前回のエントリ(⬇︎)で、言及しましたが;
去年の年末から、新型コロナウイルス (COVID-19) に感染し、完全にダウンしていた。
その最中、この人類未曾有の疫病の個人体験記録を、何らかの形で書き残しておくべきだと思い、毎日病床で、できる範囲でメモしていた。
これらを、今回から数回に渡って、公開してみます。
ただし以下の記述は、現時点で世界中の 9000 万人以上の者が羅患した症例のたった一つに過ぎません。そして今回、私が選択した治療については、全ての人に適したものでもないと思います。その旨を、あらかじめご了解下さいませ。
12月24日(木)
あれ、おかしいな? と思ったのは、クリスマスイブ。クリスマス休暇前の最後の出勤日だった(→注:英国では、12月25日と26日は国民の祝祭休日となっています)。すでに多くの同僚たちが休みに入っており、残りの薬局スタッフは、皆大忙し。
私はこの日の午前中、中心静脈栄養 (TPN) チームの一員として多職種連携回診に参加。一般外科病棟と血液内科を廻り、クリスマス休暇中の入院患者さんたちに必要とされる25個分の高カロリー輸液バッグの組成設計をし、外部の製造会社へオーダー。そして午後からは、担当の骨折外科病棟で働き、その後は調剤室も手伝った。その合間にも、本業の感染症の仕事でポケベルも鳴り止まないという、目の回る一日だった。
そんな中、一日中やけに身体が汗ばみ、喉が乾くなと感じていた。でも、私のデスクの前には、セントラルヒーティングが設置されていて、自分で温度調整ができない(→これ、英国の古い建築物でよくある。私の病院はその典型)。この日はまさに、分刻みで働くスケジュールだったため、水分補給もままならなかった。そのせいかなあ。。。? と思っていた。
終業時間になるにつれ、頭痛と肩、足の裏の痛みが絶え間なく襲ってきた。そして、なぜか、自分の机の上に散乱した書類の数々が、一体どれがどの業務のものなのか認識できない、という不思議な感覚にも陥っていた。その「目の前にあるものの判断が、いつものようにできない」という事象こそが、今振り返れば「何か、おかしい」と感じた、最初の兆候だった。
でも、やっとこれでクリスマスの休暇だあ! ゆっくり身体を休めるぞー、と思いながら、帰宅。
12月25日(金)
私はこの数年、毎年必ず、年末年始の当直業務当番になっていた。だから今年こそは「クリスマスをゆっくりと過ごしたい」と前々から休みをリクエストしていた。でも、蓋を開けてみたら、2020年は人類の医療史上最悪規模のパンデミック。おまけにロンドンは目下、3度目のロックダウン。よってこの日、私は本当に「一人ぼっち」で過ごすことに。
で、やることがないんで、私、この日、職場の薬局の自分のオフィスへ出かけたのよ(苦笑)。
私、他の同僚がいない時間帯に仕事をするのが好き。一人で静かな環境にいると、色々とクリエイティブなアイディアも浮かぶしね。
昨日からの散らかった机の片付けとか、全く始められていなかったプロジェクトにも着手した。でも、その時間、やはり「?」と感じた。いつもに比べて、明らかに頭の回転が鈍く、仕事を普段のようなスピードで進められない。
何でだろう。。。?
そして、この日の夕方であった。
自宅で、ふとした隙に、
「コホン」
という小さな咳が出たのだ。
「あれ?」
それからも、夜間にかけて間欠的に「コホン」、「コホン」と。
え。。。? 咳。。。?
