかった。

 

では、また。