日英薬剤師日記

イギリスの国営医療(NHS)病院で働く、臨床薬剤師のあれこれ

アガサ・クリスティと薬局と毒薬、そしてアフタヌーンティー

今、英国では、クリスマスシーズン真っ只中。

 

で、最近、ロンドンの中心街にある大学病院前の巨大クリスマスツリー(写真下)を通り過ぎた際、ふと思い出したことがある。

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「アガサ・クリスティ」

 

ミステリーの女王と呼ばれるこの英国人推理小説家、元々の職業は「薬剤師助手(恐らく、現在の「ファーマシーテクニシャン」に相当)」だったというのは、知る人ぞ知る話。かなり熱心に、薬局の仕事に従事した人だったそう。

そして、その職経験から「毒薬」の知識に精通したと言われている。だから、彼女の小説には、その専門知識が散りばめられた殺人シーンが、よく登場する。

で、アガサ・クリスティ、第2次世界大戦中の頃は、この上(⬆︎)下(⬇︎)の写真の「ロンドン大学付属ユニバーシティカレッジロンドン病院(University College London Hospitals, 英国人の間では通称 UCLH と呼ばれている) 」に勤めていた。週末当番などの暇な時間の合間に、薬局内で、のちにベストセラーとなる小説を書いていたんだって。

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ロンドン大学付属ユニバーシティカレッジロンドン病院・新館。こちらの病院は、2005年頃、関連病院のいくつかが統合され、超近代的な病院群へと建て替えられた。

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ロンドン大学付属ユニバーシティカレッジロンドン病院・旧館。アガサ・クリスティが薬剤師助手として働いたのは、おそらくこの建物

それを聞き、英国の薬局業務の昨今の移り変わりに思いを馳せずにはいられない。私、現在、英国の国営病院の典型的な臨床薬剤師だけど、週末の当直時なんて、鳴り止まぬポケベルに振り回され、朝から晩まで、食事もろくに取れず、トイレに行くこともままならず、走り廻っているよおおおおーーー(泣)。ちなみに、英国の国営医療サービス (NHS) は1948年設立で、それ以降は、患者負担無料の医療が実現されている。一方で、アガサ・クリスティがこの病院に勤務していた頃は、戦時中かつ、英国の国民医療保険は、定職を持つ男性だけに適用されていたなどの違いがある。抗生物質なども、まだ一般市場にはなかった時代でもあった。

でも、現代でも、英国の薬局スタッフって、本業以外にも、自分の色々な才能を生かし、副業を持っている人が多い。

例えば、私が現在勤務する病院薬局の調剤室長であるファーマシーテクニシャン(注:英国の病院の調剤室は、現在ほとんどが、テクニシャン主導で運営されています)は、週末はギタリストとしてバンド活動をしている。

英国のとある個人薬局の社長薬剤師さんは、今年、国営放送BBCの料理コンテスト番組で、最終選まで勝ち残った(写真下⬇︎)。

また、国営病院の薬剤師であったものの、リアリティ番組「アプレンティス」(→現米トランプ大統領が、大統領就任以前に、ビジネスマンとして制作・自ら司会出演もしていた、米国のビジネス有能人発掘テレビ番組が元祖。その英国版)に出演した人もいる。この番組撮影に当たり、数ヶ月拘束される可能性もあるため、彼女は、その病院薬剤師の職を辞職した。でも、第1回目の勝ち抜き戦で大敗し、誰よりも早く退場させらてしてしまった。。。嗚呼。

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今年、英国国営放送BBCテレビ番組の料理コンテストで最終選まで残った薬剤師さんのインタビュー記事(写真中央)。この英国王立薬学協会が発行している薬学雑誌 (The Pharmaceutical Journal)、約180年の歴史を誇る。アガサ・クリスティ自身も、この雑誌に自分の小説のレビューが掲載された際、彼女の毒薬に関する知識が並大抵のものではないことを賞賛されたことが、生涯で一番嬉しかった批評だったと、後に懐述している。