私、もしかして新型コロナウイルスに感染した。。。? と疑い始めた日だった。
12月26日(土)
現在、英国国営医療サービス (NHS) に勤務する医療従事者の大半には、国や地方自治体から「新型コロナウイルス (COVID-19) 自己検査キット」が配布されている(写真下⬇︎)。各自に決められた週2日(→私は、水・土曜日に指定されていた)に自分で検査をして、陽性であれば自主隔離を開始せよ、というルール。
この日は、土曜日ということで、恐る恐る自己検査をしてみた。心の中で「きっと感染しているだろう」と信じつつ。
でも、結果は。。。「陰性」。
安心すると共に、拍子抜けした。
12月27日(日)
それにしても身体がだるい。。。何もする気になれなかった。でも、昨日、自己検査キットで「陰性」であったこともあり、この時点では「風邪」か「インフルエンザ」だろうと考えていた。
でも、咳が絶えず出てきたのだ。私は、体調が悪くなる時はほぼ決まって、喉の痛みから始まる。でも今回は、咳のみ。新型コロナウイルス (COVID-19) の主症状って、咳って言われているよねえ。。。
昨日の自己検査結果は「偽陰性」で、私、本当は新型コロナウイルス (COVID-19) に感染しているんじゃないかな? という疑いが払拭できなかった。
絶え間ない咳を止めたい一心で、自宅に在庫していた総合感冒薬(リンク下⬇︎)を、この日から服用し始めた。
今回服用した総合感冒薬を購入した時のことは、過去のこちら(⬇︎)のエントリもどうぞ
12月28日(月)
一日中だるく、文字通りベッドから起き上がれなかった。そして、いくらでも熟睡できた。この体調の悪さは尋常じゃない。新型コロナウイルス (COVID-19) に感染したな、と確信。
明日から出勤予定だった。本来であれば自己検査キットのテスト日ではないのだけど、明日の朝、出勤前にやろうと決意。もし、感染していたら、患者さんや同僚に感染(うつ)しかねないからね。。。。
12月29日(火)
前日、昼間に一日中寝ていたということで、よく眠れぬ一夜を過ごすことになった。恐らく発熱していて、汗びっしょりで突然目を覚ます一方、再度うとうとと眠りにつくと、足の指先が凍えるように冷えた感覚で飛び起きる、といったことを夜中に何度も繰り返した。「だめだ。もう、朝まで待てない」と、午前4時頃、自己検査を行った。
そして結果は。。。
「陽性」(写真下⬇︎)。
ああ、やっぱり、感染していたんだな。
恐怖というよりは、これまでの数日間の「あまりの判断力の鈍さ」と「廃人のような寝込みよう」の原因が解明され安堵した、というのが正直な気持ちだった。
そして、この時突如「そういえば、日本人薬剤師であり、英国ではホメオパスとして働く友人から『新型コロナウイルスに感染したら、これらを是非』と言われ、頂いていたレメディがあったな」と思い出し、服用を開始した。
こちらの友人が推奨して下さったレメディは、この過去のエントリ(⬇︎)の写真にあります。使用については色々な意見があり、効果も個人差があると思いますが、私は、恐らくこれらを服用し続けたお陰で、今回の新型コロナウイルス (COVID-19) の極めて悪症状と言われている「喉や肺にガラスの破片が突き刺さったような痛み」を、不思議なほど経験せずに済みました。
朝の8時半に、上司のドナさんへ電話した。
「感染したと思います。自己検査キットの結果は、陽性なので」と伝えた。
一瞬の沈黙の後、ドナさんは、
「まあ、これ、いずれは全員、罹るものだろうからねえ。。。」と一言。
ちなみに私の上司のドナさんは、すでに新型コロナウイルス (COVID-19) の抗体を持っている。私が勤務する病院の前線スタッフは、第一波が収まった去年の6月頃、ほぼ全員、抗体検査を受けた。で、ドナさんの結果は「抗体有り」だったのだ。でも、本人はいつ羅患したのか全く身に覚えがなく、よって一日たりとも病気欠勤をしなかったという稀有な人。
このブログでもたびたび登場する、私の直属の上司「ドナさん」にご興味のある方は、こちらのエントリ(⬇︎)を一例としてどうぞ
早速、従業員の規定として、診断確定のための「PCR 検査」を受けることになった。
勤務病院先の労働安全衛生課にメールをし、申し込みをするようになっている。
英国の各国営医療 (NHS) 病院内には必ず「労働安全衛生課」が設置されています。その詳細は、以前のこちらのエントリ(⬇︎)もどうぞ
送信ボタンを押して、ものの5分もしないうちに、私の携帯電話が鳴った。
最初の質問として「自家用車の登録番号は?」と。
