ご興味のない方には、全く関係のない話かも知れませんが。。。
今日は、人類史上初の抗生物質であった「ペニシリン」の発見から91周年の日です。
という訳で、今回は、それにまつわる(世間的にはあまり知られていない)話を紹介。
ペニシリンは、1928年9月3日、ロンドン中心地のパディントン地区にある聖メアリー病院の細菌部長であった、アレクサンダー・フレミング博士によって発見されました。
ペニシリンが実際に発見された部屋が「アレクサンダー・フレミング実験室博物館」として、この病院の敷地内に、今なお、当時のままの姿で残されています(写真下⬇︎)。
こちらの博物館、平日の限られた時間しか開館していません。そのため、私自身、長年ずっと行ってみたかった場所であったものの、なかなかその機会が得られませんでした。でも、今回、ついに意を決して訪ねてみることにしたのです。
入り口は、ここです(⬇︎)
訪れる人があまりいない博物館のようでした。入り口も常時施鍵されており、呼び出しブザーを押すと、大分経ってから係員が応答し、中へ入れてもらえました。
今なお現役で使用されている、英国国営医療 (NHS) 病院の大きな建物の一部なのですが、その実験室跡地の部分だけ内部で分離されているようで、博物館は複数階に分かれています。1階は、この「聖メアリー病院」の紹介と、歴代の「ペニシリン製剤」が展示されていました。
で、期待で胸をワクワクさせながら「ペニシリンが実際に『発見』された部屋」(写真下⬇︎)へ向かったのですが。。。。
残念ながら、実際の部屋の内部は、写真撮影禁止でした(がーん、涙。が本音だったよ)。
まあ一言で言えば、フレミング博士のこの有名な写真(写真下⬇︎)の背景の実験室の雰囲気そのままが、現在に至るまで保存されている部屋でした。
でも、この上(⬆︎)の写真では感じ取れない、この実験室を訪れた者誰もが抱く印象って、
「うわー、ちっちゃい部屋」
と
「確かに、ここ、カビ臭いわ」
と
「えらく、雑然としているなあ」
なのではないでしょうか。日本の家屋でいうと4畳半ぐらいしかないサイズの部屋でした。窓に沿った長細い机と椅子しかなく、そこに顕微鏡やら、培養皿が机一面に散乱している状態。日本の薬科大学での最終学年に、大学付属のかなり年季の入った細菌研究所で卒論を書いた私の目から見ても「とても原始的な実験室」という印象を受けました。
繰り返しますが、机の上が、凄まじく散らかっていました。後世まで語り継がれているように、本当に、片付けが不得意な人だったんだろうな。。。。(個人的な感ですが、英国人は往々にして、整頓が苦手だと思う。私の職場の同僚たちを見ていても、つくづくそう思う。笑)
で、フレミング博士のちょうど真下の階の部屋で真菌の研究をしていた同僚のカビが、階上で黄色ブドウ球菌の研究をしていたフレミング博士の実験室へと何らかの形で入り込み、それがペニシリンの「偶然起こった幸運な発見 (serendipity) 」へと繋がったのだ、と医学歴史家たちは考察しています。
それから、今回訪れてみて分かったのですが、ここ、英製薬会社グラクソ・スミスクラインがかなりの出資をしている博物館のようです。最上階には、こちらの会社が製作した、ペニシリンの発見に至るまでの細菌学の歴史的背景、フレミング博士による発見の経緯、その論文発表、大衆へ行き渡るまでの大量製造工程の開発、そして現代に至る抗生物質の耐性問題、といったことが分かりやすく学べるパネルが展示された一室もありました(写真下⬇︎)。
で、そこで私は、今年はペニシリンの発見 90 周年ではなく、論文発表から 90 周年だったと学んだのでした。。。(すっかり、勘違いしていたよ。汗)
ところで話ががらりと変わりますが、フレミング博士は、生涯で2度結婚しています。2回目の結婚は、ノーベル賞受賞後かつ最初の妻との死別の後での71歳の時で、ギリシャ人医師とでした。その結婚式を挙げたギリシャ正教の教会が、2人の勤務先であった聖メアリー病院から徒歩でわずか10分ぐらいのところにあります(写真下⬇︎)。
この周辺は、西ロンドンのベイズウォーター / クイーンズウェイ地区と呼ばれ、現在は、ロンドン第2の規模の中華街として有名な所です(写真下⬇︎)。でもたった一つ道を隔てただけで、突如、ギリシャ人街になるという、摩訶不思議なエリアでもあります(写真下⬇︎)。私、今から6−7年ほど前まで、この周辺に住んでおり、そのあまりに異なる文化のコントラストに目を見張った場所の一つ。
先週末、久しぶりにこの「ロンドンでもとびきり異国情緒溢れるエリア」を訪れたのが、今年最後の夏の週末の過ごし方となりました。
私、これから3週間連続勤務(→その間の週末も両方とも、日夜ノンストップの当直が入っている)だからねえ。それが終わる頃には、英国、確実に寒くなっているはず(ため息)。
では、また。
(注)「英国でファーマシーテクニシャンの職を得た時の話」シリーズは、次回から再開予定です。