ついに、恐れていた日が来てしまった。。。
こちらの「コワモテ姉御」(写真下⬇︎)、私が勤務する病院で長年「患者サービス業務主任薬剤師」の役職にあった、エスターさんと言います。
先日、彼女が退職していった。14年間、この病院で、身を粉にして働いてきたマネージャー薬剤師の退位。
この方の「退位」については、以前のエントリ(⬇︎)でも少しだけ触れています。
この方、私がこの病院薬局に入局した初日から、本当に親身に面倒を見てくれた。英国の職場では珍しく、誰に対しても、何に対しても、手取り足取り教え、相談に乗ってくれたマネージャー薬剤師。
そして、一所懸命努力している人を、ちゃんと見ている人だった。
私、かれこれ5年、現在の勤務先で働いているのだけど、その間、なんと100名以上の薬剤師が入局しては去っていった。国営医療サービス (NHS) の、特にロンドンの病院薬局は、人の入れ替わりが激しいからね。正直、脱落者の多い世界。
で、私と同じ時期に入局した薬剤師で、今でも在籍しているのは、私ともう一人の男性の2人だけ。
決して突厥して優秀な薬剤師ではない私が、ここまでこれたのは、この「姉御エスター」の助力に大いに負っていたと、今、はっきりと言える。
どんな職場にも「派閥」ってあると思う。でも、この姉御は、それを十分理解しながら、スタッフ一人一人に対して、信じられないほど公平に接する人だった。
そして何より、特定のスタッフが苦境に立たされた時などは、影でこっそりと目にかけ、思いやりを示すなど、絶妙なマネジメント能力を発揮する人だった。
この人が主導する、毎日の朝礼(写真下⬇︎)は、いつも「熱」かった。
「オイ、お前ら、このザマは、一体何だ?!?! 分かってんのかっ💢?(→もちろん英語で言っているから、これは私の『意訳』なのだけど、この姉御は、いつもこんな感じで話を切り出す。笑)」
と、感情をあらわにする。そして、その場で問題を洗いざらしにし、鋭く分析し、そこにいる全員を巻き込み、話し合う。そして、そこで出たあらゆる意見を即座に取りまとめ、その解決のために、自らが、矢継ぎ早に指示を出す。すると、スタッフ全員の顔がほころぶ(写真下⬇︎)。このコワモテ姉御の、誰よりもこの薬局を愛する「リーダーシップ」を、皆、賞賛していた。
エスターさん、実は、苦労人でもあった。
名門「ロンドン聖メリー病院」で、仮免許(プレレジ研修)薬剤師を終了後、すぐ「ローカム (Locum) 薬剤師」となった。
ロンドン聖メリー病院についての過去のエントリは、こちら(⬇︎)からどうぞ
ローカムとは、英国の医療業界用語で、人材派遣会社に登録し、そこから斡旋されて働く人を指す。人手不足の薬局が、基本的には、短期間で雇う形態。でも、慢性的に人材不足の職場では、長期で働くことも可。正局員に比べて時給が格段に良くなるのだけど、雇用者がその薬剤師を気に入らなければ、その日のうちに解雇できるという、実力本位の働き方。一方で、ローカム薬剤師が、その勤務薬局を気に入り、以後、安定した働き方を希望すれば、その薬局で次に正局員の募集が出た場合は、すでに職場の環境を熟知している者として、優先的に採用される場合が多い。
エスターさんは、最初、この病院薬局に「ローカム薬剤師」として入ってきた。もちろん、有能な人だから、すぐ頭角を現した。
でも、その後、この病院薬局内で、臨床薬剤師の求人が次から次へと出て、何度も応募したのだけど、いつも不合格になったんだって(→これ、普通だったら、屈辱的で、あり得ない話。。。)。でも「患者サービス薬剤師」のポストに応募したら即合格だった、という経歴がある。
その実情は「人を束ねるのが『あまりに上手すぎる』」ので、上層部からは「臨床職よりは、管理職になってもらいたい」という強い意向からだったみたい。本人の希望はどうであれね。
「患者サービス薬剤師マネージャー」とは、言うなれば「調剤室を始めとする、薬局オペレーション現場総司令官」。ある意味、病棟に拠点を置く花形の臨床薬剤師職とは一線を画す業種。
もう朝から晩まで、皆の「苦情」や「悩み」を聞く係。聞くだけじゃなくて、その問題解決の矢面に立たなきゃいけないから、相当ストレスのかかる仕事。
でも、この姉御エスターは、誰もが想像すらできない、神がかりなレベルで、この仕事を10余年、遂行してきた。
私は、逆立ちしてもできない仕事。。。
私、この姉御エスターとの心に残る思い出が、たくさんある。
でも、その中でも最たるものは、現職の「感染症専門薬剤師」に応募した時のことかな。
内部昇格希望の応募者として「出馬」したのだけど、感染症専門薬剤師は、今、英国で最も旬な業種分野の一つであるから、外部からも有力な候補者が数人応募していると、事前に告げられていた。