なぜこの質問? と思ったが、PCR 検査のため車で来院した者は、他の人への伝染を極力避けるべく、担当スタッフが病院内の駐車場まで行き、自家用車の窓越しに検体を採取するとのことだった。野外で行うので換気も良く、検査室内で行う場合の部屋の毎度の消毒も不要となり、より都合が良いのであろう。
残念ながら、私は、生まれてこのかた運転免許を持っていない。という訳でこの選択は、最初から「除外」だった。
「それでは、検査室内での予約枠は。。。。本日はもう全部埋まっているわね。でも、ちょっと待って! あなた、近所に住んでいるんでしょ? あと15分後に来れるのであれば、一つだけ予約枠が空いているけど、どう?」
「すぐに行きます!」
即決だった。
そのまま、コートを羽織り、出かけようとした。
でも、自宅を出ようとした直前に、急に便意を催した。慌ててトイレに駆け込むと、異様な黒緑色の多量の💩。新型コロナウイルスは、胃腸に影響するんだな、と一瞬にして理解した。
勤務病院敷地内の片隅に設置されている「新型コロナウイルス (COVID-19) 診断用 PCR 検査室」(写真下⬇︎)に到着し、インターフォン越しに名前を告げると、すぐに中へ入れてくれた。中はがらんどうの部屋になっており、受付の人からは、検査スタッフが来るまでそこで待つように、とマイク越しに指示を受けた(写真下⬇︎)。
数分後、入り口とは別のドア(写真下⬇︎)から、集中治療室 (ICU) で用いられているのと全く同じレベルの感染防備具を着用した一人の男性が、突然、物々しくやってきた。
検査自体は、自己検査キットと変わらぬ方式の、喉元と鼻腔から唾液や鼻汁を拭い取るといったものであったが、採取棒を咽喉のかなり奥まで突っ込まれ、おえっーーーーつつつ〜。自分の身の危険を犯してまでも、こういう仕事を請け負う同僚の姿に頭が下がる。こういう人こそが、真の「医療戦士」よね。
検査終了後、感染防備具越しに透けて見えたその方の名札は、フィリピン人名で、看護助手、とあった。
ピンときた。きっと、祖国の家族にボーナスを送りたくて、この(誰もやりたがらない)危険な任務を請け負っているんだろうな。。。
すごく生々しい話だけど、英国国営医療サービス(NHS) 勤務の医療従事者で、今回の新型コロナウイルス (COVID-19) 前線業務により感染し、その結果亡くなった場合は、死亡一時金が特別に上乗せされるという条例が、最近発令された。
自宅へ戻ると、肩の激しい痛みが出てきた。これ、症状の一つと言われている関節痛なのかな? 数年前に日本で購入した経皮鎮痛 NSAID 剤を貼った。それで、数時間後には大分楽になりました。
その時使用した製剤(⬇︎)は、こちら。新型コロナウイルス (COVID-19) の水際対策でかれこれ1年以上日本へ里帰りできず、手持ちの在庫も手薄になってきた。今後不安。。。
この晩から、咳だけでなく、くしゃみが出てきて止まらなくなった。
確かにこれ、自宅隔離が必要だ。でなきゃ、この飛沫で、周りの人はみーんな、絶対感染(うつ)っちゃうよ。。。というほどの連発ぶり。
そして、味覚が無くなっていくのが自覚できた。クリスマス前にちょっと高価なマンゴージュースを買って冷蔵庫にストックしておいたのだけど、その味が「全く」感じ取れなくなってしまったのだ。
その上、夜中、シャワーを浴びていた際に、お気に入りのシャワージェルや、鼻づまりを軽減しようと使用したオルバスオイル(写真下⬇︎)の香りを(全く)感じ取れなくなってしまったことにも気づいた。慌てて部屋に戻り、パニック状態で、香りの良いルームスプレーをいくら噴射しても、その匂いも感じ取れなかった(写真下⬇︎)。嗅覚の完全喪失であった。
ふと、マイケル・ハッチェンス(→オーストラリア出身の世界的成功を収めたロックバンド INXS のリードシンガー。人気絶頂の時、暴行を受け、その際の脳損傷により味覚と嗅覚を永久的に喪失。それが発端となり性格も激変し、数年後、謎の死を遂げた)のことが頭をよぎった。
その時代を象徴する歌姫やスーパーモデルとのロマンスでも有名だけど、マイケル・ハッチェンス(⬇︎)の最後のパートナーは、1990年代、英国の朝のテレビ番組の顔として誰もが知る人気司会者だった。そのため、没後20年以上経った今でも、英国では彼のことが、時々メディアで話題にのぼる。
うん。味覚と嗅覚の喪失は、確かに、人生の愉しみを奪う。
これ、慢性的なものになってしまうのかな。。。という今後の予測ができない不安に駆られた夜となった。
この自身の、新型コロナウイルス (COVID-19) 感染記録は、次回へ続きます。