そんな方たちを見るにつけ、さまざまな事に応用が出来るスキルに溢れ、かつ間欠的キャリアが実現できる薬局という仕事のフレキシブルさ、そして経済的にも安定な仕事であることを有り難く思う。私自身、紆余曲折を経て日英両国の薬剤師になったけど、この職業で本当に良かったと、今は、心からそう思える。 

 

それから、アガサ・クリスティにまつわる毒殺の話って言えばね、今からかれこれ10余年前、ロシア人元スパイで英国に亡命していた男性が、ロンドン市内のレストランで何者かにより毒を混入させられたということがあった。その男性が瀕死の状態で運び込まれたの、偶然にも、アガサ・クリスティが勤務していたという病院だった。そのロシア人元スパイは、そこでの集中治療室での救命も虚しく、入院数週間後に死亡した。

でも、現在、ロンドンの病院で、毒物学に最も強い病院は、アガサ・クリスティが勤務していた病院ではなく、こちらの別の病院(⬇︎)。

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聖トーマス病院 (St Thomas' Hospital)。ロンドン・テムズ河を隔てて、国会議事堂(ビッグ・ベン)の真向かいにそびえる、英国最古の病院の一つ。私は、英国へ来た最初の年、ここで臨床薬学の実習をした。その時代のことについては、以下のエントリ(⬇︎)もどうぞ。

 

で、このセンセーショナルな事件が起きたその日、こちらの病院の毒物学の教授がたまたま不在で、解毒治療のアドバイスを乞う電話の第一報を受けたの、なんと、そこに勤務する日本人医師だったのです。以前、ロンドンとその近郊に在住する、在英日本人医療関係者たちが集まった夕食会に招待された際、たまたまこの暗殺事件がテーブルの話題に上がり、私の隣に座っておられたお若い先生がポツリと「それ(=電話を受け取ったの)、僕だったんです」と一言。ひえーーーーっつ!!! すごい方が、いらっしゃったんだなあ、とびっくり。

   

そんなこんなで、先週末は、クリスマスの賑やかな空気が漂う年の瀬のロンドンの中心地で、友人の一人とアフタヌーンティーをした。先月、日本の薬局コンサルタント会社さん主催の英国薬局視察研修の際、東奔西走して下さった方で「お疲れさま+英国流忘年会(笑)」を兼ねたものだった。

場所は「ブラウンズ・ホテル」(写真下⬇︎)。現存するロンドン一古いホテルとして知られており、アガサ・クリスティも常宿し、執筆活動をしていた場所。そして、ここで生まれた作品が、このホテルをモデルにしたとされる「バートラム・ホテルにて (At Bertram's Hotel) 」なんだって。

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ブラウンズ・ホテル (Brown's Hotel) 正面玄関

そんな伝説的なホテルの格式あるティールーム、 私自身、日本で暮らしていた頃から、いつかは行ってみたいと、ずっと想っていた場所。

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そんな長年の夢が叶い、優雅な午後を過ごせました。友よ、ありがとう! と言いかけたところで、こちらの日本人薬剤師の友人も、本業のホメオパスの傍らで、オリジナルジュエリーのオンラインショップも運営していることを思い出した(下のリンク⬇︎)。ここでも、薬剤師って多角的な才能に溢れた方が多い、ということを確信。

 

「クリスマスツリー ➡︎ アガサ・クリスティが勤務していた病院薬局 ➡︎ 毒薬 ➡︎ ブラウンズホテルでのアフタヌーンティー」

 

今回のブログエントリは、まるで連想ゲームが織りなすオムニバスだったね(笑)。

 

では、また。

 

<追記>

ここまで書いて、これも 、すっかり忘れていたことだったのだけど。。。

アガサ・クリスティが薬剤師助手として働いた病院、私自身、英国での就職活動で、一番最初に就職面接を受けた病院薬局でもあった。医薬品製造部門の「ファーマシーアシスタント」の職だった。

とにかく、何もかも初めての経験で、見事に不合格だったけど。。。その時(2003年夏)の一部始終は、今でも鮮明に思い出せる。

 

その頃の話も、いずれかの機会に。