その選抜面接試験は、病院薬局内のオフィスで行われた。そんな時、内部応募者はちょっとバツの悪い思いをする。自分が毎日働いている場所にも関わらず、普段は着ないスーツとかを着こんで、外部の一般候補者と同様に面接を受け「自分を売り込む」ことを求められるからね。。。。
で、その日ばかりは、いつもは気心の知れた先輩・同僚も、打って変わってよそ行きの顔となる。雇用面接はあくまで「公平に」行わなければならないから。
でもね、この姉御エスターだけは、違ったの。
私が、緊張の面持ちで一人、指定された面接室の前の椅子にちょこんと腰掛けていると、この人が、どこからともなく近づいてきた。そして、キョロキョロと周りを見回し、同僚の誰も見ていないことを確認すると、その身をかがめて、私の耳元でこう囁いたのだ。
「アンタが今回、この昇格試験に合格してくれることを、心から願っているよ。大丈夫だ。アンタがどんだけチームに貢献しているか、アタシは、知っているから。アンタは、この薬局に必要な人だよ」
その瞬間ね、私、本当に、涙が出そうだった。
そして、一瞬にして悟ったの。
英国国営医療サービス (NHS) の雇用って、「面接試験でのパフォーマンスの結果」だけじゃないんだな。こういった先輩マネージャー薬剤師との「義理・人情」も考慮される世界なんだ、ってことをね。それで「天職」が与えられるっていうことがあるのだということを。
それからね、この姉御エスターの凄いところは、当直薬剤師チームの総責任者ということもあり、メンバーの皆がどんな真夜中・明け方に彼女を叩き起こしても、嫌な顔(声)一つしないで、助けてくれたこと。
例えば、私、当直を始めたばかりの頃のある晩、聞いたことのないマラリヤ薬の供給が要求された。真夜中に、調剤室をくまなく探したのだけど、見当たらない。
パニックになりながら、この姉御エスターの個人携帯番号へ連絡すると、電話口で「あ、それ、輸入品のものが、未認可医薬品の棚にあるはずだ。で、最近、未認可医薬品の薬棚、移動させたんだけど。。。 えーっと、外用薬の棚の真向かいの調剤台の前へ行け! そして、しゃがめっ! おそらく、一番下の棚にある青いキャップの白いボトルが見えないか!?!?」
などと、リモートコントロールとも言うべき的確な指示が電話口から出され、事態を無事解決できたりした。こんなのはほんの一例で、この姉御は、文字通り「この大学病院薬局業務の全て」を把握していたから、スタッフのほぼ全員が、夜間休日を問わず、個人的に連絡したことがあるはずだ。何事においても 、判断に困った場合は、薬局長へ報告する前に、まずは姉御エスターへ事前相談、というのが、この病院薬局の長年の「やり方」になっていた。
でもね、この世で、不変のものなんて、一つもない。
このコワモテ姉御が、この仕事を辞する日が、やってきた。
で、彼女の退職の理由?
表向きは「キャリアステップアップ」。自宅からより近い大学病院の治験専門主任薬剤師の採用試験に合格したから。
でも、私は、「本当の理由」を知っている。
家族との時間がもっと欲しい、ということを。
この姉御、実生活では2人の小学生の男の子のお母さんである。
それでいて近年、自分のベース病院(ロンドン側)のみならず、もう一つの病院(サリー州境界側)のマネジメントも任されるようになった。だから週2日はサリー州の一般病院、そして週3日はロンドンの大学病院、というワーキングスケジュールになっていた。
ロンドン側の病院の勤務の日は、2人のお子さんを学童保育に預け、定刻通りに迎えに行くことができた。でも、週2日のサリー州の病院に勤務の日は、通勤に時間がかかり、それが叶わなくなっていった。だから、最近は、子供の送り迎えにチャイルドマインダーを常時雇っていたみたいだ。すると、その出費がかさみ、働けば働くほど、そして責任が重くなればなるほど、収入が減っていくという悪循環になっていった。
日本でも、今、「ワークライフバランス」ということが話題に挙がっているとのことだけど、英国も、同様の問題を抱えている。特に、英国の国営医療サービス (NHS) は、往々にして「一所懸命働けば働く人ほど、なおいっそうの業務が舞い込む。そして、怠惰な人には、平均的な仕事量も任せらず、なお一層、のらくらしていく」という風潮がまかり通っているからね。
エスターさんのこれからの勤務先となる病院は、自宅からより近く、かつ、クレーム処理係というストレス満載な仕事とはおさらばだ。何より、定時に帰宅でき、家族との時間が増える。
でもねえ、これだけ「人間味あふれるマネージャー薬剤師さん」、これからもそうそう現れないと思うよ。彼女が、この病院薬局からいなくなったのが、本当に惜しまれる。実は、私、こういう(底抜けに愛のある)人にこそ、英国薬剤師の国代表のスポークスマン役などに、将来なってもらいたいなあと、心底、願っているんだ。
姉御エスターのこれからの未来に期待する。
今まで、本当にありがとう。
また、一緒に働く(かもしれない)日までね。
では、また。